アトリエ・マイルストンブログ

2018年12月24日月曜日

国民の祝日と Xマス・イブ

 月曜日・久々の快晴・温暖(但し北風 少々強し)
「祝日:天皇誕生日(の振り替え休日)と クリスマス・イブ」

来年四月、史上初の生前退位をされる天皇陛下、長い間お疲れ様です。
余生は皇后陛下と共に充分におくつろぎいただけるよう願っています。
_(._.)_

* * *

「我が町・森の里の不思議・短気なクリスマス・イルミネーション」


「若宮公園内・遊水池に浮かぶ毎年恒例の大型イルミネーション」

「若宮公園・野外音楽堂の頭上を飾るツリー型イルミネーション」

上下共に我が町内を飾るお馴染みのイルミネーションです(注:当画像は共に昨年撮影の使い回しです)。
が、気が早いことに12月初旬から飾られるのは良いのですが、毎年「イブ(24日)」までしか点灯しません。
「クリスマス当日(25日)」の夜には何故か撤去されてしまっていて、いつもの闇夜世界に戻っています。
「お正月」で例えると、年の瀬には早々と設置、けれど大晦日までしか飾らないと言う門松みたいなもの。
「当日」を軽視する「本末転倒の点灯」と言わざるを得ません。
 不思議で短気な我が町のイルミネーション。
今年(明日本番の晩)は、果たして・・・?
(-_-;)

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「出張ミュージック・ギャラリー(その343)」

真空管ラジオ購入記念:「思い出の日のラジオ・クリスマス・ソング」


当コーナーにて度々記していますが、筆者の幼年時代の故郷は米国施政下の真っ只中にありました。
戦後10数年を経ても周囲には戦場の残り香が漂い、多くの米軍人・軍属や家族が暮らしていました。
民間の電波利用は著しい制限があり、生まれた時からラジオやテレビがあったわけではありません。
そんな中、
我が家には「親子ラジオ」と言う有線放送のラジオがあり、幼年の筆者を終日楽しませてくれました。
我が家の居間の鴨居の上に設えられた木製の箱には、布張りのスピーカーとツマミが一つありました。
そのベークライト製のツマミはON・OFFと音量調節で、右にひねるとしばらくして音が鳴り出します。
そこから流れ出でてくる柔らかな音はその全てが音楽で、そのほとんどが米国製のポップス等でした。

また近所には親戚の女性が米国人と結婚して暮らしており、そこには大型の真空管ラジオがありました。
そのラジオは美しく立派で、選局表示窓は暖かな色に点灯され、柔らかな音色が部屋を包んでいました。
更に近づくと木製のキャビネットは熱を帯びて暖かく、裏面のラグ板は焦げたような匂いを発していて、
その狭間からは林立する真空管が見え、それはまるで夜の秘密基地のように神秘的な光を放っていました。
朝の光に満たされた室内にはやがてトーストとコーヒーの香りが加わり漂い、ご主人の起床となりました。

小学校に入学した頃には我が家にもプラスチック製の真空管ラジオが登場。本土発の流行歌等も聞き始め、
また新たに出現したテレビにいつしか主人公の座を奪われ、ラジオはバラエティー番組聴取がメインとなり、
やがて電蓄も登場、筆者の音楽鑑賞の中心はラジオから、テレビやレコードがメインとなっていきました。
ちなみに筆者が初めて買ってもらったレコードが、以外(当然?)にも東京消防庁吹奏楽団の行進曲集のLPでした。

その頃のクリスマスの思い出と言えば、4~6年生頃に級友女子宅へお呼ばれ、交換用のプレゼントを持参、
家族ぐるみで歓迎、居間の立派なピアノ(電子Pは当時無く)に感服したり、カードゲーム等も楽しみました。
中学でも24~25日にお呼ばれパーティーをかけもち。女友達の姉夫婦の旦那さんが米軍将校さんだったり、
遠方の初めての暗闇バス停で、次のお呼ばれ先に行くためのバスを寒風下で長時間待ったりしたものです。

中1になってその当時に国内で大人気だったグループ・サウンズ経由で、海外のエレキ・サウンドにも目覚め、
ローリング・ストーンズやビートルズ等のビート音楽に触れ、ギターやドラムも発見、バンド活動にも熱中。
ロック狂いの極め付けはストーンズの「サティスファクション」と言う曲で、その歪み音にK.Oされました。
周囲の環境(軍人相手の歓楽街やボート・ハウス等)も手伝って、やがて「寝ても覚めても」状態となり、
(当時、ジュークボックスが巷で大流行、米軍基地由来の輸入レコードも筆者周囲では流通しました。)
高校受験もそっちのけの親不孝な「ロック・バンド・どハマり夢中少年」と相成ってしまったのです。
当然、成績は右肩下がりの超急降下。今思うと相当呑気・能天気な○○(アで、ワに非ず)ガキでした。

