アトリエ・マイルストンブログ

2020年9月28日月曜日

気がつけば時移りて金木犀も

 月曜日(一体いつの?)、久々の快晴


すさまじき投稿遅れに、ただただ恥じ入るのみ・・・。

(;^ω^)


ここ最近、当ブログ投稿をサボりにサボっていましたところ・・・

故郷(くに)の古い友人から久々の連絡が入りました。彼は時々このコーナーにやってくる貴重な存在の1人。

「(余りにも投稿なしが続いたので)コロナで死んだかと思った。」と、悪い(でもリアルな)冗談を飛ばしました。

当・無料ブログのフォーマットが新しくなったついでに、過去のデータが消えてしまって意気消沈していた旨を告げ、

「これではいかん・・・」と自らを奮い立たせ、取りあえず今回の緊急(生きてるぜ)バージョンをお届けする次第です。



投稿チョー遅延のその間、身近な者が亡くなったり、あのエディ―・ヴァン・ヘイレンもまた亡くなったりで、

途中まで記した編集中の出来損ないが2~3あり、それは横に置いておいて次回以降に廻すことにしました。


「ミュージック・ギャラリー(その431)」

「気がつけば季節移りて、金木犀の香りも漂い(散り)」


季節が移り、秋もまた深まり始め、我が家の庭のキンモクセイも黄色い花を連ね、香しい香りを発散させました。

そんな季節、筆者の脳裏には遠き昔日に聴いた甘いコーラスのアンサンブルが静かにゆるやかに鳴り始めました。

暑すぎる日々続きに、今度は寒すぎる日々の今年の秋。ならば大好きなインスト音楽で秋らしい風情を堪能します。


パーシー・フェイス 楽団、「イエロー・デイズ」
YELLOW DAYS - Percy Faith Orchestra with Chorus


Lyrics

I do remember when the sunlight had a special kind of brightness
And laughter held a lover's kind of lightness, Yellow days, Golden days.

She would hold me and the smile would spread around us so completely
And the softness of a kiss would linger sweetly, Yellow days, Golden days.

But then came thunder and I heard her say "goodbye"
Through tears of wonder, Now I'm alone and my heart wants to know
Yellow days, where'd you go?

Life is empty and the sunlight seems so harsh instead of tender
And the laughter's just an echo I'll remember from Yellow days, Golden days.
Yellow days, Golden days.


カバー、続けます。美しいコーラス・アンサンブルの後にはピアノの調べで秋の風情を堪能しましょう。

キンモクセイの香りに加え、コーヒーや紅茶の香りもまた馥郁と香り出す季節でもあり、賞味しましょう。


エディ―・ヒギンズ(ピアノ・インスト)、「イエロー・デイズ」

Yellow Days - Eddie Higgins Solo Piano



幼き頃に初めて入門した音楽が往年の米国音楽でした。

しかも、それがオーケストラやメロディーが最も美しかった50~60年代初頭の頃・・・。

しかも、それらが流れ出て来る音源が真空管ラジオやデカいスピーカーのステレオ・・・。

甘く柔らかい旋律が満天星々の夜空に溶け込み、空と海に流れるサーチライトの光・・・。

夜香木や庭の花々から漂う胸を締め付ける様な匂い・香り。白熱電球の温かな橙色世界・・・。

おぼろげな影を映す蚊帳には、微かに沁み込んだ蚊取り線香の匂い・・・。

歳取ったせいか、断片的ながらも半世紀以上も前の記憶が鮮やかに蘇ってくる秋の日の今日この頃・・・。

そう言えば、キンモクセイの香りや黄色い花や、イチョウの黄色い葉の色もなかった濃カーキ色の世界でした。

美しく穏やかな「秋」も「四季」もあり、それらを堪能できる日々の暮らしに感謝です。


「故郷(くに)の友よ。俺はまだ死んじゃいないぞ。」

「お互いコロナ禍を生き延びて、故郷で会おうな!」


By T講師

( 故郷の高い感染者数を危惧する秋の日々です。)

(;^ω^)

_(._.)_


2020年9月21日月曜日

気がつけば年寄り、敬老の日😊

 月曜日・曇り

「敬老の日」


未完ながら、またまた恒例の尻切れ・未編集アップです。

<(_ _)>


相変わらずの投稿・大幅遅延・・・

加えて未編集状態にてのアップ・・・

何をか言わんや・・・

(;^ω^)



「敬老の日」・・・、いつも年配の方々の日だと認識しつつ、

そのスタンスで当ブログも進め、日々を歳月を重ねてきました。

でも、はたと気がつけば、いつしか筆者自身がその仲間入りを果たし。

この認識と現実とのズレに気づいた今年のこの祝日、いかに進めようものか?

何せ初めての自覚であり、今回はパス&スル―させていただくつもりです。

「めでたくもあり、また焦燥もありで・・・。」

(;^ω^)


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その430)」

「輝くビートルズ・カバー・メドレー(20曲!)」


諺の「三つ子の魂百まで」ではありませんが、高齢者となった今でも大好きなビートルズ、

小学時代にモンキー・ダンスで覚え、中学時代にレコードで聴き、高校時代にバンドで演り、

大人になってその凄さに改めて驚き、ジャズやブルースを経た後でさえ、それは変わらず輝き、

老年となった今でさえ驚きや輝きは失われることなく、逆に更に彼らの魅力や深さを感じ取り、

今日の漲る活力となって日々の時空を彩り飾ってくれています。

今は同世代の仲間らとのバンド演奏からも既に遠のき、学童クラブの小学生らにバンドで教え、

少なからず、彼らの音楽のそれなりの中継者となっている現在の自分に多少は満足もしています。


こんな風に、彼らの音楽を楽しめたら人生は更に魅力的で素晴らしいものに。

コロナ感染禍の今、こんなにも日常が輝いていたことに改めて驚いています。


ワーク・オフ・ジ・アース、「ビートルズの歴史(物語)」メドレー

A History of The Beatles 1962-1970 - Walk Off The Earth ( Canada )


まず原曲群が素晴らしいのは当然ですが、彼らの音楽を楽しむその姿勢が羨ましいほど輝いています。
6名全員が芸(腕)達者ですが、最後の「ヘイ・ジュード」でのベースマンのラインが特に秀逸です。
理屈抜きのご機嫌な少人数セッションの典型と言っても過言ではない傑作動画です。
正に文字通りの「音楽」そのものです。

