アトリエ・マイルストンブログ

2018年12月31日月曜日

京都橘オレンジの悪魔、伝説化

月曜日・穏やかな晴れ(時々曇り)
大晦日

森の里センター遊歩道(3丁目)より南方向を望む(左は日産先進技術センター)

* * *

今年2月からの画像投稿不可により、図らずも今年のブログの中心となってしまった、恒例でお茶濁しの

「出張ミュージック・ギャラリー(その344)」

をお届けします。

「もはや伝説と化した京都橘:オレンジの悪魔さんたち」


今年の当コーナー、異例なほど彼女らの動画を取り上げさせていただきました(計5回)。
その当コーナーの今年最後を堂々と飾ってくれるのは、やはり彼女たちでした。

今年1月にアメリカはカリフォルニアのパサデナで開催のローズ・パレードの模様は筆者にとって衝撃的でした。
日本アジア代表として選出された京都橘高校・吹奏楽部のダンスを伴った行進は世界中を魅了・絶賛されました。
従来の軍隊式のマーチング・バンド行進スタイルに、エンターテインメント豊かなダンス・パフォーマンスを導入、
吹奏楽器を演奏しての超絶パーフォーマンスは圧巻で、かつその笑顔で沿道の群衆100万の米国市民に感動を与え、
その動画がネット上にアップされるやその感動シーンが世界中で再生され、それは今もなお地球規模で増殖中です。

当コーナー、渡米後の本番のローズパレード(1/1)前のディズニーランド、バンド・フェスト等(昨年末)も紹介、
渡米のための長距離移動を含め、上記の公演・演奏、そして何度かの本番ローズ・パレードの様子を紹介しました。
総延長10km近くにも渡る渾身の行進、完走後に足から出血していた子もいて、その壮絶さがわかろうと言うもの。
それだけでも充分に彼女らの体力的・精神的消耗の凄さが推し量れるのですが、物語には更に続きがありました。

次に紹介する動画は、1月1日の本番のパレードを終えた直後の、何とその翌日(!)に行われたコンサートの様子です。
前半ではステージ狭しと彼女らの持ち味のパフォーマンスを繰り広げ、そして後半では貴重な座奏での演奏を披露、
足の踏み場もない程の大人数部員での感動のシーンが次から次へと繰り広げられていく、心温まる宝物ライブです。

何はともあれ、ご覧ください。

京都橘高校・吹奏楽部(OB含む)による慈善コンサート、カリフォルニア、ラ・パルマ(2018年1月2日)
Kyoto Tachibana High School Green Band,2018 Green Band Festival Benefit Concert,La Palma,California,U.S.A, By Music 213

前日のローズパレード本番の行進で精根尽き果てたと思いきや、翌日にこんな熱演を繰り広げるとは恐れ入ります。
彼女らの若さや情熱に根ざした驚異的な精神力と体力には、日々の厳しい練習の裏付けがあるからなのでしょう。
パレードで中央ドラムメジャーを見事に務めた子も、バンド・フェスと同様クラリネットにて演奏参加しています。
それにしても彼女ら、数多くのレパートリー(暗譜演奏&フォーメーションと変形)を持っていることに敬服します。

当動画の40分過ぎに部員生徒の多くがステージから下り、会場の米国人たちと交流している場面がありますが、
それは彼女らが滞米中にお世話になったホストファミリーさん達と挨拶(御礼と別れ)を交しているとのことです。
ステージへと戻った彼女たちの足元には手渡されたお土産、感動のあまり、ついもらい泣きしてしまいました。
白髪の指揮者は指導顧問の先生で御年83歳。今年春には退官されたので、めでたい花道となったことでしょう。
そんな指導者らの心温まる配慮と気高い心意気とで、ステージ溢れんばかりの大所帯(約150名程)となりました。
大人数では楽器間の音像均衡が崩れ、キレもシンクロ性も劣化しますが、全員参加の方針が京都橘の持ち味です。
パレードでは200名が行進しましたが、公演会当日には一部の社会人OB(G)が早々と帰国の途につかれたようです。
ちなみにこの公演の収益全額が、当地の山火事消火中にて殉職された消防隊員の遺族らへと寄付されたそうです。
 ただでさえ莫大な渡航の諸費用(全楽器の運搬費だけでも高額)のかかる渡米、ただただ頭が下がる思いです。

筆者個人としては一部楽曲(ロック・メドレーやポップス等)にて打楽器隊の自信なげな弱さが不満に思いました。
筆者も大好きなディープ・パープルの名曲メドレーの時こそ、打楽器隊が最も活躍して然るべきなので惜しまれます。
ティンパニー(打楽器隊最高実力者が担当)を演奏のあの木琴女子さんにドラム・セットを叩いてもらいたかったです。
選曲も自ら行っていると言う彼女らなので編曲もそうかもしれず、このメドレーを選ぶ心意気は、嬉しい限りです。
編曲のせいか、チューバ等ベース部のボトムラインも薄く弱く、総力でビートを出して欲しいと思ってしまいました。
筆者推測するに、それらはきっと新たにレパートリーに加わった曲なので、練習・鍛錬不足だったのだと思います。
加えて、ご高齢の米国人指揮者下の「星条旗よ永遠なれ」の精彩を欠く指揮で、キレや迫力に乏しく欲求不満ですが、
( お世話になった米国への返礼の徴しの当曲、聴衆の米国市民たちの方々が手拍子参加で後押ししてくれました。)
とは言え、
最後のここぞとばかりの「シング・シング・シング」の渾身の圧巻演奏で、そんな不満が全て帳消しとなりました。
彼女らの精一杯・力一杯の愛とパワーを貰ったご聴衆の方々、きっと明日からの活きる力を漲らせたことでしょう。
(*^-^*)
天才・木琴女子さん(Tippiと言うニックネームだそう)、最後はタンバリンで皆を盛り上げてくれて、さすがです。
そんな元気満点な彼女、世界中の人々から最も笑顔の素敵なミュージシャンシップの固まりと大絶賛されています。
( ちなみに筆者も全く同感!)
また最後になりますが、計10名にも満たない現役男子、色々な軋轢の中で頑張ったこと、褒めてあげたく思います。