その頃からまたラジオ聴取が大復活、KSBK(コールサインが米国内扱い)と言う英語放送に夢中になり、
米英で流行りの最先端な音楽(当然 主にロック)を1曲たりとも聞き逃すまいと飢餓状態のように聴取、
おかげで受験勉強はせずに、深夜までラジオ(パックイン・ミュージック等も)を聴いていたものです。


前置きが随分と長くなりました。
そんな筆者の幼少時代にラジオから流れ出てきた数多くのクリスマス・ソングを今回の特集としました。
遅まきながら、懐かしのウオームな歌声、まずはお聞き下さい。
真空管ラジオ同様の暖かくてマイルドでアダルトな温もりある声、まるで子守歌(ララバイ)のようです。
( 同じ曲ばかりで飽きてしまうと言う方は、好きな歌手だけでもどうぞ。)

「ホワイト・クリスマス」聴き比べ / ビング・クロスビー、T・ベネット、F・シナトラ、P・ブーン、E・プレスリー
" White Christmas " ( Compared listen )/ Bing Crosby, Tony Bennett, Frank Sinatra,
Pat Boon, Elvis Presley


「おじさんソング」をもう1曲、50~60年代を一世風靡した往年の大スターです。

ディーン・マーチン、「ジングルベル」
Dean Martin, " Jingle Bell "

ほろ酔い気分のようなレイジーしっとり感がたまりません。
小学生の頃は年末だけにTV放映されるジェリー・ルイスと共演のドタバタ・コメディー映画がとても楽しみでした。
彼の大ヒット名曲、" Everybody Loves Somebody "も聞きたくなってきました!

以前、当コーナーにて取り上げたことがある動画で、更に「最近の若い(成り立て?)おじさん」の同曲をもう一つ。
その男性歌手に一歩も引けを取らない存在感で共演しているベテラン姉妹コーラス隊が往年の感じのまんまです。

マイケル・ブーブレ&プッピ二・シスターズ
Michael Buble featuring Puppini Sisters, " Jingle Bell "

洒落た軽快さが ご機嫌です。
この曲を陰で支えているスインギーなウッドベースとドラムの小刻みなブラッシュ・ワークも快感です。
コーラス隊の彼女たちは、筆者幼年期の親子ラジオ時代からのお馴染みで、随分とお世話になりました。



今回のラジオ・クリスマス・ソング特集の最後の曲です。
筆者高校時代に英語放送のKSBKで大ヒットした曲(以前に当コーナー紹介済み)を取り上げます。
その頃の我が家のラジオはトランジスタになり、筆者は流行のステレオ・レシーバーでした。
クリスマス・シーズン前、ヘビー・ローテーションで流れていて、その軽快さは秀逸です。
また友人たちと集う数軒の店(ソバ屋や天ぷら屋に非ず)でも、よくかかっていたものです。
当時、故郷に在留する米軍人の中にはラテン系の兵士もかなりの人数に上っていたと思います。
その数は現代ほどではないにしても、彼らの出身国や家族を想い返すには恰好のヒット曲です。
プエルト・リコが生んだ天才盲目シンガー兼ギタリストのご機嫌な代表曲の一つです。どうぞ。

ホセ・フェリシアーノ、「フェリス・ナビダ」(1970年)
Jose Fericiano , " Fellz Navidad ( I Wanna Wish You A Merry Christmas )"

「フェリス・ナビダ」はメリークリスマス、「プロスペロ・アノ・イ・フェリシダ」は豊穣なる新年と幸せをとの意味です。
中南米をはじめ、ラテン諸国ではクリスマスの歌として、今では定番中の定番になっていると言う大ヒット曲とのことです。



筆者の記憶としては、ラジオでのクリスマス・ソングとしては、これが故郷時代の最後かもしれません。
この曲を聴くと、故郷での遠い記憶が蘇り、その後、会えなくなった友人たちの顔が浮かび上がります。

