アトリエ・マイルストンブログ

2020年2月17日月曜日

冬最中の春兆し懐メロポップス

月曜日・晴れ
春本番のような温暖な陽気

本日、病院にて受診。しんどいながらも単なる「風邪」と言うことで一安心です。
別種のインフルエンザにでもかかっていたら当面 外出禁止なので、安堵しました。

先週分はパスさせてもらい、今週分として合体アップをしました。
舌足らずのまとめ不足の感は否めませんが、どうぞご容赦ください。



1年の内で最も寒さが厳しい時節にもかかわらず、ここ最近はさながら春本番のようです。
里や野のそこかしこでは早咲きの梅の花や菜の花もほころび、まるで本格的な春の到来です。
寒の戻りなどもうないのではないかと、つい錯覚してしまうほどの暖かさと眩しい陽光です。
そんな春訪れのような暖かな日差しの中、
筆者得意の脳内自動ジュークボックスに条件反射的に再現された懐かしのポップスの特集です。

「ミュージック・ギャラリー(その402)」
「春兆しの懐メロ・ポップス特集:米英編」


筆者が個人的に春兆しを感じる曲を脳内自動ジュークボックスより集めて見ました。
( 当コーナーでは、幾度も紹介済みの楽曲も当然含まれています。)
それらは筆者が中学生だった頃のヒット曲の特集でもあり、同時にシングル・レコードの黄金時代でもあります。
筆者の人生の定番曲(エバーグリーン・常緑・不朽)の一つ、正に季節の変わり目の今日にはピッタリの名曲です。
( バランス良い音楽・音質・時空を再現するため、外部スピーカーやヘッドフォーン利用にてお楽しみ下さい。)
「では、参りましょう。」春兆し歌の数々を・・・。
!(^^)!

ザ・バーズ、「ターン・ターン・ターン」

 THE BYRDS, " TURN! TURN! TURN! "(Lyrics) 


筆者の大好きな12弦ギターの涼やかな音色が、脳裏と春兆しの風景の中を駆け巡ります。


バーズの名曲が出たら、必然的にこの曲も芋づる式に脳内自動ジュークボックスにかかってしまいます。
バーズと並んで当時のアメリカを代表するフォークロックの頂点にして先達です。お聴きください。
こちらもまたバーズ同様に、12弦ギターが大活躍しています。
(*^^)v

ママス & パパス、「夢のカリフォルニア」
The Mamas & Papas, " California Dreamin' "


上2曲が出たら、こちらもやはり当然に芋ヅル式に脳内で鳴り響く不朽の名曲です。
またまた三度(みたび)の12弦ギターが、ストロークで「縁の下の力持ち」を仰せつかっています。

スコット・マッケンジー、「花のサンフランシスコ」

 SCOTT McKENZIE - San Francisco ( Be sure to wear some flowers in your hair ) -Lyrics


上3曲は当時の那覇の映画館の幕間音楽の定番で、いつもどんな時も「チム・ドンドン(良い胸騒ぎ)」していました。



さて次はアメリカからイギリスに飛んで、女性シンガーの爽やかな歌声を堪能しましょう。

ぺテュラ・クラーク、「ダウンタウン」

Petula Clark ~ Downtown (1964)




英国女性繋がりで、この曲も脳内に流れ出しました。

ピンキー&フェラス、「マンチェスターとリバプール」

MANCHESTER & RIVERPOOL/Pinky & Fellas




次の連想曲、オーストラリア出身のフォーク・グループのさわやかな歌声と映像を。

ザ・シーカーズ、「ジョージ―・ガール」

The Seekers - Georgy Girl (1967 - Stereo)




オーストラリアと言えば、この人たちもやっぱりはずせません。
我が国でも大ヒットした名曲で、後年のディスコ音楽グループへと変身する以前の素朴さが秀逸でした。

ザ・ビージーズ、「マサチューセッツ」

 The Bee Gees , " Massachusetts " (1967)





春っぽいかは判断の分かれるところですが、こちらもまた筆者の連想曲の中に食い込んできました。

デイブ・ディー・グループ、「キサナドゥーの伝説」

 DAVE DEE, DOZY, BEAKY, MICK AND TICH 

The Legend of Xanadu (1967),(with lyrics)