* * *


「お知らせ」

筆者後記の「敬老の日に寄せて」は未完につき、当ブログからは削除。「T講師コーナー」へと移動させました。


およそ2年にも渡る塩漬け状態の「T講師コーナー」が、今回の逃亡で久々再開です。

文章記述が完了次第、お知らせします。その際は、よろしければお立ち寄りください。


<(_ _)>


By T講師


2020年9月14日月曜日

気がつけば秋空、赤トンボ

月曜日(一体いつの?)・晴れ(夜 雨)

恥ずかしながら大幅な投稿時差あり。にもかかわらず・・・、

(いつものように、未完ながらとりあえずアップ。ご容赦。)

<(_ _)>

今夏の炎暑もどうにか少しずつ和らぎ、 中空には赤トンボたちの浮遊姿も増え出しました。

あんなに威勢を張っていた入道様も日々その姿を消しつつあり、代わりの柔らかな巻雲が静かにたゆたい始めました。



当ブログにて利用させていただいているグーグル・ソフトのフォーマットが新しくなり、今までのデータが胡散霧消してしまいました。

で、ガックリ😢

(他人のせいにするわけではありませんが・・・)ブロッグ・アップ熱もすっかり遠のいてしまっていました。

(;´д`)トホホ


でもここは気を取り直して、変わりゆく季節に相応しい音楽を久々にYouTubeよりお借りしてきました。

すっかり秋めいた薄曇りの光の中で、静かに(かつ元気に)飛び回る赤トンボたちのような新鮮音楽を。


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その429)」

気がつけば秋空、赤トンボ


筆者の大好きな「カバー」にして「インストルメンタル」を奏でる「ストリート・ミュージシャン」。

そしてそれが才能と感性豊かな少女(現在・若干12歳!)。

赤トンボたちの健気な浮遊姿を想像しながら、そのナチュラル・質朴な詩情をお楽しみ下さい。


当初は、この下の動画らの中から2~3曲に絞ってアップしようと考えていたのですが、どの楽曲・演奏も捨て難く、

結局、数ある路上パフォーマンスの中から6曲だけ(!)を選び出してお借りしてきました。

「飽きちゃう」とか云わずに、好きな曲だけを選んででも聴いて(見て)楽しんで下さい。


カロリナ・プロチェンコ(バイオリン)によるストリート・パフォーマンス、カバー曲特集

「レット・イット・ビー」/ザ・ビートルズ

Let It Be - Beatles - Karolina Protsenko - Violin and Piano Cover


「ハレルヤ」/ レナード・コーエン

Hallelujah - People were AMAZED - Karolina Protsenko - Violin and Piano


*


「この素晴らしき世界」/ルイ・アームストロング

What A Wonderful World - Louis Armstrong - Karolina Protsenko - Violin Cover



「虹の彼方に」/ 元唄:ジュディー・ガーランド

Even the dog was AMAZED - Somewhere over the rainbow - Street performance




「美女と野獣」/ ディズニー映画テーマソング

Amazing Piano and Violin Cover - Mom and daughter - Beauty and the Beast



今回の最後の演奏は、
2020年の3月に投稿された動画です。と言うことは、アメリカでも「コロナ感染禍」が流行し出した頃です。
演奏やその撮影がいつ行われたかは定かではありませんが、観衆の服装からすると冬には違いありません。
今現在、世界で最も患者数・死者数の多いアメリカの人々の状況が危惧されます。

「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」/ セリーヌ・ディオン、映画「タイタニック」テーマソング

My Heart Will Go On - Celine Dion - Violin Cover by Karolina Protsenko



もはや「言葉」は要らないでしょう。

これらの動画で聴くことの出来る彼女の演奏、何だか心が洗われます。


ネットで軽く検索してみたところ、とんでもない子だと言うことが判明。

才女カロリナちゃん、6歳の時にウクライナからアメリカに移住。その後にバイオリンを弾き始めたとの事です。

YouTubeのチャンネル登録者も僅か2年間で430万人以上!それぞれの動画再生回数も半端な数字ではありません。

世界的危機の「新型コロナ感染禍」を乗り越えて、大きく羽ばたいてほしいものです。


* * *


つい先だってTV(NHKだったか?)の放送で、「赤トンボ」は何と上空4000メートル(!)まで上昇出来るとの事です。

あの小さな身体で・・・!


そう言えば、やっぱり可愛らしいツバメ君たちもまた、あの小さな体で太平洋の大海原を渡っていくのです。

元気に周囲を飛び回っていたツバメ君たち、つい先だってみんなで集合し、南の彼方へと去ってゆきました。

あの俊敏で可愛らしい姿が消え去ってしまった淋しい里や野にも、曼珠沙華らの赤い姿が現われ始めました。


あの暑すぎた「夏」を惜しみつつ、可愛い「ツバメ君たち」を見送りつつ、深まりゆく「秋」を迎える今日この頃。

「コロナ感染禍」も早々と立ち去ってもらいたいと願っています。


By T講師


2020年9月7日月曜日

残暑の日々に再びの残照ロック

月曜日・晴れ・日中は炎暑

「ミュージック・ギャラリー(428)」
「残暑の日々には再びの残照ロックを」


もう既に暦の上では秋九月とは言え、
相変わらずの炎暑が日々を彩っており、筆者の大好きな入道雲たちも未だ元気に輝き林立しています。
そんな青空下の白銀雲たちを見ていると、筆者どうしても若かりし頃の記憶にワープしてしまいます。
そこで、
前回の「残暑の夕べは妖艶ロックを聴け」特集に続いての第2弾としました。
筆者の個人的な自己満足で終始しますが、よろしければお付き合いください。

60年代後半~70年代中盤にかけて欧米を中心に大活躍したロック・バンドらの懐かしの楽曲群の登場です。
筆者もバンドにその情熱を傾け燃えに燃えていた時代で、楽曲イコール・バンドの図式が今も続行中です。


まずは今回のオープニング曲、やはり前回のオープニングを飾ったカナディアン・ロック・バンドからです。
前回の曲同様、高校時代にバンドでコピーに励み、折々のダンス・パーティーやコンサートで好評を得ました。

ゲス・フー、「ノー・タイム」

Guess Who ," No Time " (1970) with Lyrics



2曲目も彼らを続けます。
前回はリード・ギター・サウンドを中心に組んだので漏れてしまいましたが、今回は堂々の登場です。
胸のすくような軽快なテンポの基に歌われるソウルフルなフィーリングと間奏のフルートが快感です。
( スリリングな絶品フルートの演奏は,リード・ヴォーカルのバートン・カミングスによるものです。)

ゲス・フー、「アンダン」

Undun - The Guess Who - 1969 (w/lyrics)


