アトリエ・マイルストンブログ

2019年7月1日月曜日

梅雨時のブラック・ミュージック

月曜日・曇り 時々 雨・多湿
アトリエ・お休み日

美術教室のブログながら、まるで私設・音楽ブログのようです。
ご了承ください。

「ミュージック・ギャラリー(その365):雨歌ー3」


前置き、前回同様に長くなります。
ご興味のある方はお付き合いいただき、そうでない方は飛ばして即 動画の観賞をお楽しみ下さい。

「アメリカ黒人音楽の成立とその台頭」


上記、表題をごくかいつまんで(いわゆる大雑把に)言及してみたいと思います。

アメリカ音楽が世界に冠たる偉大な存在になれたのは、とりもなおさず多民族の融合に起因しています。
英国発のアングロサクソン、南欧系のラテン民族、ドイツ系のゲルマン民族、東欧系のスラブ民族等々、
それらの人々が19世紀末より欧州各地から移民、アイルランド系やその他の伝承音楽と入り混じり融合、
また英国由来の産業革命後に欧州から移入した資本家と、建国に際しての技術と資本の蓄積が功を奏し、
その後(第一次世界大戦(1914~18年)前後の状況は今回はスルーです)、
1929年のN.Y.金融界発の世界大恐慌を被りながらも、大量生産と消費、大衆文化の胎動は更に増大し、
20世紀初頭には、重厚長大なる商業化に成功した米国産業界のダイナミズムは音楽界や業界にも波及、
エジソン発明の蓄音機やラジオの普及も、現代へと繋がる大衆音楽の大量生産と消費を生み出しました。

アメリカ音楽が特にこれまでの西洋中心の音楽界とは異なる発展が可能となったのは主に次のような点です。
その理由は、
特に黒人音楽からの影響が顕著で、アフリカ大陸起源の打楽器のビートによるリズムの導入は画期的でした。
米国黎明期には主に南部で奴隷として大農場の農作業に赴き、その集団労働の中からワークソングが生まれ、
やがてそれは霊歌(スピリチュアル)や初期ブルースへと変化、キリスト教の普及と共にゴスペルにもなり、
やがて奴隷から解放。多くの黒人たちが66号線にて北上、五大湖周辺の工業地帯へ職を求めて大移動を開始、
人工増加に伴い中心部のシカゴでは娯楽としての音楽需要が高まり、そこへ多くの黒人音楽家たちが職を得、
従来の西洋音楽とは異なる楽譜や様式に依存しない新しい音楽形態を展開、大衆の需要を満たしました。
一方、南部へ残った黒人たちの中からジャズが誕生。西洋音楽で使用された管楽器などを駆使して演奏。
奴隷時代の艱難辛苦やその後の社会的差別等を背景に、西洋音楽的には異端であるブルーノートが生まれ、
それが黒人特有のリズムやビート感と相まって、従来とは異なる米国ならではの新しい音が創造されました。

筆者注:「ブルーノート」とは?
曲調がメジャー(長調)の調性時においても、その和音の積み上げにマイナー(短調3度)を用い、独特の憂いを表現。
西洋音楽の概念からすれば間違った調性で、それと共に不協調的な短7度のセブンス・コードも好んで用いられた。
黒人発祥のブルース(BLUES)のブルーとは憂鬱・陰鬱等を表す言葉で、歌詞だけではなく曲調をも指しています。
更に微妙さに言及すれば、西洋音階の半音以外の音階(?)も存在し、それが各地域や個々の個性にもなりました。
( 脱線話し:それが伝承音楽と言うもの。絶対音感に恵まれた友人知人には、雑音に聞こえて鑑賞不可とのこと.)
( 従ってエレキ・ギターのチョーキングや、ブルースハープ(ハーモニカ)のフェイク等は到底受容できないそう。)
「味」知らずの無菌室クラシック・ピアノ育ち、かわいそ (;^ω^)

この上記2点と、黒人ならではの力強いビートが加わり、人生の喜怒哀楽等の感情表現が豊かになりました。
やがてそれらの演奏形態が全米へと普及、他の移民たちの持ち込んだ伝承音楽等と結合しながら発展しました。

