アトリエ・マイルストンブログ

2020年4月29日水曜日

日米もだけどイギリスも頑張れ!

水曜日・晴れ
国民の祭日「昭和の日」

学童クラブ&アトリエ自粛閉所に伴い日々休日。
快適極まる薫風と美しい自然に囲まれ、木工作や庭仕事 三昧の充実した日々です。
加えて思うところあり、未完のままで中断中だった描きかけの作品にも加筆を開始。
超久々に仕上げる気満々です。
(*^^)v

「緊急事態宣言」より2週間

(少数の一部を除き)学童らの笑顔・笑い声がクラブから消えて早2週間・・・。
仲良しの友人らとも自由に会えず、代わりに自宅でのソーシャル・ゲームで楽しんでいることと思います。
一般の国民はと言うと、政府目標の8割減を目指し頑張ってはいるものの、全休が不可能な企業も数多く、
また自宅籠りのストレス解消とばかりの外出も多く、各商業地では逆に高密度状態となっているようです。
このような悩ましい状況だと、自粛期間は更に延長されるようで、経済的危機が更にのしかかってきます。
正解や出口の無い暗闇の迷路のような政策や経済や生活が、まだまだ続いていくことになるのでしょうか。
どうやら両天秤に掛けるには困難な二律背反的社会情勢となったようです。
(-_-;)

* * *

さて、ここは気持ちを切り替えて・・・、

「ミュージック・ギャラリー(その411)」

「日米もだけど、イギリスもがんばれ !!」


「かくも素晴らしき英国アマチュア音楽家たちの世界」


当コーナーでも度々紹介したことのある英国のオーディション番組の中から幾つかを再度 並べてみました。
感動的出演者 数多く、多過ぎても感動は薄くなるようなので、絞り込むのに迷いましたが今回はこれにて。

我が国でもカラオケバトル等ありますが、コンピューターやAIで採点するようなテストとは明らかに違います。
音程やシャクリ・ビブラート等の技巧よりもっと大切なものを審査員と一般聴衆が見事に選んでくれています。

筆者の能書きなど、まるで無用の彼ら彼女らの豊かな才能と熱きハート、ご視聴ください。
(適正な音楽(音域)のために、外部スピーカーやヘッドフォーン使用にてご視聴下さい。)
英語が分からなくても充分に楽しめるドラマチック・オーディションの名場面、どうぞ!

アリス・フレッドナム、「マイ・ファニー・バレンタイン」、ブリテン・ゴット・タレント

Alice Fredenham singing 'My Funny Valentine' - Auditions | Britain's Got Talent 2013




「審査委員長サイモンに歌を止められた出場者女性ショーンが2番目の曲を歌う」

Simon Stops Sian and Asks Her a Second Song, Watch What Happens Next! | Audition 3 | BGT2017



「期待されていない隠居女性ジェニー・ダーレン(Jenny Darren)が素晴らしいパフォーマンスを」
他、期待されていない出場者特集、米国版(2~3曲目)含む
INCREDIBLE UNEXPECTED SINGERS on Got Talent | Top Talent




「父と息子がゴールデンブザーを獲得」
Father and Son Get GOLDEN BUZZER on Britain's Got Talent | Got Talent Global



「偉大なるショーマンのジョン・コートニーの夢が現実に」

GOLDEN BUZZER: Dreams come true for Ant and Dec’s Greatest Showman Jon Courtenay | BGT 2020


* * *

以下は前回特集同様の「コーラス・グループ」を何組か紹介します。
そのいずれのグループもが最上級の感動的パフォーマンスを繰り広げています。


「ベスト・コーラス隊(8グループ) 特集」

BEST British Choirs on Britain's Got Talent | Got Talent Global


審査員のサイモン・コーウェル氏は英国のみならず、米国のオーディションにも主宰登場しています。
最後に登場のコーラスグループ、英国国内の「Missing Persons(行方不明・失踪者)」の支援団体です。
感動的パフォーマンスには違いありませんが、英国の悲しい負の側面をも見せられたような気がします。



「戦時合唱隊、Dデイ(欧州上陸作戦)ダーリングス」

Wartime choir The D-Day Darlings DAZZLE the Judges! | Auditions | BGT 2018


♩" We'll meet again, I don't know where, don't Know where,
But I know meet again some sunny day. "♩

まるで感染禍終息(収束)を獲得した暁のような希望に溢れた素敵な歌詞です。

「かくも素晴らしき英国アマチュア音楽家たちの世界」


「三密、バンザイ!!!」
されど今や過去の物!!!
いつの日に戻れるのでしょうか?



 Since 1964, I was a primary school boy , It was first time to me. 

and even Now.  I'm always so deeply impressed by so many U.K people !


" I'm very sorry for your loss and sadness, Now."

" I'm rooting for You ,   Hang in there !!  U.K "

(#^.^#)


感動的名場面の数々、お楽しみいただけたのなら幸いです。

By T講師

* * *

And


Let's kick away & Break Through the  Evil Wuhan Virus Disaster !


Together !!!



