アトリエ・マイルストンブログ

2020年4月14日火曜日

日本もだけど、アメリカ頑張れ!

水曜日・快晴
暑くも寒くもなくの薫風に恵まれた快適な1日でした。

学童クラブ閉所にもかかわらず、相変わらずのブログ遅延です。
( 各種メンテや大工や庭仕事などで夜は即刻寝落ちの日々です。)
しかも加えて、筆者の古いP.C内での消失トラブルを避けるために、
中途半端ながらも とにかくアップさせていただきます。
ご容赦。



「緊急事態宣言」より1週間

外出自粛をする多くの人々、仕事休めずリスクを背負っての通勤の人々、一部のどこ吹く風の輩・・・
その悩ましい構図にはそれなりの結果が伴い、やがて全ての人々を巻き込む大嵐となってしまいます。
悩ましくも歯痒くも一月先も見えず、されどいつもと変わらぬ美しい自然に囲まれた平穏な日々・・・
世間も筆者も、その行きつく先は如何ばかりか・・・

(-_-;)


* * *

「ミュージック・ギャラリー(その409)」

「日本もだけど、アメリカ がんばれ !!」長尺スペシャル


We're chasing after you as same situation in Japan, But,

" Hang in there !!  AMERICA !! "


" I'm rooting for You, AMERICA "

" I really hope it goes well, soon ! "


当ブログでも折に触れ幾度も記してきましたが、筆者の幼年期の原体験音楽はアメリカの音楽でした。
ちょうど幼稚園に通い出した前後に、筆者の家には「親子ラジオ」と言う有線放送が導入されました。
映画や音楽好きな父の、当時まだ民間のテレビもラジオもなかった頃の米軍政下の贅沢な趣味でした。
なので、
同時代の沖縄で共に過ごした同世代の友人らでさえ、筆者のように米国音楽漬けで育ってはいません。
その後、日本語による民間放送を受信する真空管ラジオ購入後は歌謡曲とも出会い、その暗さに驚き、
( とは言え、そのウエットな表現もいつしか好きになってしまいましたが・・・(^^)。
あらためて幼稚園生の前後に聴いていたアメリカ音楽の明るさや目映さを思い知らされたものです。
またその当時、高級将校クラブに勤めていた叔母からいただいた米国原盤の分厚いLPレコードも聴き、
歌手のバックで雄大かつ優雅に演奏されるオーケストラやビッグ・バンドにも心を打たれたものです。


今こうして筆者の幼年時代の思い出を振り返る時、これらの米国音楽の持つきらびやかさは今もなお輝き、
昨今はまるで御先祖還りのように真空管ラジオの音を愛で、日々をその柔らかでふくよかな音色で満たし、
(自慢ですが)しかも大音量で聴くことができ、僅かとなった残された人生の時空を満喫しているのです。
その音源はYouTubeをMDに落として、それをPHONO(プレーヤー端子)から接続して再生鑑賞しています。
( ちなみに更に自慢ですが、別にスピーカー4段組みのオーディオもあり、気分によって換えています。)
( そのほとんどが往年の中古セットですが、まるで劇場のようです。これを幸せと言わずに何と言おう!)
!(^^)!
脱線自慢、失礼。
<(_ _)>


今日はそんな幼き日に聞き惚れて、楽しませていただいたアメリカン・ポップスの数多の名曲星座の中から、
ほんの一部を時系列もある程度無視して、思いつくままに並べてみました。
これまでにない超特大版です。とは言え、これまでにも登場済み曲多数です。

では参りましょう。往年のアメリカン・ポップスの星々の一部を・・・
( 是非、外部スピーカーやヘッドフォーン使用にて良質な音源の再現で、お聴きください。)
_(._.)_ (^^)
(筆者注:翌日、更に1曲追加してしまいました。エへへ (#^^#)


まずは彼ら、
彼らの数々の楽曲が筆者の日々を飾り、その「ムーンライト・セレナーデ」で1日が終わりました。
今回の冒頭一発目の曲は、朝の目覚めの際に、一瞬にして元気パワーを貰える超ご機嫌な曲でした。

グレン・ミラー楽団、「アメリカン・パトロール」

 Glenn Miller , " American Patrol  "




