アトリエ・マイルストンブログ

2019年7月15日月曜日

ビートルズがアイドルでショー!

月曜日・連日の雨( ;∀;)、気温低し
国民の休日「海の日」
アトリエ3連休の最終日

もはや音楽ブログと化してしまった昨今の当アトリエ・ブログ、
新たな映像(授業風景やその完成作品)の投稿が不可能につき、
今回もまた音楽ブログとして投稿いたしました。ご了承下さい。

「ミュージック・ギャラリー(その367)」


「ビートルズこそがアイドルでショー!」


ここ数日、アイドルの生みの親の訃報に関してのTV情報が氾濫しています。
その時事ネタに筆者なりに思うことが契機となり、今回の特集となりました。

「ビートルズと言うアイドルたち」

ロック歴(聴取歴&演奏歴)半世紀(!)に渡る筆者とは言え、ビートルズの第1世代とは言えません。
そんなロック・ファン半世紀を誇る筆者がビートルズを初めて聴いたのが、小学5年生の時でした。
当時の3~4歳上のネーネーやニーニーらの噂話を耳にして、凄いグループが外国にいることを知り、
件の彼らは「長髪の4人組」でその髪の毛を振り乱して「大音量にてアップテンポの音楽」を奏で、
その音楽を生で聴いた女の子たちが、興奮のあまりに「絶叫して気絶してしまう」とのことでした。
小学生の筆者にはまるで理解し難い現象ながら、程なくして彼らの音楽に接することになりました。

那覇に波の上と言う海岸があり、その堤防部分には海上に突き出た形の数軒のボートハウスが在り、
それら全ての店頭デッキには当時に大流行していた大型の立派なジュークボックスが設置されており、
泳ぎやボート遊びでやってきた若者(主に中高生)や、仕事明けの米兵らで大いに賑わっていました。
海が、泳ぎが恋しくなった夏休みも直前の頃、小5の筆者はそんなボートハウスの1軒にやって来て、
ジュークボックス前でタムロしていた3~4人連れの若い私服米兵の選んだ1曲に衝撃を受けました。
曲が始まるや否やレコードをかけた米兵らが大きな体を揺すって踊り出し、自ら大きな声を張り上げ、
海からの柱で支えられた木製デッキを激しく揺らし、ジュークボックスのレコード針を飛ばす勢いで、
その大音量・アップテンポの今まで聴いたことのない音楽を、それこそ身体中にて堪能していました。
それが筆者のビートルズの音楽との最初の出会いでした。
その後、この曲を何度聴き、それをバックに何度踊ったのか不明なくらい、そこかしこで聴き重ねました。
( 小学生でモンキー・ダンスを、中学時代には件のボートハウスや海上で立ち泳ぎゴーゴーを踊りました。)
その当時の小中学生の持ち金ではジュークボックス料金は安くはなく、もちろんシングル・レコードも然り。
( シングル盤は筆者・中1の時、友人よりジャケット無し中古を25セントで購入しました。新品は1ドル。)

前置き、懲りずに、またまた長くなってしまいました。
ちなみにビートルズのスペルは、BEAT(ビート)とBeetle(カブト虫)の彼らなりの造語です。
世界中の若者たちを瞬く間に虜にした世界初のアイドル「ビートルズ」のご機嫌な1曲を。
映像は彼らが武者修行時代に世話になった地、ドイツはハンブルグでの凱旋公演の様子です。
ステージ後方でウロウロのネクタイ白シャツ姿の関係者おじさんたちが、多少目障りですが、
 " Let's, Rock'n' Roll ! "

ザ・ビートルズ、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」(1964年、チャック・ベリーのカバー曲)
THE BEATLES, " Rock And Roll Music (1964)" Composed by Chuck Berry(1957)

ジョンのカッコ良いボーカルのバックで、ご機嫌にはじけているピアノを弾いているのはポールです。
小5の筆者、ビートルズのこの曲と共に、ポップスのビートにも初めて出会ったような気がします。
その頃、筆者が聴いていたのは兄や従姉妹の影響でフォークの「ピーター、ポール&マリー」でした。
筆者が真にロックに目覚めたのは、中1のストーンズの「サティスファクション」との出会いでした。
ちなみに、
彼らの影響と、米国のエレキ・インスト・バンドのベンチャーズで我が国にもエレキ・ブームが勃発!
多くの中高校生が不良少年・少女呼ばわり(半分は真実・半分は嘘)され、家族との軋轢を生みました。
全国的エレキ・ブームはやがて多くのグループ・サウンズを輩出し、多くのスターを誕生させました。

