アトリエ・マイルストンブログ

2020年7月27日月曜日

情熱のジプシー・バイオリン

月曜日

もはや恒例・常態となった投稿時差、ご容赦。
_(._.)_

* * *

「動画ギャラリー(その2)」


前回の初回に続き、早速2回目をアップ、但し美術的要素を若干離れ、職人技の世界の紹介です。
但し、その職人技だからこそ産み出されるこの小さな楽器こそ正に「芸術品」そのものです。

ドミニク・ニコシア、ヴァイオリン製作の講師、フランス出身の弦楽器製作者

「木」との対話、そのコラボの主だった根幹を成すのは「刃物」です。
用途によって多種多様な刃物を縦横無尽に駆使して仕上げてゆく様は正に快感そのものです。

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「ミュージック・ギャラリー(その424)」
「営みと情熱のジプシー・バイオリン」


筆者注:「ジプシー」と言う呼称は今世紀に於いては差別用語に分類されるようで、現在は「ロマ」と呼ぶようです。

世の中、バイオリンと言えば即名器の誉れ高いストラディバリウスだの、やれガダニー二だの、やれグヮルネリだのと云々しますが、
元を辿れば古代アジアが発祥のたかが民族楽器の一ジャンルでしかなかった訳で、代名詞的に高級機種ばかりがもてはやされるのには、
筆者的にはいささかの抵抗があり、特に敷居の高~いクラシック畑でのみ、その存在が脚光を浴びているのにもやはり憤懣やるかたなく、
深窓の令嬢よろしく、その血筋とお育ちとを売りにしているのを見るにつけ、南国小島育ちの筆者としてはじくじたる想いがあります。

確かに「バイオリン」は西洋文明(特にヨーロッパ)に於ける厳格なアカデミックな音楽世界での頂点であり華でもあります。
ピアノがクラシック音楽界に君臨している王様ならば、バイオリンは正しく女王様と言っても良い存在には違いありません。
でも今回はその対極としての世俗的世界に於ける伝承楽器としての楽譜等には記譜不可能な表現者の音楽を取り上げてみました。

それはジプシー音楽に於けるバイオリンの存在です。
今では差別用語となった言葉ですがその歴史は古く広く、東欧から北欧まで国境を越えてまたがる西洋文化とは少々異なる音楽文化です。
筆者が知る限り、以外にも元々は遠く当方の北方インドから流入したアーリア人の一族だとのことで定着と移動を重ね形成されています。
東欧諸国の民謡と融合したり、或いはスペインでフラメンコの礎となったり、そのしたたかで力強い音楽は今日も脈々と継がれています。
西洋的厳格なカノンの世界ではない、楽譜も存在しない伝承音楽としての土着的、或いは日銭稼ぎの大道芸人的超絶技巧世界、どうぞ。

今回YouTube上よりお借りした一連の動画に日本語の表記なく、何て発音すれば皆目分かりませんが、その映像と音楽をお楽しみ下さい。
音楽をプレイする喜びに満ち溢れた(曲者たちの)笑顔、堪りません。
(*^^)v

Taraf De Haidouks - Turceasca


物凄い迫力のビート感(特にウッド・ベース!)にはただただ脱帽です。
我が国のロックバンドと呼称されている面々には、たったの1ミリたりとも近づけないような強力磁力世界です。

正に圧巻な演奏ぶりですが、ユニークなバンド編成も興味深いですね。
2バイオリンに2アコーディオン、そのバックにはサントゥールと言う古代インド発祥の弦楽器にウッドベースです。
バイオリニストの二人は「首充て」でしっかりホールドもせずのラフ・プレーが味わい深い演奏を聴かせてくれます。
「これでもか!」と言わんばかりの速弾きも大道芸人としての表現の自然さがあって素直に聴き入ることができます。


外国語によるキャプションによると東欧のルーマニアが地元らしく、そこでの演奏風景です。
かしこまった感のあるクラシックとは趣を異にした生活感溢れる映像と音をお楽しみ下さい。

Taraf de Haidouks


ランニングシャツ姿が良いですね!
まるで前世紀の米国南部の野良仕事後の戸口にてボロ・ギターつま弾く黒人ブルースマンのおっちゃんみたいで・・・。
我が故郷の沖縄の辻々や浜辺でもこんな風にランニングシャツ姿のおっちゃんやオジーらが三線つま弾いて唄っています。
「帰りた~い!帰れない!(筆者の心の声)( ;∀;)」



さて、こちらの動画もまた日常の生活圏を背景とした動画に仕上がっています。
お楽しみ下さい。

Latcho Drom - Taraf de Haidouks


生活臭の濃い、されど表現としても芸術性の高い「ジプシーバイオリン」、楽しんでいただけたでしょうか?


