アトリエ・マイルストンブログ

2019年5月27日月曜日

さらば春、快晴・快風の日々

月曜日・晴れ・暑し
アトリエは お休み日

ベスト・シーズン「さつき晴れ」の何気ない日常の光景を過去撮影分にてお届けします。
令和の新鮮写真ではないので「意味な~い!」かもですが、御覧いただければ幸いです。

画像・再登場の

「出張デイリー・ギャラリー」


「大山・丹沢山系 三題」

「つつじ」神奈川県立七沢森林公園脇よりの眺望

「雲一つない日本晴れと新緑」アトリエ近所、上古沢地区内よりの眺望

「丹沢に沸き立つ雲」七沢地区よりの眺望(左端が大山、白い建物は七沢病院)

我が町・森の里・二題

厚木西高校前のイチョウ並木

森の里センター、遊歩道脇

アトリエ近所・二題

つつじの丘公園(旧・上古沢緑地)
つつじの丘公園(旧・上古沢緑地)

今年は例年にも増して(昨年同様の)気温の高い日々続きでした。
いつも定点観測・撮影をするアトリエ近所のポピー植栽地、今年は未だポチポチです。
週末より、関東地方もいよいよの梅雨入りが予想されています。
筆者も大好きな「春」五月晴れ・新緑涼風とも しばしのお別れ。
季節は移ろい早六月(半年!)、梅雨の季節へと突入。
僅かに残された「涼風・快風」を存分に満喫しましょう。

* * *

新コーナー
出張名作美術館・総集編「 ミニ・ギャラリー(その1):春景色 」


以前、当ブログにてレギュラーだったコーナーを過去より引っ張り出して、それらの別アレンジの総集編やミニ版をお届けします。
少しは薄れていた美術教室のブログらしい装いを取り戻せそうです。

その記念すべき第一回目はオープンに相応しく「春」らしい(筆者の独断見立て)絵画を選び出しました。
これまでのような画家個人別の特集ではなく、そのテーマに沿って過去のアップ映像より選びました。
よろしければ、名画の中の美しい「春景色」ご鑑賞下さい。新コーナーでは詳細データ等は未掲載とします。
制作意図や年代等の知識探訪はさておき、ひたすら画面(視覚情報)のみからの情緒を味わいましょう。

グスタフ・クリムト 二題



象徴主義絵画のエロティックな画面で名を馳せたウィ―ン派の巨匠の別の一面です。
正方形画面に構図法に力点を入れ、点描にて自然の造形を軽やかに表現しています。



クロード・モネ 二題



点描のご本家・印象派の巨匠の描いた風景の中の幸せそうな人物たち。
彼の目を代弁したその点描、透明な光だけではなく、風の爽やかさや香りをも感じられます。
にもかかわらず、
同時に一抹の悲しさをも感じるのは、後のモネ夫婦の悲劇を知っているからでしょうか?


ピエール・ボナールの或る1日
(筆者注:画題ではありません。)

 

木漏れ日をバックに、フランスパンとチーズとワインとその他諸々・・・。
↑筆者の好物のささやかなる思い入れが、テーブル上をそう見せています。
しっかりと描かれていないからこそ、見る者の想像力を大いに刺激します。
筆者が特に好きな部分は、テーブルクロス裏に微かに感じる光の拡散です。

当ブログでも度々言及の筆者憧れの「庭食事」風景。
やはり今年のGWでも復活せずじまいでしたが、大量の枝剪定と芝刈りだけは行えました。
鬼が早々と高笑う来年こそは・・・。
(;^ω^)



近代西洋絵画の黎明期・根幹を成す3者の画家の作品を「春景色」として取り上げました。
その巨匠三者に共通するのは以外にも我が国「日本」。
浮世絵や精緻な明治工芸等、19世紀のヨーロッパ美術に多大な影響を与えた我が国の美術、
教条的な宗教画や歴史画の茶褐色に慣れた目に、日本美術は正に「目から鱗」だったとの事。
その伝統の一部は失われず、今や「マンガ」や「アニメ」となって世界を熱狂させています。
その本家本元の伝統的日本画(宗達や光琳など)も、再び息を吹き返すことを願っています。

