アトリエ・マイルストンブログ

2021年5月30日日曜日

お口直しは、大瀧詠一の名曲で

大好きな5月とも お別れ・・・

(編集がやっと終わりました。(´▽`) ホッ)


個人的な義憤の感情が契機となり、サボりにサボり続けていたブログが復活を果たすことができました。

でも2度に渡った個人的不満を更に続けるつもりは毛頭なく、今回はその口(耳)直しを試みてみました。

で今回、

筆者が選んだのは、当ブログでは初登場のJポップの草分けとも言える故・大瀧詠一氏の楽曲でした。

告白すれば・・・

実は筆者、70年代初頭の当時に台頭してきた「ニュー・ミュージック」と言うジャンルが嫌いでした。

60年代中頃から、若者を中心に市民権を得始めた自主的音楽のフォークやロックの息吹の洗礼を受け、

中学時代にその影響下でバンド活動を始め、やがて英米ロックに目覚めた者として嬉しくもありつつ、

ファン層増大に連れ商業的成功と共に自主性の手作り感が薄れ始めた潮流には反発を覚えたものです。

マスコミがカテゴライズしたその新しい音楽群は都会的なお洒落感に富み、筆者個人の生活には程遠く、

オキナワ発のロック・バンドらが在京音楽界の数々の妨害を受け衰退していった経緯もみてきただけに、

その商業的手法や潮流にはマーケティングやスタジオの匂いが色濃く感じられ、身丈以上の理想像に、

社会や既成概念への反骨こそ若者の特権と考えていた当時の筆者には、既成の芸能界へのすり寄りに映り、

じくじたる想いを抱えた(根性曲がりの根暗な)様々な偏見に断罪された地方出身の貧乏な若者と化し、

その明るく お洒落な都会的センスには反発しかなく、そんな仕掛けには乗ってやらないぞとばかりに、

それらの対極の泥臭さの充満した米国の黒人ブルースやハードバップ・ジャズ等にハマったものです。


前置き、随分と長くなりました (-_-;)。


そんな訳で、下に登場の楽曲の傾向も当時の筆者には受け入れがたく、ジャケット・イラストと共に、

素直に受け取って聴く状況にはありませんでした。今振り返ると随分と偏狭で恥ずかしい限りです。

しかし時が経ち、筆者の鋭角な角も取れ、素直な気持ちでいつしか受け入れられるようになりました。

そんなこの曲、

当時の時代の空気感が凝縮されていて、再生メディアもCDやMP3等のデジタルではなく、あくまでもアナログ音源で聴きたいもの。

しかもレコードの場合はハイファイ・ステレオでなくとも全然OKで、電蓄(今では死語、卓上プレーヤー)でシングル盤の雰囲気です。

BEST 10 等の最適な代表曲集もYouTube上にありますが、そのいずれもがブロックを施されていて、残念ながらコピペ不可でした。


そんな訳で、今回はブロック無しのオフィシャルでこの代表曲を・・・


「ミュージック・ギャラリー(その434」


 大滝詠一「君は天然色」Music Video (40th Anniversary Version)



「Tシャツに口紅」


後日、動画を追加しました。
コロナ蔓延の故郷沖縄の海の色がやけに眩しいですね。早く帰郷が果たせるように・・・

「ペパーミント・ブルー」



生意気な「上から目線」を承知で敢えて記すならば、当時の筆者の好きな在京バンドに「はっぴいえんど」がいました。
彼らの存在は東京ならではの特殊性があり、恵まれた音楽情報環境や豊かな経済性に裏打ちされた音楽性がありました。
彼らの短期間活動におけるレコードやライブの演奏やアレンジには、今聞いても素晴らしい感性や技術の発見があります。
でも前述したとおり、彼らもまた時代の潮流と並行して解散。
大瀧詠一氏が都会的ポップ感に溢れる数々の楽曲でCM界に重宝され、ドラムの松本隆氏は売れっ子作詞家に転身・・・。
ご存じ「ニューミュージック」界、ひいては我が国音楽界の頂点へと登りつめていきました。


後年、油の乗り切った映画界の重鎮が朗々と歌い上げた名曲です。
大瀧ワールドとのコラボには二重(意外性と完成度)の驚きでした。
動画後半には、大瀧詠一氏本人歌唱のバージョンも入っています。