このようにアカデミックなクラシック音楽以外にもバイオリンを肉体化して楽しんでいる人々は多いものです。
何も「習い事」で高い授業料を払って楽譜を読んで覚えるだけではない、日常生活の中の快楽音楽も良いもの。
他に、
欧州ではアイルランド等のケルト文化圏では当地の民謡等と融合してダンス音楽やパブ等でも親しまれています。
そしてそれが新大陸アメリカにも飛び火、かの地にて新たな命が吹き込まれフォークやブルーグラスとなって開花、
人々の生活やお祭りや酒場などで様々なバリエーションが出来、多くのユニークで優れた音楽家を育てています。
我が国では「習い事」としての楽譜付きバイオリンがそのほとんどを占めますが、昔日にはチンドン屋や芸人らが、
その独特・微妙(?)な個性的音程(又はクセ)の旋律を奏で、街角で哀愁の世界を披露し息づかせていたものです。

機会があれば、筆者の大好きなアイリッシュ音楽をもこのコーナーで取り上げてみたいと思っています、乞うご期待。

By T講師

* * *

「脱線昔話:バイオリンとピアノの思い出」


上テーマにて投稿予定でしたが、結構な長尺になりそうなのでまたの機会に譲ることにします。
いずれまた。
_(._.)_

* * *

追記:「脱線 ちょっとだけ 昔話」

「ジプシー(生)音楽との出会い」


今を去ることもう30年も前(!?)、筆者の初めての欧州旅行でイタリアに遊びました。
それは「パック・ツアー」で、その間、添乗員さんや現地ガイドらが懇切丁寧・頻繁にアドバイスを与えてくれました。
やれ「スリが多いので、やたらサイフは出さぬこと。」やれ「置引きが多いので、荷持からは目を離さぬように」等々、
その中で、
「路上のジプシーの演奏にはチップを出してはダメ!、サイフやお金をかすめ獲られるから」との最大級の警告も。
筆者、ローマやフィレンツェ等の街角で、多くの路上音楽家の演奏に大感激。特にジプシーらの演奏は白眉でした。
哀愁漂う旋律とその孤高ないで立ちに「これはチップを出さなきゃ!」と感激、カフェのトイレ内でコインを数え、
スリに遭っても良いようにと、各ポケット(冬服につき多数)に数枚ずつのコインを分散収納、演奏御礼に備えました。

とあるローマの街角、確かパンテオン(ラファエロ修復・当地所・地下に永眠)近くの裏通り、フリータイムでの事。
観光客もまばらな路地の石畳の上でボロを着た女性ジプシーがボロ・ケースからこれまたボロ・バイオリンを取り出し、
その鳥肌ものの音色と旋律を小さな路地いっぱいに響き渡らせました。今まで経験したことのない衝撃的演奏でした。
それを聴いてショック状態の筆者と妻だけが唯一の聴衆です。それは彼女らの計画的「狙い撃ち」なのかもしれません。
彼女らと複数形としたのは訳があり、筆者らと演奏女性の左右には10代らしき年若い少年が二人戸口に佇んでいます。
「帰ろう・・・」妻の不安そうな小さな囁きが哀愁の音色の狭間に聞こえ、少年らの猛禽類のような鋭い白い眼光も、
しかし筆者は決心していました。筆者は妻を制しつつ、両ポケットからコインを複数枚取り出し、左右の少年を睨み、
「It's for your Mom !」とコインをかざして差し出し、女性のボロ・ケースの中に腰をかがめて丁寧に置きました。
それまで猛禽類のような目で筆者らを遠巻きに囲んでいた彼らの眼から鋭さが消え、白い歯が浮かび上がりました。
「 So Good Job !, I really really love your music !」
筆者のこわいろ混ぜ言葉に女性演奏家も大きな白い目で応え、両膝を折って会釈をしてくれました。
路地からの帰りがけ、挟み撃ちの一方の少年を横切る際に、その彼が一礼し”Thank you !"と声をかけてくれました。