この曲は後の70年代中盤以降のAOR的な雰囲気で、ロック一色の筆者らのレパートリーには加えられませんでした。
が、前回記したように故郷の海沿いのドライブのBGMには欠かせないものでした。


ラテン・ロックを世界的に知らしめたサンタナ、前回は2枚目のアルバムからでしたが、今回はデビュー盤からです。
今も語り継がれる伝説的な野外フェスに登場した彼らに触発されて、筆者らもラテン・パーカッションを勇んで導入。
基本が4名のギターバンドに他に更に3名を加えユニット化、コンサート等ではサンタナ・ナンバーに対応しました。
この曲もまた彼らのアルバム同様に、そのままメドレーで続けて次のパーカッション溢れる曲までコピーしたものです。
サンタナの妖艶なギター・プレイもさることながら、オルガン奏者グレッグ・ローリーの歌声もまた色気充分な存在です。

サンタナ、「シェイズ・オブ・タイム」

Santana, " Shades Of Time " (1969)


ボンゴにコンガ、カウベルにギロ、そしてティンバレスと、筆者らのバンドにラテン・パーカッションは増え続けました。
但し、レスリー・スピーカーを伴ったハモンド・オルガンだけは高価過ぎて入手できず。代用の国産品で補ったものです。
その当時でも超高価な楽器で、日本国内にも数台を数える程で、人気プロ・バンドの「紫」が2台も所有していました。

「後日追記:脱線よもやま話」

後年、上京後のTVで聞いた話ですが、ジャズ・オルガン奏者のジミー・スミスの初来日時にハモンドが国内には無く、
当時に唯一所有していたのが俳優の故・高島忠夫さんで、彼の来日コンサート時にずっと貸し出したそうです。
その当時、ハモンドはとても高価な庶民の手には届かないシロモノで、1台で家1軒分の価格だったそう!!。



前回特集にこそ登場しませんでしたが、筆者のバンド繋がりでは絶対に避けては通れないギター・バンドです。
トリオと言う最小限の楽器編成でワイルドな演奏とアクションを展開した米国ならではのマッチョ・バンドです。
このへヴィーなミディアム・シャッフルが堪らなく快感で、筆者ら大のお気に入りで最も得意なナンバーでした。
筆者らのバンドは4人編成(2ギター)で、彼らのスタジオ録音ダビング・パートをしっかり再現していました。

グランドファンク・レイルロード、「ミスター・リムジン・ドライバー」

Grand Funk Railroad / Mr. Limousine Driver


半世紀ほど経った今でさえ、血が騒ぎ胸躍ってしまいます。
!(^^)!


彼らもまた2曲続けます。
こちらは2枚目のアルバムからで、ワイルドさを少々抜き、リリカルなアレンジを加えて妙味です。
この曲もまた筆者らの得意ナンバーの一つで、周囲のファン(!?)たちからの支持も多かったものです。
彼らの楽曲、筆者らのバンドでもその多くをレパートリーにし、自分たちで演っていても快感でした。
後半のシンセサイザー・パートのオブリはエレキのボリューム奏法で何とか再現に漕ぎ着けました。
実際は、故郷の先輩プロ・バンドのキャナビスは糸数ガンジーさんの奏法を見て、倣ったものです。
筆者らも大好きだった雄大な海を感じることの出来るビッグでワイドなスケール感ある傑作曲です。

グランドファンク・レイルロード、「クローサー・トゥ・ホーム」

Grand Funk Railroad - I'm Your Captain/Closer To Home




原曲はノーベル文学賞まで授与されてしまった反骨のシンガー・ソングライターのボブ・ディランの作品です。
他にジ三・ヘンドリックスによるカバーも名演で、筆者らのバンドでは両者編曲を共にコピーしていました。
甲乙つけ難いロックの歴史に残る名演奏です。

デイブ・メイソン、「邦題:見張塔よりずっと」

 Dave Mason , "All Along the Watchtower -" (1974) w/ lyrics





もしかしてこのコーナー、初登場かもしれません。
ボストンがデビューした70年代中頃、筆者は本土暮らしにも慣れ、代わりにロック・バンド・ライフを捨てた頃です。
時折に帰る故郷の先輩バンドらはそれなりに健在。元気にロックを演奏し、相変わらず米兵達の人気を得ていました。
故郷の多くのバンドが彼らの楽曲をレパートリー化、野外フェスや歓楽街でそのツイン・リードを響かせていました。
このツイン・リード・サウンド、故郷の海辺の野外コンサートの夜に聴くと、南の星空に溶け込んで極上快感でした。

ボストン、「モア・ザン・フィーリング」

BOSTON - MORE THAN A FEELING - Subtitulos Español & Inglés




最後に、前回特集でも紹介のイギリス出身のホワイト・ブルース・バンドの中期の傑作アルバムの中からもう1曲。
一流ミュージシャンならではの貫禄と迫力が快感で堪りません。特にピーター・ヘイコックのギターが秀逸です。

クライマックス・ブルース・バンド、「トゥゲザー・アンド・フリー」

Climax Blues Band - Together And Free | Lyrics - Sub ( Español - Inglés)



シンセ等の電子楽器が主流を占めるような昨今の音楽界、上に登場するようなライブ感あるバンドらも稀有な存在です。
スタジオ録音とは言え、ライブな演奏が基本の音作りには音楽家の生で裸の魂が色濃く刻まれているような気がします。
上のボストンのアルバムなど、そのジャケットに「ノー・シンセサイザー・ユーズ」とわざわざコメントしていました。

この異常な夏の暑さにも、様々な電気製品がその対応をしてくれていて、快適な日々を送ることが出来ています。が、
青空・陽光の下、汗を拭き拭きしつつ聴く熱~い「ロック音楽」もまたマゾヒスティックな納涼の一種かもしれません。
「エアコン」や「冷やし中華」や「冷そうめん」らも確かに涼しい夏の賢い過ごし方には違いありませんが・・・、
人生の夏をとっくに過ごしてきた筆者にとっては、暑い(熱い)夏こそ、生きていることの証しにも感じてしまい、
今更ながらに今年のこの猛暑・炎暑の夏に、過ぎ去った若かりし頃に体験した動物的生々しさを再確認しました。

「エバーグリーン」なぞ幻想かもしれません。
しかしながら「ロック音楽」を聴く時、それは妄想となって筆者の心身を確実に襲ってくれています。老体となった今もなお・・・。
「残照ロック、バンザイ!!!」

By (熱い夏が嬉しい)T講師

(#^.^#)