全英シングル・チャート第1位を記録。メキシカン・タッチが幻想的でチョー・カッコ良いですね。
題名の「キサナドゥー」、後年のオリビア・ニュートンジョンの別の曲では「ザナドゥー」でした。
鞭打ちの効果音が何とも迫力があり、筆者の全身にエネルギーが満ち満ちてきます。
間奏時のセリフもカッコ良くて、ミーハー筆者も必死で覚えてそらんじたものです。
日本ではジャガーズがカバーしていましたが、その日本語も完成度が高かったです。
「以下は脱線昔話」
彼らの来沖公演を経験、同年齢の女子らの大歓声に筆者ら少数の男子はオカマになった気分でした。
生ジャガーズでは鞭打ちの音をギターの弦をこすって、その効果を出していました。
当時、新加入ホヤホヤだったドラムの浜野たけしさんのドラミングも鳥肌ものでした。
Vo.の岡本信とギターの沖津ひさゆきの両名は、GS界きってのハンサム(死語?)でした。


オブリガートのオルガンの寝ぼけたような音色、春っぽいと思いました。

ジ・アーチーズ、「シュガー・シュガー」
The Archies , " Sugar Sugar "


陽気なアメリカならではのポップ感が未だに色褪せません。
その当時、1910 フルーツガム・カンパニーらと共に、バブルガム・サウンド(ローティーン向け)と呼ばれていました。
1910(ナインティーン・テン)の「サイモン・セッズ」等も脳内で流れ出しましたが、際限がないので今回はこれにて。
(*^^)v



このように、レコード貸し借り組合(仲間)のおかげで、無数の楽曲を知り得ることができました。
自らのお小遣いの範囲ではどうしても好みの曲に限定されてしまうのですが、多くの友人らのお蔭で、
バリエーション豊かな音楽を知り、接することが出来て、今でも良い思い出でとても感謝しています。
だらしない奴のせいで戻って来なかったレコードも数枚ありますが、得られたものの方が圧倒的です。
今も故郷の実家にはその当時のレコード・クリーナーやレコード立て等が忘れ去られたままにあり、
半世紀も前の時空に瞬時にタイムスリップしてしまいます。
そして、その当時の音楽たちの魅力は今もなお筆者の脳裏や心の中で、新鮮に生き続けているのです。
(#^^#)

* * * * *

「春兆しの懐メロ・ポップス:パート2:国内編」


さて今回特集に共通しているのは筆者の中学生時代のヒット曲の数々で、その当時はシングル・レコードの黄金時代です。
筆者の通っていた中学は今では考えられない程(1クラス50~55名、1学年17クラス、全学年2600名余)の大所帯でした。
それに加えて、故郷の沖縄では年齢の上下関係はあまり無く、上下3~5歳程の間ではタメ口が全然OKな関係もありました。
しかも更に加えて、男女間の友好関係も本土のそれよりずっとず~っと親密で、みんなで一緒に仲良く遊んだものでした。
(ちなみに余談ですが、
そんな関係は高齢となった今も進行形で、同期会・クラス会等の飲み会等では元気な男女は朝まで歌い踊り遊んでいます。)
おっと脱線しましたが、
そんな時代の筆者の中学では自然発生的に「レコード貸し借りクラブ」が出来上がり、クラス・男女・学年の枠を超えて、
数多くの洋楽・邦楽のシングル・レコードが、互助会よろしく多くの友人男女間の間で頻繁に行き来していたものです。
そのおかげで、1枚1ドル(当時は360円)のシングル盤を、自らのお小遣い枠を越えて聴くことが出来たのは幸いでした。
但し、ルーズ友人による未返却事故も度々発生。または返って来たとしても紙ジャケ紛失やミソ汁付き等もありました。
また「個人的お勧め盤」として貸し出したら、長い時で2~3週間は手元に戻らないと言う南島特有の弊害もありました。

上で登場の英米のポップスに限らず、その当時に国内で流行していたグループサウンズのレコードも特に女子たちに人気で、
タイガース、スパイダース、テンプターズらを筆頭に、ジャガーズ、ゴールデン・カップスらも良く貸し借りされていました。
洋楽では、女子人気No.1はやはり何と言ってもモンキーズの一人勝ちで、ビートルズやストーンズらを寄せ付けませんでした。
これらのグループ・サウンズ、筆者の周囲のアメリカン・スクールや英語の学校に通う生徒たちにもとても人気がありました。
ボートハウスのジュークボックスでも米兵たちが気に入ってくれ、「神様お願い」等を良くリクエストして踊ってもいました。

さて、そんな国内のグループ・サウンズの中から、今回は冬にまつわる曲・グループのご紹介です。
春っぽさからは少々逆行してしまいますが、本来からいくと季節的には最適です。
こちらもまた12弦ギターの涼やかな音色が、イントロやオブリや間奏などで大活躍の名曲です。
( 筆者注:画面内下線の「この動画はYouTubeで御覧ください」をクリックの上、再生して下さい。)
  