筆者はそのジプシー女性の旋律・音色と彼女のいで立ちと、この二人の少年の表情が今も忘れることが出来ません。
当夜、ホテルで添乗員さんにその話しをすると「それは運が良かったのです」と言ってましたが、本当にその通り。
たった数分ながらも、今も鮮やかに蘇ってくるような素晴らしい音楽を妻と二人で独り占めにできたのですから。
路地空間全てに弾き渡った彼女の鳥肌もの哀愁ジプシーバイオリン、筆者の人生の中では今もなおピカイチです。
「感謝」
_(._.)_

再度
By T講師
(「下手なテッポも数打ちゃ当たる」は大正解。文法の正誤など気にせず、どんどんコミュニケーションに励みましょう!)
(ナヴォ―ナ広場で出会ったローマっ子のダンジェロさんとナポリターナのカーラさんにも街を案内もしてもらいました。)
(二人はギタリストと歌手で、筆者ら帰国後にイタリア大使館の招待で来日公演もしていました、連絡あるも行けず御免。)
<(_ _)>

こちらも感謝。

2020年7月20日月曜日

新設:動画ギャラリー(その1)

昨日・日曜日に続き、超々々(!)久々の晴れ
( 但し、午前中だけのほんの2~3時間だけでした。)
相変わらずの投稿時差、ご容赦。
<(_ _)>


雨・雨・雨、また今日も雨の日々、でも日常不変な日々にて、お天道様に文句は言えません。
「そのお天道様にもっと会いたい。そのお天道様をもっと浴びたい日々・・・。」
野菜も高騰しているとのこと。秋のお米の収穫も心配です。
<(_ _)>


* * *

さて、
アトリエでの授業風景やその成果の作品の投稿が不可能になって早3年、関係者の皆様にはもはや諦めの境地だと推測。
「最近はもう見てないです。」「第一、もう無理でしょ?」「え、音楽ブログでしょ?そのつもりで見てるけど。」等々。

ま、確かに仰せのとおりではありますが、今回はほんのちょっぴりだけアトリエ・ブログ風なのかもしれません。
日頃、YouTubeには大変お世話になっている筆者、何も音楽動画だけではなく、自然界の森羅万象やHow to物など、
例えば各種楽器の制作(金管・木管・アコースティック)、文明の利器の再生等々、その視聴範囲は多岐に渡ります。

今回もそんな中の一つで、アジアらしい素朴な営みながらも、現代のネット時代を感じさせる味わい深い動画です。

「新設:動画ギャラリー(その1)」

「ベトナムの木彫職人、日本アニメ・キャラを彫る」


Wood Carving - One Piece : Mihawk Cutting the Ship in Half [ワンピース]


制作の合間の休憩に、時折見える田畑の光景も良い感じですね。



「ベトナムの木彫職人、日本アニメ・キャラを彫る-2.」

Wood Carving - Naruto: Sculpting ITACHI UCHIHA from a piece of Wood.


あっぱれ!まさに圧巻!

* * *

「特別付録」

「ベトナムの修理職人、錆び錆びバイクに挑む」

上の動画でご覧いただいたような素朴さが下の動画にも活かされています。
錆びだらけのおよそポンコツそのものの「(我が国が世界に誇る)カブ号」を根気よく蘇らせる動画です。
巷に五万とある良好程度の中古品を買った方がはるかに安く上がるのではないかと心配になりますが、
物をとことん徹底的に大切にするその精神に掛け値なく心打たれます。
全編40分もの長尺物です。ご興味のある方だけでもご視聴ください。

1986 Honda Super Cub C90 Full Restoration | Restored to New Condition

誠実なる根気・根気・根気、ひたすら根気・・・。
「東南アジアやベトナムの根気職人、バンザイ!」


「中古品の再生利用:MOTTAINAI(勿体ない)運動」

アフリカはケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイ女史が提唱した世界的運動で、多くの国や人々に広がっています。
あまりに古い物はスクラップにして廃棄、新製品を買うのではなく、大切に再生利用する地球環境や資源の保全運動です。
彼女が2005年に初来日した際にその言葉を知り、全運動のキャッチフレーズ・合言葉とし世界中に広めていった言葉です。
消費削減(reduce)、再利用(reuse)、再生利用(recycle)、かつ尊敬(respect)の言葉を全て併せ持っていると感激したとのこと。