筆者個人の「今年の10大ニュース」の上位に位置するローズパレード他での京都橘高校・吹奏楽部の感動的動画の数々、
それらを知らないままでその後を過ごしていたとしたらと思うと、本当にそれらに出会えて幸運だと思える年の瀬です。
先程、来年(明日1日)のローズパレード出場の我が国の代表高校のバンド・フェストでのホヤホヤ映像がアップされました。
その最新動画を見た人々からの感想のコメントが早速寄せられていますが、残念にもなかなか厳しいものがあります。
祝福の気持ちと同時に失望を感じている人たちも多数で、筆者もまたそんな中の一人だと言うのが正直なところです。
京都橘高校・吹奏楽部、誰が名付けたか知りませんが、周囲を喰ってしまう魔力や魅力が彼女らのニックネームです。
「オレンジの悪魔」さん達はもうこの時点で、既に伝説的存在となったようです。
彼女たちの東京オリンピックやパラリンピックへの出演を切望する声、ネット上に国内外に多数で、筆者も同感です。

国境や言語や年齢をいとも容易く超えてしまった唯一無二の彼女たち、その3回目の出場は果たしていつぞ・・・?
彼女らとそれを支えたご家族・保護者・指導者・学校と米国の全関係者らの更なるご多幸・ご繁栄を祈るばかりです。
Special thanks to so many warmful American audience & " Music 213 "
彼女たちにとっては宝物の数々の演奏パフォーマンス・シーン、筆者にとっても大きな宝物とさせていただきました。
「大大々感謝」

* * * * *

「後日追記:京都橘ローズパレード総集編・新追加のお知らせ」

2019年9月12日


京都橘高校マーチングバンドによるローズパレード2018の当ブログでの総集編を新たにアップしました。
ご興味のある方、よろしければ下記タイトル(↙)をクリックして、併せてお立ち寄りください。



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「ミュージック・ギャラリー(その260)」


上の特集とは別枠とさせてもらって、ここ数年の当コーナーの大晦日 恒例のあの名曲を最後に・・・。
この動画、以前にも同じバージョンを紹介しました。お楽しみください。

「この素晴らしき世界」、ルイ・アームストロング(1967年)
" What A Wonderful World " with Lyrics on screen / Louis Armstrong

上述の「オレンジの悪魔」さん達も、パレードでサッチモ(ルイ)のダウン・バイ・ザ・リバーサイドを演奏しています。
「オレンジの悪魔」さんの動画と共に、1年の終わりの大晦日にこそ、この曲・この詞の世界で締めくくりたいものです。

* * *

「筆者後記」

今年最後のブログ、無念にも年越しをしてしまいました。
普段は見ない面前TVの「NHK紅白歌合戦」をチラチラ見を繰り返してしまい、アップが遅れてしまいました。
その中に「甲子園」と言う曲を歌った福山雅治(敬称略)が出場していました。
その曲のPVで「オレンジの悪魔」さん達とも共演しているとの話題は、ネット・ニュースでは知っていました。
そして今夜の中継の中で気になる場面があり、福山雅治のバック演奏演出で高校生らしい吹奏団員の姿を発見、
その俊敏な動き、衣装、金管の音色、前方に向けて肩で構えたユーフォニウム、「あれっ!もしかして?!」
筆者が当コーナーで先だって取り上げた故郷沖縄の「西原高校マーチングバンド」ではないか!と思いましたが、
程なく「甲子園」と言う曲終了で、結局 残念ながら彼らかどうか確かめられず仕舞いで終わってしまいました。
傍らで見ていた妻が言うには共演者名が画面左隅にあったそうですが、微細で直ぐに消えてしまったそうです。
間違っているのかもしれませんが、もしそうだとしたら当コーナーに登場した両校の揃い踏みで嬉しい限りです。
ツイッターでもやっていたら直ぐにでも確認出来たかもしれませんが、そのうち近日中に判明することでしょう。
または、共演バックの吹奏楽団がどこの高校だったかご存じの方は、筆者の方に是非ご一報いただければ幸いです。
( 筆者注:後日 判明次第アップします。)

ちなみに余談ながら、その「紅白」では、椎名林檎と宮本浩次(エレカシ)の共演パフォーマンスが圧巻でした。

* * *

恥ずかしながら、遅ればせながらの「大晦日ブログ」となってしまいました。

昨年中は大変お世話になりました。おかげ様で幸せ多き日々を過ごせました。
先立たれた友にも、「更に充実して力一杯生きよ」とのエールも頂きました。

新年の挨拶は、またあらためて述べさせていただきますが、ついでながらにて。
本年も皆さまにとりまして良き年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。
平成最後の本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

アトリエ・マイルストン主宰:当真 英樹
 マイルストン学童クラブ代表:当真万里子

2018年12月28日金曜日

アトリエ、本日仕事納め

金曜日・晴れ
学童クラブ&アトリエ、共に仕事納め

黄昏を迎える大山( 上古沢地区からの眺望 )

皆様のおかげにて、 今年も充実した年となりました。感謝の一語に尽きます。
皆様のクリエイティブ・ライフに、多少なりともお役に立てたのなら、なお幸いです。

* * *

 「お知らせ:年末年始のお休み日」


明日29日(土)より新年1月6日(日)までの9日間、学童クラブは冬休みとさせていただきます。
 アトリエの方は翌週が連休と重なるため、オープンは遅まきながら19日(土)からとなります。
皆様のご来訪を心よりお待ちしております。
新年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

* * *

当ブログ、残念ながら画像の新投稿の不可が未だに続いており、新年の2月で足掛け1年にもなります。
新たなブログを開設するなりの手立てを講ずるより術はないとの結論で、何とか打開を図るつもりです。
こちらの方も、どうぞよろしくお願いいたします。

当ブログはお休み期間中も、お茶濁しのミュージック・ギャラリー等を散発的に投稿する予定です。
よろしければ、お立ち寄りください。

アトリエ・マイルストン主宰:当真 英樹

P.S. 先日、当ブログで言及しました森の里地区のクリスマス・イルミネーション、
今年は当日25日の夜にも、しっかり点灯していました。
自治会役員・関係者の皆様、ありがとうございました。