* * *

「後日追記:故郷・南島のロック・バンド思い出話」

筆者の高校時代のロック・バンド、勉強もろくにせず熱中していたもので、レパートリーも数多くにのぼりました。
そのレパートリーは勉強とは反比例してどんどん増えて(中学時代からも含め)優に4~50曲は下りませんでした。
クリーム、ツェッぺリン、フリー、テンイヤーズ・アフターらや、ビートルズ、ストーンズ等のブリティッシュ勢、
グランド・ファンク、C.C.R、アイアン・バタフライ、J・エアプレイン、サンタナ等のアメリカ勢らのコピーに励み、
多数あったセミ・プロ・バンドらとの共催コンサートや各大学のダンス・パーティーや学園祭等にも出演しました。

そんな時、観客の中には米兵や軍属家族の高校生らもおり、半端な英語歌詞ではブーイングも貰ったりもしました。
おかげでボーカル担当のK君など歌詞憶えに必死で、ノートにはヒヤリングで聞き取ったカタカナがビッシリでした。
リード・ギターのI君も難曲のコピーに日々必死で、彼にレコードを貸すと盤表面が傷だらけで戻ってきたものです。
練習時にも全力プレーが当然で、硬いピックが数個も摩耗・又は焦げたもので、太い弦も何本も切っていました。
そんなパワフルな粘りビートを演奏の肝にしていた筆者のバンドのおかげで、上京後に経験の本土勢の演奏に失望、
幾度も足を運んだ有名プロバンドらのひ弱さビートレスに、早々に「燃え尽き症候群」に陥ってしまったものです。
東京でも何組かのバンドに参加するも、彼らの頭でっかちで硬くてひ弱な演奏スタイルには溶け込めませんでした。
貸しスタジオや機材等に恵まれ、高価なドラムやベースを使用・演奏してもビートが出せず、筆者には不思議でした。

オキナワのバンド勢数組もデビューするも、地元でのサウンドが再現できずに故郷に戻ったり解散していきました。
あれから半世紀、幾多のバンドがデビューし人気を博し今日に至るも、未だ筆者を満足させるに足るバンドに遭えず、
若き日の「耳年増」のまま、「ロック・バンド・サウンド損失」のまま、今日 立派な老年を迎えるに至りました。

時折帰る故郷の南島にて相変わらずの演奏を繰り広げる熟年のロックバンドも減っていき、亡くなる方も増えました。
筆者らや彼らの輝く演奏は、もはや筆者の記憶の中にしか存在しないものとして、ただ共に消えゆくのを待つのみです。
「歯がゆさ」の中、半面で故郷・南島のロック・バンドの面々とその演奏に出会えたことは、筆者の自慢の宝物です。
そして明日をも知れぬ運命の若き米兵らをあんなにも狂喜乱舞させた彼らを誇りにも思うコロナ感染禍の今日この頃です。
そんな彼らも感染罹患することなく、余生を幸せに全うできるよう、遠く離れた本土から祈るばかりです。大々感謝です。

* * *

「祝・学童クラブ・バンド、再始動」

今春早々・目下のコロナ感染禍で中断を余儀なくされていた学童バンドが、どうにかこうにか再始動の運びに。
前回のクリスマス・コンサートの中心的メンバーこそ、保護者らの在宅勤務等で去っていってしまいましたが、
上級生(女子のみ四名)を中心に、何とか練習を再開することができました。
(但し新編成メンバーのカラーがお嬢様・優等生タイプなので、結構パワー不足ではありますが・・・。)
発表の目途こそ未だ確定ならずとも、状況さえ許せば年末クリスマスあたりに演奏会が出来ればと希望しています。
遅くとも、卒業する前には何とかお披露目を演りたいと目論んでいます。
その際にも、国内でよくありがちなテクニック優先よりは、筆者の故郷系統の表現力パワーで攻めたいと願っています。
が、果たして・・・。

(*^^)v

2020年8月31日月曜日

残暑の夕べは妖艶ロックを聴け!



昼間の猛暑で気づきづらいですが、夜訪れや朝夕の気温は変化し、空には秋雲(巻層雲)も現われ始めました。



ブログ・アップ遅れの間に台風10号の影響・余波で風雨が強まり、「タイミング悪(わる)!」と思いつつ、
よろしければご視聴ください。
_(._.)_


「ミュージック・ギャラリー(427)」
「残(炎)暑の夕べは妖艶(アダルト)ロック(ギター)を聴け!」


1週間近くもの投稿遅延に秋も少しずつ但し確実に深まってきましたが、でも昼の間は相変わらずの炎暑です。
そんな夕べ、茜色に染まる雲々を眺めながら筆者の脳裏で蘇る遠き日の記憶が、こんな曲達を呼び出しました。

南国育ちの筆者、海はいつでもそこに在り、いつもそれに囲まれて子供時代や青春時代を謳歌していました。
那覇市内の波の上海岸は元より、中南部方面のビーチ、或いはバスの車窓やキャンプの拠点等、色々でした。

日中の海も当然快適でしたが、泳ぎ・遊び疲れて重くなった瞳と身体に、海からそよいでくる風は極上でした。
潮気が僅かに残った皮膚と頭髪にからみ、抜けてゆく潮風はまるで天然の子守歌のように筆者らを包みました。

そんな時、特に高校生になって夜世界も知った後、夕刻時の潮風は子供心を想起させ、同時に夜へも誘いました。
そんな時、やはりその頃から自動で勝手に流れ出でる脳内ジュークボックスでは、少々アダルトな音楽らが出現。
エレクトリック・ギターならではの妖艶な音色が、夕焼けの空を駆け抜けて筆者の心を激しく掻きむしりました。

「ほら、暑いながらも風が吹き渡るでしょ?」
今では記憶と想像だけとなった海岸線を車で駆け抜けながら、夕焼けに光り輝く海と空を満喫しましょう。
(#^.^#)

「追加オープニング」

今は遠き高校時代、バンドで必死になってコピーした思い出の曲です。
また加えて、ノーヘル・2ケツ・バイク(無免許筆者は当然後席)で1号線(現・国道58号線)を走った記憶も蘇ります。
並走する隣車線の若き米人男女のムスタング・オープンカーからは、この曲と「アンダン」がガンガン流れてきました。


 The Guess Who ( Canadian Band ), " Share the Land " (with lyrics) (1970)

Twin lead Guitar by Kurt Winter, Greg Leskiw



Jeff Beck, Rod Stewart -” People Get Ready” (Official Video)

Guitar play by Jeff Beck




「追加曲」

アダルトな渋さテイストで言えば、この人を抜くわけにはまいりません。


Dave Mason ," Give Me a Reason Why " (1976)