貧しかったアジア諸国では、リサイクルは日常的に受け入れられ、その職業や市場も以前より広範囲に機能しています。
例えば、インドでは古過ぎる溝のないタイヤでも彫刻刀で溝を彫り再利用(実際は危険)、その後は裁断してサンダルに、
またアジア以外にもアフリカでも自動車・自転車・衣類等の日本製品を多種に換えて徹底的に使い回して暮らしています。

筆者の生まれた戦後の米軍統治下の貧しかったオキナワでも、軍払い下げの品々が生活の節々に密着していたものです。
ドラム缶は縦に真半分にして工場や村の水入れに、真鍮製の薬莢はキリやネジ回しの柄に、先端部も他の金属部品利用。
その他にも色々工夫して利用。不用品として廃棄された軍事物資はあらゆる方面で用途を変えて有効利用されていました。
日常生活のあらゆる分野でのそれらの逞しい生活力の知恵と産物は、子供ながらにも感服した気持ちを持ったものです。

「勿体ない」は貧乏臭い言葉として、ある一時期に卑下される風潮もありましたが、21世紀の今こそ再登場させましょう。

* * * * *


「ミュージック・ギャラリー(423)」

「アメリカズ・ゴット・タレント選集:日本語訳詞特集」


今回のこのコーナー、久々の「オーディション番組」の登場です。
「ジェフの翻訳チャンネル」と言う投稿者様のアップが開始されたようで、その和訳で一段と親しみやすい存在となりました。
その中からまずは3編を選び出しました。お楽しみください。

和訳】素晴らしい発想とダンス、11歳のノア | AGT 2020


「カメハメ波ーッ!」凄いですね!


アカペラで歌うことを要求された12歳のアンズリーはプレッシャーに勝てるのか!?



警察権力による人種差別が大問題になっている21世紀のアメリカ、司法の場でも同様な案件が・・・。
これは「映画ネタ」などではなくれっきとした現代社会の現実です。でも最後には感動してしまいます。

和訳】無実の罪で37年間監獄に、アーチ・ウィリアムズからのメッセージ | AGT 2020


偏見や差別に「科学の力」で打ち勝つことが出来た好例です。
でも最終的には彼の魂こそが、それらに打ち勝ったのですね。



差別国家アメリカ。誤りも無論ありますが、それを正すことも可能な国、民主国家アメリカ!
自由の無い国の低賃金産物や、その巨大な市場に目や心を奪われている場合じゃありません。
「安い」は結局は最も高くつき、その代償としてのしっぺ返しが私たちに押し寄せています。

新型コロナ感染禍の第二波の感染者増大と、その結果の医療崩壊に危惧する今日この頃です。
国機関のPCR検査も未だ増えず、総理明言の保険適用も未だ実現せず、アビガンも未だ承認せず、
拙策の「GO TO キャンペーン」で一体どこへ行けと言うのか?まさかあの世ではあるまいに。


By (不平不満シニカルの一つも言いたくなる)T講師
(-_-;)
⇗⇖

2020年7月13日月曜日

雨・雨・雨・雨続きの水害列島

月曜日・雨

恥ずかしながら、1週間遅れ(!)の投稿となってしまいました。
ご容赦
_(._.)_

未曾有の大水害に見舞われた九州北部地方の皆様や、その他の被災地の皆様にお悔みとお見舞いを申し上げます。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(422)」「雨露払いの軽快音楽特集」


さて遅ればせながら参りましょう。
この梅雨の季節、いつもなら「雨情緒」を積極的に楽しみましょう、との主旨で雨情緒特集を組んでも来ました。
でも大水害頻発の今年はそうも言ってはいられず、暗く沈みがちな気持ちを軽やかにする曲を選んでみました。

本格的な夏ももうすぐ(?)です。

(故)ワルター・ワンダレイ、「サマー・サンバ」

Walter Wanderley - ”Summer Samba (So Nice)", (1966)


ブラジルのオルガン奏者で、前世紀(!)70年代初頭を思わせる空気感が良い雰囲気を醸し出しています。
右手の旋律と左手の和音のみならず、ベース音の方もオルガン下の脚鍵盤で奏でられているようです。
ハモンドのようですが、更にもしかしたら、ドラムも内蔵の機能で再生されているのかもしれません。
( ヤマハのエレクトーンは多機能を誇りますが、門外漢なのでハモンドに同機能があるかは不明です。)