「熱き心に」作詞:阿久 悠、作曲:大瀧詠一、歌唱:小林 旭

さらばシベリア鉄道 、恋するカレン、 幸せな結末
カナリア諸島にて 、雨のウエンズデイ 、夢で逢えたら 、 等々・・・

同世代シンガーの竹内まりや等と共通する米国50年代風ポップ感が秀逸です。
今聞いても色褪せることのない青春ソングの数々、YouTube上にてご堪能ください。
もちろん、彼の所属していた「はっぴいえんど」の名曲群も併せてご堪能ください。
60年代米国風のアーシーな秀逸エレクトリック&アコギ・サウンドが充満しています。
都会育ちな多少「お野菜」感も拭えませんが、その当時の音楽界を陵駕していました。
また、その独特な日本語による歌詞の世界も素晴らしく、日本語ロックの金字塔です。
鈴木茂、細野晴臣のミュージシャンシップもまた格別で、我が国を代表する音楽家です。

* * *


「筆者後記」


可愛らしいツバメ君たちが我が町にも還ってきました。

俊敏に滑空するその可憐な姿を見ているとつい嬉しくなり、運転に支障をきたすことになりそうです。

その小さな身体で何千キロもの大海原を渡り、我が町で巣作りに精を出す姿には大きな感動を覚えます。

復活を果たした当ブログ、長いブランクとコロナ禍の不要不急の自粛がたたり、訪問者も二ケタに満たず、

今ではしっかり忘れ去られた存在となってしまったようです (-_-;)。

その以前から、授業風景も結果としての作品も投稿不可だったので右肩下がりの傾向は仕方ありません。

YouTube上の音楽をお借りして、何とかかろうじてのページ作りをして、お茶濁しをしている訳ですから、

贅沢は言えるわけもありません。


訪問して下さった方々には、心より感謝したします _(._.)_。

またの投稿も頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。


By T講師(講師の肩書はもう不要?)