Guitar play by Dave Mason

伝説のブリティッシュ・バンドの「トラフィック」を抜けた後の多数のソロ・アルバムからの1曲です。
彼はその他にも「情念のライブ」と言う傑出名盤を出しており、筆者の大好きなギターワーク満載です。



辺りを紅色に染めていた夕焼けも水平線へと没し、いつしか青く仄暗く染まり始める「夜始まり」のひととき。
アダルトなバンド・アンサンブルが再現され、オブリや間奏の宇宙遊泳ギターと共に「夜の歓楽街」へと・・・。

 Climax Blues Band、”Mighty Fire ”

Guiter play by Peter Haycock



The Doobie Brothers ," Dark Eyed Cajun Woman "

Guitar play by Tom Johnston


Micky Jagger - Hard Woman



ZZ Top - " Rough Boy - HQ - Scroll Lyrics 

Guitar play by Billy Gibbons



妖艶なアダルト・ロックの元祖にして、セクシー・ギターの傑作 登場。
衝撃的なジャケ・イラストと共に高校生だった筆者らは痛く刺激されました。
ラテン・ロック特有のいかがわしさ・妖しさに開眼した前世紀の傑作名盤です。
1st アルバムとの出会いから、ボンゴ、コンガ等の購入資金バイトに精出したものです。
(カウベルは、ツェッぺリンやストーンズ、CCR等で既に筆者の必需アイテムでした。)

Santana - " Black Magic Woman  " (w/Lyrics)

Guitar play by Carlos Santana

当時の本土の高校生らにの多くが未経験だったそうですが、南島の筆者らには既にチークダンスが日常でした。
この曲もその代表でしたが、レコード通りのメドレーで「ジプシー・クイーン」を演られるとお手上げでした。
(;^ω^)

* * *

そんな南島の夜更けの繁華街の狭間に鳴り響くは、我らがコンディション・グリーンのインスト・ナンバー・・・。
シンキ本人が最も影響を受けたギタリストのベスト3は、上のサンタナにジ三・ヘンにジョニー・ウィンターだそうです。

Condition Green - Akiyuma (1978)

Guitar play by Shinki (Sugama)

今夜もアルコール摂取が気持ちよく進みそうです。

🍷(#^^#) V

暑い熱い夏こそ妖艶ロックを聴いて、風に吹かれつつ、星空にネオンを見て、妄想トリップに出かけましょう。

男性側から聴いた、歌心満載のリリカル(抒情)セクシー(妖艶)ギター特集、いかがだったでしょうか。
ただただ暑いだけの「夏」に終わらぬよう、色々と頑張りましょう。


* * * * *

「筆者後記:寸感」
「安倍首相、辞任表明」

衝撃的なニュースにかつてないショックを受けたと言うのが、筆者の正直なところです。
記したいこと山ほどあり過ぎて、このままではまとまらないと判断した筆者、ネット・ニュース内のある投稿をコピペ。
いずれ機会を見て筆者の現在の心情を発露したいと思いつつも、今回は代弁者的なコメントを代わりに張り付けました。

以下、コピペ・コメント全文

no name ID:0366
2007年インド国会での安倍総理による伝説的なスピーチ「Confluence of the Two Seas」がアメリカの太平洋上の安全保障政策を大きく変えた。
名称も太平洋構想からインド太平洋構想にグレードアップしたわけだ。
日本の首相がアメリカの軍事構想にここまで影響を与えたことはかつて無い。
インド、日本、豪州、ハワイを結ぶダイヤモンド構想のとおりに中国包囲網は着実に敷かれてきた。
安倍総理によって日本は救われたようなもんだ。
この偉大な功績をついにどのメディアも報じなかったな。

また数字で2012年と2019年を比較すれば以下のとおりだ。
・日経平均 8500円→24000円
・自殺者数 28000人→20000人
・完全失業率 4.3%→2.4%
・有効給人倍率 0.8→1.7
これだけの功績を一切無視するメディアは今すぐ廃業するべき。

目下メディアは石破を首相にしようと世論操作に必死だが、必要なのはメディア自体の信用度についてのアンケートだろ。✖✖メディア。

以上、コピペ・コメント文(文章のごく一部・最後部、筆者により割愛)


* * *

今回の安倍首相退陣の件、我が国の主要マスメディアの報道姿勢と内容は、失望以外の何ものでもありません。
かつて傾きかけた船体(国家)を必死で立て直し、世界の無情荒波を乗り越えて、未来に希望が見えた矢先です。
欧米諸国をはじめ、世界の首脳からこれほどまでの賛辞と損失だと言うコメントをいただいた首相はいません。
「モリ・カケ・サクラ」と野党と共々にて終始し、喫緊に迫る課題にはホッカムリを決め込むメディアです。
「安保にはタダ乗り」しつつ、傍らで「基地縮小や撤去」を叫び、「(欠陥)憲法」にはひたすら盲目的信仰。
近隣諸国の理不尽・不条理な要求・恫喝にはひたすら耐え、「お花畑の防衛論」で憲法改正議論さえタブー視。
論理的破綻の左翼的野党と共に、我が国の中央大手の地上波メディアは、正に国内にて巣食う煽情的集団です。
大手新聞社もまた同様でA新聞やM新聞等、まるで近隣諸国のプロパガンダ・メディアの様相を呈しています。
一体この先、どうなっていくのやら。「コロナ感染禍」と共に、見えざる「国難的・国内最大強敵勢力」です。
「公正」「中立」「正確」「良質」
現在の我が国の多くの大手メディアに欠けている4つの言葉・姿勢です。
「報道する自由」「しない自由」の理由もまた厳しく問われるべきです。

By T講師


2020年8月24日月曜日

やっぱり夏もビートルズでしょ!

月曜日・快晴・猛暑
但し、睡眠中の今朝は初めて肌寒く感じられました。
「秋、近し!?」


* * *

「ミュージック・ギャラリー(426)」
「やっぱり夏もビートルズでしょう!」


「第1部:アコースティック・ビートルズの世界」


との企画で、筆者の尊敬する大好きなビートルズの数曲を取り上げようと思ったのですが、ですが!
何と!彼らのスタジオ録音盤のそのほとんどが転載禁止のブロックが施されていて、涙を呑んで断念!
現・著作権者の権利も大事ですが、オリジナル音源の観賞も不自由で、YouTube上にないものも多数です。
その反面、動画タイトルの「ビートルズ」等と言う詐称的命名音楽には寛容と言うか、野放し状態です!