* * *

「出張ミュージック・ギャラリー(その278):青春歌」


「新旧同曲・三題」

今回の当コーナーは春先より特集していた「春」の歌の最終回と言うことで、「青春歌」にしました。
今ではもう遥か遠く昔(!)のこと、筆者若かりし頃の青春時代に流行った名曲を再び取り上げました。
半世紀も前の多感だった中学生の頃、彼らの存在に反発しながらも結局は魅入られてしまいました。
当時、世は正に英国発のビートルズ時代で、ティーン・エイジャーの女子たちを虜にしていました。
王座のビートルズを筆頭にライバルのローリング・ストーンズらに対抗すべく米国が仕掛けました。
何万人ものオーディションを勝ち抜いて選抜された業界企画製造のアイドルグループが彼らでした。
友人間にもビートルズ派・ストーンズ派(筆者)・モンキーズ派があり、彼らは圧倒的に女子に人気、
前者英国組とは違うポップ・サウンドに反発を感じつつ、内心では大好きと言う複雑な心境でした。
と言う訳で、筆者にとっては思い入れ強く、思い出深い曲です。

その名曲、古今東西の圧倒的数量の数多のヒット曲群を乗り越えて、様々な人たちに歌い継がれました。
まずはそのオリジナルから聴いて下さい。以前に紹介の秀逸動画が削除されたので、別バージョンです。

「デイドリーム・ビリーバー」オリジナル、ザ・モンキーズ(1967年)
The Monkees (Oliginal), " Daydream Believer "

冒頭部のデイビー・ジョーンズの嘆きセリフが一部ないのが不満ですが、訳詞つきで選ばせていただきました。
加えて動画の静止写真にも、中心人物ボーカルの故・デイビー・ジョーンズの可愛い姿がないのも残念ですが。
他にも彼らのTV番組のタイトル文字にもなったギターの形をしたレタリング版もありましたが、詞なしにて断念。
筆者中学時代、そのデザイン文字やビートルズのドラムに描かれていた文字を何百回もノート等に描いていました。
言わずもがな、そのおかげもその一つで、親不孝者の筆者の成績は急降下・右肩下がりに終始してしまいました。
でもそのおかげもあって、クラスや学年を超えた多くの女の子たちから沢山のリクエストを貰い、喜ばれました。
「あいつは絵や文字が上手い」と言う噂が新たな噂を呼び、空手部の部員募集ポスターまで描かされ、つい入部も。
はたまたそのおかげもあって、学校代表としてアメリカン・スクールとの交流会にも参加することが出来ました。
今となってはその当時のオキナワでしか味わえない色々な思いや経験をして、とても楽しい思い出となりました。
アウトロでフェイドアウトへと向かう際にバックで聞こえて出でて来るオーボエ?クラリネット?の音色と旋律が、
半世紀を経た今も老体筆者の胸を未だにキュンキュンと高鳴らせてくれます。

四名のモンキーズ・メンバーの内、二人(デイビー・ジョーンズとピーター・トーク)が逝去してしまいました。
冥福をお祈りいたします。


筆者の脱線思い出話はさておき、
モンキーズのヒットより22年後、日本語の詞を引っげて「デイドリーム」が登場。新たな息吹が生まれました。
当コーナー初登場です。

「デイドリーム・ビリーバー」(モンキーズのカバー)、故・忌野清志郎、ザ・タイマーズ名義(1989年)
The Timers (  Cover version,with Japanese Lyric )

ご存じセブン・イレブンのCMですっかりお馴染みとなった故・忌野清志郎氏によるカバー・バージョンです。
ここ久しく聞かない言葉ですが(死語状態?)、彼独特のペーソス(哀愁)感あふれる歌声が胸に沁みわたります。
日本語意訳詞も素晴らしく、英語詞の”And I~"を「そんで」と口語にアレンジしている部分も冴えています。
バック演奏で、オブリガート風に流れる副旋律のアコーディオン(?)やマンドリンも泣かせてくれて妙味です。
また聞きづらいながら、間奏の清志郎氏のスキャット(シャウト?)も失恋の痛みを表していて胸に迫ります。
「僕の好きな先生」「パパの歌」等、筆者とは同年齢ミュージシャンの心情世界や活躍が頼もしかったです。
若すぎる早逝、重ね重ねも残念で、その冥福をお祈りいたします。


