アトリエ・マイルストンブログ

2019年6月24日月曜日

筆者、高校時代の雨歌・二題

月曜日・冷雨
アトリエお休み日


「ミュージック・ギャラリー(364):雨歌ー2」


前置き、長くなります。
御関心のある方、お付き合いくだされば幸いです。

さて前回に続いて、今回もまた20世紀アメリカ音楽の中の「雨歌」をお届けします。
が、
アメリカン・ポップスとは記さなかった筆者自身のそれなりのこだわりの訳があり、
敢えて米国の従来の音楽業界が造り出した延長線上ではないと言うスタンスを強調してみたものです。
では、筆者がこだわるポップスとロックの一線を画す境界や違いがどこにあるのかと言うと、
前者が伝統的な業界によるプロデュースの下、各事務所が見い出した歌手に歌わせる曲を、
売り出すイメージを基にプロの作詞家や作曲家に3分以内の新曲を依頼し、ヒットを狙うと言う手法。
片や後者のロックは業界発ではなく、その逆に既成の社会構造に不満を持つ若者たち自身の創作物。
その草創期に於いては、色々な理由で大人たちや社会から激しく非難され、放送規制等も行われ、
歌唱や動作が卑猥だと断罪され、一部の歌手たちのレコードが教会関係者に焼かれたこともあり、
それだけ世間に与えた影響は大きく、ロック音楽が持つ若者に対する影響力の強さが伺われます。
(但し、その後ロック界も産業化し、若者発の独自性やメッセージ性も次第に失われていきます。)



筆者が高校に進学した頃、米国はベトナム戦争の真っ只中。戦場は泥沼化し、厭戦気分が顕在化。
反体制・反戦平和を標榜するフラワー・チルドレンによるヒッピー文化の台頭で、米国内も騒乱化。
そんな中で多数の反戦歌手や反戦歌が生まれ、都市部の大学生を中心に支持され、ヒットしました。
ジョーン・バエズ、バリー・マクグヮイヤ―、ジョン・セバスチャン等がその代表的シンガーです。
時を同じくして大掛かりな野外コンサートも隆盛を極め、伝説的なウッドストックでの名演も生まれ、
上記のJ・バエズやJ・セバスチャンの名歌唱も米国音楽界の記念碑的歴史の1ページを見事に飾り、
今回のC.C.Rもその晴れ(?)舞台に登場、雨降り注ぐ中で演奏した際の思い出が2曲目の詞にも結実。

今回のこのコーナーもまた前回の続きの「雨歌」ですが、実はこの2曲、裏のテーマがありました。
その裏テーマは「反戦」。
YouTube上の動画にも、その裏テーマに沿った動画も複数あるも、転載不可のブロックが施されており、
筆者としてはその衝撃的なブロック版の動画を是非にでも取り上げたかったのですが、やむなく断念。

歌詞の晴れた日の雨は、単に「お天気雨」や「キツネの嫁入り」などの気象を歌ったものではなく、
歌詞の裏テーマの指すところは、米国でも広く知られているのですが、爆弾を意味しているのです。
曲発表当時、米国は泥沼化したベトナム戦争の真っ只中。敗色も濃く、若者を中心に厭戦気分が蔓延、
CCRの主力メンバーのフォガティー2兄弟もまた兵役に就き(兄には沖縄駐留歴も有り)、時代を共有。
(その影響が推定されるグリーン・リバーやボーン・オン・ザ・バイヨウには琉球音階が登場します。)
米国民としての自らの複雑な立場と心情(筆者推量)を敢えてボカして楽曲に乗せたものと思われます。


今回は英詞と和訳の両方が網羅されているバージョンをお借りしました。
その製作者も雨に身をすくませる鳩を字幕の背景に選んでいて、裏テーマを意識されているようです。
CCRならではの虚飾を排したストレート・ロックのビートに載せた行間読みの出来る名曲の世界を。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、邦題「雨を見たかい」訳詞付き
Creedence Clearwater Revival, " Have You Ever Seen The Rain "

米国ならではの後乗りシンプルなエイト・ビートの見本のような曲で、今聴いても新鮮さを失ってはいません。
淡々としたリズム隊の演奏にハモンドが静かに加わり、隠された歌詞の内容の重さ・深さを沈殿させて見事です。
骨太なバンド・サウンドが快感で、導入部とエンディングのごく一部のみに使用の生ピアノも絶妙で効果的です。
青空の下、きらきら輝いて降ってくるのは雨粒ならぬ爆弾の雨。ブロックされている動画では当時の実写映像で、
世界最大の戦略爆撃機B52が、大量のナパーム弾でベトナムの地を火の海にしている様子を背景として使用。