「一体全体、どうなってんの?!」
(以前、作曲者であるポール・マッカートニー氏が、権利返還を求めて現権利者を訴えましたが未だ未解決なようです。)

と言う訳で、幻の第1部となってしまいました。
ご容赦ください。
<(_ _)>

筆者の脱線ボヤキ・嘆きはさておいて、
転載可能だった数少ない曲を、この夏のBGMとして選ばせていただきました。
そして、その曲のカバーを併せて紹介して「第2部」として構成してみました。
お楽しみいただければ幸いです。

* * * 


「第2部:カバー曲特集」


ザ・ビートルズの10枚目のスタジオアルバム「The Beatles(通称 ホワイトアルバム)」(1968年) に収録されている曲です。
第1部で予定していたアコースティック名曲目白押しのアルバムの中の隠れた1名曲です。

ザ・ビートルズ、「アイ・ウィル」

The Beatles - I Will


下に、歌詞とその和訳を紹介します。
ネット上の「りりっくりすと ( Lyric List)」(管理人まーしゃる)さんのH.Pからお借りしてきました。
このようなH.P、通常はコピペ・転載禁止のブロックが施されているのが多数ですが、そうではありませんでした。
「感謝です。」
_(._.)_

歌詞と和訳

" I Will ", Written by Lennon-McCartney
Who knows how long I’ve loved you
You know I love you still
Will I wait a lonely lifetime?
If you want me to, I will
一体どれだけの間、僕は君を愛しているだろう
今でも君を愛してる
僕は一人寂しい人生を送るのかな?
もし君がそう望むなら、そうするよ
For if I ever saw you
I didn’t catch your name
But it never really mattered
I will always feel the same
君と出会えたのに
君の名を聞きそびれてしまった
でも、そんなのはどうでもいいさ
いつだって僕の気持ちは変わらないんだ
I didn’t catch your name 名前を聞きそびれる、聞き逃す
Love you forever and forever
Love you with all my heart
Love you whenever we’re together
Love you when we’re apart
愛しているよ、いつまでも、いつまでも
心の底から愛してる
一緒にいる時はずっと愛してる
離れていても愛してる
And when at last I find you
Your song will fill the air
Sing it loud so I can hear you
Make it easy to be near you
For the things you do endear you to me
Oh, you know, I will
I will
そして君を見つけられた時には
君の歌声があたりを包むんだ。
僕に聴こえるように、大きな声で歌って
そばに近づけば、よく聴こえる
君のする事が、愛しくて仕方ない
あぁ、そうだね、そうしよう
僕はそうするよ
endear 愛おしく思わせる、慕わせる
* * *
「"アイ・ウィル" のカバー曲特集」

まず、オープニングは年若き女性のウクレレ教本からのカバー曲です。
英語が母国語ではない(?)舌足らずなハスキー・ヴォイスが可愛いです。

「アイ・ウィル」、ルネー・ドミ二―クちゃんによるウクレレ・カバー

I Will - The Beatles [Lyrics And Chords] Ukulele Tutorial

Cover song and Ukulele By  Reneé Dominique





2曲目はカリフォルニアでの男女デュエットの爽やかなカバーです。


「タイニー・ホーム」によるカバー

The Beatles - I Will - (duet version by Tiny Home) On October 20th, 2013, 

Tiny Home performed at hillside in Mt. Tamalpais State Park, above Muir Beach, CA,


3曲目もまたデュエットですが、女性同士ならではのマイルドなハーモニーが魅力です。
二人の体形らしく(失礼!)柔らかなボトムとスリムなハイノートのブレンドが絶妙です。

「カーリーとマルティナによるカバー」

I Will by Lennon and McCartney of The Beatles ACOUSTIC Cover (Carly and Martina)




4曲目はビートルズの故郷リバプールで活躍するプロの双子姉妹のカバーです。
一卵性双生児(モナ&リサ・ワグナー)の二人の出身地は、オーストリアです。
ビートルズの楽曲のほとんど全てをカバーする程のビートル・マニア姉妹です。
原曲の雰囲気再現のために、口でのチャカポコと言う効果音も披露しています。

モナリザ・ツインズによるカバー

I Will - MonaLisa Twins (The Beatles Cover) live!





最後5曲目のカバーはアメリカの著名なフィドラー(バイオリニスト)によるカバーです。
筆者の大好きなスライド・ギターがフューチュアーされ、囁くような歌唱が良い雰囲気です。

「アリソン・クラウスによるカバー」

I Will by Alison Krauss with Lyrics


 *

ビートルズの「アイ・ウィル」とそのそれぞれのカバー、いかがだったでしょうか。
十人十色な個性・切り口が活かされるカバー曲ならではの魅力を堪能していただけたのなら幸いです。

By T講師

相変わらずのコロナ感染禍にもかかわらず、
日々4枚ほどのTシャツを取っ換え引っ替えしながら汗だくで木工作や庭仕事に勤しむ日々です。
本来の夏らしい暑い日々、青空と地平線に沿って林立しそびえ立つ白銀の入道雲たち。快感です。
中学生時代に、日々 学校帰りのビーチやキャンプ等々で海に親しんでいたような快感疲労の日々。
そして当然、毎夜の瞬間寝落ちの日々。
この歳になっても体験できることの幸せ。
ただ、「海」が無い(見えない)のが残念。

v(#^.^#)v


* * *

「追記:脱線・余談・お節介情報」
「入浴後のリフレッシュお勧め商品のご紹介」


暑さに悩まされる夏、入浴後も身体がほてり、汗をかいて再びの不快感に襲われたりします。
そこで筆者の個人的お勧めを紹介して、入浴後の爽快感を得ましょうとのアドバイスです。

それは市販の制汗剤を入浴最後に全身にコートすることで、爽やかな浴後タイムが得られます。
商品名は花王の「バブシャワー」と言う液体で、筆者はもう10数年に渡って愛用しています。
ほてった身体にメンソール風な清涼感と、実際のサラサラ感も同時に得ることが可能です。

秋以降は当然その商品に対する需要は減ってしまうので、一時期に製品の発売が中止されました。
翌年、それを知った筆者ら愛用者らが花王本社に「再発売を強く要望」すると言う熱い声が殺到、
2年後にはその声に押されて復活を遂げたと言う伝説の商品です(筆者、花王の回し者に非ず)。
発売中止になった夏、筆者ら(友人知人ら数人)は代替品を求めて、数種類の類似品を購入・使用。
しかし、その商品に匹敵する品は全く皆無で、先程の愛用者の熱い声で再発売が実現されました。

一度、試用されることをお勧めします。
ひとたび、その効果を知った後は、もう入浴とは切り離せない習慣と化してしまうこと請け合いです。
騙されたと思って、是非 使ってみてください。
但し、その商品自体を扱っていない(その存在も知らない)ドラッグストアもあるので、ご注意。