2018年12月24日月曜日

国民の祝日と Xマス・イブ

 月曜日・久々の快晴・温暖(但し北風 少々強し)
「祝日:天皇誕生日(の振り替え休日)と クリスマス・イブ」

来年四月、史上初の生前退位をされる天皇陛下、長い間お疲れ様です。
余生は皇后陛下と共に充分におくつろぎいただけるよう願っています。
_(._.)_

* * *

「我が町・森の里の不思議・短気なクリスマス・イルミネーション」


「若宮公園内・遊水池に浮かぶ毎年恒例の大型イルミネーション」

「若宮公園・野外音楽堂の頭上を飾るツリー型イルミネーション」

上下共に我が町内を飾るお馴染みのイルミネーションです(注:当画像は共に昨年撮影の使い回しです)。
が、気が早いことに12月初旬から飾られるのは良いのですが、毎年「イブ(24日)」までしか点灯しません。
「クリスマス当日(25日)」の夜には何故か撤去されてしまっていて、いつもの闇夜世界に戻っています。
「お正月」で例えると、年の瀬には早々と設置、けれど大晦日までしか飾らないと言う門松みたいなもの。
「当日」を軽視する「本末転倒の点灯」と言わざるを得ません。
 不思議で短気な我が町のイルミネーション。
今年(明日本番の晩)は、果たして・・・?
(-_-;)

* * *

「出張ミュージック・ギャラリー(その343)」

真空管ラジオ購入記念:「思い出の日のラジオ・クリスマス・ソング」


当コーナーにて度々記していますが、筆者の幼年時代の故郷は米国施政下の真っ只中にありました。
戦後10数年を経ても周囲には戦場の残り香が漂い、多くの米軍人・軍属や家族が暮らしていました。
民間の電波利用は著しい制限があり、生まれた時からラジオやテレビがあったわけではありません。
そんな中、
我が家には「親子ラジオ」と言う有線放送のラジオがあり、幼年の筆者を終日楽しませてくれました。
我が家の居間の鴨居の上に設えられた木製の箱には、布張りのスピーカーとツマミが一つありました。
そのベークライト製のツマミはON・OFFと音量調節で、右にひねるとしばらくして音が鳴り出します。
そこから流れ出でてくる柔らかな音はその全てが音楽で、そのほとんどが米国製のポップス等でした。

また近所には親戚の女性が米国人と結婚して暮らしており、そこには大型の真空管ラジオがありました。
そのラジオは美しく立派で、選局表示窓は暖かな色に点灯され、柔らかな音色が部屋を包んでいました。
更に近づくと木製のキャビネットは熱を帯びて暖かく、裏面のラグ板は焦げたような匂いを発していて、
その狭間からは林立する真空管が見え、それはまるで夜の秘密基地のように神秘的な光を放っていました。
朝の光に満たされた室内にはやがてトーストとコーヒーの香りが加わり漂い、ご主人の起床となりました。

小学校に入学した頃には我が家にもプラスチック製の真空管ラジオが登場。本土発の流行歌等も聞き始め、
また新たに出現したテレビにいつしか主人公の座を奪われ、ラジオはバラエティー番組聴取がメインとなり、
やがて電蓄も登場、筆者の音楽鑑賞の中心はラジオから、テレビやレコードがメインとなっていきました。
ちなみに筆者が初めて買ってもらったレコードが、以外(当然?)にも東京消防庁吹奏楽団の行進曲集のLPでした。

その頃のクリスマスの思い出と言えば、4~6年生頃に級友女子宅へお呼ばれ、交換用のプレゼントを持参、
家族ぐるみで歓迎、居間の立派なピアノ(電子Pは当時無く)に感服したり、カードゲーム等も楽しみました。
中学でも24~25日にお呼ばれパーティーをかけもち。女友達の姉夫婦の旦那さんが米軍将校さんだったり、
遠方の初めての暗闇バス停で、次のお呼ばれ先に行くためのバスを寒風下で長時間待ったりしたものです。

中1になってその当時に国内で大人気だったグループ・サウンズ経由で、海外のエレキ・サウンドにも目覚め、
ローリング・ストーンズやビートルズ等のビート音楽に触れ、ギターやドラムも発見、バンド活動にも熱中。
ロック狂いの極め付けはストーンズの「サティスファクション」と言う曲で、その歪み音にK.Oされました。
周囲の環境(軍人相手の歓楽街やボート・ハウス等)も手伝って、やがて「寝ても覚めても」状態となり、
(当時、ジュークボックスが巷で大流行、米軍基地由来の輸入レコードも筆者周囲では流通しました。)
高校受験もそっちのけの親不孝な「ロック・バンド・どハマり夢中少年」と相成ってしまったのです。
当然、成績は右肩下がりの超急降下。今思うと相当呑気・能天気な○○(アで、ワに非ず)ガキでした。

その頃からまたラジオ聴取が大復活、KSBK(コールサインが米国内扱い)と言う英語放送に夢中になり、
米英で流行りの最先端な音楽(当然 主にロック)を1曲たりとも聞き逃すまいと飢餓状態のように聴取、
おかげで受験勉強はせずに、深夜までラジオ(パックイン・ミュージック等も)を聴いていたものです。


前置きが随分と長くなりました。
そんな筆者の幼少時代にラジオから流れ出てきた数多くのクリスマス・ソングを今回の特集としました。
遅まきながら、懐かしのウオームな歌声、まずはお聞き下さい。
真空管ラジオ同様の暖かくてマイルドでアダルトな温もりある声、まるで子守歌(ララバイ)のようです。
( 同じ曲ばかりで飽きてしまうと言う方は、好きな歌手だけでもどうぞ。)

「ホワイト・クリスマス」聴き比べ / ビング・クロスビー、T・ベネット、F・シナトラ、P・ブーン、E・プレスリー
" White Christmas " ( Compared listen )/ Bing Crosby, Tony Bennett, Frank Sinatra,
Pat Boon, Elvis Presley


「おじさんソング」をもう1曲、50~60年代を一世風靡した往年の大スターです。

ディーン・マーチン、「ジングルベル」
Dean Martin, " Jingle Bell "

ほろ酔い気分のようなレイジーしっとり感がたまりません。
小学生の頃は年末だけにTV放映されるジェリー・ルイスと共演のドタバタ・コメディー映画がとても楽しみでした。
彼の大ヒット名曲、" Everybody Loves Somebody "も聞きたくなってきました!