2020年4月26日日曜日

アメリカン・ポップス・コーラス

日曜日・快晴・快風

今年はゴールデンウィークとは名ばかりなり。
アトリエ&学童クラブは コロナ感染拡大防止につき、自粛閉所中。
薫風香る素晴らしい季節・自然の中で、(今のところ)平安に暮らしています。
(*^-^*)

P.C変調による文字サイズやレイアウト調整不可にて四苦八苦 投稿しています。
ご勘弁。
_(._.)_

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その410)」

「特集:魅惑のアメリカン・ポップス・コーラス・グループ」


前回の長尺特集の中で機会あればアメリカン・ポップスのコーラス・グループを取り上げたいと記しました。
今回は筆者得意の有言不実行には珍しく、その機会を異例にも即座に実行してみました(魅惑は鉄板オマケ)。


まずは幼き筆者の音楽原体験の「親子ラジオ」から流れ出てきた米国ならではの愉快・軽快なナンバーから。
幼稚園前後の筆者、もちろんのグループ名など知るはずもなく、20年後に名前が、姿はYouTubeで判明。
有り難い世の中ではありました(過去形?)。
イントロのミュート・トランペットからしてユーモラスたっぷりで大好きだった曲です。

アンドリュー・シスターズ、「ラム酒とコカ・コーラ」

 The Andrews Sisters、”Rum and Coca-Cola"  Lyrics



こちらもやはり愉快で軽快そのもののご機嫌なナンバーです。
何と「昭和16年 !!!」ですよ。日米開戦・真珠湾攻撃の年!

アンドリュー・シスターズ、「ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ」

The Andrews Sisters - Boogie Woogie Bugle Boy (1941)



* * *

映画「バック・トウ―・ザ・フュ―チャー」でも印象的に使用されていました。

ザ・コーデッツ、「ミスター・サンドマン」

Mr. Sandman - The Chordettes


ザ・コーデッツ、「ネバー・オン・サンデー(日曜はダメよ)」

The Chordettes Never On Sunday



* * *

古き良き昭和の「ザ・ピーナッツ」やTV「シャボン玉ホリデー」を想起させてくれます。
このハーモニー、筆者の脳内にアルファ波が充満し、幸せな眠気を連れてきてくれます。

マクグヮイヤー・シスターズ、「ヒ―」

THE MCGUIRE SISTERS - "HE "(1955)


THE McGUIRE SISTERS ," Ev'ry Day Of My Life"



* * *

「翌日追加版」


ザ・ポニーテールズ、「ボーン・トゥ・レイト」

The Poni-Tails - " Born Too Late " (1958) with Lyrics


なおついでながら、当曲のカバー:モーリーン・エバンス版を前回分へ再追加しました。
よろしければ再訪問ください。また違った趣があって、筆者的にはどちらもお勧めです。

* * *

ここら辺から時代は親子ラジオから中波のラジオへと替わり、また近所のMネーネーのレコードで聴き始めました。

パリス・シスターズ、ヒット・メドレー

The Paris Sisters - Hits Medley

 " What Am I to Do (1962) / I love how you love me (1961)/ dream lover (64) "



* * *

「今回特集の筆者一押し動画」です。
😊
アメリカならではの華やかさが魅力です。リード担当のロニーの笑顔も超キュートでした。
後年のキャンディーズの蘭ちゃんに似ていると思いません?(筆者、彼女のファンでした。)
おっとその前にレ・ガールズの由美かおるさんにも似てました(彼女のファンでもありました)
「チョー古い!(^^)」
何はともあれ、エンタメ王国アメリカならではの圧巻のステージ・パフォーマンス、どうぞ!

ザ・ロネッツ、「ビー・マイ・ベイビー」~「シャウト」

The Ronettes -" Be My Baby"~"Shout", 1963 (Live in 1965)


当時(1965年)のスタジオ・ライブの貴重映像。生バンドや観客席聴衆の表情も興味満載です。
ノリノリの娘、無表情の男女、保護者同伴の娘、口ポカンの警察官、人間観察に飽きません。
観客とステージの間のオケ・ボックス内、バンド・メンバーにタンバリンが二人もいました。
間奏時のクネクネ・ステップも抜群。バックダンサーのエロ衣装、中学生時なら鼻血ブーです。
(#^^#)
輝く笑顔のロニーの背後でバック・コーラスを務める二人の表情もおしとやかで良いですね。
可愛さ満点のリードのロニー、超敏腕・名プロデュ-サーのフィル・スペクターとその後 結婚。
ちなみに、上のパリス・シスターズの2曲目の代表的ヒット曲もまた彼のプロデュ―スです。

画面登場の方々、今頃どんなお年寄りになっているのでしょうか。その後ベトナムに出征した男子も。
その中には沖縄に駐留した方も或いはいるのかも。また中には既に亡くなられた方も・・・。
ベトナム戦争激化前の当時の輝けるアメリカの貴重な映像、筆者の興味と想像は尽きません。

* * *

今でも多数の人々に歌われ、カバーされるスタンダード曲となりました。
筆者ももちろん大好きなナンバーで、今度この曲のカバー特集でもやりたいと思っています。
歌唱の背後のオブリ等で流れるブライトなストリングスも印象的です。
( 後日、訳詞付き動画が見つかったので、動画を差し替えました。)