そして一昨年、アニメ映画の主題曲となって、オリジナルとはまた別の魅力を伴って再誕生を果たしました。
秀逸アレンジの演奏に乗せて歌う高畑充希の圧倒的表現力が素晴らしく、間奏時のスキャットも鳥肌ものです。
そんな稀有なシンガーに地球の裏側にて出会い歌われ継がれ、「デイドリーム」と言う曲も幸せだと思います。
30年前、忌野清志郎氏が日本語で取り上げなかったら存在しなかった名曲です。
ここ近年の筆者の最もお気に入りのJポップ・ナンバー、当コーナー再登場です。

「デイドリーム・ビリーバー」(タイマーズ歌詞のカバー)、高畑充希(2017年)
Mitsuki Takahata ( Cover version on The Timers Lyrics )

「オリジナル(原曲)を超えるカバーなし」と巷ではよく言われることですが、この曲はその例外だと思います。
とは言え過去にも初期のビートルズやR・ストーンズ等が、原曲とは別の魅力で次元を引き上げたりしています。
確かにオリジナルにはオリジナルならではの魅力も頑としてありますが、他の手や尊敬や感性が加わることで、
更にいっそうの魅力を解き放つ時も稀にあり、このカバーはその成功例の典型ではないかと筆者は思っています。
原曲作者、原曲歌手、触発されリスペクトしたカバー歌手、その歌が更に新たな歌い手を触発してゆきます。
余談ながらアニメの中の夜景各シーンが魅力的です。まだアニメの方は見ていませんが、近日中に購入予定。

中学時代のオリジナルに始まり、上のカバー2曲にも出会えたことは、筆者にとってはとても大きな喜びです。
今回の3曲以外にもアン・マレー版や、前回沖縄ソングの石嶺聡子版なども秀逸です。機会あればご聴取を。

「デイドリーム」," Daydream Believer "
この歌もまた古今東西・時代・国境を越えて、広く末永く人々に愛され続けていくことでしょう。
(*^-^*)

* * *


アトリエ周辺では恒例の「田植え」が始まりました。
春と夏を分かつ「梅雨入り」ももうすぐです。
「水の国」の我が国にとってはまた大切な恵みの季節ですが、同時についつい邪険に思いがちな季節でもあります。
そのうっとおしい雨や曇天がちな日には、アジサイたちの清楚な色合いと、沖縄サンシンの音色が良く似合います。
(筆者自身にも毎年 言い聞かせているのですが)梅雨時の情緒を能動的に楽しみ、幽玄な雰囲気を観賞しましょう。



お茶濁しの新コーナーがまたまた増えましたが、お楽しみいただけたのなら幸いです。

By T講師



P.S.「追伸」
ここ最近、以前にもまして当ブログへの訪問回数がぐんと増えました(特に米国からが多数です)。
世界各地のビュワー様たちが特に訪れているのが「京都橘高校吹奏楽部」を取り上げたページです。
どのような経路を辿って当ブログへと訪問されるのかは不明ですが、何はともあれ 嬉しい現象です。
沢山の元気を頂戴した筆者としても、彼女たちの今後の活躍も大いに楽しみでもあり期待しています。
あらためて「感謝」

(#^.^#)
_(._.)_



2019年5月20日月曜日

春の沖縄ソング特集

月曜日・薄曇り
アトリエ、お休み日

* * *

昨今のアトリエ・ブログ唯一の投稿コーナーをお届けします。

まずは久々の言い訳から・・・。
当ブログ、グーグル提供のソフトを使用、そのソフト内蔵のP.C.2台が壊れて早1年4ヶ月が経ってしまいました。
画像アップロード用アプリのサービスが既に終了しており、再インストールも出来ずの八方塞がりの状態のままです。