音楽原体験の親子ラジオで頻繁に流れ出でた曲の代表で、その不思議な語感に幼児が飛びつかない訳がありません。
二つ上の兄と共に、「♪ワンダフルへッチャン・ドゥ~ビー、ワンダフルへッチャン・ゴー」等と合唱してました。
最後部では「♪ワンダフルへッチャン・ドゥ~ビー、ポポンユパンスターン」と締めてました(一体何語?(#^^#)。
後年になって実際の歌詞の内容を知って驚愕しましたが、恋人を刺殺したと逮捕された男の冤罪を歌ったものです。

キングストン・トリオ、「トム・ドゥーリー」

The kingston trio , " Tom Dooley", (1958)



上の楽曲と同じく、やはり幼い筆者ら兄弟がこのお馴染みの童謡曲に飛びつかない訳がありません。
ご存じ日本の唱歌、節々にチャイニーズ風味が加わって妙チクリンな味わいの珍名曲となりました。
ユーモラスな歌唱に加えて、バックの超不思議なアレンジとダイナミックな演奏がけだし秀逸です。
アーサー・キットは他にもアラビア風の「ウスクダラ」も歌っていて、こちらにも飛びつきました。

 証城寺、アーサー・キット

 Eartha Kitt , " Sho-jo-ji (The Hungry Raccoon) ",1955 




上2曲とは打って変わって、しっとりとしたバラードが女性の艶やかさを教えてくれました。
唯一無二の上品で涼やかな歌唱は他の曲にも共通していて、子供ながらも筆者は好きでした。
ゆったり流れるストリングスとオブリのレスポール風のギターの調べも昼寝には最適でした。
叔母から貰った多数のLPの中に彼女のアルバムが3枚も入っていて、筆者のお気に入りでした。

ジョ二・ジェイムス、「アイム・ソーリー・フォー・ユー・マイ・フレンド」

Joni James , " I'm Sorry For You My Friend "


筆者幼き昔から、綺麗な清楚系の歌声は筆者の好みではありませんが、彼女は何故か特別です。
ちなみに高校卒業後の上京以来、本土のAMとFM放送で彼女の歌声を聞いたことがありません。
本土ではほとんど無名の存在なのか、同世代前後の友人らも知らず、未だ以って全くの謎です。



「後日・追加版」

上の「昼寝」繋がりでもう1曲、とても大切な歌をすっかりド忘れしていて、翌日思い出しました。
休日に父に連れられて見に行った映画館の洋画、その中で最も印象的で輝いていたのが彼女でした。
そのとろけるような石鹸の泡のような歌声は、幼い筆者を瞬時に眠りの世界に誘(いざな)いました。
21世紀の今も未だファンも話題も尽きぬ永遠のハリウッド女優ですが、東洋の南島でも同様でした。
子供の頃はセクシーさは理解できませんでしたが、彼女の可愛らしい笑顔は素敵だとは思いました。

マリリン・モンロー、「帰らざる河」

MARILYN MONROE - The River Of No Return(1954)with lyrics


映画好きの父から教わった外国人女性の初めての名前かもしれません。
他には同時期に女優リタ・ヘイワ―スの名前と顔も教えてもらいました。
おそらくその当時、亡父が二人のファンだったんだと今にして思います。



「後日追加版ー2.」

思い出し第2弾、要するに再追加です。
(*^^)v

柔らかな歌声とオブリのアルト・サックスの抒情、大好きでした(今でも)。

モーリーン・エバンス、「ボーン・トゥ・レイト」

Maureen Evans -" Born Too Late " (1958)




こちらは昼寝と言うより夜の雰囲気で、冒頭から流れるバックの男性コーラスが幸せな眠気を誘いました。

アール・グラント、「ジ・エンド・オブ・レインボー」

 Earl Grant , "At The End Of a Rainbow "(1958)



こちらもまた上のジョ二・ジェームス同様に優しさ・暖かさ・爽やかさに満ち満ちた清潔感が大好きでした。
やはりバックのオブリのシンプル・ピアノ、ストリングスのたおやかな調べに小さな胸を打たれていました。

ナット・キング・コール、「トゥー・ヤング」

Too Young by Nat King Cole W/ Lyrics



「ケ・セラ・セラ」等、彼女の曲も、その多数が親子ラジオのヘビー・ローテーションでした。
節々で登場のロングトーンの語尾が真空管ラジオ全てを豊かに振るわせて、筆者も震えました。