ザ・シュレルズ、「ウィル・ユー・(スティール)・ラブ・ミー・トゥモロー」

,The Shirelles, " Will You (Still) Love Me Tomorrow "



* * *

実は筆者、告白すれば小学生に上がった頃に「軍国少年」になりました。(-_-;)
その当時、TVでは「コンバット」や「ギャラントメン」等の戦争ドラマも花盛り。
筆者も武器や兵器が好きで大の「戦争オタク」となり、歴史にも詳しくなりました。
その一環・流れで映画も観賞。男性集団によるその勇壮なコーラスにも熱中しました。


ミッチ・ミラー楽団(合唱団)、「テキサスの黄色いバラ」

The Yellow Rose Of Texas Mitch Miller Orchestra 1955



次は筆者が初めて買ったシングル・レコードです。
数多くの大スター出演。莫大な予算ならではの迫力ある場面の連続に興奮したものです。
(-_-;)

ミッチ・ミラー楽団(合唱団)、映画「史上最大の作戦」マーチ

The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller


映画の邦題は実は正確ではなく、史実では沖縄侵攻作戦こそが「史上最大の作戦」でした。

* * *

ご存じ、ヘンリー・マンシー二の紡いだ世紀を超える名曲。前回はレノン・シスターズでお届け。
彼らの存在もまた近所に住んでいた中学生だったMネーネーのレコードで、漏れ聞いたものです。
彼女からは、フォークソングのピーター・ポール・アンド・マリーの曲なども教わりました。
米軍施政下の60年代のオキナワの風景にも良く似合いました。目を閉じると入道雲と海風が。
当時、那覇~嘉手納・コザ(現・沖縄市)間の1号線(現・国道58号)沿線はまるで米国のようでした。

レターメン、「夏の日の恋」テーマソング

The Lettermen - Theme From A Summer Place



レターメン、 「肩にほほをうずめて)」

Put Your Head On My Shoulder/ LETTERMEN



* * *

「タイムマシーン」で時代を更に遡って、古さでは2番目に遠い過去へと行きつきました。
解り易く元号で言えば、何と昭和20年!。それは第2次世界大戦(太平洋戦争)が終わった年です!
もうこのソフトなハモリを浴びるだけで、脳内に幸せホルモンのセロトニンやオキシトシンが充満します。
絶品です。

パイド・パイパース、「ドリーム」

Dream (1945) - The Pied Pipers


間奏のテナー・サックスもまた秀逸ですが、その際の動画の真空管ラジオも♥です。


パイド・パイパース、「アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリーム(夢で逢いましょう)」
I'll See You In My Dreams (1948) - The Pied Pipers

優しく暖かなハーモニー、子守歌(ララバイ)にでもしていただければ幸いです。

" My deepest thanks to you, AMERICA "

" I'm very sorry for your loss and sadness, Now."

" I'm rooting for You , AMERICA "

" Hang in there !!  AMERICA !! "


* * * * *

「筆者後記」

今回の「新コロナ感染禍」、理不尽な事象が一気に襲来、ささやかな日常を瞬時に破壊してしまいました。
数多の人々が日々の収入を絶たれつつ、職続行放棄を余儀なくされ、また数多の人々が職を追われました。
学童クラブもまた同様に「明日は我が身」。その再開の日を迎えるには感染状況が余りにも厳しすぎます。

筆者自身もまた、やり残したことや未練や悔いは幾つもありますが、今更ジタバタしても何も始まりません。
まずは与えられたその日・その日、その瞬間・瞬間を大切に享受して、日々を過ごさなければなりません。
当ブログ、教室授業・作品等アップ不可能ながら、ささやかながらも今も筆者にとっては大切な時空です。

もう無恥・無責任な大陸やア○WHOの言語道断の言動等、汚れるので記したくもありません。
当事者能力に著しく乏しい霞が関や、永田町の魑魅魍魎のことなども記したくもありません。
でも黙して容認と捉えられるのも本意ではなく、いずれ機会を見つけて「T講師コーナー」で。

( 以前 当コーナーで少々言及、筆者20代には医学雑誌のカメラマンとして記者と同行取材、
高級官僚とOBらの長年に渡る私利私欲システムが構築され、そこに国民の命や健康は軽視され、
検査薬の緊急輸入すら不可能な法体系が築かれ、彼ら自身が右往左往しているのが現状です。
我が国は残念にも官僚支配が絶大で絶対的で、政治家と言えど彼らには抗えないのが実情です。)
「危機管理なき平和ボケ日本、その先 一体どこへ行く?」

これまでと変わることなく、音楽動画のアップを中心に投稿を重ねていきたいと思っています。


* * * * *

上特集とは別枠、「今日の1曲」


ポール・マッカートニー、「レット・イット・ビー」ライブ

Pul McCartney , "LET IT BE " for My Friends 和訳歌詞付き


訳詞は訳者の自由ですが、"Mother Mary" は亡き母ではなく「聖母マリア」のことだと・・・。
「小言一言」
間奏のギター、音数多く饒舌なれど、もたつき気味ながらのジョージの歌心・抒情には到底及びません。
ジョージのギターは当曲の間奏で3種の異なる録音が残されており、そのいずれもが感動的な演奏です。
上から目線、失礼。
<(_ _)>


少しでも慰めになれば・・・。

" I'm rooting for You ,  Hang in there !!  UK too !! "


( ロンドンのミナコさん、元気ですか?)