新しい画像を投稿するには新P.C.を購入し、新たなソフトにて新たなホームページを一から立ち上げるしか術はなく、
そうなってしまえば、今ご覧になっているこれまでの現行ホームページは外部リンクのタグで繫げるしか方法はなく、
そうなってしまえば(2度目です)、外部リンクの当ページに訪れる方々が大幅に減り、筆者としては淋しい限りです。
たかがワン・クリック、されどワン・クリックで、その訪問数には大きな隔たりがあり、まるで開店休業中状態となり、
ブログ開設以来8年間の数々の力作や快作・傑作等の作品やその製作風景が、ただひたすら宇宙空間の狭間に漂うようで、
またこの間アトリエを利用し楽しまれた皆様とその作品と同様の親しみ・思い入れも筆者個人としては強く持っており、
女々しい(封建的死語失礼)ようですが、そう簡単には新ブログへと移行する勇気と決断力を未だ持ち合わせていません。

従って昨今の新たな画像(完成作品やその製作風景等)のアップを待っていられる方々には大変申し訳ありませんが、
現状のままの「お茶濁し」コーナーにて、当アトリエ・ブログの形態をしばらくの間 存続させてゆくつもりでいます。
何故なら皆様の過去の力作群や、筆者の当コーナーや名作美術館等のお蔭で、海外を含め今も多数の訪問者があります。
今後とも皆様の温かい目と寛容さとで見守っていただき、時々は訪れて音楽(のみですが)を楽しんでいって下さい。

アトリエ・ブログに名を借りた実質・筆者独断のT講師コーナー。どうぞ よろしくお願いいたします。

* * *

「祝・沖縄祖国復帰47周年」


今から47年前の1972年5月15日、
戦後27年間に渡る米軍施政下の故郷オキナワが、晴れて日本国沖縄県(!)となった日です。

今では「癒しの島」として多大な人気を集め、昨年度は故郷を訪れた観光客が実に999万9千人にも及んだとの事。
様々な問題を抱えつつも、本土復帰後の経済的発展は著しく、そして伝統文化を大切にする気風も失ってはいず、
高齢化が進行する我が国の都道府県に在っては、出生率を含め若い力が漲る現状は何はともあれ嬉しいものです。

とは言え、故郷は貧困家庭が全国一多い事もまた事実。色々な要因あるも、楽天的・情熱的ラテン気質の県民性ゆえ、
安易な結婚・出産、そして離婚。親子関係の絆濃い社会ゆえ、自立軽視の2~3世帯同居に甘えて収入確保を急がず、
従って県民若年層の所得は伸びず、片親家庭の学校給食費の未納も増え、負の悪循環が繰り返されるのも実情です。

また普天間基地移設の辺野古沖埋め立て問題も大きく注目され、反対の民意(有権者の38%)が示されてはいるものの、
筆者の私見を言わせて貰えば、
反対意見の辺野古沖の埋め立て以外に、同時進行する他の那覇軍港の浦添沖移設や那覇空港拡張埋め立てには反対せず、
環境保護のためと言うその論理的整合性には大きな矛盾があり、那覇軍港移転は大陸からの大型フェリー接岸の便宜で、
その浦添移設の埋め立て面積は辺野古より大きなもので、正に矛盾だらけのダブルスタンダードと言わざるを得ません。
またラムサール条約で、その環境保全が強く勧告されている渡り鳥生息地の泡瀬干潟の埋め立ても問題視すら無視です。
公正中立に程遠い地元新聞2紙による長年に渡る扇情も、県民の正しい認識を妨げ、結果的に不幸を生み出しています。

故郷沖縄が本土へ復帰して47年、国際情勢は当時のベトナム戦争時とは変化し、故郷の周囲もまた大きく変化しています。
願わくば、故郷の人々が目先の利益や誘惑に溺れることなく、過去に於いて多大な犠牲を払っていただいた民主主義の下、
自由と精神の充足と安寧の日々を謳歌し、子々孫々に渡って送れることを切に希望する、祖国復帰48年目の5月15日です。