第二次世界大戦後(こちらもスルー)、
都市部で誕生したフォー・ビートのエレクトリック・ブルースを根幹に、エイト・ビートのロックンロールも誕生。
それは人種的な垣根を超えて白人の若者や労働者たちをも魅了。その中から歴史的に偉大な音楽家も登場しました。
そして第2次世界大戦終了後の50年代、ロックンロールやジャズは国境をも超えて世界にそのサウンドは飛び火。
ジャズでは晩年 国連の音楽大使にも抜擢された人間的にも大きなルイ・アームストロングの活躍・功績も多大です。
ロックンロールではエルビス・プレスリー(白人)等、ジャズではマイルス・デイビスらが登場。世界的な市民権を得て、
その後は現在に続く多くの偉大なるフォロワーたちを輩出。黒人ならではの特徴を如何なく発揮することが可能となり、
遠くヨーロッパの国々や東洋の我が国にも多くの音楽的・文化的影響を与え続け、21世紀の今日に至っています。
その間、黒人音楽は上記ジャンルから更に新しい脈動が生まれ、R&Bやソウル、ファンクやヒップホップ等も登場。
世界中の国々の音楽界やファッション・風俗文化等に多大な貢献・影響を及ぼし、21世紀の今日に至っています。
( 充分な推敲のない舌足らずな駄文・雑文、お読みいただいた方に感謝申し上げます。)
_(._.)_


お粗末な前説、長くなりました。
今回はそんな偉大なる黒人音楽の中から、雨にまつわる楽曲を取り上げてみました。

前述にはありませんが、黒人音楽に共通する特徴として民族的に卓抜したその身体的優位性にあります。
遥か原初の頃よりアフリカ大陸で培われた狩猟文化等による肉体的俊敏性や発声が、音楽にも充分に活かされています。
その立派な体躯を駆使し、豊かな声量を用い、憂いある歴史をも結果的に活用し、芸術的表現者としての地位を確立しました。

当コーナー久々の再登場です。
ロック音楽に明け暮れた筆者の10~20代前半、その合間に故郷や東京のクラブで聴き、チークダンスを踊った思い出の曲です。
雨の情景描写や情緒のたっぷりなアダルトなフィーリング、お楽しみ下さい。

ブルック・ベントン、「レイニーナイト・イン・ジョージア」(1970年)
Brook Benton, " Rainy Night In Georgia " with Lyrics

昨年、逝去したトニー・ジョー・ホワイト(白人男性)の名曲を、黒人ならではのテイストで歌い上げています。
ハモンドの響きやナチュラルな音のエレキ・ギター、ドラムの抑制の効いたシンバルやクローズド・ブラッシュ等、
しっとりとしたアダルトなバック演奏は、筆者にとっては快感です。


カバー曲好きな筆者、今回もまた同曲の別バージョンを取り上げました。今度は女性シンガー・バージョンです。

ランディー・クロフォード、「レイニー・ナイト、イン・ジョージア」
Randy Crawford, " Rainy Night In Georgia "

こちらのカバー曲も上のB・ベントン版に倣っていますが、女性ならではの繊細さが加味されて良い雰囲気です。


さて「雨歌」特集でこのコーナーを始めたのですが、筆者得意の脱線をも始まってしまいました。なおもお付き合いを。
R・クロフォードのハスキーな歌声と、歌詞に電車が登場するのを、筆者の連想で次の曲も聞きたくなってしまいました。

またジョージア繋がりだけではなく、動画冒頭の駅のシーンは何と雨にけぶっていると言う偶然もありました(*^-^*)。

こちらもまた元はと言えば、ジム・ウェザリーが前年に出した「Midnight Plane to Houston」のカバー曲です。
ではお聞き下さい。20世紀米国の黒人音楽が産み出した珠玉の傑作を。

グラディス・ナイト&ザ・ピップス、「夜汽車よジョージアへ」(1973年)
Gladys Knight & The Pips , " Midnight Train To Georgia "

バラードでありながら、歌唱の節々で登場する黒人独特のコブシや節回し、シャクリ等、快感です。
この哀愁感を聴いているだけで もう気持ちよくて、傍らのお酒がグンと進んでしまいます (#^.^#)。


「脱線歌2曲、またもや登場」


ブラック・ミュージック繋がりで「雨歌」以外も聞きたくなってしまいました。
その頃に流行った美しいメロディー&ハーモニーの名曲を・・・。

スリー・ディグリーズ、「天使のささやき」(1974年)
The Three Degrees, " When Will I See You Again " with Lyrics

こちらの女性3人組のグループは、どちらかと言うと黒人音楽の持つエグ味は少なく、洗練された味わいが快感です。
動画内に登場する数々の美しい花々の映像と共に、切ない詞のその涼やかなハーモニー お楽しみ下さい。


*

ここまで来たら、この曲も聴きたくなってしまいました。
上の70年代から時代は少しばかり、現代に近づきました。
この歌もまた黒人音楽ならではの歌唱が胸に迫ります。
その当時、結婚式の定番となった名曲、お聞き下さい。

アトランティック・スター、「オールウェイズ」(1987年)
Atlantic Starr, " Always "

ロマンチックそのものですね。歌詞もまたtoo sweet!で、結構こそばいですが・・・。
(*ノωノ)