以前、当コーナーにて取り上げたことがある動画で、更に「最近の若い(成り立て?)おじさん」の同曲をもう一つ。
その男性歌手に一歩も引けを取らない存在感で共演しているベテラン姉妹コーラス隊が往年の感じのまんまです。

マイケル・ブーブレ&プッピ二・シスターズ
Michael Buble featuring Puppini Sisters, " Jingle Bell "

洒落た軽快さが ご機嫌です。
この曲を陰で支えているスインギーなウッドベースとドラムの小刻みなブラッシュ・ワークも快感です。
コーラス隊の彼女たちは、筆者幼年期の親子ラジオ時代からのお馴染みで、随分とお世話になりました。



今回のラジオ・クリスマス・ソング特集の最後の曲です。
筆者高校時代に英語放送のKSBKで大ヒットした曲(以前に当コーナー紹介済み)を取り上げます。
その頃の我が家のラジオはトランジスタになり、筆者は流行のステレオ・レシーバーでした。
クリスマス・シーズン前、ヘビー・ローテーションで流れていて、その軽快さは秀逸です。
また友人たちと集う数軒の店(ソバ屋や天ぷら屋に非ず)でも、よくかかっていたものです。
当時、故郷に在留する米軍人の中にはラテン系の兵士もかなりの人数に上っていたと思います。
その数は現代ほどではないにしても、彼らの出身国や家族を想い返すには恰好のヒット曲です。
プエルト・リコが生んだ天才盲目シンガー兼ギタリストのご機嫌な代表曲の一つです。どうぞ。

ホセ・フェリシアーノ、「フェリス・ナビダ」(1970年)
Jose Fericiano , " Fellz Navidad ( I Wanna Wish You A Merry Christmas )"

「フェリス・ナビダ」はメリークリスマス、「プロスペロ・アノ・イ・フェリシダ」は豊穣なる新年と幸せをとの意味です。
中南米をはじめ、ラテン諸国ではクリスマスの歌として、今では定番中の定番になっていると言う大ヒット曲とのことです。



筆者の記憶としては、ラジオでのクリスマス・ソングとしては、これが故郷時代の最後かもしれません。
この曲を聴くと、故郷での遠い記憶が蘇り、その後、会えなくなった友人たちの顔が浮かび上がります。

当時、筆者の故郷は米軍の統治下にあって、今より数倍の米軍人や軍属やその家族たちが駐留していました。
クリスマス・シーズンともなると米国人の彼らがいつになく浮かれることは、子供心にも感じたものです。
その当時の米国は強大で絶対で、豊かな物量を誇る戦勝国・支配民として故郷の隅々に君臨していました。
彼らの祭りのクリスマスは派手で明るくきらびやかで、筆者らのつましい暮らしを遥かに陵駕していました。
でも真空管ラジオから流れ出でるクリスマスを彩る無数の曲たちは、子供の筆者をも確実に魅了したものです。
羨望が入り混じった不思議な感情が筆者らの中に芽生え、自分たちのクリスマスが出来ないことに苛立ちも覚え、
それは半世紀を経た今ですら完全に払拭することは出来ない心の奥底に沈殿したある種の痛みすら伴う感情です。

とは言え、子供の頃に聞いて心に深く刻まれたそれらクリスマス・ソングのメロディーは未だ筆者の中で蘇り、
輝きを失うことはなく、今も筆者の脳裏にて自動再生され、感傷的な気分をも思い起こさせてくれるのです。
ぬる湯のように温かく、父母の匂いのように心地良く、故郷の人々そのもののように優しく懐かしく・・・。

( 以上、半世紀ほども前の遠い過去の筆者の思い出話でした。最後までお付き合いいただいた方、感謝です。)

* * *

「筆者後記寸感:音楽の再生装置についての雑感」

筆者上京後は浪人生活とアルバイトを開始、当時流行り始めたローンでステレオ・レシーバーを購入。
最新式のカセット・デッキにてFM局のエアー・チェック(録音)をするのが新たな趣味となりました。
高音質なハイファイ・サウンドに慣れ始めた頃、音楽界ではクロス―オーバーと言うジャンルが登場、
筆者の趣味もストレート&パワフルなロックから、都会的で洒落た編曲・音色のそれらにハマり始め、
いつしか真空管ラジオの持つミッド・レンジ(中音域)中心の音色が、何故か時代遅れに感じたものです。

近い過去においてオーディオがハイファイ化するにあたり、基本となる中音は軽視され、やたらと高音と低音が強調され、
遠い過去で培われたスタンダード(基準や規範)となるべき根幹の中音域を知らぬ若者たちが続々と誕生してしまいました。

その後も便利で上質でコンパクトな音響製品やメディアが次から次へと現れ、いつしかそれらに洗脳・啓蒙され、
旧いものが新しいものに取って代られる図式が当然となり、過去の既製品は目前から消え去るだけの運命でした。

でもある日、はたと気がつくのです。
失われた物(製品)の中に、失われた物(魅力や価値)もあることに・・・。
筆者にとってはそれが今回の「真空管ラジオ」のあのまろやかな中音だったのです。

真空管には寿命があり発熱量も大きく、その欠点ゆえにトランジスタやIC等に取って代られるのは時代の必然でした。
レコードからCDやMDになって小型化は進み、録音媒体もカセット・テープからレザー・ディスクやMDやCDになり、
やがてそれらもMP3やUSBにその座を取って代られ、高密度・高速デジタル化は日々益々拍車がかかっています。
でもその行きつく先の未来に於いて、理想的な音場空間が誕生し・存在するのかと言えば、それは甚だ疑問です。
音響装置の進歩は純度や小型化等の利便性を追求した代償として、豊かな音像を過去に置き去りにしてきたのです。
「人は世に連れ、世は人に連れ、歌も世に連れ、世も歌に連れ、かくて音も世に連れ、世も音に連れ」・・・。
未来の人々がどのような世と音楽を望み、また果たしてどのような音色・音場を望んでいくのでしょうか?