* * * * *


と言う訳で、今回も恒例となっているお茶濁しのコーナー(もはやメイン)を久々にアップしました。
アトリエ・ブログながら昨今の唯一の当コーナー、前回に続き、故郷沖縄出身の歌手を複数特集します。
取り上げた楽曲も多いことから、はじめは筆者のT講師コーナー上にてと思ったのですが、居直りました。
アトリエ・ブログながら、当コーナーをアップした直後に訪問者数が伸びる事実も背景にはありました。
沖縄ソング、新旧織り交ぜて多数曲 取り上げました。ご訪問ついで、宜しければご覧になってください。

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「出張ミュージック・ギャラリー(その361)」


「祖国復帰記念:春の沖縄ソング特集」


まずは現役・新鮮組を・・・
昨年 地元の大学(県立芸大)を卒業したばかりのフレッシュ女性デュオで、良い意味でのアマチュアリズが魅力です。
幼少から沖縄民謡に親しみ、中高校では吹奏楽部に所属の音楽好きで、芸大では沖縄の古典芸能を学んだ二人です。
グループ名の「いーどぅし」とは沖縄方言で「良いお友達」と言う意味で、彼女らにピッタリな名前かもしれません。
メンバーは「なみなみ」桃原(とうばる)菜美花さん(ギター)と、「かーなー」羽地(はねじ)奏絵さん(三線)のお二人です。
彼女たち自らの自己紹介ソング。何はともあれ、その純な素朴さ初々しさ聴いて下さい。

いーどぅし、「いーどぅしサーサー」詞曲:かーなー
I-Dushi, " I-Dushi sar sar "

詞も曲も歌も、二人の表情も演奏も、そして動画も微笑ましい限りです。
老婆心ながら、歌の冒頭挨拶「ハイサイ」とありましたが、女性の場合 正式な伝統口語では「ハイタイ」と挨拶します。
曲終了後の撮影シーン内6'50"の男性講師の弁、沖縄男性はソーキブニ(骨)が1本足りないから軟弱って言っていますが、
その部位は肋骨のことで、原典は旧約聖書のアダムとイブの誕生物語をもじって、そのように云い伝えられています。
筆者も幼少ナチブー・ワラバー(泣き虫童子)だった頃、叔母たちから言われていましたし、確かにその通りだと思います。
お節介ご免。
<(_ _)>
今後の地道ながらも全国的な活動・活躍に期待大です。


続いての曲も作者のかーなーさんが高3の時に作ったとのことで、本土へと渡る友人に贈った歌です。
詞の中の「ちばりよー」とは頑張ってねの意味で、故郷では広く使われている応援・激励の言葉です。
こちらもまた前曲同様に、彼女たちの明るさや温かさや思いやりが目映い動画に仕上がっています。

いーどぅし「エール『オリジナル)」詩曲:かーなー
I-Dushi , " Yell "

当人たちの動画コメントに故郷を出て全国にて頑張るウチナーンチュに贈るとあるので、筆者も立派な有資格者ですね。
「二へ―デービル! 、サンキュ!、ありがとぉーねぇー!!」
「あんたらもチバリよ~! 遠く神奈川から応援してるよ~!」
Y (#^.^#) Y

* * *

さて2番手は「知る人ぞ知る」の実力派・天才歌手の登場です。
但し残念にもメジャーな認知度・露出度には恵まれず、その類まれな才能が埋もれがちなのが惜しまれます。
以前にも当コーナーにてデビュー曲「花(喜納昌吉作品)」を取り上げましたが、彼女の歌唱世界は絶品です。

石嶺聡子、「シャイン」
Satoko Ishimine , " Shine "

どこまでも伸びやかな歌声、五月晴れの青空・涼風にも似つかわしく、さながら中空を自由に舞う鳥のようです。

*

さて石嶺聡子の世界、こんな英語の曲もまた彼女の得意とするところです。
取り上げた曲も「知る人ぞ知る」と言う60年代後半のザ・ミレニウムの紡いだ渋い名曲です。

石嶺聡子、「ゼア・イズ・ナッシング・モア・トゥ・セイ」
Satoko Ishimine, " There Is Nothing More To Say "