衝撃・絶句、同世代女優:岡江久美子さん逝く。
合掌


By T講師

" Be Careful ! 
But 
Be Cheerful !

That's why Nobody control our destiny.
Everyone's Life is just one time.
Never comes again life and today.
so, Live for today !  for yourself !
And for your all Jewel !

2020年4月14日火曜日

日本もだけど、アメリカ頑張れ!

水曜日・快晴
暑くも寒くもなくの薫風に恵まれた快適な1日でした。

学童クラブ閉所にもかかわらず、相変わらずのブログ遅延です。
( 各種メンテや大工や庭仕事などで夜は即刻寝落ちの日々です。)
しかも加えて、筆者の古いP.C内での消失トラブルを避けるために、
中途半端ながらも とにかくアップさせていただきます。
ご容赦。



「緊急事態宣言」より1週間

外出自粛をする多くの人々、仕事休めずリスクを背負っての通勤の人々、一部のどこ吹く風の輩・・・
その悩ましい構図にはそれなりの結果が伴い、やがて全ての人々を巻き込む大嵐となってしまいます。
悩ましくも歯痒くも一月先も見えず、されどいつもと変わらぬ美しい自然に囲まれた平穏な日々・・・
世間も筆者も、その行きつく先は如何ばかりか・・・

(-_-;)


* * *

「ミュージック・ギャラリー(その409)」

「日本もだけど、アメリカ がんばれ !!」長尺スペシャル


We're chasing after you as same situation in Japan, But,

" Hang in there !!  AMERICA !! "


" I'm rooting for You, AMERICA "

" I really hope it goes well, soon ! "


当ブログでも折に触れ幾度も記してきましたが、筆者の幼年期の原体験音楽はアメリカの音楽でした。
ちょうど幼稚園に通い出した前後に、筆者の家には「親子ラジオ」と言う有線放送が導入されました。
映画や音楽好きな父の、当時まだ民間のテレビもラジオもなかった頃の米軍政下の贅沢な趣味でした。
なので、
同時代の沖縄で共に過ごした同世代の友人らでさえ、筆者のように米国音楽漬けで育ってはいません。
その後、日本語による民間放送を受信する真空管ラジオ購入後は歌謡曲とも出会い、その暗さに驚き、
( とは言え、そのウエットな表現もいつしか好きになってしまいましたが・・・(^^)。
あらためて幼稚園生の前後に聴いていたアメリカ音楽の明るさや目映さを思い知らされたものです。
またその当時、高級将校クラブに勤めていた叔母からいただいた米国原盤の分厚いLPレコードも聴き、
歌手のバックで雄大かつ優雅に演奏されるオーケストラやビッグ・バンドにも心を打たれたものです。


今こうして筆者の幼年時代の思い出を振り返る時、これらの米国音楽の持つきらびやかさは今もなお輝き、
昨今はまるで御先祖還りのように真空管ラジオの音を愛で、日々をその柔らかでふくよかな音色で満たし、
(自慢ですが)しかも大音量で聴くことができ、僅かとなった残された人生の時空を満喫しているのです。
その音源はYouTubeをMDに落として、それをPHONO(プレーヤー端子)から接続して再生鑑賞しています。
( ちなみに更に自慢ですが、別にスピーカー4段組みのオーディオもあり、気分によって換えています。)
( そのほとんどが往年の中古セットですが、まるで劇場のようです。これを幸せと言わずに何と言おう!)
!(^^)!
脱線自慢、失礼。
<(_ _)>


今日はそんな幼き日に聞き惚れて、楽しませていただいたアメリカン・ポップスの数多の名曲星座の中から、
ほんの一部を時系列もある程度無視して、思いつくままに並べてみました。
これまでにない超特大版です。とは言え、これまでにも登場済み曲多数です。

では参りましょう。往年のアメリカン・ポップスの星々の一部を・・・
( 是非、外部スピーカーやヘッドフォーン使用にて良質な音源の再現で、お聴きください。)
_(._.)_ (^^)
(筆者注:翌日、更に1曲追加してしまいました。エへへ (#^^#)


まずは彼ら、
彼らの数々の楽曲が筆者の日々を飾り、その「ムーンライト・セレナーデ」で1日が終わりました。
今回の冒頭一発目の曲は、朝の目覚めの際に、一瞬にして元気パワーを貰える超ご機嫌な曲でした。

グレン・ミラー楽団、「アメリカン・パトロール」

 Glenn Miller , " American Patrol  "




音楽原体験の親子ラジオで頻繁に流れ出でた曲の代表で、その不思議な語感に幼児が飛びつかない訳がありません。
二つ上の兄と共に、「♪ワンダフルへッチャン・ドゥ~ビー、ワンダフルへッチャン・ゴー」等と合唱してました。
最後部では「♪ワンダフルへッチャン・ドゥ~ビー、ポポンユパンスターン」と締めてました(一体何語?(#^^#)。
後年になって実際の歌詞の内容を知って驚愕しましたが、恋人を刺殺したと逮捕された男の冤罪を歌ったものです。