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」は、マッカーサー元帥が引退の際に述べた有名な言葉(せりふ)です。
筆者の人生もまた老いに近づいていますが、幼年時代に刷り込まれた真空管ラジオのマイルドな音と共に、
残り少ない人生のページを、幼年期の思い出に浸りながら少しでもでもふくよかな時空にしたいと願っています。

親子ラジオや真空管ラジオ、そのウォームな音を懐かしむべく、楽しむべく、ネット・オークションで購入。
その存在感は見事で、筆者の仕事場には似合わず、結局 自宅の居間でインテリアを兼ねて鎮座し始めました。
音を鳴らすと「あら不思議」、たった一つのラジオが今までの居間の全ての雰囲気をガラリと変えてしまいました。
今夜からテレビやパソコン音楽を消して、FENで続々とかかるクリスマス音楽をお酒と共に楽しむことにします。
(*^-^*)

" Happy Merry Christmas ! "


By T講師
( またまたとりとめのない雑文・駄文となってしまいました。今回もまたワインなど入っています。ご容赦。)

2018年12月17日月曜日

ドイツの学校、合唱ライブ

月曜日・曇り 時々 晴れ
アトリエ定休日

「 お休み日のお知らせ 」


今週末の12月22日(土曜日)から天皇誕生日の振り替え休日の来週12月24日(月曜日)の三日間、
アトリエは お休みとさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

* * *

例によって恒例のブログ映像アップ不可のお茶濁しの

「出張ミュージック・ギャラリー(その342)」


ギムナジウム(ドイツの中高一貫校)の合唱ライブ・コンサート


先日、YouTube上の「あなたへのおすすめ」画像にて、興味深い動画に出会いました。
それはドイツでのコンサートの様子で、ステージ狭しと集った若い男女みんなで合唱する動画でした。
ギムナジウムとは大学進学を決めた生徒たちの通う中高一貫校で、そこへ通う生徒たちのコンサートの様子です。
国内の合唱コンクールのような精鋭合唱部による高度なコーラスではありませんが、心温まる初々しさが魅力です。
曲はそのどれもが稀代の名曲で、その当時の空気感のみならず、今もなお輝きを放っていることが再認識されます。
男女学生のパート・パートでの歌い分けや、途中のラップ風なソロ(1曲目)など、洒落たアレンジや伴奏も快感です。
伴奏者は中高校生ではないので、もしかしたら学校の教師たちかもしれませんが、アレンジもその演奏も秀逸です。
また3曲目でのステージ最前列の男女児童は、ギムナジウムの最年少生徒たち(日本では小学5年生)かも知れません。

では3曲、続けてどうぞ。

「エブリー・ブレース・ユー・テイク(ザ・ポリス,1983年)~アイル・ビー・ミッシング・ユー(パフ・ダディ―,1998年)」
クサヌス・ギムナジウム生徒によるコアー(コーラス隊)のコンサート、ドイツ、2014年
"Every Breath You Take (The Police)~I'll Be Missing You(Puff Daddy) " / Cusanus Gimnasium ( Germany )
Conductor and Arrangement/ Michael Forg, School Concert at the city hall of Erkelenz in 2014

移民の受け入れに積極的なドイツだけあって多様な顔があり、民族性が混じり合いつつある現代が興味深いです。
ちなみに中間部で見事な英語でのラップを披露している男子はイブラヒムと言う名前のイスラム系のようです。
この曲自体がポリスの原曲をベースにしたフュージョンで、黒人文化と見事に融合したグローバルな音楽です。
個と全体、統一性と個性、男性と女性の声質、地域と歴史、民俗性と文化等、色々な要素を考えてしまいます。


「アフリカ(TOTO、1982年)」
" Africa ( TOTO ) "

言わずと知れたトト(と呼びます)の超名曲です。
ソプラノ(高音域)に片寄らないミッドレンジ(中音域)のぶ厚い男女混合の合唱がカッコ良く、また心地よいですね。
ちなみにこのTOTO、初来日時には、数多くの便器に自分たちのバンド名が記されていて驚いたとのエピソードあり。


「ヒール・ザ・ワールド(マイケル・ジャクソン、1992年)」
" Heal The World ( Michael. Jackson )

こちらもまた「永遠少年」マイケル・ジャクソンが紡いだ超々名曲、その純粋世界につい惹き込まれてしまいます。
当動画、ソロで歌うギムナジウム先輩の女生徒を傍(左側2番目)で見上げる女子児童の表情が可愛くて面白いですね。
バック演奏の楽器にシンセサイザー(キーボード)が1台あるだけで、奥行きやイメージ豊かな音場空間となっています。
ちなみに総指揮役の男性が弾いているピアノは我が国のヤマハ製で、ピアノの本場のドイツでも頑張っているようです。
ドイツの男女生徒・児童による美しい合唱と皆の表情が感動的な動画でしたが、お楽しみいただけたのなら幸いです。

筆者の故郷で言うチャンプルー(何でも混ぜる)文化で、正にごった煮の良さが活きた結晶のような動画に仕上がっています。
ドイツでも、米国社会の象徴の「人種のるつぼ」を意味する「メルティング・ポット(Melting Pot)」が誕生しつつあるようです。

* * *

「筆者後記寸感」

つい先だって国会でも「外国人受け入れ法案」が成立しましたが、入管での非人道的扱いなど、諸問題も未解決なままなようです。
単なる都合の良い安価な労働力供給として対処するだけなら、個々の人権や若い働き手双方が共に疎外されそうで心配になります。
また文化や言葉・風習・価値観の違いから、その土地土地で新たな対立が生じるのではないかとの懸念も払拭されてはいません。
とは言え色々な軋轢や負の面があるにせよ、他民族の文化や労働力を吸収しつつ、ダイナミズムを維持しなければならぬ状況です。