シンプルなアレンジのアコースティック・サウンドに乗って、力むことなく軽やかに歌い上げています。
B・ディラン等も歌っている同アルバムの「Hard Times Come Again No More (フォスター作)」も秀逸です。
色々なライターの楽曲と出会いながらも、次第に自らのソング・ライティングの世界を目指し始めた彼女、
メジャーな情報にはなかなか乗りませんが、今後も素晴らしい歌声世界を聴かせてくれることを期待します。

* * *

次に登場のグループ、残念ながら既に解散しているのですが、沖縄らしい明るさと華やかさが秀逸です。
彼女たちもまた本土(東京発)のメジャー情報には乗れませんでしたが、その存在 忘れたくはありません。
みやらび(美童)否、チュラカーギー(美女)3人娘を中心にした島唄ポップ・サウンド、ご機嫌です。
2曲続けてご覧ください。

コイナ、「安里屋ゆんた」2007年、那覇・桜坂劇場ライブ
Coi,Na," Asatoya-Yunta" Live at Sakurazaka Theatre, Naha Okinawa

コイナ、「沖縄へ行こう」同上
Coi-na, " Okinawa he Ikou (Let's Go To Okinawa ! )"

(投稿者様に感謝しつつも)当動画の曲終了後の後半部分、編集しカットした方が良いと思います(上から目線ご容赦)。
三板(さんばん)等のリズム楽器の弾きや、曲の節々を飾る琉球舞踊由来のたおやかなモーイ(舞い)も美しくて快感です。
彼女たちの飾らない艶やかな明るさが眩しいですよね。正に一期一会の結晶ライブ、貴重なお宝映像です。

* * *

さて、時間をもっと過去へと遡って、もう一つのグレートなグループを紹介したいと思います。
こちらのグループを知っている人はご年配で、かなりの音楽通と言うことになります。
オキナワ(敢えて片仮名)が産んだ天才3人娘で、筆者とは生きる時代を共にする同士のような存在です。
沖縄復帰直後、「アップルズ」と言う名前でメジャー・デビューを果たし、その後イヴ(EVE)へと改名。
有名歌手のバック・コーラスを大量にこなし、本人たちも70年代のディスコ・ブームでの楽曲を多数発表。
スタジオ・ワークで録音した曲、実に2000曲(!)を上回るとのことで、いかに必要とされていたかが分かります。
その間に、深夜のアダルトな音楽番組に登場。特に故・羽田健太郎氏と共に往年の米国ポップも多数披露。
但し筆者的にはグループのネーミング(命名者は歌手の野口五郎氏)がいまいちだったように感じています。
筆者案では米国風に「ミューズ・シスターズ」「サザン・シスターズ」「ビューティー・スリー」等です。
上から目線・我田引水・お粗末・ご容赦
_(._.)_
エンターテインメント感 溢れる日本人離れした歌唱・リズム感による歌・コーラス・ダンスは秀逸でした。
彼女らの感性や音楽は正に戦後の米軍施政下で培われた、国内にて空前絶後・唯一無二の奇跡的存在です。

筆者の説明はこのくらいにして、彼女らの圧巻ライブ・パフォーマンスの一部、お聴き(御覧)下さい。
米国音楽、華やかし往年(50~70年代)の名曲、ご堪能下さい。

イヴ、「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」(編曲:前田憲男)スタジオ・ライブ
EVE, " Boogie Woogie Bugle Boy ", (studio live)

イブ、「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」
EVE , " Reach Out I'll Be There " (studio live)

けだし圧巻!ファンキーなグルーブ感(何のこっちゃ!)やシャウトがカッコよく、筆者の血も大いに騒ぎます。
それぞれが個性的な声質ながら、混ざり合ったロングトーン部では倍音が多数発生し、大人数に聞こえてきます。
熱演する彼女たちの狭間で、ピアノに向かう彼女たちの恩人・理解者でもある羽田氏の在りし日の雄姿もあります。
上の石嶺聡子さんやコイナ同様に、時の流れに埋もれゆくにはあまりにも惜しいコーラス・グループでした。
メンバーは新里(しんざと) 玲乙奈(れおな)、久良良(くらら)、利里佳(りりか)の3姉妹で、活動停止が重ね重ねも残念です。
" I hope their health and happiness. "
感謝