* * *

1964年1月、フランス公演
同年2月、アメリカに初進出
ワシントン・コロシアムを皮切りに、クラシック界の殿堂カーネギー・ホールにても初公演
人気TV番組エド・サリバン・ショーに2度出演。その際の放映が全米TV史上の最高視聴率を記録。
レコード売り上げによる全米ヒット・チャート1~5位を独占。
同年6月~、デンマーク、オランダ、(英領)香港、オーストラリア、ニュージーランド等の世界公演。
その間にも数々の前人未到の驚異的レコード・セールスを記録、
シングル盤の「抱きしめたい」は1200万枚以上を売り上げる。
外貨獲得の貢献で、エリザベス女王よりMBE勲章を授与される。
等々・・・
その他、各種の既存記録をどんどん更新し続け、ビートルズの4人は時代と世界の寵児となりました。
以下、そのライブ演奏と映像、お楽しみいただければ幸いです。
その当時、P.Aシステムやモニター等も未発達の状況下での熱演です。

ザ・ビートルズ、初期(デビュー2年後)のライブ(イギリス・ロンドン)
THE BEATLES, New Musical Express Show Live (1964)

00:47 She Loves You 03:02 You Can't Do That 05:57 Twist And Shout 08:55  Long Tall Sally 11:20 Can't Buy Me Love

彼らの初期サウンドの特徴の一つでもある、ジョージによるリッケンバッカ―製12弦ギターもオブリ等で活用されて見事です。
プチ自慢かもですが、筆者も同モデルの国産コピー品を所有。コンパクトなヘッドが12弦には見えず、バランスが秀逸です。


さてお次はアメリカでの伝説のライブの様子です。
ビートルズのイギリス国内での人気が決定的なものとなり、その評価が大西洋を渡って本場の米国に飛び火。
十代の女性を中心として着火・点火した炎は見る見る大きく燃え盛り、やがて爆発的な人気を獲得します。
以下の動画は、そんな公演中の演奏録音や映像をコラージュした総集編の一部ですが、ご覧いただければ。
彼らのその当時の演奏っぷり(比較的・良音質)とファンたちの熱狂ぶりが垣間見える仕上がりとなっています。

THE BEATLES  American Tour (3/4), Summer, 1964, 
"Can't Buy Me Love", "If I Fell", "Hold Your Hand", "Boys"


どんどん、行きましょう。(P.C上でいつでもこれらの動画が見られるなんて、良い時代です!)
その当時、野球場(スタジアム)を使用しての大掛かりな公演など存在しない時代のエポック・メイキングな出来事でした。
英国よりやって来たビートルズを一目見ようと米国全土から駆け付けた観客の数、実に5万5千人以上だったとのこと。
そんな彼らと観客らの様子を生々しく伝える伝説のシーンが繰り広げられます。音質悪くもカラー映像でご堪能ください。

ザ・ビートルズ、「シェイ・スタジアムに於ける伝説のライブ」(1965年)
THE BEATLES , Live at Shea Stadium, New York, U.S.A (1965) ,FULL CONCERT

筆者の高校時代に噂では聞いていた「伝説のライブ」映像、正に「お宝」です。
当時のN.Y.の摩天楼や、アメリカのティーン・エイジャー達の服装や髪形など、とても興味深い記録です。
筆者が小~中学生だった頃、故郷に大勢いたアメリカン・スクールの子らと被っているのが感慨深いです。
彼らの演奏中、ステージ脇で見守るマネージャー、・ブライアン・エプスタインのどや顔も印象的です。
どこの公演会場でも規制する側の警察官が付き物で、既存社会の象徴のようにも見えて、面白いですね。

SET LIST
"Twist and Shout" "She's a Woman" "I Feel Fine" "Dizzy Miss Lizzy" "Ticket to Ride" "Everybody's Trying to Be My Baby" Can't Buy Me Love" "Baby's in Black" "Act Naturally" "A Hard Day's Night" "Help!"

一言、圧巻です!
彼らの魅力をいち早く見い出した世界のビートル・マニア(そう呼びます)な女子たち、
彼女たちの多くがローティーン(小中学生)に見えますね。親御さんらも彼女らの熱病に心労多かったかもしれませんね。



さてお次はチョイ出しの細切れ映像集ですが、貴重な我が国でのライブの動画です。
来日した際の彼らの諸々の情報も、南小島の筆者の故郷にも熱く伝わってきました。
アトリエ生徒のHT(東京出身)さん、この貴重なライブを生体験されたとのこと。羨ましい限りです。
そんな幸せな体験者、知人に他にも少数いましたが、彼らが言うには「物凄い歓声で何も聞こえなかった」との事。
でも数ある外国音楽家のよるライブ体験の中でも、ダントツのインパクトであったと異口同音に語っていました。
「いやはや何とも羨ましい~!」