その巨大なB52の集団は、故郷の嘉手納基地から飛び立ち、南のベトナムの地や人々を襲っていたのです。
B52の出撃は那覇の海岸でも見ることが出来、そのサメのような黒い機体の数々をいつも見送ってました。
爆弾と燃料が満載の重い巨体は直ぐには飛び上がれず、水平線に沿って徐々に機首を持ち上げては消えて、
また新たな機影が現われ、海面上で淀んだ黒煙がやがて海風に乗って海岸の筆者らの鼻腔を襲いました。
黙って見ていた仲間の中から「落ちれー!」との叫び声。その代弁で筆者の視界は霞んでしまいました。
その広大・多数な基地機能を補完すべく、多くの沖縄の人々が基地労働者として職を得、暮らしていました。
故郷沖縄はかつては戦争の被害者でもありましたが、60~70年代には加害者側の協力者でもあったのです。



CCRの2曲目もやはり「雨」の曲で、こちらもまた上の「雨を見たかい」同様の裏テーマがズバリ「反戦」です。
今回の「誰が雨を止めるの?」の雨もまたズバリ爆弾・爆撃を表しているとのことで、米国では有名な話です。
加えて、この雨Rainが同音異義語のReign(治世や支配)を匂わせていて、戦争の仕掛け人国家を批判しています。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、「フール・ストップ・ザ・レイン」
Creedence Clearwater Revival, " Who'll Stop The Rain "(1970)

爽快感溢れる名曲ですが、筆者も高校生の頃にロック・バンドでCCRの曲を多数コピーして楽しみました。
プラウド・メアリー、ローディー、グリーン・リバー、ボーン・オン・ザ・バイヨウ、スージーQ 等々。
(特に「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」のギター・ソロにはメンバー全員で感嘆しました。)
そのギター、技巧を超え、肉声をも超え、西洋音階をも超え、哀しみにすすり泣く魂の叫びのようです。

上記2曲の詞の内容にそんな反戦のメッセージが隠されているとは、最初の頃は知りませんでした。
米国らしい明るさの中に隠された「反戦」「反体制」のメッセージが、当時の世相を反映しています。
当曲の3番の歌詞で、伝説の野外フェス「ウッドストック」での聴衆の団結の様子を歌っています。

2曲ともミディアム・テンポのエイト・ビートで、ポップ音楽の基本中の基本ですが、
昨今の国内外のポップスやロック界にはあまり存在しないシンプルなストレートさです。
特に我が国では60年代後半以降、多数のバンドが登場しましたが、このビートが出せるバンドはごく稀です。
オキナワ育ちの筆者が感じた本土のバンドの多くは速弾き等の技巧に長けて、その反面 ビートが希薄でした。
リズム感が遥かに良くなった現代のティーンたちですら、この粘り感は見習うべき良き見本だと思っています。
上から目線、ご容赦<(_ _)>。

これら2曲の詞・曲を紡いだボーカル兼ギタリストのジョン・フォガティーの心情はいかばかりだったのでしょうか。
遠く太平洋を渡ってきた侵略者であり加害者の立場(しかも軍務にも就き)ながらも、その一方では反戦にも同調し、
米国と言う国家に属しながらも、その支配層や体制にも批判的な目を持ち、支持者のファンにも様々な思想があり、
葛藤と矛盾にバランスを取ることには、自己存在に想像を絶する困難を極めていたのではないかと推測されます。
そのように想像・仮定すると、彼独特のエグ味タップリの濁(だみ)声が更にいっそうの哀愁を感じてしまいます。

後年、アメリカがその強大な軍事力にてその刃を諸外国へ向ける時、湾岸戦争や最近のイラク侵攻時等に於いて、
この2曲はジョン・レノンの「イマジン」等と共に放送禁止曲に指定されていて、バロメータのような存在です。
多くの矛盾や問題を抱えながらも、こんな曲を生み出し得るアメリカの懐の大きさに感服する今日この頃です。