梅雨時の「雨歌」特集にて、今回はムード溢れる黒人音楽のバラードばかりを取り上げました。
遠き昔の筆者としては、60年代後半のイギリス発祥のブルース・ロックに端を発し、黒人音楽に目覚めました。
クリームのエリック・クラプトン、レッド・ツェッぺリンのジミ―・ペイジらがブルース・ギターの魅力を伝え、
ロンドンの不良たち ローリング・ストーンズの数多くの黒人音楽カバー曲もまた筆者をブルースへと導きました。
その後、シカゴ・ブルースのアルバート・キングやオーティス・ラッシュ等のごついギターと歌唱が好きになり、
連鎖的に、更にアコースティックなカントリー・ブルースのライトニン・ホプキンス等の渋さにもハマりました。
来日時のアイク&ティナ・ターナーや、赤坂で経験したライブ時の黒人バンドのホーン・セクションの迫力たるや、
もう雷鳴のような大迫力があり、その耳をつんざくような金属的なキレはまるで鋭利な刃物のような鋭さでした。
とは言え、エグ味タップリの肉体派的サウンドには食傷気味にもなり、LP1枚の全ては到底聴けませんでした。
嗜好とは不思議で、ビートルズやツェッぺリン等のロックなら大音量で最後まで聴いても飽きなかったのですが。
とは言え、20代半ばに目覚めたジャズは今も大好きで、コーヒーやお酒のお供に欠かせない連れ合い的存在です。
20代後半から30代には、ロックと共にジャズやブルースの来日公演にも度々足を運び、その魅力も満喫しました。
最晩年の故カウント・ベイシー(ビッグバンド,P)や故アート・ブレイキー(Ds)らの熱演も心に焼き付いています。

故郷では黒人との混血の友人も若干いて、その体躯による走り等の身体能力、眼光の鋭さ、舌を巻いたものです。
高校生の頃、友人の1人が大の黒人音楽ファンで、当時 来沖したあのジェームズ・ブラウンも見に行った時のこと。
そのライブ会場は何と闘牛場で、観客のほとんどが黒人米兵で、その盛り上がり方は激しく熱気に包まれていて、
当時の故郷の米兵相手の歓楽街にも人種的区域があり、その鬱憤でも晴らすが如く黒い拳が宙に乱舞していたとの事。
その彼、所有レコードの全てがR&Bやソウルばかりで、筆者らのバンドにもソウルをやれ!と日々主張していました。
彼の部屋はブラック・ライトで照明されていて、壁にはカーリー・ヘアー黒人の大きなイラスト・ポスターがあり、
その部屋の醸し出すある種 淫靡な雰囲気はまるでアメリカの場末のバーのようで、今も脳裏に焼き付いています。
(;^ω^)
今では疎遠になって確認も出来ませんが、この年齢になってもそれらの音楽が趣味なのか尋ねてみたいものです。
年端を重ねた筆者も音楽的嗜好が淡泊気味となり、ソウルフルなアルバムには手が出なくなってしまいました。
若い頃の肉食派のステーキ好きから、今や一夜漬けや煮物などの野菜を好むようになってきた今日この頃です。
(*^-^*)


「オマケ:脱線して、再び雨歌に戻り・・・」


最後にオマケの曲をお届けします。
次の演奏家は欧州はデンマーク出身のハーモニカ奏者で黒人音楽家ではありませんが、縁が無いわけではなく、
黒人音楽家のようになりたかったエリック・バードンと言う英国の歌手の作ったバンドにも参加しています。
E・バードンはアニマルズのリーダー兼歌手で、米国南部の民謡を歌った「朝日のあたる家」は傑作中の傑作です。
その彼と「ウォー(戦争)」と言うバンドを結成し、黒人音楽の影響を受けつつ、無国籍的な演奏活動を行いました。

今回の「雨歌」は雨情緒の方ではなく、筆者的にはどちらかと言うと雨の合間の爽やかな晴れ間を感じてしまいます。

リー・オスカー、「ビフォー・ザ・レイン」インストルメンタル(器楽曲)(1978年)
Lee Oskar, " Before The Rain " ( Instrumental )

「雨の日」には「雨の日」ならではの情緒を楽しみ、そしてその「晴れ間」にはその時ならではの情緒をも充分に堪能し・・・。
結局、両得を満喫できる方が日常も人生もまた楽しからずや、と言うことで、まとまりのない今回コーナーを終えることにします。

雨の日に、そしてその晴れ間に、一幅の清涼剤として楽しんでいただければ幸いです。

天候により気温の寒暖差の激しい時節、健康には充分留意して体調崩さぬよう過ごしましょう。
水分・睡眠は充分に。
😊

By T講師