アトリエ・マイルストンブログ

2019年9月23日月曜日

「秋分の日」のお彼岸ソング特集

月曜日・
  国民の休日「秋分の日」
アトリエ3連休の最終日

(今回もまた時差ひどし)
(;^ω^)
_(._.)_

「ミュージック・ギャラリー(その378):お彼岸 特集」


「お彼岸」のこの日、
筆者のアトリエ近くに霊園があり、結構な距離があるにもかかわらず、例年そこから谷に沿ってお線香の匂いが漂ってきます。
亡くなった家族や先祖との繋がりやあの世との共生意識を特に大切にする我が国ならではの、季節の風物詩にもなっています。

さて その象徴としての曲、今回はオリジナルを創ったマルチ・アーチストの方の歌唱をYouTube上よりお借りしました。
大ヒットした秋川雅史バージョンの朗々歌唱法も快感ですが、こちらの淡々とした歌唱もまた渋みがあって味わい深いです。
「月並み」で「ステレオタイプ」な今回の選曲、ですが名曲です。

「千の風になって(オリジナル)」、日本語作詞・作曲・歌:新井 満(まん)

秋川雅史バージョンの朗々歌唱とはひと味もふた味も違う、ご本人の飄々(ヒョーヒョー)盤もまた良いものです。


さてカヴァー曲好きな筆者、更にもう1曲続けます。
次は沖縄在住の盲目のテノール歌手の歌う「千の風にのって」です。
秋川雅史の雄大なベルカント唱法とはまた趣の異なる軽快感のある声がやはり快感です。

「千の風になって / A Thousand winds(カバー)」 [英語詞付き] 歌:新垣 勉


ちなみに歌手名が「アラガキ」となっていますが、現地の故郷沖縄では十中八九「アラカキ」と呼びます。
人気女性タレントの「新垣結衣」もまた然りです。また苦瓜も「ゴーヤー」であって、決してゴーヤとは言いません。
余談を更にもう一つ続けますが、三線も「サンシン」で、決して蛇皮線(ジャビセン)等とは、地元沖縄では呼びません。
そう言う分類呼称を用いるなら、本土の三味線は「猫皮線(ビョービセン)」と呼ばなきゃと故郷の人々は主張しています。
早速の脱線、ご容赦。
(#^.^#)

* * * * *

上の曲が「秋分の日・お彼岸」のステレオタイプの曲なら、筆者にはもう一つのそれがありました。
半世紀以上も前の遥か昔の小学4~6年生の頃に、筆者が聴いていたアメリカのフォーク・グループの代表曲です。
中学生になった二つ上の兄や、近所の従姉妹のネーネーからのお勧めの影響が、その聞き出しの始まりでした。
筆者が最初に「千の風にのって」のタイトルを聞いた時に、即刻 連想したのがその中の1曲のタイトルでした。
「千の風にのって」・・・、「風に吹かれて」・・・、
歌のタイトルもそうなら、詞の内容もまた「死」を扱ったものと言う意味では、共通の世界観をも少々感じました。
筆者が小学生の時、初めて聴いた「死」をテーマにしたアメリカン・フォーク・ソング、懐かしの映像でどうぞ。

「風に吹かれて」、ピーター・ポール&マリー(英語詞付き)
Peter, Paul & Mary, " Blowing In The Wind " ( mid,1960's), written by Bob Dylan in 1962

ご存じ、ボブ・ディランの紡いだ20世紀の反戦歌名曲、マリー・トラヴァーズのあの独特の鼻にかかった懐かしい歌声です。
小学生当時はもちろんこんな映像なんて拝める機会なんて皆無で、せいぜいシングル・レコードのジャケ写真くらいでした。


さて次の動画もまた貴重映像(YouTube様様)で、年月経てもなお健在な力強いメッセージを発しています。
3名とも温かな雰囲気を醸し出しながらも、弱まり老いることを知らない芯の強さも表れたライブ映像です。

「風に吹かれて」、ピーター・ポール&マリー、(東京公演、訳詞付き)
Peter, Paul & Mary, " Blowing In The Wind ", Live in Tokyo Japan.

