「76年目の沖縄慰霊の日」
6月23日は、故郷沖縄の公休日「沖縄慰霊の日」です。
遠き過去、筆者が物心ついた頃には、戦後20年前後との報道でした。
とは言え、筆者の生まれ育った那覇の街でも一歩丘陵地帯や草むらに分け入ると、そこには戦場の痕跡が在りました。
夥しい数の大小様々な形状を留めた赤錆びた弾丸、時に収集され損ねて風化が進んだ小さな頭骨や遺骨の破片・・・。
海岸の砂浜には大量の黒色火薬の粒、また唯一残った母校の中学校の校舎壁面には機銃掃射の弾痕が並んでいました。
近所の自然壕の中にはこれまた眼鏡や焼け残った軍靴の靴底や欠けた茶碗等、ありとあらゆる種類の生活道具の遺品群。
ある暑い夏の日、米軍がトラックでやって来て、その壕から大きな大砲砲弾やボロボロの鉄の塊りを回収していました。
汗グショグショで真っ赤になった米兵らの顔からは大量の汗が吹き出し、黒人兵の顔では大きな目が充血していました。
筆者が小学校低学年の時のことです。
あれから半世紀以上の時が経過するも、未だに不発弾は故郷のあらゆる場所に存在し、全ての回収には今世紀末までかかるとの事。
ごく最近の帰郷時でさえも、那覇市内の近所の工事現場で不発弾が見つかり、回収までの間に避難を強いられたことも度々です。
戦後76年、収集されなかった遺骨もまた然り・・・。故郷の市街地や野山や海中にさえ、人知れず朽ちてゆく人生の終焉・・・。
またその永眠された場所さえ知ることもなく、悲しみと悔いとを抱え込みながらも日々老いさらばえてゆく肉親縁者たち・・・。
「平和」は尊く「戦争」は醜く、決して繰り返してはいけない愚行ではあれど、我々人類が超越できない人類固有の業でもあり、
過去から現在へと繋がる もつれ乱れた組紐をしかと凝視し、紐解き、無念にも先立たれた無辜・無数の命や人生に想いを馳せ、
残された遺族らの現世での癒しと、未来の平安と念願の再会を祈るしかありません。
合掌
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「ミュージック・ギャラリー(その437)」
「鎮魂歌」
今回は以前にもお借りしてきたことがある動画を2編、取り上げました。
最初は作詞作曲者御本人の歌唱で、2番目もやはり以前お借りしたことのある筆者が最も好きなカバーです。
それぞれの良さがあり、御本人バージョンは何気ない自然の風景が美しいと感じられる動画になっています。
魂を揺さぶり、また全てを超越して鎮まる魂の言葉のような含蓄ある深い詞と共に、ご視聴ご鑑賞ください。
澄み渡るような歌声が、平和な世の中空に溶け込んでゆきます。
「いつも何度でも」、作曲:木村弓、作詞・歌唱 / 覚 和歌子 (Music Video)
「いつも何度でも」カバー、歌唱 / 竹中絵里
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「筆者後記」
「反戦」や「平和」を悪用する輩、故郷に多く・・・。
「慰霊の日」に「平和の礎(いしじ)」を訪れた筆者の家族に署名を強要する大声・拡声器の集団あり・・・。
前知事時代以来、当日の恒例風景となり、当局によるお咎めなし。
慰霊の気持ち有るには到底見えず、我田引水プロパガンダに徹す。
表現の自由ある国になれたこと、なっていることへの感謝見えず。
彼らの多く何故か関西弁・・・。名を「プロ市民」と言う・・・。
故郷の海も地も、未だ波高し・・・。
人心もまた然り・・・。
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神奈川県は引き続き「蔓延防止措置」に・・・。
一方の故郷は未だ「緊急事態宣言中」で・・・。
「ゴリ押し五輪」は矛盾お念仏 吹き出し中・・・。
「いやはや & なんともはや」の戦後76年・・・。
(冷や汗吹き出し中の)By T講師 (-_-;)