2021年5月16日日曜日

コロナ禍 沖縄、祖国復帰49周年

「 コロナ禍の沖縄、祝・祖国復帰49周年」


1972年5月、筆者の生まれ育った故郷が、めでたくも日本本土への祖国復帰を果たしました。

1945年4月の米軍(連合軍)上陸以来の長き軍政下の故郷に、国家の帰属が明確になりました。

以下に筆者高校時代の遠き昔のエピソードを少々。

パスポートを申請し、筆者は修学旅行に参加しました。発行者は" Ryukyu Government "とありました。

旅の最初に土を踏んだ鹿児島港ではそのパスポートに「日本国への入国を証する」とのスタンプが押され、

その長い修学旅行の20日後、帰路では逆に「日本国からの出国を証する」とのスタンプが押されたものです。

「俺は何処に育ち、何処に帰るのだろう?」高校生にして早くもアイデンティティーの損失を自覚しました。

その翌々年の5月、我が故郷が念願の祖国復帰を果たし、晴れて日本国籍となり査証無しの往来も可能となり、

米国式の右側通行が逆となり、貨幣もドルから円へと切り替わり、47番目の「県」へと生まれ変わりました。


あれから49年・・・。


以前にも当ブログ内「T講師コーナー」でも記しましたが、日本国憲法下での発展を遂げ、今日に至りました。

依然、故郷には広大な米軍基地が存在し、そこを起因に発生する様々な問題も決して消え去ってはいませんが、

その間、観光立県として確固たる地位を築き、驚異的数字のリピーターらの複数回来沖もあり、人気絶頂でした。

それは国内のみならず、近隣アジア諸国からの訪問も増え続け、一昨年迄のような活況を呈することが出来ました。

但し、それは一昨年・2019年までのこと・・・。

そんな故郷もまた国難とも言える「新型コロナ感染禍」の渦中にあり、観光立県を支える屋台骨も傾きつつあります。



そんな故郷沖縄の今年2021年、県内に目を向けると・・・、そこには不幸な状況に陥った人々が暮らしています。

何も基地があるからと言う訳ではなく、背負わされているとの積年の「刷りこみ」により、被害者意識が埋め込まれ、

本土復帰後、半世紀ほども経つにもかかわらず、未だ米軍基地の重圧で自らを不幸だと感じてしまっているのです。

地元の二大紙は相も変わらずの「反日・反米、親中・媚中」路線を堅持・拡散し、県民への世論操作を行っています。

大陸との関係も前知事時代譲りでその密度を年々増し、地方省との交流などを装って互いの行き来が増大してきました。

かくて二大左翼プロパガンダ紙に純粋培養された県民は、いつしか非論理的・近視眼的衆愚の民と化してしまいました。

この地元二大紙は、前知事時代より県政と表裏一体の蜜月を築き上げ、県政の多数の不祥事には目をつぶってきました。

この二大紙を世論操作の応援団とし、県知事・県政はわが物顔で大手を振って「オール沖縄」などと詐称するのです。

2021年の今日の沖縄・・・。

「高齢者層の多い故郷」の医療・病床はひっ迫の度合いを急激に増し、本日より「緊急事態宣言」の指定を受けました。

それ以前の「蔓延防止重点措置」の際にすら経済団体の反対を忖度し、酒類提供の自粛を要請しなかったとのことです。

これでは医療がひっ迫するのは当然で、酒類を供する場での感染リスク等、今更エビデンス云々を言わずとも明白です。

普段は目に余る反政府的施策に終始し、困った時だけ中央政府に泣きつく姿勢は、県外の筆者からは見苦しく映ります。

「是々非々」とでも開き直っているのか、困った時だけ政府に泣きついて、普段は反日反米の罵詈雑言の洪水を重ね、

国連にまで押しかけ、「差別」「人権無視」「非民主主義」だののたまわっている姿は、被害妄想の最たる極致です。

これではツートラック方式とか言って「反日」と「用日」を使い分けて恥じない近隣の集団ヒステリー国家と同類です。


「オール沖縄と称する政治団体・行政」及びその「支持者の県民の皆様」には非難されるとは想像しますが、

戦場の残り香の漂う米軍施政下の、そして進行形のベトナム戦争に島ぐるみで組み込まれていたオキナワ、

基本的人権の適用も受けられなかったオキナワに生まれ育ち、米軍人による数々の犯罪・事件も見聞きし、

パスポート片手に本土に渡り、そこで暮らすこと49年目を迎えた県外者の筆者が想いを馳せる今日の沖縄、

ダブル・スタンダードであったかもしれない「民主主義」と「人権」は、一体どこの誰からいただいたのか、

それは自らの手で勝ち得たのではなく、曲がりなりにも米国と祖国日本から与えられた「宝物」ではないのかと、

筆者は全ての県民に問いつつ、筆者自身はそう確信している今年・本土復帰49年目の「祖国復帰記念」の日です。


そして最後に、語弊・反発があるのを承知で敢えて記しますが・・・(但し確信犯です)。


今回のコロナ禍で、かの大陸に大きな依存をすれば危険だと言うことが多くの県民に知れ渡ったことだと思います。

今では遅すぎるかもしれませんが、「チャイ○マネーやハニー」に魂を売って虫食いだらけになった島々の隅々に、

今一度、たおやかな風が万人に吹き渡り、ニライカナイの彼方からやってきた「宝物」の重みと輝きに想いを馳せ、

過去から未来へと繫ぐ夕凪はその「宝物」を大切にして生きていくことこそ、唯一無二の道だと気づくことです。

目先のその真逆の「汚れた誘惑」に惑わされることなく、祖先たちから引き継いだ「伝統の情け」を繫ぎましょう。

今ならまだ間に合うのかもしれません。

そう強く願う49年目の5月です・・・。

めでたき5月15日。


T講師こと 当真 英樹


* * *


「ミュージック・ギャラリー(その433)」


今回のブログの内容に鑑み、典型的なステレオタイプ的 選曲を敢えて・・・。


『芭蕉布 ( Bashoufu )』 ☆ 夏川りみ "Rimi Natsukawa"


美しい旋律・歌詞・歌唱・伴奏・・・、こちらもまた宝です。


* * *


「筆者 後記」


高校時代の故郷の友人(恩人)から大量の果物が届きました。

5本のピーチ・パイナップルに20個余のパッション・フルーツ等々・・・・。

それに後日便で大量のオキナワならではのブルーシール・アイスクリームが・・・。

ありがたき贈り物に感謝です。


(例によって編集途中ながら)By T講師