ドリス・デイ、「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」

Doris Day - Fly me to the moon - with lyrics


*

この人も超大好きな歌手で、その吐息混じりのハスキーな熱い歌声が筆者の叔母を想起させました。
叔母が愛人の米国将校からのプレゼントのレコードを「私、要らないから」と筆者らにくれました。
その当時、とても高価だったLPレコードをどっさり重ねて、小学生の筆者は鑑賞に耽ったものです。
今でも彼女の唄声を聴くと、条件反射で叔母のしゃがれ声と煙草をくわえた赤い口紅が浮かびます。

  ジュリー・ロンドン、「モア~この世の果てまで [日本語訳付き]」

Julie London, " More ~ The End Of The World "


幼き当時、親子ラジオや中波ラジオからは多くのコーラス・グループの分厚い声が流れ出てきました。
国内イメージの文部省推薦的な合唱コンクールや唱歌等とは正に正反対の、きらびやかな世界でした。

レノン・シスターズ、「夏の日の恋」
The Lennon Sisters, "Theme From A Summer Place" ❤ (Lyrics) ✿ 

これら魅惑のハーモニー、微妙な倍音が数多く発生して、その揺らぎ感が小学生ながらも快感でした。
またの機会があれば、そんなアメリカン・ポップスのコーラス・グループの特集を組みたいものです。


言葉の要らない華やかさ、まるでラスベガス辺りのショーを経験しているような派手な輝きです。
まるでライブ盤のような活きの良いノリ、バック演奏のバンドとのコンビネーションも秀逸です。

ボビー・ダーリン、「ビヨンド・ザ・シー」

Bobby Darin - Beyond the Sea - with lyrics



言葉の要らぬご機嫌さで、筆者も小5~中3頃に海辺のボートハウスのジュークボックスで良く踊りました。
勤務を終え、夜の街に繰り出す前の那覇航空隊の米兵らとも一緒になってバカ騒ぎした思い出があります。
時々は嘉手納からベトナムへ出撃する海上のB52の巨大な機影を眺め、その時だけは正反対の声が・・・。


ジョージ・マハリス、「ルート66」

Route 66 - George Maharis



当時、テレビで放映されていた人気ドラマの「ローハイド」の勇壮なテーマソングも歌っていました。
はじめはそちらの方にしようかとも迷いましたが、今回はこちら。いずれもが血沸き肉踊る名曲です。

フランキー・レイン、「ライダース・イン・ザ・スカイ」

Frankie Laine ~ (Ghost) Riders in the Sky (1963)



世界的で絶大な人気を誇るフランク・シナトラも、流石に子供の筆者にはその苦みある歌声は苦手でした。
筆者の注目(耳)を集めたのは彼の娘の方で、その頼りなさげな数々の歌声は今でも筆者のお気に入りです。
他にも大好きな曲多く迷いに迷いましたが、今回はこの幸せそうな父娘の軽快なデュエットを選びました。

フランク&ナンシー・シナトラ、「サムシング・ステューピッド」

Frank & Nancy Sinatra ~ Something Stupid (1967)



今回は敢えて1曲に絞りませんでした。アメリカ民謡(フォークソング)と、大好きなジャズ・ナンバーを。
俗世間を超越した力強くも清楚な歌声、ご観賞いただければ幸いです。
下はネイティブ・アメリカンの娘との悲恋を川の流れに例えた名曲です。

ジョー・スタッフォード、「シェナンドー(川)」

 Jo Stafford, "Shenandoah "



ジョー・スタッフォード、「レッド・リバー・バレイ」

 Jo Stafford and The Starlighters , "Red River Valley " (1949) -



ジョー・スタッフォード、「セプテンバー・イン・ザ・レイン」

Jo Stafford - September in the rain lyrics



ナット・キングコールと共にこの人の存在も幼い筆者の音楽体験から外せはしません。
数ある名曲・名演・名唱の中から、このコーナー幾度も登場のこの曲を敢えて今回も。

ルイ・アームストロング(サッチモ)、「ハロー・ドリー」

Hello, Dolly(Louis Armstrong)英語歌詞付き(With Lyrics in English)