このような軽快な「ラウンジ・ミュージック」、我が国では単にBGMとして片づけられていますが、
演奏家本人の技巧や個性表現を極力抑えた音楽たち、実は周囲にある何気ない空気のような存在感で、
ともすれば性急だったり、合理的過ぎたり、神経質過ぎたりの人々の日々や時を癒してくれています。
実は「縁の下の力持ち」的な、懐深~い親父的な頼もしい存在なのです。


2曲目は、以前に当コーナーで紹介した英国が生んだ稀代のクラリネット奏者の甘く澄んだ音色世界です。

(故)アッカ―・ビルク、「ワン・モーメント・イン・タイム」

ACKER BILK - ONE MOMENT IN TIME




さて今回の最後の3曲目、
アメリカが生んだこれまた稀代のギタリスト、故・チェット・アトキンスの軽快なメドレーで和んで下さい。

ギター生演奏:(故)チェット・アトキンス、
「カントリー・ジェントルマン、ミスター・サンドマン、ワイルドウッド・フラワー、フライト・トレイン」メドレー

Chet Atkins - Medley (Country Gentleman, Mister Sandman, Wildwood Flower, Freight Train)

Train)

幼少時代の筆者にとってはどれもお馴染みのアメリカン・ポップスやフォークの名曲たちです。
暖かい雰囲気が前世紀的ですが、いつまでも残っていただきたい ほのぼのとした情感です。
在りし日の演奏者ご本人もつい口ずさんでしまうような親しみ深いメロディー、感涙物です。

蒸し暑かったり、梅雨寒だったりの不順な天候続きの日々ですが、お楽しみいただけたのなら幸いです。
「一服の清涼剤」もしくは「トランキライザー」ミニ特集、これにて御開き。

* * * * *

今年の「暴れ梅雨」、湿舌流が気圧の前線へとどんどん南の湿った空気を日本列島の上空へと供給し、
「これでもか・これでもか」と言わんばかりに、列島各地に膨大な量の雨を降らせ続けています。
この雨の供給が我が国を世界的にも稀有な「水の国」にしており、田畑の生命線でもありますが、
供給過多だと今年のように河川が氾濫し堤防が決壊、また山や崖が崩れ、橋や道路や家々を呑みこみ、
いまだかつて見たことも無いような自然の過酷な猛威の連続が、多くの命をも奪い去ってもいます。
自然に活かされつつもその自然に押し流されるのもまた、この国・国土の宿命なのかもしれません。
今年はまた「新型コロナ感染禍」も加わり、「日常や命の尊さ」を考えさせる年でもあるようです。

By (すっかりの「ウチナー・タイム」になり果てた)T講師

(-_-;)



2020年7月6日月曜日

幸せだった3密の街角芸人たち

月曜日・本日も雨

投稿日の時差、ひどいもんです。
「ご容赦」
<(_ _)>

* * *

「ミュージック・ギャラリー(421)」
「幸せだった3密フリー時代の街角芸人たち」


前回の当コーナーが暗いマイナー調で終始したので、今回はそれらの対極を感じるような動画で固めました。
「大道芸人」たちと記しても良かったのですが、筆者の個人的な考えで敢えて「街角芸人」たちとしました。
筆者の独断イメージでは「大道芸人」だと興行師のプロの印象が強すぎて、ハイアマチュアの方には似合わず、
「稼ぎ」ももちろん重要ですが、見知らぬ市井の人々とのコミュニケーションをこそ大切にしている人々も多く、
そこで、その出会いのある「街角」を「表現の場」として選び、積極的にアピールする人々の心を汲みたいと、
前説が長々となりましたが、そんな筆者の勝手な思い込みにて今回は「街角芸人」とさせていただきました。

と言う訳で、まずはこれ、
動画の投稿者はロシアの方らしいですが、何はともあれ理屈抜きに楽しんで下さい。

世界的・新コロナ感染禍の今日では考えられない街頭の人々の密集・・・、
何気ない日常の出会いや刺激や笑顔こそ「宝」で幸せそのものだったんですね。

路上の才能。 最も素晴らしいストリートアーティストとそのパフォーマンス



驚嘆のアーチストたち

Top 10 - Incríveis Artistas de Rua



 次の動画はソロのパフォーマンスですが、アーチストの四肢が八面六臂の大活躍です。
筆者の大好なブルースを天性の卓抜したリズム感で楽しませてくれます。

ジャジー・スミス、「トレイン・ライド」

Juzzie Smith - Train Ride


オーストラリア先住民の独特な吹奏楽器「リジュディドゥ(発音難しい~!)」まで駆使した超絶パフォーマンスでした。


芸達者な外国の人々にただただ圧倒されますが、少数ながらも日本人のアーチストも負けてはいません。
上の楽器「リジュディドゥ」繋がりで、YouTubeのお勧め欄で素晴らしいパフォーマンスに出会えました。


