アトリエ・マイルストンブログ

2018年12月17日月曜日

ドイツの学校、合唱ライブ

月曜日・曇り 時々 晴れ
アトリエ定休日

「 お休み日のお知らせ 」


今週末の12月22日(土曜日)から天皇誕生日の振り替え休日の来週12月24日(月曜日)の三日間、
アトリエは お休みとさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

* * *

例によって恒例のブログ映像アップ不可のお茶濁しの

「出張ミュージック・ギャラリー(その342)」


ギムナジウム(ドイツの中高一貫校)の合唱ライブ・コンサート


先日、YouTube上の「あなたへのおすすめ」画像にて、興味深い動画に出会いました。
それはドイツでのコンサートの様子で、ステージ狭しと集った若い男女みんなで合唱する動画でした。
ギムナジウムとは大学進学を決めた生徒たちの通う中高一貫校で、そこへ通う生徒たちのコンサートの様子です。
国内の合唱コンクールのような精鋭合唱部による高度なコーラスではありませんが、心温まる初々しさが魅力です。
曲はそのどれもが稀代の名曲で、その当時の空気感のみならず、今もなお輝きを放っていることが再認識されます。
男女学生のパート・パートでの歌い分けや、途中のラップ風なソロ(1曲目)など、洒落たアレンジや伴奏も快感です。
伴奏者は中高校生ではないので、もしかしたら学校の教師たちかもしれませんが、アレンジもその演奏も秀逸です。
また3曲目でのステージ最前列の男女児童は、ギムナジウムの最年少生徒たち(日本では小学5年生)かも知れません。

では3曲、続けてどうぞ。

「エブリー・ブレース・ユー・テイク(ザ・ポリス,1983年)~アイル・ビー・ミッシング・ユー(パフ・ダディ―,1998年)」
クサヌス・ギムナジウム生徒によるコアー(コーラス隊)のコンサート、ドイツ、2014年
"Every Breath You Take (The Police)~I'll Be Missing You(Puff Daddy) " / Cusanus Gimnasium ( Germany )
Conductor and Arrangement/ Michael Forg, School Concert at the city hall of Erkelenz in 2014

移民の受け入れに積極的なドイツだけあって多様な顔があり、民族性が混じり合いつつある現代が興味深いです。
ちなみに中間部で見事な英語でのラップを披露している男子はイブラヒムと言う名前のイスラム系のようです。
この曲自体がポリスの原曲をベースにしたフュージョンで、黒人文化と見事に融合したグローバルな音楽です。
個と全体、統一性と個性、男性と女性の声質、地域と歴史、民俗性と文化等、色々な要素を考えてしまいます。


「アフリカ(TOTO、1982年)」
" Africa ( TOTO ) "

言わずと知れたトト(と呼びます)の超名曲です。
ソプラノ(高音域)に片寄らないミッドレンジ(中音域)のぶ厚い男女混合の合唱がカッコ良く、また心地よいですね。
ちなみにこのTOTO、初来日時には、数多くの便器に自分たちのバンド名が記されていて驚いたとのエピソードあり。


「ヒール・ザ・ワールド(マイケル・ジャクソン、1992年)」
" Heal The World ( Michael. Jackson )

こちらもまた「永遠少年」マイケル・ジャクソンが紡いだ超々名曲、その純粋世界につい惹き込まれてしまいます。
当動画、ソロで歌うギムナジウム先輩の女生徒を傍(左側2番目)で見上げる女子児童の表情が可愛くて面白いですね。
バック演奏の楽器にシンセサイザー(キーボード)が1台あるだけで、奥行きやイメージ豊かな音場空間となっています。
ちなみに総指揮役の男性が弾いているピアノは我が国のヤマハ製で、ピアノの本場のドイツでも頑張っているようです。
ドイツの男女生徒・児童による美しい合唱と皆の表情が感動的な動画でしたが、お楽しみいただけたのなら幸いです。

筆者の故郷で言うチャンプルー(何でも混ぜる)文化で、正にごった煮の良さが活きた結晶のような動画に仕上がっています。
ドイツでも、米国社会の象徴の「人種のるつぼ」を意味する「メルティング・ポット(Melting Pot)」が誕生しつつあるようです。

* * *

「筆者後記寸感」

つい先だって国会でも「外国人受け入れ法案」が成立しましたが、入管での非人道的扱いなど、諸問題も未解決なままなようです。
単なる都合の良い安価な労働力供給として対処するだけなら、個々の人権や若い働き手双方が共に疎外されそうで心配になります。
また文化や言葉・風習・価値観の違いから、その土地土地で新たな対立が生じるのではないかとの懸念も払拭されてはいません。
とは言え色々な軋轢や負の面があるにせよ、他民族の文化や労働力を吸収しつつ、ダイナミズムを維持しなければならぬ状況です。

単一民族国家と言う我が国ですら、古代より縄文(起源狩猟民)や弥生(大陸稲作文化)や、琉球やアイヌも混ざる複合文化圏です。
海に囲まれて国境を他国と地続きで接しない我が国にも、またそんな人種のチャンプルー現象が新たにやってくるのでしょうか。
故郷の小さな島は、生まれた時から色々な人々(台湾、フィリピン、インド、米国軍人軍属、混血 その他)が混在していました。
そんな人種チャンプルーの中では差別をしたり・されたりが複合的・重層的・日常的にあり、それはそれで有意義な体験でした。
自己や家族や身近な人が差別されるのは悲しいことなのに、その悲しみを解せぬ人が差別を平然と繰り返し、増殖させるのです。
単一で無味乾燥な無菌室暮らしより、雑多世界で見聞・経験する人生が喜怒哀楽の価値をより深く味わえることもまた事実です。
無知は無恥、無垢は無苦。苦しみは少ないに越したことはないですが、他者を思いやる心や想像力は最低限 育ってほしいものです。

「いちゃりばチョーデー(行き遭えば皆兄弟)」と言う言葉が故郷にはあります。
そんな故郷もいつしか二極分化の方に進みつつあり、何だか被害者意識が過剰な近隣諸国にも似てきた感もありで複雑です。
時として兄弟喧嘩もやり合うも、また酒を酌み交わし、肩を組み、歌い踊る、そんな理想的な国に将来なると良いのですが。
我が国の近未来の社会がフュージョン(融合)であって、コンフュージョン(混沌)とはならぬよう、切に祈るばかりです。
が、果たして・・・・?

By T講師
( 個人と国家は別なれど、非民主や戯言の近隣国家がある限り、理想は夢想の絵空事で終わりそうで危惧する今日この頃です。)
( ここ数回に渡る まとまりのない乱文・雑文投稿、ご容赦)