* * *

今回の沖縄ソング特集を最後を締めくくるのは、やはり再三の登場のこの人たち。
80年代の第2次バンド・ブームの牽引役(追っかけ?)を果たしたTV番組「イカすバンド天国」で発掘されプロに。
グランプリを獲ったバンドは数あれど、今も残るのは彼らくらい(筆者が知らないだけかも?)かもしれません。
ギミックやマジックや様々な小道具を排し、日常・身の丈のスタンスで沖縄島唄と米国音楽を自由にチャンプルー、
今や老若男女にも広く支持される国民的・大衆バンドとなりました。

以前の祖国復帰特集でも取り上げた めでたい曲で、「かりゆし」とは沖縄では「めでたい・お祝い」の意味です。
動画のライブは旧・広島市民球場とのことで、さだまさし氏のコンサートのゲストで登場した時のものとのこと。
彼らのおおらかで大きな世界、ご鑑賞ください。

ビギン、「かりゆしの夜」(2007年ライブ)
Begin , " Kariyushi-No-Yoru "

石垣島の同級生トリオ、「イカ天」後にこんなに活躍するバンドに成長するとは!
ヴォーカルの比嘉栄昇君の人間味溢れる天性の伸びやかで力強い歌唱、快感ですね。
彼らは国内のみならず、遠く南米で暮らす日系人たちにも多くの支持を得ています。
片意地はらないその素直さで、これからも懐の深い慈悲深き音楽を我々の元に届けてくれることでしょう。
彼ら自身もまた「島人(シマンチュ)の宝」に他なりません。

祝・沖縄祖国復帰48年!
「あんしぇー・またやーさい!( Then, See you again !)」

!(^^)!



故郷沖縄は今 梅雨の真っ只中。
重ったるい湿気を帯びた大気の中、今日も街や里の片隅でサンシンの緩~い音色がレイジーに響いていることでしょう。
故郷の人々の年齢・男女・初対面関係のないタメ口(ぐち)と、屈託のない満面の笑顔がそろそろ恋しくなってきました。
今年の帰郷はいつになることやら・・・。

 By T講師( こと当真英樹 )
P.S. :アトリエ・ブログをここまで私物化してしまいました。
ご容赦。



追記

筆者の「T講師コーナー」にて、以前、一昨年(2017年5月15日)に復帰前のオキナワの様子を大特集しました。
ご興味のある方は、お手数ですが当ページ右上のタグをクリックの上、アーカイブにてご覧になってください。
再追記:下記のタイトル・クリックにて、そのページへ直接移動できます。ご覧いただければ嬉しい限りです。
2017/05/15

米国由来による貴重な写真資料が満載の(自称)超力作です。

2019年5月13日月曜日

知らなかった名曲二題を春に

月曜日・快晴

つつじの丘公園(旧・上古沢緑地・アトリエ隣接地)のツツジたち


ベスト・シーズン真っ只中

* * *

今やすっかり恒例となった、もはや唯一の投稿コーナーです。

「ミュージック・ギャラリー(その360)」


「知らなかった名曲二題を春に」


例によってYouTubeのお勧めからの選曲です。
今回も「春」っぽい歌をと思い、以前 有線放送で聞いたことのある筆者と同郷の沖縄出身の女性シンガーを検索していました。
今から20数年前の頃のことなので、今ではもう現役のプロ歌手ではないのかもしれません(MDに録音済で時々聴いています)。
但し、その歌手の名前や題名が不明で、歌詞の一部等を曲名に推察し検索したものの、残念ながら見つけることは不可能でした。
しかしその過程で、沖縄出身の他の歌手名が幾つか引っかかったので、その中の十数人余を聴き、この歌手に辿り着きました。

その歌手の名前(姓)は沖縄特有で、うっすらとは聞き及んでいたのですが、その歌声に接したのは今回が初めてのことです。
(メジャーデビュー時、歌手名を阿波根(あはね)と呼ばせていましたが、通常 地元沖縄ではアハゴンと呼んでいます。)