「知る人ぞ知る、バブ爽快シャワー(正式商品名)!」
の紹介でした。
筆者なぞ、夏前に大量に買いだめしてしまう習慣がついてしまった(ない事が恐怖)程です。
( 筆者再追記:季節限定商品なので、もしかしたらこの時期はもう製造中止中かもしれません。)
( でもGET出来れば良いですね。何故なら今年の残暑は10月頃迄と言う長期予報も出てますし。)
( すみません。近くのお店に在庫があれば良いのですが・・・。無ければ通販と言う手もあるよ。)
<(_ _)>

以上、「脱線・お節介情報」でした。


2020年8月22日土曜日

お盆明け後の「盛夏見舞い」

土曜日・快晴・猛暑
(;^ω^)



「後日追記」

うっかり記し忘れていましたが、厚木市内の小学校は、早くも19日(水曜日)から2学期が開始されました。
短すぎる夏休みに学童らも不本意だとの不満顔ですが、国難の「コロナ感染禍」状況下では仕方ありません。
(;^ω^)




本日は4名の小中学生キッズらが来訪、1階の筆者アトリエにて力作作り(絵画と木工)に精を出しました。
その製作中の様子や完成作品の紹介出来ず、残念な状態が続いていますが、もはやご勘弁いただくしかありません。
<(_ _)>

* * *

「ミュージック・ギャラリー(425)」
「異例・お盆明け後の[盛夏見舞い]」


長かった異例続きの梅雨が明け、炎暑の夏が只今 真っ盛りです。
お盆を過ぎると、何とはなしに秋の気配が漂い出しますが、今年は夏本番なままなようです。
とは言え、
日暮れは確実に短くなっていて、6時では明るかった周囲がもう薄暗さに包まれ始めました。
秋到来も嬉しいですが、夏の持つ抒情も捨て難く、そこで夏夕暮れに似合う曲を集めました。
ヒグラシが鳴き、入道様が桃色に染まる頃、筆者の脳裏にて勝手に再現される音楽たちです。

当コーナーでは既にお馴染みの曲ばかりで新鮮味には欠けるかもしれませんが、お楽しみいただければ幸いです。

まずはこの2曲。
まだ陽が落ちる一歩手前の入道様と青空が頭上で威張り散らしている頃の雰囲気です。
邦楽ロックの傑作アルバムの中から2曲続けて懐かしい雰囲気の「夏情緒」をどうぞ。

はっぴいえんど、「風をあつめて」



筆者注:画面の「YouTubeでご覧ください」をクリックの上、再生してお楽しみ下さい。

はっぴいえんど、「夏なんです」

70年代初頭の空気感が見事に閉じ込められていて快感です。

* * *

さて陽も傾き、辺りに夜の闇が迫りくる手前の頃、筆者の脳裏にて鳴る音楽は少々エロティックに染まり始めます。
若かりし頃の遠き抒情が今も鮮やかに蘇り、筆者の心身は幽体離脱風のトランス状態へとワープを開始します。

ついついと言うか、思わずと言うか、ノドが鳴ってしまいます。
我が家の(=^・^=)ちゃんたちじゃありませんよ。泡々🍺の方です。

ビッグ・マウンテン、「ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ」ピーター・フランプトン・カバー

Baby I Love your way (Cover)- Big Mountain- Lyrics on Screen


「夕暮れ時の故郷の海辺で、昔日のように潮風に吹かれてみた~い!」
今じゃ夢物語
( ;∀;)

* * *

ここは南の島ではなかったことに気がつき、思わず暑いだけの現実へと引き戻されそうになってしまいますが、
筆者は我が家の庭で「今や遅し」と咲き誇るカンナの赤や黄色の花々に支えられて、再びのトリップへ・・・。
いつの日にか、地中海沿岸で可憐に咲くヒナゲシたちに会いに行きたいと願う「盛夏の夕暮れ」のひと時です。

ナタリー・コール、「アマポーラ」

Natalie Cole Amapola (2013) [LYRIC VIDEO]


夏に吹く熱めの「風」も良いですよねえ~。

* * *

さて最後に、夏の夜情緒もついでにお届けします。

ゲイリー・マイルズ、「星を求めて」
Look for a star ( 1960 ) - Garry Miles - Lyrics

さて夜の帳も落ちて、頭上には満天の星々が・・・
と言うわけにはまいりませんが、せめて心の目で星々を再現させましょう。
筆者の半世紀も前の幼年期のオキナワでは、いつも頭上に「天の川」が張り付いていました。
夜香木の香りと共に見上げる夜空の星々は格別で、時々の野外行水が待ち遠しかったものです。

伝統的な我が国の「夏情緒」、あらゆる電化製品等で快適性が増した最近では薄れてきたような気がします。
ならばと、記憶の中の「美しい夏」の昼に夜に遊びたいと思う今日この頃です。
お酒の力も少々借りながら・・・。

🍷(*^^)v

By T講師
取りあえずアップ、後ほど追加あるかも・・・。


2020年8月17日月曜日

75年目(!)の「終戦記念日」

月曜日・快晴・猛暑
本日より学童クラブが再開され、早朝から賑やかな笑い顔が静かだった屋内外に戻ってきました。
(#^^#)


「ミュージック・ギャラリー(424)」

「戦後75年目の終戦記念日特集」


この季節になると毎年筆者の脳裏に浮かび上がってくるのが、遠き高校生の頃に聴いて唄ったこの古い曲。
但し、YouTubeにある唯一のオリジナル録音盤がブロックを施されているので、カバーを取り上げました。
その当時の「五つの赤い風船」らは、米英のロック狂いだった筆者にとって、一幅の清涼剤の存在でした。
但し、歌詞は従来の歌謡曲等とは異なり、色々と考えさせてくれる社会的内容で自己の肥しとなりました。

まぼろしのつばさと共に cover [歌詞・英訳付き] song by martin

English translation by Matthew Smeed.