単一民族国家と言う我が国ですら、古代より縄文(起源狩猟民)や弥生(大陸稲作文化)や、琉球やアイヌも混ざる複合文化圏です。
海に囲まれて国境を他国と地続きで接しない我が国にも、またそんな人種のチャンプルー現象が新たにやってくるのでしょうか。
故郷の小さな島は、生まれた時から色々な人々(台湾、フィリピン、インド、米国軍人軍属、混血 その他)が混在していました。
そんな人種チャンプルーの中では差別をしたり・されたりが複合的・重層的・日常的にあり、それはそれで有意義な体験でした。
自己や家族や身近な人が差別されるのは悲しいことなのに、その悲しみを解せぬ人が差別を平然と繰り返し、増殖させるのです。
単一で無味乾燥な無菌室暮らしより、雑多世界で見聞・経験する人生が喜怒哀楽の価値をより深く味わえることもまた事実です。
無知は無恥、無垢は無苦。苦しみは少ないに越したことはないですが、他者を思いやる心や想像力は最低限 育ってほしいものです。

「いちゃりばチョーデー(行き遭えば皆兄弟)」と言う言葉が故郷にはあります。
そんな故郷もいつしか二極分化の方に進みつつあり、何だか被害者意識が過剰な近隣諸国にも似てきた感もありで複雑です。
時として兄弟喧嘩もやり合うも、また酒を酌み交わし、肩を組み、歌い踊る、そんな理想的な国に将来なると良いのですが。
我が国の近未来の社会がフュージョン(融合)であって、コンフュージョン(混沌)とはならぬよう、切に祈るばかりです。
が、果たして・・・・?

By T講師
( 個人と国家は別なれど、非民主や戯言の近隣国家がある限り、理想は夢想の絵空事で終わりそうで危惧する今日この頃です。)
( ここ数回に渡る まとまりのない乱文・雑文投稿、ご容赦)

2018年12月10日月曜日

冬始まりのアイリッシュ音楽

月曜日・曇り(夜:雨)
アトリエ定休日

先週前半までの暖冬が一転、週明けからは更に本格的な寒さの襲来となりました。
穏やかな「小春日和」の日々に慣れていただけに、寒さがひとしお身に沁みます。

さて新映像アップ不可により図らずも当ブログの今年の恒例となってしまった

「出張ミュージック・ギャラリー(その341)」

をお届けします。

「木枯らし1号」が吹かなかった今冬とは言え、我が町・森の里沿道の木々はすっかり冬支度の様相です。
今夏の大型台風の影響と思われる塩害立枯風だったケヤキ並木やイチョウ並木がその葉を落とし始めました。
同じく、バス周回道路沿いのマロニエやプラタナスの並木も、その美しい紅葉を路面に散らし始めました。
時折発生するつむじ風に煽られ、落葉の群がまるで魚群のような金色の帯状になって路面を走ってゆきます。
そんな折り、筆者の脳裏には条件反射的 或いは自然発生的にある種の音楽のメロディーたちが蘇ってきます。

今回もまた以前(2015年)に当コーナーの初冬にアップしたことのある楽曲で、この季節限定ではありませんが、
その美しい旋律に何故か冬の雰囲気があり、この季節に筆者の脳裏の自動ジュークボックスにて再生されます。

オーラ・ファロン、「ウォーター・イズ・ワイド、シェナンドー(メドレー)」
Orla Fallon, " Water Is Wide "~" Shenandoah (My Land)" Live Medley


"Water~"の方は以前当コーナーにてアメリカのカーラ・ボノフの艶っぽい歌声でもお送りしました。
今回のオーラ・ファロン(2度目)は透明感ある清楚な声質の持ち主で、力むことのない歌唱が魅力です。
以前はあのケルティック・ウーマンに在籍していましたが、今は独立してソロ活動している歌手です。
広くケルト文化圏にて古くから伝わる詞ながら、男女の渡れぬ悲恋を川(または海)に例えて妙味です。
"Shenan~"は19世紀米国の古い歌で、その地域に入植したアイルランド系の人々の影響があります。
こちらもネイティブ・アメリカンの娘との道ならぬ悲恋をシェナンドー川に例えて綴った内容です。
ライブでは、アイルランド伝統のティン・ホイッスル(ブリキ笛)やバグパイプ等が効果的で快感です。



さて2曲目も彼女の同ライブからで、ゲストの男性シンガーと共に美しいメロディーを歌い上げています。
この曲もアイルランド発祥の作者不詳の古い歌で、美しい旋律はスコットランド民謡と共通性があります。
アイリッシュ音楽とスコットランドは文化圏的にも同じケルト民族として、共通のルーツを有しています。
また余談ながら、
我が国で以前流行った「五番街のマリー」の主旋律も、ここら辺からインスパイアされていること確実です。

オーラ・ファロン、「レッド・イズ・ザ・ローズ」with トミー・フレミング
Orla Fallon, " Red Is The Rose " Featuring Tommy Flemming (My Land),Live



「ダウン・バイ・ザ・サリー・ガーデン」、アイルランドの教会聖歌隊(詳細不明)
" Down By The Sally Garden ( Irish: Gort na Sailean)"

サリーは柳(willow)のことで、若かりし頃にデートをした思い出の場所で、その後の失恋を歌った楽曲です。
動画の説明文が全てアイルランドの言語(ゲール語?)で記されていて、伴奏者の指名以外の詳細は不明です。
聖歌隊ほとんどが女子で、数名の男子はやる気なし(てれ隠し?)の表情で、彼の国も我が国と同様なようです。
バックのフィドル(バイオリン)、ブリキ製のタテ笛、ギター、ウッドベースの4名の伴奏も味わい深いですね。

最後にもう1曲
同曲、前段に登場のオーラ・ファロンさんが歌った歌詞付きヴァージョンもお届けします。

オーラ・ファロン、「ダウン・バイ・ザ・サリー・ガーデン」
( 注:曲名のサリーの部分の英語スペルは2種類あります。)
Orla Fallon, " Down By The Salley Garden " with Lyrics

美しい旋律に心が洗われるようで、北方からの透明な大気とアイリッシュ音楽がコラボする季節の始まりです。
筆者の大好きな抒情ある美しい季節、「冬」の到来です。

* * *

「 冬始まり(後日追加画像) 」

冬特有の乾いた大気がもたらす透明な青空と、褐色を帯びた繊細な木立や草原の色彩が美しいです。
( 注:残念ながら、下の写真は昨年の同時期の様子です(今冬の撮影分、アップしたいものです)。

