アトリエ・マイルストンブログ

2020年7月3日金曜日

コロナ禍・梅雨の別離月

7月突入!
金曜日、曇り 夜 雨
コロナ感染禍一色で早半年!
暦の上では「夏」、でも巷は典型的な「梅雨空」で、雨や曇天続きの日々・・・。



今週は珍しくも筆者「心身共に不調」です。
今回は色々とあり、ただでさえ湿りがちな筆がいっそう重たく、未だそのままに・・・。
普段は年間を通してほとんど元気な筆者、今回の時節・時点だけは例外的に気持ち暗く、
集約される3点を 頑張って記すことに・・・。



まずはこれ、
新しい月を迎え、久々に戻って来た学童もあり、それはそれで嬉しいのですが、また逆にその姿を消す学童も多数・・・。
特に豊かな美術的才能を有していたベトナム3人娘たちの退所は、成長を楽しみにしていた筆者にとって落胆ものでした。
この半年を席巻したコロナ感染禍により、保護者らの職場環境が著しく激変し、その影響下での学童らの生活形態も変わり、
残念にも学童クラブを去ってゆく子も多く、筆者主宰の「学童クラブ・バンド」も大きな衝撃と打撃を受けてしまいました。
サマー・コンサートは中止するも、状況次第ながらも目論んでいたXマス・コンサートも主力メンバーが抜けて白紙に戻りました。
仕方がないとは言え、「残念無念」です。「ガクッ!( ;∀;)」
去っていった学童らの増々の笑顔を祈るばかりです。
(*^^)v



筆者の精神的衝撃は更に続きました。
学童クラブのYu君(小3)の闘病中の姉Hiちゃん(小5)が、亡くなってしまいました。
時折退院を許され登下校の際に幾度か遭遇するも、痛々しいその姿にただ手を振るしか成す術がありませんでした。
弟のYu君はバスや交通関係に物凄く博学で、筆者の大好きなTV番組「博士ちゃん」に推薦したくなるような男子で、
自粛期間休み中も元気にヘルメット姿で自転車に乗っていて、いつか姉も同行する日があると良いなと想像しつつも、
この度の訃報となってしまいました。ご両親やご家族・ご縁の関係者の皆様のご心痛、傍らで察するに余りあります。
心よりご冥福をお祈りいたします。



次の事象は直接的には身近でこそありませんが、でも極めて身近なしかも深刻で重大問題でもあります。
それは、香港とそこに暮らす人々の「自由」と「自治」がいとも容易く葬り去られた、と言うことです。
6月30日に「国家安全維持法」が施行され、早速にも多くの逮捕者が出てしまっています。
義憤を感じて集まった市民370人が逮捕され、10人が「新法」を適用され逮捕されました。
これほどの人類単位の歴史の逆行・退行は近年ではごく稀有な事で、将来が危惧されます。

故郷の島々にて領海侵犯を繰り返し、チャイ○マネーにて土地と人心を侵食し続ける状況下に於いて、
隣の民主国家・台湾と共に近未来におけるこの国からの精神的・物理的恫喝は正に危険そのものです。
願わくば、
故郷の人々が積年に渡る反日・反米扇情から解放され、この大陸国の真の姿に目覚められることを。
「ヤ○ザ国家」に自らの将来の命運を託してはいけません。繁栄より甘んじて清貧に肯きましょう。


最後になりますが、冒頭で「心身共に不調」と記しましたが、実は超久々のギックリ腰を患いました。
せっかち心が災いし、大きな切り株・根っこを最大の力で引っ張りあげた直後に発症してしまいました。
今もその際の激痛の半分程度が時折フラッシュ・バック、自らの老体と自覚なき自惚れとを悟りました。
(´;ω;`)

以上、通常ならば「筆者後記」として記すことでしたが、敢えてイントロとさせていただきました。
「ご容赦」
_(._.)_


* * *

「ミュージック・ギャラリー(420)」
「陰鬱な曇天にのしかかる悲しみ」


さてこのコーナー、口直しの軽快音楽をと行きたいところですが、今回は例外的に短調世界に浸ってみました。

筆者の大好きなバッハ音楽の中でも特に好きな曲です。
失望・無力さに浸るには正にピッタリかもしれません。

J.S.バッハ: オーボエ協奏曲 ト短調 BWV 1056:第2楽章

J. S. Bach: ARIA (Oboe Concerto)



G線上のアリア - 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 (バッハ)


* * *

立ち込め始めた暗雲に・・・。さめざめとすすり泣くスライド・ギター、名演奏です。

Ry Cooder、"Dark Was The Night,( Cold Was The Ground )" 1985

Original by Blind Willie Johnson ( 1927 )

* * *

この曲も今のシチュエーションにはピッタリです。

エリック・クラプトン、「ティアーズ・イン・ヘヴン」

Tears In Heaven【訳詞付】- Eric Clapton


稀代のギタリストとして名を馳せたクラプトン。筆者も高1時にクリームの頃の演奏と衝撃的に出会いました。
その多くの楽曲のコピーに精進しましたが、正に英国ホワイト・ブルースの頂点・究極と言って良いでしょう。
クリーム解散後は米国南部のスワンプにはまりレイドバック演奏に変貌し、ギター小僧らには失望されました。
名声とは裏腹に精神的には弱かったクラプトン、その谷を抜けボーカリストとして世界的大成功を収めました。
筆者も2度 来日公演を経験しましたが、商業的理由が目的の武道館とか東京ドームには似合いませんでした。
そんな紆余曲折を経た後の彼が、自らの息子(当時4歳)を転落事故で失った直後に紡いだ美しい楽曲です。

* * *

最後になりますが、上述の故(!)Hitちゃんのお通夜で流されていた曲です。
3密を避けるために生唄ではありませんでしたが、彼女のクラスメートらの合唱が流されていました。
教え子の早逝に受付担当のK先生(当学童クラブのピアノ教師で筆者らの燐家)、真っ赤な涙顔でした。

「365日の紙飛行機 」- AKB48(フル・バージョン・カバー)


  言葉も有りません。
「明日、がんばろう」

By T講師