オリジナル曲に「特攻隊」の記録映像を加えた動画があり、そのアップを企てるも、残念ながらブロック有りで断念。原曲の淡々とした表現に比して、結構甘過ぎセンチに聞こえてしまいますが、動画の映像で選ばせていただきました。現在、YouTube上には、沖縄の周辺海域で散った無数の「神風特攻隊」の記録映像が存在しています。涙・涙です。死者たちの姿こそ見えませんが、その阿鼻叫喚の時空を体験して散った英霊たちに最大の尊敬の念を禁じ得ません。

_(._.)_
<(_ _)>



「五つの赤い風船」と言えば、もうこの曲こそ彼らの代表曲でしょう。半世紀ほど経った今でさえ何一つ色褪せることなく、出会ったその当時のままに筆者の心を鋭く掻きむしってくれます。YouTubeにオリジナルの音源がアップされているのを発見!喜び勇んで拝借を試みるも、何とやはりブロック有りでした。と言う訳で、結局は以前に代用として拝借したことのある原曲アレンジに最も近いカバー盤を再度お借りしてきました。
「日本」ではなかった頃のオキナワで、この詞の世界は羨ましくて遠くもあり、若き筆者にとっては痛過ぎました。正にこれから大人になろうとする筆者の「アイデンティティー」に関わる「フォークソング」ならではの世界でした。
「遠い世界に」/ やなわらばー(カバー)

著作権者の権利保護も確かに大事ですが、ネット上にその原曲がない事は文化にとって大きな損失です。興味のある方は是非YouTubeを検索して、お聴きになってください。・・・

最後に・・・
「涙(ナダ)そうそう」、夏川りみ

高齢となった筆者の母にも、先の大戦で亡くなった家族・姉弟らのお迎えが近づいているようです。
* * *
「筆者後記:75年目の終戦記念日に寄せて・・・」
筆者はもちろん戦争経験のない戦後っ子ではありますが、生まれ故郷の南の島で「戦争の残り香」を嗅いで育ちました。国内で唯一の地上戦となって地獄絵図が展開された南の地に、その節々に「戦場の記憶やツメ跡」が残されていました。一歩近所の草むらに分け入れば、土の上に残された夥しいほどの赤錆びた無数の、色々な形の弾丸は日常の光景でした。
低学年時、半ズボンの左右ポケットいっぱいにその弾丸を拾い、家に持ち帰り石油で洗浄、その後紙ヤスリで磨きました。丸い先端のライフル弾、先が鋭く尖った機関銃弾など、筆者の新しい趣味はその内、筆者の机の大半を占領し始めました。ある日のこと、赤黒く汚れ破れ始めたポケットのズボンを幾度か洗った母が、筆者の弾丸の収集を止めるよう咎めました。「この弾は鉄砲から発射されたもので、その先には狙われた人がいたんだよ。」ピカピカに磨かれた弾丸を指さしました。「もしかしたらそれが命中した人は死んだかもしれんのよ。いっぱい血が出て、痛がって死んだのかもしれないんだよ。」「明日、捨てるからね。その前にお清めのお祈りをしてからにするさあ~。」筆者は収集を諦めるしかありませんでした。成人後に詳細が判明し、那覇市内では残留狙撃兵らとの戦闘が各所で行われたとの米海兵隊の記録資料や映像があります。その中には筆者の知るごく近所での交戦の映像資料や、筆者が通っていた中学校での戦闘場面なども多数残されています。
また加えて、赤錆びた砲弾や手榴弾や擲弾筒も、それこそあちこちの丘の岩陰の奥にはまり込んで、ボロボロの地層を刻んでいました。太古に隆起した元サンゴ礁の大きな岩山の下には天然壕があり、戦時には住民らが避難していたと言う場所もありました。その中にはやはり「戦争遺跡」とでも呼べる無数の生活道具や砲弾が散乱していて、米軍の専門家が撤去に来ていました。やはり近くの丘の上の草むらと岩陰の一角で、戦後の遺骨収集の際にはこぼれた小さな頭蓋骨を見つけたこともあります。
小中学生時代にいつも泳ぎに行っていた市内の海岸の砂の中には、これまた夥しいほどの黒色火薬の粒が混じっていました。それらの粒々を友人らと共に集めて、乾いた防波堤の上に並べて火を点けると、真っ赤な炎が一瞬にして立ち上ったものです。
兵器や武器が好きで、その周辺物(ヘルメットや弾帯等)の収集を始めた小学生の筆者、戦争に関する書物も読み始めました。そして、この生まれ育った小さな島がつい20年程前にとんでもない厄災に見舞われて、多くの命が失われたことも知りました。その興味が高じて、近所のオバーらに戦争中の話しをねだったりもしたものです。「ねえ、どうだった?怖かった?」と・・・(筆者の両親は沖縄戦未体験で、父は満州・シベリアで抑留、母は幸運にも疎開船で宮崎県に避難することができました。)オバーらは最初は筆者のような子供を相手にせず、「忘れた。そんなこと聞いてどうするねえ~?」との反応ばかりでした。でも執拗にねだる馬鹿な子供に根負けしたオバーは、潤んだ目と震えた手を交えて、少しずつ戦争中の記憶を語り始めました。家族と南部へと逃れる際(攻撃回避のため夜間に決行)に、近くで不発弾が爆発、その騒動で家族と離れ離れになったとの事。その爆発音で米軍の集中砲火を浴び、多くの避難民が倒れ、それまで手を繫いでいた我が子を見失ってしまったとの事です。オバーの話に筆者は震えあがり、戦争の恐怖を身近に初めて知りました。「ダー、どこに行ったか、どこで亡くなったか、もう分からん。今も見つからん・・・。」オバーは遠くを見つめていました。「だから私は南部に行くのは今でも好かんわけ。あっちの草むらかこっちの岩陰かって、子供らの死に場所探すわけさあ~。」「夫も防衛隊(徴用)に取られて、帰って来なかった。どこでどう死んだのかも全然分からん。」オバーが付け加えました。オバーはお茶を一口すすり、「ごめんねえ~。私ひとり歳とって。」「平和な時代に生んで貰って。あんたは幸せさあ~。」
そのオバーも今はもういません。あの世で生き別れた夫や子供らに会えて、天国で幸せに暮らしているといいのですが・・・。

戦後75年。平和を甘受してきた世界が今また崩れ始めようとしており、周辺にはあらゆる驚異が存在しています。「平和ボケ日本」のままで居られる訳もなく、「お花畑」思想のままを周囲が許してはくれません。記したいこと、いっぱいあり過ぎて、今回はここらへんにて留めておきます。またの機会を見つけて。
無数の地上戦の犠牲者、無数の洋上(海底)の犠牲者のご冥福と、遺族らの平安を心から祈るのみです。「鎮魂・慰霊・合掌」( ;∀;)
・・・
By T講師(あれから75年の歳月が流れ、戦後っ子の筆者もまたいつしか高齢者の仲間入りを果たしたようです)(少数となった戦争体験者の話を直接聞いた者の一人として、その伝聞を記したいと考えています。)
「平和な時・場所に感謝」

(*^^)v