ザ・ビートルズ、「ライブ・イン・ジャパン(武道館)」(1966年6~7月、計5回公演)
THE BEATLES LIVE IN JAPAN (at Budokan)

セット・リストは後ほど追ってアップします。


「アイドルからアーチストへ」

デビューから6年、
彼らの立身出世の大きな立役者の一人である彼らのマネージャーであるブライアン・エプスタインが急死します。
デビュー前の不良風革ジャン姿の彼らを、初期イメージである清潔な背広姿や演奏後のお辞儀などは彼の発案です。
通常の凡庸なタレント軍団ならば、ここで動揺・混乱し、活動も尻すぼみになりそうなものですが・・・、
しかし彼らは違いました。
ビートルズのメンバー4人は、敏腕マネージャーとして辣腕を振るった彼の活動形態や影響をことごとく排除し、
同年、コンサート・ツアーに明け暮れた活動形態を止め、自分たちの欲する音楽に専念することになりました。
中期と言われるその時期に於いて、彼らはひたすらレコーディングに没頭、数多くの傑作を生み出していきます。
今でこそ多重録音が定石になる以前の不便な時代に果敢にあらゆる方法に挑戦し、現在に繋がる基礎を築きます。
やがて自らのレコード会社を設立し、自分たちだけの作品のみならず、新人の発掘や支援も積極的に行いました。
音楽家としての才能はありながらも、商業的・経営的には素人のような彼ら、やがて経営は窮地に立たされます。
但し、しかし、
破滅に近い状態に追い込まれながらも、それでもなお彼らがこの上もなく幸運だったのは一人の男の存在であり、
その彼こそが「5人目のビートルズ」、もしくは「影のビートルズ」と言わしめる程の輝く才能の固まりであり、
彼らの良き理解者でもあるジョージ・マーチンの尽力が陰に日向に彼らの音楽活動を支え、結実させてゆきます。
「ペニーレーン」のピッコロ・トランペット、「イン・マイ・ライフ」のチェンバロ風ピアノ等、極上の歌心です。
マーチンは彼らがチャンプルーした料理を更に美しく盛って飾り、永遠の新鮮な息吹きと彩りを付加しています。
彼がビートルズに成した様々な有形無形の功績は、驚くほど偉大です。

↑上記、
「アイドルからアーチストへ」とのタイトルにしましたが、
元々のアーチストだった彼らがアイドルにもなったのです。
その彼らが「アイドル」と言う衣装を脱ぎ捨てて、元に戻ったと言うのが正しい解釈かもしれません。
以下は、そんな彼らのグループ(バンド)としての帰結です。

* * *

68年、ポールはメンバーが再び結束することを願い、様々な仕掛けやアプローチを試みます。
ドキュメンタリー映画製作もその一つで、レコーディングのためのアレンジや演奏等のスタジオ・ワークを撮影、
加えてその過程で誕生した楽曲をレコード化すると言うのが当初の目論見でした。が結果、うまくいかず、
逆に気持ちのすれ違いや小競り合いや、様々な内紛の様子が露わとなり、結束には程遠い結果となりました。
動画は、映画「レット・イット・ビー」でクライマックス・シーンとなる屋上での彼らの最後のギグの様子です。

世界のアイドルから、自己探求のアーチストへと変貌を遂げた彼らの自信に満ち溢れた潔い風貌が頼もしいです。
また演奏の方も、大ベテランとなった彼らならではの、力の抜けたルーズでユッタリな後乗りビートが快感です。

ザ・ビートルズ、「アップル・レコード本社屋上に於けるゲット・バック・セッション」
The Beatles - Apple Rooftop Concert (1969) Full Video
Get Back, Don't Let Me Down, I've Gotta Feelin',One After 99, Dig A Pony, Get Back #2

ポールの「再生」を図ったこの試みは失敗に終わり、1970年、ビートルズは正式に解散を発表します。
アイドルとしてのビートルズを脱ぎ捨てて、更にアーチストとしてのビートルズをも脱ぎ終えた彼ら、
それぞれが我が道を進み、多くの名曲を再び生み出しましたが、グループならではの醍醐味は薄れ、
結局、彼ら自らの意思と手で産み出した奇跡的存在であったビートルズの勢いを超えることはなく、
時代は移れど、彼らの残した多大な功績を後継者たちは授かり、カバー曲もまた日々進行形で誕生、
彼らが産んだ多くの楽曲が全人類的財産として、21世紀の今日も人々の心を豊かに幸福にしています。
(*^-^*)