ザ・ランチャーズ、「真冬の帰り道」
The Launchers, " Mafuyu-no-Kaerimichi "


当時、人気絶頂だった加山雄三の弟分のようなバンドで、北島瑛・修兄弟を中心に活動したバンドです。
実際、二人は加山雄三の従兄弟でバックバンドとして活躍。解散後、北島修氏は渡米し、イーストを結成。
和楽器バンドの先駆者として名を馳せ、現在もLAを中心に活躍。ちなみに女優の喜多嶋舞はその娘さんです。



当時、我が中学の女子のみならず、全国的に圧倒的な人気ナンバーワンは京都出身の彼らでした。
ボーカルのジュリー(沢田研二)の甘い声とマスクが若い女性たちをハートを掴み、人気の頂点に登りつめました。

 ザ・タイガース、「落葉の物語」1968年

The Tigers, " Ochiba-no-Monogatari "

* * *

男子たちに人気があったのは、ベンチャーズやギタリストの寺内タケシ繋がりで、バニ―ズなどでした。
しかし、南国育ちの筆者の想像力を掻き立てたのが最後に登場の彼らで、北国や冬が似合うバンドでした。
今まで慣れ親しんできた米英のポップスにはない透明感のある哀愁が何よりも筆者の心を強く掴みました。
その当時のそんな刷りこみの影響があったのか、南国育ちの筆者ながらも冬の透明感や情緒が大好きです。
またやはり北方のロシアでも、ブルー・コメッツの持つ哀愁が好きな方々多数だと聞いたことがあります。
大人ムードの歌謡曲に最も近かったグループですが、その楽曲や演奏技術はダントツのピカイチ(死語?)でした。
他のバンドの多くがお兄さん(青年)たちのイメージでしたが、彼らには成熟した都会的な雰囲気がありました。

バンドの中核のボーカル兼フルート、サックスの井上忠夫氏(のちに大輔に改名)が惜しくも早逝してしましましたが、
残されたメンバーは今も元気に活動しており、そのベテランならではの分厚いビートは今なお若手の追随を許しません。
まずは井上忠夫氏が健在だった頃の彼らの当時のライブ映像、どうぞ。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、「北国の二人」(スタジオ・ライブ短縮版)
Jacky yoshikawa and his Blue Comets, " Kitaguni-no-Hutari ",Live


上の「北国の二人」が含まれている彼らのライブの模様も、良い機会なのでお借りしてきました。
そこら辺のルックスとアクションだけに注力した若手ビートレス・バンドらには到底 到達不可なテンション・ビートです。
正に我が国を代表する「お宝バンド」、その近年(とは言え10年以上も前かも?)の渾身ライブは正に超絶品です。

筆者のチョーお勧めです。若い人々も含め、国内の全ての人々に聴いてもらいたい「お宝」です。
残念ながら4人となってはいますが、近年の彼らの老いて益々の熱さ・分厚き躍動のビート、どうぞ!
( 筆者注:画面内下線の「この動画はYouTubeで御覧ください」をクリックの上、再生して下さい。)

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、「ブルー・シャトウ、マリアの泉、北国の二人、青い瞳」メドレー・ライブ
名曲(超名演)、目白押しです!
Jacky yoshikawa and his Blue Comets, " blue Chateau~Maria-no-Izumi~Kitaguni-no-Hutari~Aoi-Hitomi " Medley Live

上の特集曲らが全て吹っ飛んでしまうような圧倒的な音圧!もう最高ですね。投稿者様には大感謝です。
( 但し欲を言えば、曲エンディングの締めがカットされているのが残念で、そこまでとても大切です。)
特にジャッキーの右手で叩き込むドラミングと、高橋健二のビンビン・ビートフル・ベースが超絶品です。
圧巻のライブ演奏ですが、真に惜しむらくは井上忠夫の姿が見えないのが重ね重ねにも残念・無念ですが、
きっと天国から舞い戻って来て、現世の彼らと共に力いっぱい・笑顔いっぱいで演奏しているんでしょうね。
また逆の見方で、残された4人に井上忠夫の弔い合戦のような気迫が感じられるのは筆者だけでしょうか。
ナダ・ソーソー( ;∀;)

筆者、当時の那覇市民会館で彼らの生を体験。腹の底まで響き渡るベース、脳ミソをつんざくハモンドとシンバル、
ホールトーン奏法のテナーに情熱的フルート、三原綱木の後乗り・糸引きスゥィーティー・メロディー等をはじめ、
力強いビートを叩き出すジャッキー吉川のドラム、分厚いコーラス等々、もうちびってしまいそうでした(失礼)。
彼らのステージセットとてもシンプルで、ギターもベースもアンプ直結で足元にはエフェクター1つもありません。
その後、高校卒業・上京後に数多く体験した生演奏、当時から現在までも含めても彼らが最上のスピリットでした。