ユキ&タク(シンガポールでの演奏)

Yuki and Taku in Singapore


ユキさんのメタル・ハンド・ドラム(ハンドパン)も神秘的で良いですが、タクさんが抜群ですね。
リード楽器演奏と同時に奏でる右脚での後乗りビートの4拍子が最高です(後半はユキさんです)。
聴衆に対し時折見せるユキさんの笑顔が素敵で、彼女の豊かな人間性が出ているような気がします。
このパフォーマー二人、どう知り合ったのか不明ですが何か運命的なようで、良き旅人だと感じます。
ヒッピー風ドレッドヘアーの外観が強烈ですが、目を閉じて聴くとトランス状態に引き込まれます。
安全な良き旅に恵まれることをお祈りいたします(ひょっとして、もう帰国しているかもですね)。

* * *

YouTubeにいつも大変お世話になっている筆者、そのライブラリーの中の「Street Musician」の数が膨大に・・・。
今回を機に数えてみたら、何とその数 実に288本にも上っていました。
卓抜した演奏技術もさることながら、既成の分野には無い個性的な試みや、常識では考えられないのパフォーマンスも多数で、
中でもプロを目指している風でもないにもかかわらずの、その鍛錬を持続発展させている情熱にはただただ脱帽するばかりです。
人々の無関心・無感動や冷徹な一瞥の中、それらに負けじのその情熱と努力と才能には、いつも大いなる感動をもらっています。
そんな中、国籍も名前も知らない者同士が感性を交感し合い、その証しとしての笑顔が見られることは筆者の喜びでもあります。
海外に出かける喜びは、何も歴史的な名所旧跡ばかりではなく、そんな人々との出会いの瞬間もまた捨て難い魅力や醍醐味です。

昨今の新コロナ感染禍でステイホームの人々の時間が増え、そんな動画の数々と出会い、旅に出かける気になると良いですね。
筆者もまたここ10年程、海外には出かけてはいませんが、また旅に出て街角で燃える芸人たちと出会いたくなってきました。
「いつの日か・・・」
(*^^)v

By (海外どころか国内や故郷にすら自由に出かけれられない現状の)T講師
( ;∀;)

2020年7月3日金曜日

コロナ禍・梅雨の別離月

7月突入!
金曜日、曇り 夜 雨
コロナ感染禍一色で早半年!
暦の上では「夏」、でも巷は典型的な「梅雨空」で、雨や曇天続きの日々・・・。



今週は珍しくも筆者「心身共に不調」です。
今回は色々とあり、ただでさえ湿りがちな筆がいっそう重たく、未だそのままに・・・。
普段は年間を通してほとんど元気な筆者、今回の時節・時点だけは例外的に気持ち暗く、
集約される3点を 頑張って記すことに・・・。



まずはこれ、
新しい月を迎え、久々に戻って来た学童もあり、それはそれで嬉しいのですが、また逆にその姿を消す学童も多数・・・。
特に豊かな美術的才能を有していたベトナム3人娘たちの退所は、成長を楽しみにしていた筆者にとって落胆ものでした。
この半年を席巻したコロナ感染禍により、保護者らの職場環境が著しく激変し、その影響下での学童らの生活形態も変わり、
残念にも学童クラブを去ってゆく子も多く、筆者主宰の「学童クラブ・バンド」も大きな衝撃と打撃を受けてしまいました。
サマー・コンサートは中止するも、状況次第ながらも目論んでいたXマス・コンサートも主力メンバーが抜けて白紙に戻りました。
仕方がないとは言え、「残念無念」です。「ガクッ!( ;∀;)」
去っていった学童らの増々の笑顔を祈るばかりです。
(*^^)v