* * *

「巻末特別篇」


上の「レット・イット・ビー」のライブ映像で彼らの特集の有終の美を飾ってもらいたかったのですが、
やはり欲張りな筆者、いつもの欲張りぶりが結局出てしまい、この動画をも取り上げてしまいました。
米国のケネディー・センターで行われたポール・マッカ―トニー名誉賞・顕彰式コンサートの模様です。
世界に多大な影響を与えた芸術家を表彰する催しで、過去にはレッド・ツェッぺリンや小澤征爾なども。
楽曲の一部にビートルズ解散後のウイングス時代の曲も含まれていますが、併せてご鑑賞ください。
階上の貴賓席にはご本人のポールや、現役時代のオバマ大統領夫妻ら お歴々の顔も並んでいます。
感動の名演奏オンパレードです。

「ポール・マッカートニー顕彰式コンサート」、於:ケネディー・センター(ワシントンD.C.)

SET LIST

7:50 - Hello Goodbye / Penny Lane (No Doubt) 10:22 - Maybe I'm Amazed (Dave Grohl & Norah Jones) 12:56 - She Came In Through The Bathroom Window / Golden Slumbers / Carry That Weight / The End (Steven Tyler) 17:02 - Let It Be / Hey Jude (James Taylor & Mavis Staples)

歴史に「イフ(もしも)」はありませんが、本来なら「レノン・マッカートニー」名義での受賞であればと痛感します。
中でも特に圧巻なのは、やはり永遠のロッカー、S・タイラーによる筆者も超大好きなアビイロードB面メドレーです。
ゲスト・ミュージシャンたちの素晴らしいパフォーマンスに、あらためてビートルズの偉大さを再認識させられます。
ジョン&ジョージの冥福を祈らざるを得ません。加えて彼らの名お産婆さんジョージ・マーチン氏の冥福をも・・・。

*

「筆者、脱線話」

もはや前世期の遠い過去となってしまったビートルズのアイドル時代のお宝映像を特集させていただきました。
筆者の中~高校時代に彼らの曲を多数レパートリーに加えていました。初期の「マネー」に始まり、
「ユー・キャント・ドゥー・ザット」等、晩年の「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」等々。
筆者・高2の頃に組んだバンドのリード・ボーカルのU君がポール似で、しかも歌声もそっくりでした。
ところが演奏の方のフル・コピーを試みるとこれが異常に難しく、彼らの凄味・非凡さがより理解でき、
満足できる結果(カバー曲演奏として)は生み出せず、「様になる」や「絵にする」には至難の業でした。
( その中で、特にあのシンプル極まる「アンド・アイ・ラブ・ハー」、彼らならではの乾いた表現世界。
アマ・プロ問わず、他の世界中のバンドや歌手ですら甘くなり過ぎて、彼らの超俗ぶりを心底実感。)
歌唱力抜群のU君も1年後にグループを脱退。多くのビートルズ・レパートリーを失ってしまいました。
( ;∀;)

相変わらずの支離滅裂、ご容赦。


* * * * * * *

「筆者後記:アイドルに寄せて」


今を去ること30年程前のバブル景気 華やかなりし頃、都心は青山のとある画廊のオープニング・パーティーでの事、
筆者が中学時代に周囲の女子たちに絶大な人気を誇っていた4人組アイドル・グループの一人に会ったことがあり、
その彼は人気者の一人で、クラスの女子らが彼のプロマイドを定期入れに大事に入れていたのを思い出しました。
彼が一世を風靡し元アイドルだと言うことに気がついた人は、企画関係者以外にはほとんどいませんでした。
付き人と共にCDを手売りする姿を見て、アイドルと言う存在が幻想の産物に過ぎないことを実感した次第です。
そんな幻想は本人が創ったものではなく、所属事務所の商業的意図とファンの人たちの集団催眠的心理に依り、
同時に中央のテレビ局の圧倒的な顔出し出演により、彼らの音楽が全国・自動的に大ヒットしてしまいます。
アイドルらの全てを否定する気は毛頭なくも、こと音楽に関しては低レベルで、CDも利益追求の一手段です。
十代や二十代など、若い人々の所有する時間も情熱も、小遣い等のCD購入の資金もまた当然限られています。
そんな状況下、サイン会や握手会の参加特権をエサに、同じCDを何百枚も購入させるような悪徳商法も登場、
お金を積みさえすれば、他者よりも優位性が得られると言うような価値観や風潮にも嫌悪感しか残りません。
同枚数なら、古今東西の素晴らしい感性と個性を発見・聴取する方がベターで、自らの人生も豊かになります。
同じアイドルでも、
自作の詞曲・衣装やキャラ付けや宣伝・ライブの企画等々、全て自ら行う地下アイドルの方が尊い気がします。