キングストン・トリオ、「トム・ドゥーリー」

The kingston trio , " Tom Dooley", (1958)



上の楽曲と同じく、やはり幼い筆者ら兄弟がこのお馴染みの童謡曲に飛びつかない訳がありません。
ご存じ日本の唱歌、節々にチャイニーズ風味が加わって妙チクリンな味わいの珍名曲となりました。
ユーモラスな歌唱に加えて、バックの超不思議なアレンジとダイナミックな演奏がけだし秀逸です。
アーサー・キットは他にもアラビア風の「ウスクダラ」も歌っていて、こちらにも飛びつきました。

 証城寺、アーサー・キット

 Eartha Kitt , " Sho-jo-ji (The Hungry Raccoon) ",1955 




上2曲とは打って変わって、しっとりとしたバラードが女性の艶やかさを教えてくれました。
唯一無二の上品で涼やかな歌唱は他の曲にも共通していて、子供ながらも筆者は好きでした。
ゆったり流れるストリングスとオブリのレスポール風のギターの調べも昼寝には最適でした。
叔母から貰った多数のLPの中に彼女のアルバムが3枚も入っていて、筆者のお気に入りでした。

ジョ二・ジェイムス、「アイム・ソーリー・フォー・ユー・マイ・フレンド」

Joni James , " I'm Sorry For You My Friend "


筆者幼き昔から、綺麗な清楚系の歌声は筆者の好みではありませんが、彼女は何故か特別です。
ちなみに高校卒業後の上京以来、本土のAMとFM放送で彼女の歌声を聞いたことがありません。
本土ではほとんど無名の存在なのか、同世代前後の友人らも知らず、未だ以って全くの謎です。



「後日・追加版」

上の「昼寝」繋がりでもう1曲、とても大切な歌をすっかりド忘れしていて、翌日思い出しました。
休日に父に連れられて見に行った映画館の洋画、その中で最も印象的で輝いていたのが彼女でした。
そのとろけるような石鹸の泡のような歌声は、幼い筆者を瞬時に眠りの世界に誘(いざな)いました。
21世紀の今も未だファンも話題も尽きぬ永遠のハリウッド女優ですが、東洋の南島でも同様でした。
子供の頃はセクシーさは理解できませんでしたが、彼女の可愛らしい笑顔は素敵だとは思いました。

マリリン・モンロー、「帰らざる河」

MARILYN MONROE - The River Of No Return(1954)with lyrics


映画好きの父から教わった外国人女性の初めての名前かもしれません。
他には同時期に女優リタ・ヘイワ―スの名前と顔も教えてもらいました。
おそらくその当時、亡父が二人のファンだったんだと今にして思います。



「後日追加版ー2.」

思い出し第2弾、要するに再追加です。
(*^^)v

柔らかな歌声とオブリのアルト・サックスの抒情、大好きでした(今でも)。

モーリーン・エバンス、「ボーン・トゥ・レイト」

Maureen Evans -" Born Too Late " (1958)




こちらは昼寝と言うより夜の雰囲気で、冒頭から流れるバックの男性コーラスが幸せな眠気を誘いました。

アール・グラント、「ジ・エンド・オブ・レインボー」

 Earl Grant , "At The End Of a Rainbow "(1958)



こちらもまた上のジョ二・ジェームス同様に優しさ・暖かさ・爽やかさに満ち満ちた清潔感が大好きでした。
やはりバックのオブリのシンプル・ピアノ、ストリングスのたおやかな調べに小さな胸を打たれていました。

ナット・キング・コール、「トゥー・ヤング」

Too Young by Nat King Cole W/ Lyrics



「ケ・セラ・セラ」等、彼女の曲も、その多数が親子ラジオのヘビー・ローテーションでした。
節々で登場のロングトーンの語尾が真空管ラジオ全てを豊かに振るわせて、筆者も震えました。


ドリス・デイ、「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」

Doris Day - Fly me to the moon - with lyrics


*

この人も超大好きな歌手で、その吐息混じりのハスキーな熱い歌声が筆者の叔母を想起させました。
叔母が愛人の米国将校からのプレゼントのレコードを「私、要らないから」と筆者らにくれました。
その当時、とても高価だったLPレコードをどっさり重ねて、小学生の筆者は鑑賞に耽ったものです。
今でも彼女の唄声を聴くと、条件反射で叔母のしゃがれ声と煙草をくわえた赤い口紅が浮かびます。

  ジュリー・ロンドン、「モア~この世の果てまで [日本語訳付き]」

Julie London, " More ~ The End Of The World "


幼き当時、親子ラジオや中波ラジオからは多くのコーラス・グループの分厚い声が流れ出てきました。
国内イメージの文部省推薦的な合唱コンクールや唱歌等とは正に正反対の、きらびやかな世界でした。

レノン・シスターズ、「夏の日の恋」
The Lennon Sisters, "Theme From A Summer Place" ❤ (Lyrics) ✿ 

これら魅惑のハーモニー、微妙な倍音が数多く発生して、その揺らぎ感が小学生ながらも快感でした。
またの機会があれば、そんなアメリカン・ポップスのコーラス・グループの特集を組みたいものです。