筆者の精神的衝撃は更に続きました。
学童クラブのYu君(小3)の闘病中の姉Hiちゃん(小5)が、亡くなってしまいました。
時折退院を許され登下校の際に幾度か遭遇するも、痛々しいその姿にただ手を振るしか成す術がありませんでした。
弟のYu君はバスや交通関係に物凄く博学で、筆者の大好きなTV番組「博士ちゃん」に推薦したくなるような男子で、
自粛期間休み中も元気にヘルメット姿で自転車に乗っていて、いつか姉も同行する日があると良いなと想像しつつも、
この度の訃報となってしまいました。ご両親やご家族・ご縁の関係者の皆様のご心痛、傍らで察するに余りあります。
心よりご冥福をお祈りいたします。



次の事象は直接的には身近でこそありませんが、でも極めて身近なしかも深刻で重大問題でもあります。
それは、香港とそこに暮らす人々の「自由」と「自治」がいとも容易く葬り去られた、と言うことです。
6月30日に「国家安全維持法」が施行され、早速にも多くの逮捕者が出てしまっています。
義憤を感じて集まった市民370人が逮捕され、10人が「新法」を適用され逮捕されました。
これほどの人類単位の歴史の逆行・退行は近年ではごく稀有な事で、将来が危惧されます。

故郷の島々にて領海侵犯を繰り返し、チャイ○マネーにて土地と人心を侵食し続ける状況下に於いて、
隣の民主国家・台湾と共に近未来におけるこの国からの精神的・物理的恫喝は正に危険そのものです。
願わくば、
故郷の人々が積年に渡る反日・反米扇情から解放され、この大陸国の真の姿に目覚められることを。
「ヤ○ザ国家」に自らの将来の命運を託してはいけません。繁栄より甘んじて清貧に肯きましょう。


最後になりますが、冒頭で「心身共に不調」と記しましたが、実は超久々のギックリ腰を患いました。
せっかち心が災いし、大きな切り株・根っこを最大の力で引っ張りあげた直後に発症してしまいました。
今もその際の激痛の半分程度が時折フラッシュ・バック、自らの老体と自覚なき自惚れとを悟りました。
(´;ω;`)

以上、通常ならば「筆者後記」として記すことでしたが、敢えてイントロとさせていただきました。
「ご容赦」
_(._.)_


* * *

「ミュージック・ギャラリー(420)」
「陰鬱な曇天にのしかかる悲しみ」


さてこのコーナー、口直しの軽快音楽をと行きたいところですが、今回は例外的に短調世界に浸ってみました。

筆者の大好きなバッハ音楽の中でも特に好きな曲です。
失望・無力さに浸るには正にピッタリかもしれません。

J.S.バッハ: オーボエ協奏曲 ト短調 BWV 1056:第2楽章

J. S. Bach: ARIA (Oboe Concerto)



G線上のアリア - 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 (バッハ)


* * *

立ち込め始めた暗雲に・・・。さめざめとすすり泣くスライド・ギター、名演奏です。

Ry Cooder、"Dark Was The Night,( Cold Was The Ground )" 1985

Original by Blind Willie Johnson ( 1927 )

* * *

この曲も今のシチュエーションにはピッタリです。

エリック・クラプトン、「ティアーズ・イン・ヘヴン」

Tears In Heaven【訳詞付】- Eric Clapton


稀代のギタリストとして名を馳せたクラプトン。筆者も高1時にクリームの頃の演奏と衝撃的に出会いました。
その多くの楽曲のコピーに精進しましたが、正に英国ホワイト・ブルースの頂点・究極と言って良いでしょう。
クリーム解散後は米国南部のスワンプにはまりレイドバック演奏に変貌し、ギター小僧らには失望されました。
名声とは裏腹に精神的には弱かったクラプトン、その谷を抜けボーカリストとして世界的大成功を収めました。
筆者も2度 来日公演を経験しましたが、商業的理由が目的の武道館とか東京ドームには似合いませんでした。
そんな紆余曲折を経た後の彼が、自らの息子(当時4歳)を転落事故で失った直後に紡いだ美しい楽曲です。

* * *

最後になりますが、上述の故(!)Hitちゃんのお通夜で流されていた曲です。
3密を避けるために生唄ではありませんでしたが、彼女のクラスメートらの合唱が流されていました。
教え子の早逝に受付担当のK先生(当学童クラブのピアノ教師で筆者らの燐家)、真っ赤な涙顔でした。

「365日の紙飛行機 」- AKB48(フル・バージョン・カバー)


  言葉も有りません。
「明日、がんばろう」

By T講師