アトリエ・マイルストンブログ

2020年7月27日月曜日

情熱のジプシー・バイオリン

月曜日

もはや恒例・常態となった投稿時差、ご容赦。
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「動画ギャラリー(その2)」


前回の初回に続き、早速2回目をアップ、但し美術的要素を若干離れ、職人技の世界の紹介です。
但し、その職人技だからこそ産み出されるこの小さな楽器こそ正に「芸術品」そのものです。

ドミニク・ニコシア、ヴァイオリン製作の講師、フランス出身の弦楽器製作者

「木」との対話、そのコラボの主だった根幹を成すのは「刃物」です。
用途によって多種多様な刃物を縦横無尽に駆使して仕上げてゆく様は正に快感そのものです。

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「ミュージック・ギャラリー(その424)」
「営みと情熱のジプシー・バイオリン」


筆者注:「ジプシー」と言う呼称は今世紀に於いては差別用語に分類されるようで、現在は「ロマ」と呼ぶようです。

世の中、バイオリンと言えば即名器の誉れ高いストラディバリウスだの、やれガダニー二だの、やれグヮルネリだのと云々しますが、
元を辿れば古代アジアが発祥のたかが民族楽器の一ジャンルでしかなかった訳で、代名詞的に高級機種ばかりがもてはやされるのには、
筆者的にはいささかの抵抗があり、特に敷居の高~いクラシック畑でのみ、その存在が脚光を浴びているのにもやはり憤懣やるかたなく、
深窓の令嬢よろしく、その血筋とお育ちとを売りにしているのを見るにつけ、南国小島育ちの筆者としてはじくじたる想いがあります。

確かに「バイオリン」は西洋文明(特にヨーロッパ)に於ける厳格なアカデミックな音楽世界での頂点であり華でもあります。
ピアノがクラシック音楽界に君臨している王様ならば、バイオリンは正しく女王様と言っても良い存在には違いありません。
でも今回はその対極としての世俗的世界に於ける伝承楽器としての楽譜等には記譜不可能な表現者の音楽を取り上げてみました。

それはジプシー音楽に於けるバイオリンの存在です。
今では差別用語となった言葉ですがその歴史は古く広く、東欧から北欧まで国境を越えてまたがる西洋文化とは少々異なる音楽文化です。
筆者が知る限り、以外にも元々は遠く当方の北方インドから流入したアーリア人の一族だとのことで定着と移動を重ね形成されています。
東欧諸国の民謡と融合したり、或いはスペインでフラメンコの礎となったり、そのしたたかで力強い音楽は今日も脈々と継がれています。
西洋的厳格なカノンの世界ではない、楽譜も存在しない伝承音楽としての土着的、或いは日銭稼ぎの大道芸人的超絶技巧世界、どうぞ。

今回YouTube上よりお借りした一連の動画に日本語の表記なく、何て発音すれば皆目分かりませんが、その映像と音楽をお楽しみ下さい。
音楽をプレイする喜びに満ち溢れた(曲者たちの)笑顔、堪りません。
(*^^)v

Taraf De Haidouks - Turceasca


物凄い迫力のビート感(特にウッド・ベース!)にはただただ脱帽です。
我が国のロックバンドと呼称されている面々には、たったの1ミリたりとも近づけないような強力磁力世界です。

正に圧巻な演奏ぶりですが、ユニークなバンド編成も興味深いですね。
2バイオリンに2アコーディオン、そのバックにはサントゥールと言う古代インド発祥の弦楽器にウッドベースです。
バイオリニストの二人は「首充て」でしっかりホールドもせずのラフ・プレーが味わい深い演奏を聴かせてくれます。
「これでもか!」と言わんばかりの速弾きも大道芸人としての表現の自然さがあって素直に聴き入ることができます。


外国語によるキャプションによると東欧のルーマニアが地元らしく、そこでの演奏風景です。
かしこまった感のあるクラシックとは趣を異にした生活感溢れる映像と音をお楽しみ下さい。

Taraf de Haidouks


ランニングシャツ姿が良いですね!
まるで前世紀の米国南部の野良仕事後の戸口にてボロ・ギターつま弾く黒人ブルースマンのおっちゃんみたいで・・・。
我が故郷の沖縄の辻々や浜辺でもこんな風にランニングシャツ姿のおっちゃんやオジーらが三線つま弾いて唄っています。
「帰りた~い!帰れない!(筆者の心の声)( ;∀;)」



さて、こちらの動画もまた日常の生活圏を背景とした動画に仕上がっています。
お楽しみ下さい。

Latcho Drom - Taraf de Haidouks


生活臭の濃い、されど表現としても芸術性の高い「ジプシーバイオリン」、楽しんでいただけたでしょうか?