言葉の要らない華やかさ、まるでラスベガス辺りのショーを経験しているような派手な輝きです。
まるでライブ盤のような活きの良いノリ、バック演奏のバンドとのコンビネーションも秀逸です。

ボビー・ダーリン、「ビヨンド・ザ・シー」

Bobby Darin - Beyond the Sea - with lyrics



言葉の要らぬご機嫌さで、筆者も小5~中3頃に海辺のボートハウスのジュークボックスで良く踊りました。
勤務を終え、夜の街に繰り出す前の那覇航空隊の米兵らとも一緒になってバカ騒ぎした思い出があります。
時々は嘉手納からベトナムへ出撃する海上のB52の巨大な機影を眺め、その時だけは正反対の声が・・・。


ジョージ・マハリス、「ルート66」

Route 66 - George Maharis



当時、テレビで放映されていた人気ドラマの「ローハイド」の勇壮なテーマソングも歌っていました。
はじめはそちらの方にしようかとも迷いましたが、今回はこちら。いずれもが血沸き肉踊る名曲です。

フランキー・レイン、「ライダース・イン・ザ・スカイ」

Frankie Laine ~ (Ghost) Riders in the Sky (1963)



世界的で絶大な人気を誇るフランク・シナトラも、流石に子供の筆者にはその苦みある歌声は苦手でした。
筆者の注目(耳)を集めたのは彼の娘の方で、その頼りなさげな数々の歌声は今でも筆者のお気に入りです。
他にも大好きな曲多く迷いに迷いましたが、今回はこの幸せそうな父娘の軽快なデュエットを選びました。

フランク&ナンシー・シナトラ、「サムシング・ステューピッド」

Frank & Nancy Sinatra ~ Something Stupid (1967)



今回は敢えて1曲に絞りませんでした。アメリカ民謡(フォークソング)と、大好きなジャズ・ナンバーを。
俗世間を超越した力強くも清楚な歌声、ご観賞いただければ幸いです。
下はネイティブ・アメリカンの娘との悲恋を川の流れに例えた名曲です。

ジョー・スタッフォード、「シェナンドー(川)」

 Jo Stafford, "Shenandoah "



ジョー・スタッフォード、「レッド・リバー・バレイ」

 Jo Stafford and The Starlighters , "Red River Valley " (1949) -



ジョー・スタッフォード、「セプテンバー・イン・ザ・レイン」

Jo Stafford - September in the rain lyrics



ナット・キングコールと共にこの人の存在も幼い筆者の音楽体験から外せはしません。
数ある名曲・名演・名唱の中から、このコーナー幾度も登場のこの曲を敢えて今回も。

ルイ・アームストロング(サッチモ)、「ハロー・ドリー」

Hello, Dolly(Louis Armstrong)英語歌詞付き(With Lyrics in English)



こちらもやはり当コーナー幾度も登場の名曲です。
そのサラッとしつつも野太い歌唱、いつまでも耳から離れません。

サラ・ヴォ―ン、「ラバーズ・コンチェルト」

A Lover's Concerto【訳詞付】- Sarah Vaughan



中~高校生時代に安物・中古ギター抱えて、みんなで良く歌った名曲です。
スリー・コードで歌えるシンプルさと、デレデレで切ない歌詞がみんなを幸せにしてくれました。
キャンプやビーチ・パーリ―でも引っ張りだこの曲、米国人グループとも折々に合唱したものです。
「音楽は国境を超える」、正にその通りのコミュニケーションが筆者の思い出を良き物にしました。

エリザベス・ミッチェル、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」

Elizabeth Mitchell - You Are My Sunshine lyrics


出会って歌い始めて半世紀余・・・、今も何一つ変わることなく筆者の日常にて活きています。
胸がキュンとなるのも当時のまま、アコースティック・ギターの音色に溶け込み滲んでゆきます。



前回の当コーナーで紹介の女性シンガー、カバー曲も多く、多角的に楽しませてくれます。
透明感と張りのある伸びやかな歌声、当時の若者(特に女性)に人気があったのも頷けます。

 コニー・フランシス、虹の彼方に【訳詞付】

Connie Francis " Somewhere Over The rainbow "

* * *

「ええっ?凄い長尺!」 何と全部で20曲にもなったようですね。
( 翌日、1曲 追加したので全21曲となりました。さらに増えたりして・・・(-_-;)

これでも抑えに抑えてこうですから、いかに往年の米国ポップスが名曲揃いだったかが判ろうと言うもの。
編集中に選択しては「これではいくら何でも多過ぎだろ」と涙と共に消去したものも多数に上りました。

これらの曲、幼稚園前後に聴いて未だ飽きもせず、決して短くはない筆者の人生の節目節目で聴きました。
暖かい歌声による美しい旋律、バックを彩る感性豊かな完璧なアレンジと一発レコーディング等々・・・
筆者はこれら往年のアメリカン・ポップスに出会えた事を心から喜び、亡き父に感謝する今日この頃です。
何一つ色褪せることのない名曲たち。
この困難な時にもかかわらず、否だからこそ逆にその温かな音楽たちと共に日々を楽しく暮らすつもりです。
やがて来るかもしれない「死」の実感を初めて予感し、その覚悟を決めなければいけない今日この頃ですが、
これらの音楽たちを人生のBGMに選べることが出来た自らの人生を、一寸ばかり自慢できる春の日々です。