こちらもやはり当コーナー幾度も登場の名曲です。
そのサラッとしつつも野太い歌唱、いつまでも耳から離れません。

サラ・ヴォ―ン、「ラバーズ・コンチェルト」

A Lover's Concerto【訳詞付】- Sarah Vaughan



中~高校生時代に安物・中古ギター抱えて、みんなで良く歌った名曲です。
スリー・コードで歌えるシンプルさと、デレデレで切ない歌詞がみんなを幸せにしてくれました。
キャンプやビーチ・パーリ―でも引っ張りだこの曲、米国人グループとも折々に合唱したものです。
「音楽は国境を超える」、正にその通りのコミュニケーションが筆者の思い出を良き物にしました。

エリザベス・ミッチェル、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」

Elizabeth Mitchell - You Are My Sunshine lyrics


出会って歌い始めて半世紀余・・・、今も何一つ変わることなく筆者の日常にて活きています。
胸がキュンとなるのも当時のまま、アコースティック・ギターの音色に溶け込み滲んでゆきます。



前回の当コーナーで紹介の女性シンガー、カバー曲も多く、多角的に楽しませてくれます。
透明感と張りのある伸びやかな歌声、当時の若者(特に女性)に人気があったのも頷けます。

 コニー・フランシス、虹の彼方に【訳詞付】

Connie Francis " Somewhere Over The rainbow "

* * *

「ええっ?凄い長尺!」 何と全部で20曲にもなったようですね。
( 翌日、1曲 追加したので全21曲となりました。さらに増えたりして・・・(-_-;)

これでも抑えに抑えてこうですから、いかに往年の米国ポップスが名曲揃いだったかが判ろうと言うもの。
編集中に選択しては「これではいくら何でも多過ぎだろ」と涙と共に消去したものも多数に上りました。

これらの曲、幼稚園前後に聴いて未だ飽きもせず、決して短くはない筆者の人生の節目節目で聴きました。
暖かい歌声による美しい旋律、バックを彩る感性豊かな完璧なアレンジと一発レコーディング等々・・・
筆者はこれら往年のアメリカン・ポップスに出会えた事を心から喜び、亡き父に感謝する今日この頃です。
何一つ色褪せることのない名曲たち。
この困難な時にもかかわらず、否だからこそ逆にその温かな音楽たちと共に日々を楽しく暮らすつもりです。
やがて来るかもしれない「死」の実感を初めて予感し、その覚悟を決めなければいけない今日この頃ですが、
これらの音楽たちを人生のBGMに選べることが出来た自らの人生を、一寸ばかり自慢できる春の日々です。

* * * * *

今回の新型コロナ・ウイルス禍、世界で最も多い60万人以上の感染者と3万人余の死者を出しているアメリカ、
( とは言っても肺炎感染発生国の非民主国家の数字や終息宣言は、全く信用に値するものではありません)
あの大きく輝いていたアメリカ。その現代の光景とは信じられないよう衝撃的な日々・事象が続いています。
あの贅沢で物量に富んでいだ世界の覇者たるアメリカが今、想像を絶する疫病の成す地獄図に喘いでいます。
私たちの住む日本もまたそんなアメリカの後を追い、「感染爆発」と「医療崩壊」の恐怖に晒されています。

私たちの住む日本の現在は、彼らアメリカの施した民主主義の上に成り立っていると言う歴史的事実を踏まえ、
(  ポツダム宣言後~講和条約成立前には、ソ連・中国らとの分割占領統治も検討されていたとの事実あり!)
太平洋の向こうの対岸の火事と捉えることなく、その恩恵を充分に認識した上で無力ながらも寄り添いたいと、
切に願い心配する日々です。
友人・知人も何組かいます。
彼らと私たちに幸運を・・・

" My deepest thanks to you, AMERICA "

" I'm very sorry for your loss and sadness,Now."

" I'm rooting for You , AMERICA "

" I really hope it goes well, soon ! "

" Pray for you and us."



「 日本もだけど、アメリカがんばれ !! 」

We're chasing after you as same situation in Japan. But,

" Hang in there !! AMERICA !! "


By (Hideki Toma ) T講師
( 取りあえずアップ)

「 めげることなく、共に頑張ろう!! 」
" Let's do our best together !!"


V (#^^#) V