このようにアカデミックなクラシック音楽以外にもバイオリンを肉体化して楽しんでいる人々は多いものです。
何も「習い事」で高い授業料を払って楽譜を読んで覚えるだけではない、日常生活の中の快楽音楽も良いもの。
他に、
欧州ではアイルランド等のケルト文化圏では当地の民謡等と融合してダンス音楽やパブ等でも親しまれています。
そしてそれが新大陸アメリカにも飛び火、かの地にて新たな命が吹き込まれフォークやブルーグラスとなって開花、
人々の生活やお祭りや酒場などで様々なバリエーションが出来、多くのユニークで優れた音楽家を育てています。
我が国では「習い事」としての楽譜付きバイオリンがそのほとんどを占めますが、昔日にはチンドン屋や芸人らが、
その独特・微妙(?)な個性的音程(又はクセ)の旋律を奏で、街角で哀愁の世界を披露し息づかせていたものです。

機会があれば、筆者の大好きなアイリッシュ音楽をもこのコーナーで取り上げてみたいと思っています、乞うご期待。

By T講師

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「脱線昔話:バイオリンとピアノの思い出」


上テーマにて投稿予定でしたが、結構な長尺になりそうなのでまたの機会に譲ることにします。
いずれまた。
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追記:「脱線 ちょっとだけ 昔話」

「ジプシー(生)音楽との出会い」


今を去ることもう30年も前(!?)、筆者の初めての欧州旅行でイタリアに遊びました。
それは「パック・ツアー」で、その間、添乗員さんや現地ガイドらが懇切丁寧・頻繁にアドバイスを与えてくれました。
やれ「スリが多いので、やたらサイフは出さぬこと。」やれ「置引きが多いので、荷持からは目を離さぬように」等々、
その中で、
「路上のジプシーの演奏にはチップを出してはダメ!、サイフやお金をかすめ獲られるから」との最大級の警告も。
筆者、ローマやフィレンツェ等の街角で、多くの路上音楽家の演奏に大感激。特にジプシーらの演奏は白眉でした。
哀愁漂う旋律とその孤高ないで立ちに「これはチップを出さなきゃ!」と感激、カフェのトイレ内でコインを数え、
スリに遭っても良いようにと、各ポケット(冬服につき多数)に数枚ずつのコインを分散収納、演奏御礼に備えました。

とあるローマの街角、確かパンテオン(ラファエロ修復・当地所・地下に永眠)近くの裏通り、フリータイムでの事。
観光客もまばらな路地の石畳の上でボロを着た女性ジプシーがボロ・ケースからこれまたボロ・バイオリンを取り出し、
その鳥肌ものの音色と旋律を小さな路地いっぱいに響き渡らせました。今まで経験したことのない衝撃的演奏でした。
それを聴いてショック状態の筆者と妻だけが唯一の聴衆です。それは彼女らの計画的「狙い撃ち」なのかもしれません。
彼女らと複数形としたのは訳があり、筆者らと演奏女性の左右には10代らしき年若い少年が二人戸口に佇んでいます。
「帰ろう・・・」妻の不安そうな小さな囁きが哀愁の音色の狭間に聞こえ、少年らの猛禽類のような鋭い白い眼光も、
しかし筆者は決心していました。筆者は妻を制しつつ、両ポケットからコインを複数枚取り出し、左右の少年を睨み、
「It's for your Mom !」とコインをかざして差し出し、女性のボロ・ケースの中に腰をかがめて丁寧に置きました。
それまで猛禽類のような目で筆者らを遠巻きに囲んでいた彼らの眼から鋭さが消え、白い歯が浮かび上がりました。
「 So Good Job !, I really really love your music !」
筆者のこわいろ混ぜ言葉に女性演奏家も大きな白い目で応え、両膝を折って会釈をしてくれました。
路地からの帰りがけ、挟み撃ちの一方の少年を横切る際に、その彼が一礼し”Thank you !"と声をかけてくれました。

筆者はそのジプシー女性の旋律・音色と彼女のいで立ちと、この二人の少年の表情が今も忘れることが出来ません。
当夜、ホテルで添乗員さんにその話しをすると「それは運が良かったのです」と言ってましたが、本当にその通り。
たった数分ながらも、今も鮮やかに蘇ってくるような素晴らしい音楽を妻と二人で独り占めにできたのですから。
路地空間全てに弾き渡った彼女の鳥肌もの哀愁ジプシーバイオリン、筆者の人生の中では今もなおピカイチです。
「感謝」
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再度
By T講師
(「下手なテッポも数打ちゃ当たる」は大正解。文法の正誤など気にせず、どんどんコミュニケーションに励みましょう!)
(ナヴォ―ナ広場で出会ったローマっ子のダンジェロさんとナポリターナのカーラさんにも街を案内もしてもらいました。)
(二人はギタリストと歌手で、筆者ら帰国後にイタリア大使館の招待で来日公演もしていました、連絡あるも行けず御免。)
<(_ _)>

こちらも感謝。