* * *


「筆者後記:沖縄・慰霊の日に寄せて」


本土の他府県の方々にはあまり知られていませんが、故郷では6月23日は「沖縄戦終結の日」に因んで、
「慰霊の日」と定められており、この日は学校や諸官庁などは、全県をあげての休日となっています。
先の世界大戦末期に故郷で繰り広げられた「鉄の暴風」と後世で言われる血みどろの激戦が繰り広げられ、
軍民合わせて20万人余の命が奪われたことを祈念し、犠牲者の慰霊・冥福と遺族たちへの弔意を表す日です。
よってその日は県や県民が一丸となってその鎮魂・慰霊の祈りを捧げ、反省と平和の誓いを行う日です。
(毎年、遺族として招待され出席していた筆者の母もその老いには抗えず、今年は辞退しました。)

そんな厳かで神聖な日の「慰霊」のはずの式典が、ここ数年に渡り異質なものへと変貌しているのです。
県や県知事は日頃のその政治信条を乗り越えて、政府も遺族も共に犠牲者に弔意を表すのが当然の日です。
ところが現実は違います。
故・翁長前知事や、その後継者の現知事は序盤でこそ慰霊を口にすれど、その後は一方的な政府批判に終始。
また来賓・安倍首相へのここ数年に渡る罵声・怒号は愚行以外の何物でもなく、論外の非礼そのものです。
県は予測されつつも、その予防措置や当日の規制・排除もせず、「表現の自由」とばかりに黙認・受容し、
自らの主義主張の補完的演出とばかりに遠方よりの来賓を愚弄し、併せて犠牲者・遺族をも貶めています。
これが「守礼の邦(国)」の民人の末裔の所作かと思うと、もはや憤りを通り越して悲しくてやりきれません。
県民のみならず、本土出身者をも含めた数多(あまた)の犠牲者への慰霊・冥福、遺族への哀悼を祈るべきです。
「オール沖縄」と詐称し、情けに弱く論理に疎い純情な県民を愚民化し、衆愚政治にて扇情、我田引水を計り、
行政と言う責務も怠り、ひたすらに反米・反政府を連呼するのは、もういい加減にしていただきたいものです。
たった一度きりの人ひとりの人生を不幸にしてまで、自らの政治的野望達成の道具・手段に使うのは卑怯です。

この地球上に於いて、その成り立ちから現在に至るまで、全てが清廉潔白な国家など何処にも存在はしません。
とは言え、好まざるに関わらず戦後の我が国の平和と安定は、米国(軍隊)の存在無しには成立し得ないのです。
筆者の立ち位置は不動不変で、「過去に於いて多大な犠牲を払っていただいた自由と民主主義」を有り難く尊び、
それを削ごうとするその反対勢力に対しては、傍観・看過しないと言うのが筆者の信条であり、明快な信念です。
一体、どこからいついかにして「自由と民主主義」をいただき、こうして言いたい放題・非礼放題が可能なのか、
今一度過去を振り返って考え直し、その永遠の被害者スタンスを変えてもらわないと、早晩にも危機が訪れます。


オキナワ時代だった幼い頃、戦場の残り香を嗅いで育ち、米軍による非人道的な数々の蛮行を実際に肌で見聞し、
民主主義が単なる見せかけの画餅で、米国軍政による圧政で故郷の人々を抑圧した歴史的事実があったにせよ、
またそれが僅かながらも未だ進行形の事象であるにせよ、米国は戦後の我が国の根幹を形作った恩人の国であり、
その恩を忘れることなく未来永劫に渡って「自由と民主主義」を守り、享受すべき魂柱だと筆者は考えています。

願わくば県民の皆様が少しでも公正中立で良質な情報に触れ、いつの日か自らの力で思考・覚醒し、
この美しい南の島の世を、子々孫々に渡って謳歌・堪能 出来る日が来ることを切に祈っています。
「慰霊・鎮魂・哀悼・合掌」
( ;∀;)

アトリエ・ブログ 私物化の私見、長くなりました。その批判は甘受します。ご容赦。
<(_ _)>

当真英樹



当ブログの筆者の一昨年の「T講師コーナー」にて、「沖縄戦大特集」を組みました。
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沖縄慰霊の日・特集


自称・筆者渾身の力作 (*^-^*)で、国内外(特に米国)からの写真資料が満載です。

By T講師



先週は地元警察の失態や、小田急線の踏切脱線事故も重なり、我が町・厚木の街は大渋滞の大混乱に陥りました。
何気ない日常がこんなにも脆く、またこんなにも平安で恵まれた日々だったと言うことを再認識させられました。
学童クラブの方も緊急の早朝迎え等が2日間、超異常な渋滞にはまり心身を窶した皆様も多数で、お疲れ様でした。