森の里センター(3丁目)より南(若宮橋方面)を望む

ケヤキ坂、森の里3丁目交差点より北(アトリエ・上古沢方面)を望む

森の里・上古沢間 接続S字坂より北の空を望む(昨年までの定点撮影地:アトリエ背後の丘頂き)



「 筆者 後記雑感 」

アイリッシュ音楽、筆者の最初の出会いは幼少(幼稚園~小学校低学年)の頃に聞いた「ダニーボーイ」です。
当時、米国軍政下の故郷は民間の電波が著しく規制されていて、ラジオやテレビの放送は制限されていました。
映画等の洋モノ好きだった父のおかげで、筆者宅には有線の「親子ラジオ」と言う再生装置がありました。
そこから流れ出でてくるのは100% 米国のポップスで、50~60年代のジャズやカントリー等もありました。
グレン・ミラー、ルイ・アームストロング、ドリス・デイ、ジョ二・ジェームス、ボビー・ダーリン・・・、
そんな中、移民の国らしくアメリカンナイズされながらも色々な人々の出身地の音楽もかかっていました。
子供心に喰いついたのがジャマイカの「バナナボート」やトルコの「ウスクダラ」等、ヘンテコ物が大好きでした。
そんなヘンテコ音楽ではないハリー・ベラフォンテらの「ダニーボーイ」も何故だか子供心をくすぐったものです。
静かなバラードで哀愁漂うその旋律には何らかの魔力みたいなものがあって、それに惹きつけられたのでしょう。
筆者の故郷もアイルランドと共通の境遇があり、南北の差こそあれ、民族性に似たものを感じたのかもしれません。
また音楽的にも沖縄古典民謡の琉球笛を使用した「月ぬかい(美)しゃ」等、かなりの共通性を感じてしまいます。
筆者もアイリッシュ(ケルト)音楽好きが高じて、変則チューニングを用いたギター演奏を特に冬に楽しんでいます。

現在も東京を通り越した各種交流が両者間で多数あり、故郷やかの地の著名音楽家たちも互いに往来しています。

不毛の大地アイルランド、筆者の故郷同様、苦渋を舐め、数多の移民を送り出した地でもあるアイルランド、
筆者の大好きなバンドのU2や、ヴァン・モリソンもコアーズもクランベリーズも皆アイルランド生まれです。
哀愁の調べを生み出した苦難の歴史ある彼の地アイルランド、残り少なくなった人生で一度は訪れてみたい土地です。

By T講師

P.S.「祝・グランプリ・ファイル初出場・初優勝:紀平梨花 選手」

2018フィギュア・スケート:グランプリ・ファイルにて女王ザキトワに勝る最高の演技を披露、完全優勝!
見事でした。
(米国留学中の本田真凜選手の復活も望んでいます。)



2018年12月3日月曜日

クイーン人気、大復活

月曜日・曇り(一時 小雨)、温暖
アトリエ定休日

今回もまた昨今恒例の音楽ブログとなっています。
ご容赦。

* * *

先週、油絵を製作しているMSさんが来訪、開口一番で筆者に言いました。
「ボヘミアン・ラプソディー、早速 行って来ました!いやー、非情に良かったすよ!」
そして昨日、先週日曜に続いて来訪のMSさん開口一番に筆者に尋ねました。
「ボヘミアン・ラプソディー、見に行ってきました?いやー、人気爆発してますよ!」
フットワークの良いMSさんとは違い鈍足な(多分、映画館には足を運ばない)筆者、まだ見てはいませんが興味津々です。
妻のM先生の方も、ネット英会話での海外各国在住の講師陣らの授業内容でも、その映画の話題で持ち切りだそうです。

てな訳で、今回の特集となりました。

「出張ミュージック・ギャラリー(その340):特集:クイーン人気、大復活」


今回の当コーナー、今、巷で話題の映画「ボヘミアン・ラプソディー」について、遅まきながら取り上げさせていただきました。
その異例なほどの熱狂ぶり等、筆者の疎い外野解説は止めて、TVニュース番組の一部をYouTube上より まんまお借りしました。


以上、先般放送されたテレビ朝日の夕刻のニュース番組内特集での同映画と主人公のクイーンの紹介のシーンでした。
早逝したヴォーカルのフレディー・マーキュリーの半生を中心軸にした映画だそうで、世代を超えて評判になっているとの事です。
映画タイトルが彼らのヒット曲名で、「クイーン」でも「フレディー」でもない点が映画の肝らしく、含蓄のある題名との事です。
となると、有体に言えばボヘミアンは故郷やバックボーン損失者みたいな意味合いで、ラプソディーは狂詩曲と訳されるように、
フレディー自身の生い立ちや、その後の成功者としてのバンドの名声や苦悩、メンバーたちとの関係等が描かれているのではと、
映画館には足を運ぼうともしない筆者なりに想像しつつ、DVDの発売までクイーン人気の嵐をやり過ごすことになりそうです。



ここ1~2ヶ月
YouTubeのお勧め欄にも彼らの名曲の数々が頻繁に登場、つい誘われ見ると懐かしい空気感を伴って筆者の耳を襲いました。
1970年代に入り、筆者がのめり込んでいたロックが世界的に変質・衰退し、世間はディスコ時代に突入。
米国発ではドゥ―ビー・ブラザースやキッスで、英国でもパンク・ロックと言う猥雑で稚拙なバンドが台頭。
筆者なりに感じていたロックの匂いや味が変貌、「洗練(ポップ化)」と「怒れる自己陶酔」の二極分化が生じ、
筆者自身も音楽に対する熱いほどののめり込み度が衰え始め、疲労・倦怠・虚脱感を感じ出したちょうどその頃、
元々ロック臭の希薄なクイーンがそのロック度を更に薄めることで広く支持され、世界的スターへと昇りつめました。
そんな時代の彼らの名曲・代表曲の一つを取り上げました。
それまでのロックミュージックにはなかったこの底抜けに明るい清涼感や幸福感、たった一度で脳裏に焼き付きました。

クイーン、「アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユー」
Queen ," I Was Born To Love You " with Lyrics ,1985( Remade in 1995)



