アトリエ・マイルストンブログ

2018年9月3日月曜日

秋九月、2学期始まる

月曜日・曇り 時々 霧雨

夏休みだった市内の小学校も、今日から2学期です。

当アトリエ・ブログは未だ投稿不可が続いています。
夏休みの間に生まれた力作・快作群の紹介が出来ず、重ね重ねも残念です。
とは言え、
アトリエ・キッズや学童クラブのみんなも何とか夏休みの宿題絵を完成させ、筆者も安堵しています。
ホッ
(*^-^*)

* * *

と言う訳で、今回もまた恒例となったお茶濁しの

「ミュージック・ギャラリー(その324):夏唄最終編」


をお届けします。
(今回の2曲は、以前 当コーナーにて別動画を取り上げたことがあります。)

猛暑・酷暑と言われ続けた今年の夏も、流石に秋の気配に侵食され始めました。
朝夕はそれなりに低い気温の日も増え、夕刻の黄昏訪れは随分と早くなりました。
そんな時節の筆者・脳裏の自動ジュークボックスでは、こんな曲が流れ出てきます。
次のこの名曲、特にこの時期を歌ったものとは断定はできませんが、
歌詞の一部からそんな価値付けが筆者の中で行われたものと思われます。
日本語の美しさ、聞く者のイメージをくすぐる曖昧模糊とした暗示的な言葉の羅列、快感です。
動画利用がブロックされているため、画面内の「youtubeで見る」をクリックの上、お楽しみください。

「少年時代」1998年、作詞:井上陽水、作曲:井上陽水・平井夏美

歌詞

夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれにさまよう 青空に残された 私の心は夏模様 夢が覚め 夜の中 永い冬が窓を閉じて 呼びかけたままで 夢はつまり 想い出のあとさき 夏まつり 宵かがり 胸のたかなりにあわせて 八月は夢花火 私の心は夏模様 目が覚めて 夢のあと 長い影が夜にのびて 星屑の空へ 夢はつまり 想い出のあとさき 夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれにさまよう 八月は夢花火 私の心は夏模様



聞き手の心に刻まれた情緒を、さりげなく呼び覚ます正に名曲ですね。
筆者の個人的な思い入れでは、何故か「昭和」を強く感じさせる歌です。
「さらば、思い出、夏の日々」

* * *

夏唄特集は上の曲で終わりながら、今回もオマケでもう1曲 続けます。
残念なことに、
夏休み明けのこの時期、小・中・高校生徒たちの自殺が年間を通して最も増加する現象がずっと続いています。
義務教育とは言え、人間関係が主で学校に苦痛を覚える子供たちも数多く存在し、その根本的解決が困難です。
「いじめ」で言えは、欧米の学校のように、いじめた側から誓約書を取り、登校拒否や転校を促すべきです。
「身体への暴力」同様に、他者に多大な苦痛を強いる「心への暴力」もまた、子供とは言え決して許されるものではありません。
無力な専門家でもない第三者の筆者が言及するのも おこがましい限りですが、
学校現場や両親をはじめ、周囲の大人たちが真剣かつ持続的に関心・注意を払い、悪行の芽を摘み取ることが肝要だと思います。
ごく微力ながら、筆者もまたそのような相談に乗せていただいてる一人として、心が痛む季節の始まりを感じてしまいます。
「共に頑張ろう。」

今回は、夏唄特集の「山の日」で紹介した若き歌姫の代表的名曲として、その後の熟成された歌声をお届けします。
訳詞付きのオリジナル判動画に加え、近年のライブの様子もyoutube上より共にお借りしてきました。お聞き下さい。
けだし名曲・名歌唱です。

ダイアナ・ロス、「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」
Diana Ross, " If We Hold On Together " ( 1989 )

Diana Ross, " If We Hold On Together ", Live version.

管弦楽団や合唱団を伴奏に力みなく伸びやかに歌うダイアナ・ロス、これまでに培われた全てが出ていて、正に面目躍如です。
なお余談ですが、この名曲の詞の中にもまた前回の「山の日」特集の際の代表曲と同様に、「山」や「谷」が登場しています。
筆者、彼女のライブの経験こそありませんが、20年程前にTV放映された今は無き東京厚生年金会館でのライブ映像が宝物です。
彼女の澄み渡る高音と包容力のある低音が一体となった声、聴衆に対する暖かな愛情が感じられ時折再生しては癒されています。

若き遠き高校時代に挫折した経験とその救済に周囲の旧友たちの温情を受けた身の筆者、その恩送りが僅かでも出来れば幸いです。
彼らのおかげで、筆者 今も元気に幸せな日々を送ることができています。
感謝

例え子供たちが不幸にも挫折したとしても、そこから立ち上がる契機を与えられる力が筆者にあれば幸いに思います。
(*^-^*)



今回の遅ればせブログ、アップ前の記述途中で様々な天変地異があり、各地でその甚大な被害が発生しました。
「備えあれば憂いなし」とは言え、「対岸の火事」のように静観・傍観している自身が情けなく感じています。
町内の「防災の日」の訓練もただ形式的にやり過ごし、いつにもなく複雑な心境の秋九月の始まりとなりました。



昨今の筆者、9月の声を聞けば、それは即近々の「年末」を意味するように感じています。
「光陰矢の如し」がひしひしと身近に感じている昨今です。
「まだまだ色々頑張らなくては。」
(*^-^*)

二学期もよろしくお願いいたします。

By T講師