いわゆる巷でのヒットはなかったようですが、動画コメント欄にもあるように知る人ぞ知る隠れた名曲だと筆者も感じました。
歴史・時の流れ・積み重なりに過去の彼方へと追いやられ、忘れら去られるには余りにも勿体ない詞・曲・編曲・名歌唱です。
五月の青空・快風に相応しい名曲・名唱です。

阿波根 綾乃(あはね あやの)デビュー曲、「大きな風」(1996年)
Ahane Ayano," Ookina-Kaze "

冒頭イントロから雄大で透明・清楚な大空が広がり、浮遊し同時に沈殿してゆく歌声が新鮮です。
バック演奏で時折 聞こえ来るバンジョーの音色も軽快かつ哀愁を帯びていて、隠れた名演です。

* * *

雄大で爽快な阿波根綾乃の夢世界、更にもう1曲続けます。
前曲歌詞の一部にもあった「飛行機雲」がこの曲のメイン・モチーフです。こちらもまた前曲同様、名曲です。
6分余にも及ぶ長い曲・詞ですが、その描く世界は清々しくも郷愁感 溢れるエバーグリーン・テイストです。
動画コメント欄にもありますが、ヒットしなかったのが不思議で惜しまれます。
この曲もまたこの季節に聞くには相応しい爽快世界です。

    阿波根 綾乃「ひこうき雲の空の下」(1997年、アルバム・バージョン)
 Ahane Ayano ," Hikoukigumo-no-sora-no-sita ( Album Version )

故郷を感じさせる雄大なスケールの美しいワルツ世界、何度も再生しては色々なことを夢想してしまいました。
残念ながら巷でのヒットには至らなかったとのことですが、いつまでも聞き続けてもらいたい佳曲の一つです。

ヒット曲が出ないと消えゆく定めにある商業的音楽の世界、厳しい競争原理は勝者と敗者を生み出します。
古今東西・洋楽邦楽を問わず、才能・佳曲に恵まれながら闇に葬り去られる歌手たちが数多く存在します。
それは所属音楽事務所の力の強弱だったりで左右されることも多々あり、その理不尽さは不文律でもあり、
不条理でもあり、才能豊かな歌手たちを容赦なく追い落とし淘汰し、情報格差は強固なものとなります。
ヒットに結びつかないのは、その多くが人々の耳や感性が原因ではなく、そもそも耳に届かないのです。
聴けばご承知のように、上2曲も詞・曲・(楽器編成も含めた)編曲・演奏も高密度・力作の極みです。
歌うシンガー本人のみならず、世に送り出した当事者たちの並々ならぬ情熱と期待が凝縮されています。
所属事務所の力量による情報量(楽曲や話題等のプロモ)格差は如何とも し難く、壁は高く厚いのです。
ごく稀に有線放送等のリクエストで双方向的に大ヒットに結びつく例もあり、同郷のキロロがそうです。
阿波根 綾乃さんが現在も活動しているのか不明ですが、息の長い本物の歌姫となっていられることを・・・


でもネット世界の普及のおかげで、地上波TVを始めとする大手マスメディア以外の情報が人々に知れ渡り、
自らの嗜好・趣味の取捨選択が自由となり、こんな風に過去の佳曲群も掘り起こせる環境になりました。
(でもCD買って、ささやかながらも印税と言う形でバックアップすると言う行動はとれませんが・・・)
そんな埋もれた宝物たちに出会うため、筆者は今夜もネット・サーフィンに興じることになるでしょう。
「お酒(ワイン等)」と「YouTube」、図らずも筆者の深夜ライフが今夜もまた充実してしまいそうです。

過去に忘れ去られた「佳曲・名曲」無数にあり、筆者の当コーナーでまた取り上げようと目論んでいます。
「乞うご期待」
(*^-^*)



五月晴れ、新緑涼風・花や草葉の香り、大いに満喫しましょう!
あの梅雨が、ひたひたと近づいてきています。

By T講師