次の曲もまた筆者のお気に入りで、あのレディー・ガガの名前の由来にもなった傑作ポップスです。
今でこそ存在感の薄いラジオに対するフレディー・マーキュリーの愛情が滲み出ていて、名曲です。
題材としてのラジオは古今東西の多くのミュージシャンに多数取り上げられていて嬉しい限りです。
バグルスの「ラジオスターの悲劇」コアーズの「ラジオ」、国内では徳永英明の「壊れかけのラジオ」等、
ラジオにまつわる曲は哀愁を感じさせる名曲多数で、真空管ラジオ育ちの筆者としても嬉しい限りでした。

ではフレディー晩年(!)の輝き、同年同日の伝説のライブから2曲続けてご堪能ください。

QUEEN, " Radio Ga Ga (1984)" , Live in LIVE AID , at Wembley London 1986

*
クイーン、「伝説のチャンピオン」(1977年)
QUEEN, " We Are The Champion "Live In LIVE AID , at Wembley London 1986

言葉の説明は要らぬ伝説のライブ、お楽しみいただけたのなら幸いです。

R.I.P (Rest in Peace ) Freddie Mercury (1946-1991)
沢山の愛を振り蒔き、その愛に死んだ男、フレディー・マーキュリーよ安らかに・・・。
21世紀の今、あらためて・・・


「クイーン登場の思い出」

思い起こせば40年程も前、第一次クイーン人気が世界的に沸騰・爆発する直前のフィルム・コンサートの様子が脳裏に蘇ります。
時は確か1974年、場所は中野サンプラザ、当時では珍しいフィルム・コンサートが催され、そこで彼らの姿を初めてみたのです。
来日する大物・外タレが増え始めた頃とは言え、名だたるロック・バンドの来日はまだ希少で、動く映像には飢えていた時代です。
当時では貴重な未・来日の英米のロッカーたちのライブ場面が、大音響で見られるとあって会場はほぼ満席状態の盛況ぶりでした。
但しその日の会場は通常のロックとは違う雰囲気で、ちょっと場違いな感じの十代後半の女子たちの一群の姿が目立っていました。
当時のロック女子のいで立ちと言えば、ストレートかベルボトムのジーンズにチェックのコットン・シャツ姿が多かったものです。
またフォークロア志向の女子は、手染め風バンダナに花柄プリントのロングスカートやパンタロンが主なマスト・ウェア―でした。
そんな中、この一群の女子たちは少々真面目風(失礼)で、ハンドバッグやカメラまで持参していて周囲に溶け込めていませんでした。
「何か芸能界のアイドルでも出演するとでも勘違いしてるのかな?」「さあ、何でだろう?」周囲からそんな声が聞こえてきました。

英国のクリームに始まり、レッド・ツェッぺリン、ディープ・パープル等、未だ見ぬ大物たちに続いて、新人バンドが紹介されました。
今まで比較的静かだった会場がまるでライブ・コンサートかのように突然騒然とし、聞き慣れぬ黄色い声が会場中に響き渡りました。
それはかつて経験済みの叫び声で、中学時代に何度か体験したことのあるグループ・サウンズ公演の際の女性ファンたち同様でした。
しかも彼らの銀幕登場と同時に彼女たちのカメラから無数の目映いフラッシュ光が点滅、その度に白くなる銀幕に場内騒然となりました。
「キャー!キャー!」「カメラは止めろ!」「キャー!キャー!」「見えないだろ!」「フレディー!」「うるさい!聞こえない!」
そんな彼女たち、音楽雑誌の写真で彼らのファンとなり、勝手連的なファンクラブ(組合)を造り、口コミ情報を共有していたのでしょう。
そんな熱狂ぶりの彼女たち、クイーンの出番が終わるや、まだ途中だと言うのにゾロゾロ・ガヤガヤ・そそくさと会場を後にしたのです。
お騒がせな彼女らが去った会場には結構な空席が目立ち、その後の折角のお宝フィルム紹介の後半も何故か色褪せてしまったものでした。
(「フン!フラッシュ浴びせた写真なんか、白い銀幕だけで他に何にも写ってませんよーだ!」筆者らの嫉妬と義憤の心の声でした。)
( 御用済みとは言え、そんな彼女たち、エチケットや他人軽視の立派なマナー違反です。)

映画のようなフィルム・コンサートをまるで生のライブ会場化させた新人無名バンド、それがクイーン、彼らだったのです。
来日時のビートルズに始まり、モンキーズやベイシティー・ローラーズと、ルックス重視女子たちの系譜そのものでした。
クイーンもその出自から、Tレックスやデヴィッド・ボウィーらに繋がるグラマラス・ロックの系譜でビジュアル系でした。
彼女らにとっての「クイーン」は、正に少女時代から育まれたマンガの主人公の「プリンスたち」そのものだったのです。
そんな訳で、筆者思いもかけずに我が国でこそ最初の人気に火が点いたと言う彼らの実力を目の当たりにしたのでした。

今 思い返せば、
筆者のロック嗜好・志向の転換点を象徴するような出来事で、筆者はその後ブルースやジャズにのめり込むようになりました。
そう言えば司会の男性、今までベルボトム・ジーンズだったのに、その時は流行り始めたディスコ風バギー・パンツ姿でした。
歌と同様「人は世に連れ、世は人に連れ」です。1974年、時代も音楽も20歳を迎える筆者も正に分岐点だったような気がします。

世界に先駆けてクイーンを見い出した先見性高き彼女たち、翌年の彼らの初来日時に大挙して羽田へお迎え、彼らを驚愕させたものです。
ケータイ等の利器もなく情報も乏しき当時にファンとなった彼女たちの積極性と、クイーンの面々のカリスマ性には正直驚いたものです。
ロックが芸能界化しつつ、かつて在った力が消えつつあった時代の申し子として、彼らはスターの階段を着実に登りつめていきました。
「恐るべしクイーン!」「恐るべし日本女子(大和撫子)群団!」

今は昔の、半世紀ほども前のチョー・ローカル的な話しです。
最後までお付き合いくださった方々、ありがとうございました。

By T講師
( またまたの乱文、失礼しました。これはこれで当ブログの定番になったりして・・・)