* * * * *

今回の新型コロナ・ウイルス禍、世界で最も多い60万人以上の感染者と3万人余の死者を出しているアメリカ、
( とは言っても肺炎感染発生国の非民主国家の数字や終息宣言は、全く信用に値するものではありません)
あの大きく輝いていたアメリカ。その現代の光景とは信じられないよう衝撃的な日々・事象が続いています。
あの贅沢で物量に富んでいだ世界の覇者たるアメリカが今、想像を絶する疫病の成す地獄図に喘いでいます。
私たちの住む日本もまたそんなアメリカの後を追い、「感染爆発」と「医療崩壊」の恐怖に晒されています。

私たちの住む日本の現在は、彼らアメリカの施した民主主義の上に成り立っていると言う歴史的事実を踏まえ、
(  ポツダム宣言後~講和条約成立前には、ソ連・中国らとの分割占領統治も検討されていたとの事実あり!)
太平洋の向こうの対岸の火事と捉えることなく、その恩恵を充分に認識した上で無力ながらも寄り添いたいと、
切に願い心配する日々です。
友人・知人も何組かいます。
彼らと私たちに幸運を・・・

" My deepest thanks to you, AMERICA "

" I'm very sorry for your loss and sadness,Now."

" I'm rooting for You , AMERICA "

" I really hope it goes well, soon ! "

" Pray for you and us."



「 日本もだけど、アメリカがんばれ !! 」

We're chasing after you as same situation in Japan. But,

" Hang in there !! AMERICA !! "


By (Hideki Toma ) T講師
( 取りあえずアップ)

「 めげることなく、共に頑張ろう!! 」
" Let's do our best together !!"


V (#^^#) V

2020年4月7日火曜日

「緊急事態宣言」やっと発令さる

晴れ・温暖
学童クラブ、本日より閉所
(但し、学童・小2男子1名来訪)

遅まきながら

政府・安倍首相、本日「緊急事態宣言」発令す


今回のこの伝染病による非常事態、未だかつてないとてつもない国難であり、また世界的危機だと感じています。
「阪神淡路大震災(1995年)」「東日本大震災(2011年)」等々、我が国は戦後の幾つかの国難を乗り越えてきました。
今回の「新コロナ・ウイルス疫病禍」にもまた同様に、官民一丸となって全力で立ち向かわなければなりませんが、
世界同時発生的なこの超大厄災は、我が国がかつて経験したことのない未曾有の危機だと、筆者は痛感しています。

これは目に見えない「戦争」そのものです。
たかがインフルエンザ等と侮るなかれ。
100年前に世界中に蔓延した「スペイン風邪」の感染死者が全世界で3000万人にも上った歴史的事実があり、
(第一次世界大戦の最中のことで、正確な死者数はなくも、推定では1,700万~5000万余に達したとの定説。)
筆者20代前半に興味を持ったオーストリアの画家エゴン・シーレが、我が子を宿していた妻と共に一家全滅、
弱冠28歳と言うその短い生涯に、想像して描いた生まれ出た赤子を抱いた家族3人の肖像画が衝撃的でした。
( 筆者、新P.C購入するも当ブログにてのアップ・ソフトなく、画像、掲載できないのが歯がゆい限りです。)
(-_-;)

「ミュージック・ギャラリー(その408):こんな時勢に・・・」

不真面目・不謹慎だと思われるかもしれませんが・・・、敢えて・・・、
さて、先程今回の新コロナ禍をまるで「戦争」のようだと記しましたが、筆者の胸に去来したのが下の楽曲です。
ベトナム戦争当時に発表されたこの曲、筆者の大のお気に入りアルバム(LPレコード)の冒頭を飾っていました。
不慮の死を遂げたギタリストのブライアン・ジョーンズ亡き後のバンド・サウンドの弱体化の懸念を完全払拭。
その当時、時代遅れの感を否めなかったギターアンプのトレモロ・ユニットが素晴らしい程 活かされています。
冒頭で始まるパーカッションのギロも、新加入のミック・テイラーのブルージー・フィーリングも感動ものです。
ゲスト女性シンガー、アレサ・フランクリンの悲壮感溢れるハイノート・コーラスも、筆者の胸を震わせました。

今回の危機、武力行使を伴った戦争ではもちろんありませんが、世界中の無辜の生命を大量に奪う超大厄災です。
動画のビジュアルがまるでコロナ・ウイルスの感染爆発(オーバーシュート)に見えるのは筆者だけでしょうか。
題名の「ギミー」はギブ・ミー(give me)の口語的表現です。外部スピーカーやヘッドフォーン接続でご視聴下さい。

ザ・ローリング・ストーンズ、「ギミー・シェルター」

The Rolling Stones -" Gimme Shelter " (1969), Official Lyric Video


ネット上にある幾つかの日本語訳詞、今回はその中から最も秀逸だと思われる個人様のブログから無断拝借しました。ご容赦。
<(_ _)>
よろしければ、その緊張感・危機感あふれるサウンドと共に鬼気迫る歌詞、ご鑑賞ください。