我が国の「アイドル」たち、映画の役者やバラエティー番組のタレントとしての存在は頑としてあるにせよ、
こと音楽に関して彼らの才能はあまり褒められた状況ではなく、テレビの音楽番組を学芸会風に下げています。
彼らの露出度が群を抜いていると言うことは、裏を返せば逆に音楽的才能に恵まれた人々の出演の機会を奪い、
全国的認知度や人気獲得ひいては人気上昇のためのプロモーションの機会も与えられていないと言う証しです。
当然なことを言えば、音楽は音楽そのもの(楽曲や歌唱や編曲・演奏等)でこそ成立して欲しいと痛感します。
「イケメン」とか「可愛い」とか外見的な要素を全否定せずも、少なくとも付随要素であってほしいものです。
本質的な音楽自体が軽んじられ付随要素こそが勝り、大手を振る我が国の芸能界・音楽界に呆れ果てています。
実力や才能がありながらもテレビに露出の機会を持たない音楽家たちは多く、理不尽さや無情を感じています。
現在、テレビ界には多くの偏向が散見され、一部芸人(と呼べない下品芸)や大手のタレントらのみが偏重され、
また音楽番組にも関わらず、人気があるとの理由でアイドルらが優遇され、無名に近い新人たちの起用がなく、
またそれら発掘するコーナーをも持たない構成や、世界的に通用する音楽家らを育てないのも残念な現状です。
真に音楽家としての優れた楽曲が放映されない地上波テレビ界に、筆者は暗澹たる思いに陥ってしまうのです。

救いがあるのはインターネットの存在で、地上波ではけっして登場しない音楽家たちの楽曲を耳にする機会があり、
そこから新しい才能や豊かな感性が旅立ち、多くの聴衆の耳に届くことは良いことで、そこに期待するものです。

この特集を企て編集している最中に、
何と偶然にも大手芸能事務所による独占禁止法違反事案が、NHKテレビの緊急速報のテロップで流され、
その直後のニュース・ウォッチ9では、冒頭にて公正取引委員会による「注意」を受けたとの報道があり、
筆者的には甘いなと感じつつも、「我が意を得たり」とばかりに、多少は溜飲を下げることとなりました。
但し、
この事案の当事者の片方である圧力をかけられた側の民放各社、翌日も何事もなかったかのようでした。
「エッ、その後も・・・?全然 !? マジ !?」
「圧力」とは、何も恫喝や強要とかだけではなく、便宜の供与や贈収賄などの犯罪案件をも含まれます。
テレビ界もまた多くのマスメディア同様「報道する自由、しない自由」を口実に、口をつぐむようです。
さすが積年に渡る超偏向業界、どうやら根深さ闇深さ筋金入りのようで、自浄能力 まるでなさそうです。
汚れ歪んだ自尊心なき忖度天国。
( ;∀;)



今回もまた前回と同様に長い長~い特集となりました。(-_-;)
最後までいお付き合いいただいた方がおりましたら、心より感謝申し上げます。
つまみ食いウォッチながらでも、彼らのライブに触れられた方々にも感謝です。
梅雨時のじめじめした時節、多少なりとも楽しんでいただけたのなら筆者的には幸いです。
ご訪問、ありがとうございました。
_(._.)_

By T講師

* * *

「投稿遅延について」

今週半ばには、当特集をアップするつもりでいたのですが・・・、
皆様も既にご存じの先日の京都での大惨事の悲報があり、しばらくの間、当ブログのアップを控えていました。
当アトリエ生徒 兼 クラブ・スタッフのYYさんも大好きな「京都アニメーション」の惨事に衝撃を受けています。
筆者もまたそれなりの動揺があり、当特集アップを手控えていましたが、ここは考え直してアップを行いました。
衝撃深く平常心に戻るには余りにも時期尚早なれど、僅かでも皆様の気分転換の足しになれば・・・。

多くの犠牲者のご冥福や、ご遺族の心身の平癒や、ご負傷された皆様のご回復を祈るばかりです。
筆者も大好きな京都の皆様や、ファンの皆様、全国の皆様、全世界の皆様が、いつの日か共に立ち直れますように・・・。
合掌

当真英樹

芸術は、平和の希求と同義語・・・。
対義語は、破壊・暴力・争い・・・。
人類属性の永劫なるその憎悪カルマにジョン・レノンも命を奪われ、今、京アニの人々もまた・・・。
やりきれない感情と、思考停止の日々・・・。