この貴重な我が国でのライブ映像、三人の囲むマイク・スタンドが上の3本マイクと中間部の2本マイクがユニークです。
ジョーン・バエズと共に、世界中の女性歌手を目覚めさせたマリー・トラヴァ―スも2009年に76歳で亡くなりました。合掌。

死者たちが「千の風にのって」いる存在なら、「風に吹かれて」の中での答えは彼らこそが知っていると言うことです。
もの言わぬ古今東西の数多の死者たちの声なき声を聞き、残された遺族たちの悲痛な悲しみを感じる想像力こそ要です。

* * *

さて上にて終わるつもりでしたが、今回もまた筆者恒例の欲張りな悪い癖(連想動画・複数転載)が出てしまいました。
「風に吹かれて」が出るのなら、当然これもでしょう?と心の声が囁くので、その声に素直に従わせていただきました。
(*^-^*)



小学高学年に目覚めたアメリカン・フォーク、この曲もまた筆者には「風に吹かれて」と双璧をなす兄弟みたいな曲です。
原曲のピート・シーガーは当コーナーで登場済みなので、今回はPPMと同時期に聴き始めた兄弟グループのバージョンです。

「花はどこへ行った」、ブラザーズ・フォー(1964年)
" Where Have All The Flowers Gone ? " / The Brothers Four (with Lyrics)

さて同曲、最後は我が国のフォーク黎明期のシンガーたちに多大な影響を及ぼしたキングストン・トリオのカバーを再度 取り上げました。

*

「花はどこへ行った」、キングストン・トリオ(1961年)、訳詞付き
" Where Have All The Flowers Gone ? " / The Kingston Trio.

そうなんです。人はいつまで経っても学ばないもんなんです。
😭

* * *

「筆者、後記」

今特集、隠れテーマが「お墓」となってしまいました。
人の死に直結していると無意識に決め込んでいる「お墓」、実は案外そうでもないのかもしれません。
翻って数多(あまた)の死者たち、墓地や墓標の下に眠っている人々は幸いです。
永遠の眠りの場所として、この地上に墓苑や墓碑銘をいただいた人々は幸いです。
この地球上に生まれ落ちた数多の命の終焉である死は、筆者が想像するに そのほとんどが悲惨なものだったと思います。

便利この上ない現代社会のような人間生活に欠かすことのできない、水・食料・衣料・住居・火・道具・寝具・薬品 等々
足りないこと・無いことの方が当たり前で、しかもその上、略奪・紛争・戦争等の暴力、疫病・飢饉等が頻発・蔓延し、
誕生の地はいとも容易く戦場となり、農耕地は略奪の対象として荒廃し、男は戦場にかり出され、婦女子は凌辱もされ、
現代では想像もつかない程の悲痛や苦痛が地上のありとあらゆるところに溢れ、楽園とは対極の世界ではと想像します。
母なる天体この「地球」に生まれ落とされてもらった以上、
地球規模による造山活動や気象現象による凶作飢饉・洪水・干ばつ・地震・津波等の災害での「死」は仕方ない面あるも、
部族や民族や国家・国境や、宗教や権力抗争等による「人vs人」による憎悪の「戦争」での「死」が天文学的数値です。

墓標や墓地、寺社仏閣、教会や礼拝堂 等々、更には仏壇 等、人間仲間の「死」を悲しみ悼む施設や祈念碑等は数あれど、
我々人類の生きてきた証しであるおよそ100万年の歴史の中には 、あまりにも多くの尊厳の無い犬死が横たわっています。

墓標を立てられること、墓碑を建てられること、墓地に葬られること、墓参に訪れられること・・・、
この世に何十億人・何百億人と生まれて逝った人々の中でも例外的に幸せな人生を送った異例中の異例の人たちです。

最後に、湿っぽく下世話で現実的な事柄に言及させていただきますが、
子供のいない筆者、お墓に入ることはまずなさそうなので、その後のことは今からでも考えておかなければなりません。
地上の森羅万象全てや、他の動物たちのように自然に地に還ることができれば良いのですが、法律上そうもいきません。
筆者に「死」が訪れることはそう遠くもなさそうなので、ここは真剣に考え、決定しなければならない重要な事柄です。
残された周囲の人々に迷惑をかけずに、または迷惑をかけるにしろ、最小限に留めるにはちゃんと知恵を絞らなければ、
と言いつつ、今日もまたキリギリス三昧な時を謳歌・堪能・消費する日々に流され逃走する秋入り口の今日この頃です。
「相も変わらずの支離滅裂、平にご容赦」
_(._.)_
(*^-^*)
(;^ω^)

By T講師

* * *

「オマケの追加・過去写真」

アトリエ背後の裏山・定点観測地の丘に、チラホラとコスモスが咲き始めました。

今回のテーマに関係する「彼岸花(曼珠沙華)」も、里や野で咲き始めました。

 


「 見れば見るほど、不思議・不思議・・・」

(@_@)