Gimme Shelter
Written by Mick Jagger and Keith Richards

Oh, a storm is threat'ning
My very life today
If I don't get some shelter
Oh yeah, I'm gonna fade away

嵐が俺の命を脅かす
今日、このとき
逃げ場がなけりゃ
俺なんて消えて終わりだ

War, children, it's just a shot away
It's just a shot away

子供達よ
ほんの銃の一発で戦争は起きるんだ

Ooh, see the fire is sweepin'
Our very street today
Burns like a red coal carpet
Mad bull lost its way

見ろ、炎が街を覆いつくす、今日この時
真っ赤な炭のカーペットになって
狂った牛は行き場を失う

War, children, it's just a shot away
It's just a shot away

子供達よ
ほんの銃の一発で戦争は起きるんだ

Rape, murder! It's just a shot away

レイプも殺人も ほんの銃の一発さ

The floods is threat'ning, My very life today
Gimme, gimme shelter, Or I'm gonna fade away

洪水が俺の命を脅かす、今日この時
逃げ場をくれ、さもないと俺なんて消えてしまう

War, children, it's just a shot away
It's just a shot away

子供達よ
ほんの銃の一発で戦争は起きるんだ

I tell you love, sister, it's just a kiss away
It's just a kiss away

愛はどこにあるか、君に教えてやるよ
一度キスしたらわかるよ、その先にあるから

By ladysatin, Technical Translator's Blog


勝手な転載、勘弁・感謝。
(人''▽`)☆

「ほんの銃の一発で戦争は起きるんだ」
正に歌詞のような一人の人間の感染が、こんなにも重大な結果(現在進行形の経過)をもたらしたのです。
それが誰だかは知りませんが、その1人目がいなければ今回の疫病禍は発生しなかったのかもしれません。
( ;∀;)

* * *

さて次の2曲目も何故だか、筆者の脳裏にて幾度となく再生されました。
冗談・大袈裟抜きに、これが筆者にとって聴き納めになるのかもしれません。
感染爆発や長期戦(多分1年以上続くのでは?)になった場合、生き残れる自信がありません。

上の緊張に満ちた危機的サウンドとは一転打って変わった甘い歌声と旋律の懐メロが、幾度となく流れ出でました。
何の不安も恐れも無く、ただただノホホンと生きていられた幸せだった幼き頃の時代への憧憬からなのでしょうか。

コニー・フランシス、Where The Boys Are / ボーイハント [日本語訳・英歌詞付き] 

Connie Francis, " Where The Boys Are " ( 1961 )

この歌を聞いた頃はもう筆者も小学生。幼稚園の頃の米国音楽専用の(有線)親子ラジオは我が家には既になく、
真空管ラジオで地元の日本語放送を聞くようになっていて、遠い祖国日本でも歌謡曲の全盛期でもありました。
KSBKと言う英語の中波放送もありましたが筆者は歌謡曲に目覚め、英語放送への回帰は中2~高校生の頃です。
この曲は近所に住んでいた従姉のMネーネーがシングル・レコードで聴いているのを傍らで聞いたのが最初です。
彼女は混血児。赤茶の頭髪を三つ編みにして、制服姿のまま一心不乱にレコードジャケットを見つめていました。

もちろんその当時、その良さ・魅力等まるで分かりませんでした(その後はロック等)が、大人になってから、
古臭い過去の物と思っていた彼女の甘い歌声がある日、筆者の中であたかも時限爆弾のように炸裂し蘇りました。
「切なさ」と言う言葉がよく似合うその粘りある艶やかな甘い歌声、21世紀の今日も未だに捕り憑かれています。

* * *

昨日の「入学式」の月曜日、学童クラブを卒業し、中学へと進学した学童ら(4名)が、制服姿を見せにやってきました。
ランドセルの3倍ほどしかなかった身長、6年間に随分と大きく成長した彼・彼女らの制服姿に感慨深いものがありました。
「な~に?これから中学生役の芝居でも始めるの?」とジョーク(嫌味)を言って、その姿恰好を記憶室の中に留めました。
「異性への目覚め」もそう遠くはない年頃です。ある者は既に目覚め好奇心満載で、またある者は未だ嫌悪中の只中です。

こんな非日常的危機的ご時世に、小学校の卒業式も中学の入学式も賑やかに盛大に祝ってはもらえない世代となりましたが、
彼ら・彼女らの近い未来に良き異性に出合い、遠くない将来に良き伴侶を見つけ、幸せになって貰いたいと願う今日です。

「おめでと~っ!」と大声では叫べない2回目の休校措置、始まりました。
もちろん、その休校解除の日がいつになるのやら、もはや誰も知りません。

危機、確実に迫るも・・・

「でも、共に頑張りましょう!!」

V (#^^#) V


By T講師

時々、アップします。よろしければお立ち寄りください。
_(._.)_

市内の携帯ショップにて複数感染者が確認されたとのこと。
割と近くなので、危機が身近に迫ってきた感ひとしおです。
(-_-;)