当時、筆者の故郷は米軍の統治下にあって、今より数倍の米軍人や軍属やその家族たちが駐留していました。
クリスマス・シーズンともなると米国人の彼らがいつになく浮かれることは、子供心にも感じたものです。
その当時の米国は強大で絶対で、豊かな物量を誇る戦勝国・支配民として故郷の隅々に君臨していました。
彼らの祭りのクリスマスは派手で明るくきらびやかで、筆者らのつましい暮らしを遥かに陵駕していました。
でも真空管ラジオから流れ出でるクリスマスを彩る無数の曲たちは、子供の筆者をも確実に魅了したものです。
羨望が入り混じった不思議な感情が筆者らの中に芽生え、自分たちのクリスマスが出来ないことに苛立ちも覚え、
それは半世紀を経た今ですら完全に払拭することは出来ない心の奥底に沈殿したある種の痛みすら伴う感情です。

とは言え、子供の頃に聞いて心に深く刻まれたそれらクリスマス・ソングのメロディーは未だ筆者の中で蘇り、
輝きを失うことはなく、今も筆者の脳裏にて自動再生され、感傷的な気分をも思い起こさせてくれるのです。
ぬる湯のように温かく、父母の匂いのように心地良く、故郷の人々そのもののように優しく懐かしく・・・。

( 以上、半世紀ほども前の遠い過去の筆者の思い出話でした。最後までお付き合いいただいた方、感謝です。)

* * *

「筆者後記寸感:音楽の再生装置についての雑感」

筆者上京後は浪人生活とアルバイトを開始、当時流行り始めたローンでステレオ・レシーバーを購入。
最新式のカセット・デッキにてFM局のエアー・チェック(録音)をするのが新たな趣味となりました。
高音質なハイファイ・サウンドに慣れ始めた頃、音楽界ではクロス―オーバーと言うジャンルが登場、
筆者の趣味もストレート&パワフルなロックから、都会的で洒落た編曲・音色のそれらにハマり始め、
いつしか真空管ラジオの持つミッド・レンジ(中音域)中心の音色が、何故か時代遅れに感じたものです。

近い過去においてオーディオがハイファイ化するにあたり、基本となる中音は軽視され、やたらと高音と低音が強調され、
遠い過去で培われたスタンダード(基準や規範)となるべき根幹の中音域を知らぬ若者たちが続々と誕生してしまいました。

その後も便利で上質でコンパクトな音響製品やメディアが次から次へと現れ、いつしかそれらに洗脳・啓蒙され、
旧いものが新しいものに取って代られる図式が当然となり、過去の既製品は目前から消え去るだけの運命でした。

でもある日、はたと気がつくのです。
失われた物(製品)の中に、失われた物(魅力や価値)もあることに・・・。
筆者にとってはそれが今回の「真空管ラジオ」のあのまろやかな中音だったのです。

真空管には寿命があり発熱量も大きく、その欠点ゆえにトランジスタやIC等に取って代られるのは時代の必然でした。
レコードからCDやMDになって小型化は進み、録音媒体もカセット・テープからレザー・ディスクやMDやCDになり、
やがてそれらもMP3やUSBにその座を取って代られ、高密度・高速デジタル化は日々益々拍車がかかっています。
でもその行きつく先の未来に於いて、理想的な音場空間が誕生し・存在するのかと言えば、それは甚だ疑問です。
音響装置の進歩は純度や小型化等の利便性を追求した代償として、豊かな音像を過去に置き去りにしてきたのです。
「人は世に連れ、世は人に連れ、歌も世に連れ、世も歌に連れ、かくて音も世に連れ、世も音に連れ」・・・。
未来の人々がどのような世と音楽を望み、また果たしてどのような音色・音場を望んでいくのでしょうか?

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」は、マッカーサー元帥が引退の際に述べた有名な言葉(せりふ)です。
筆者の人生もまた老いに近づいていますが、幼年時代に刷り込まれた真空管ラジオのマイルドな音と共に、
残り少ない人生のページを、幼年期の思い出に浸りながら少しでもでもふくよかな時空にしたいと願っています。

親子ラジオや真空管ラジオ、そのウォームな音を懐かしむべく、楽しむべく、ネット・オークションで購入。
その存在感は見事で、筆者の仕事場には似合わず、結局 自宅の居間でインテリアを兼ねて鎮座し始めました。
音を鳴らすと「あら不思議」、たった一つのラジオが今までの居間の全ての雰囲気をガラリと変えてしまいました。
今夜からテレビやパソコン音楽を消して、FENで続々とかかるクリスマス音楽をお酒と共に楽しむことにします。
(*^-^*)

" Happy Merry Christmas ! "


By T講師
( またまたとりとめのない雑文・駄文となってしまいました。今回もまたワインなど入っています。ご容赦。)