我が国の代表だと巷で称されるX・○○パン、イエ・○ン、ラル○○シェル、グ○イ等、70歳以上の彼らを見習いなさい。
さも偉そうな能書きや雄弁は止めといて・・・。つい罵詈雑言(本音)を言ってしまいました。ご容赦・ご勘弁ください。
_(._.)_ <(_ _)>


図らずもブルコメの代表曲紹介となりましたので、この際、下の動画も特別に掲載させていただきます。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ、「何処(いずこ)へ」1966年

故・二谷英明をはじめ、若々しい面々の演技、セリフなくとも目が活き活きしていて今更感激です。
動画の中の吉永小百合や芦川いづみが若くて可愛いかったことに半世紀経った今、気がつきました。
背景の家並み、今では映画(沖縄育ちの筆者には当時から)の中でしか見られない貴重な映像ですね。

明治あたりに作られた学校唱歌が、昨今学校教育の場でも取り上げられないとの事。
この歌なんか、古くて新しい唱歌には最適だと思っているのは筆者だけでしょうか?
「愛」の部分はこそばい気がするも、家庭の根幹である以上、敢えて開放した方が良いかも。

レコーディングでは、井上忠夫氏のフルートが全編に渡ってフューチュアーされていて、得した気分です。
再びの余談ですが、「ブルー・シャトウ」間奏時の井上氏の裏メロのフルート旋律、最高傑作だと思います。
動画冒頭のシングル盤ジャケ、筆者も所有していて懐かしく、B面の「センチメンタル・シティー」も傑作です。
「草原の輝き」「甘いお話」等、他にも名曲揃いの彼ら、GS特集とは別枠の単独特集でもやりたくなりました。

天才、故・井上忠夫(大輔)氏、1941年・東京生まれ・2000年没、享年58歳
あんな形で亡くなっては欲しくなかった。そんな声、ネット上でも多数です。
大いなる感謝と尊敬と共に、安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします。



筆者中学時代のシングル・レコードの貸し借りエピソードから脱線してしまいましたが、どうぞご容赦。
それにまつわる脱線昔話も企ててはいましたが、風邪による体調不良にて断念。またの機会にします。
一世を風靡した数多くのグループ・サウンズも解散・消滅し、多くの演奏家が鬼門へと旅立ちました。
その内、その特集でも企画してみたいと思っています。が、何せ取り上げたいグループや名曲が多数、
このコーナーではキャパ不足なので、その内に筆者の「T講師コーナー」にてアップしたいと思います。
筆者得意の「話クワッチー(話しの上の口先だけの御馳走)」にならぬよう、しかと肝に命じておきます。
(-_-;)



今回取り上げさせていただいたヒットの数々、こうして振り返ってみると、旋律の美しさが印象的です。
盗作問題等、著作権法上の制約もあってか、年々美しいメロディーの曲が希薄になってきた気がします。
限られた音階にて造られる以上、仕方のない事かも知れませんが、果たしてそのことだけでしょうか?
100年前と現代では、音程の方も時代により少々上昇気味に変化しているとのこと聞いたことがあります。
リズムもまた電子楽器の登場と共に性急になってきているような気もしますし、時代の反映かもしれず、
その時代の要求に即応した性急・過激さで音楽や言葉もまた変化してきているように感じてしまいます。
忘れ去られつつある過去には数多くの美しい旋律の楽曲があるので、YouTubeの存在は嬉しい限りです。
筆者の残り少なくなった人生の時空で、それらの未知なる楽曲との出会いや聴き納めも楽しいものです。
またの機会に是非・・・。



今回特集、2週分を合体した影響で、「春兆し」の洋楽ポップス編と「冬戻り」の邦楽ポップス編が混在してしまいました。
特に最後・トリに登場のブルー・コメッツでは、「追悼特集」のような色合いにもなってしまいました。失礼いたしました。

が、いずれのコーナーも半世紀前ならではの美しいメロディー・ラインが秀逸で、それなりに楽しめたのではないでしょうか。
我が国のラジオやテレビ、洋楽懐メロと言えばポール・アンカやニール・セダカ、邦楽懐メロと言えば歌謡曲と大体お決まり、
またそれらがオンエアーされる確率も随分と低く、進行形の流行歌のみに重点を置き過ぎているのが残念ながら商業的現状です。
40年前のFMエアチェック(録音)が流行った際も、レコードが売れなくなるとの業界からの圧力で、全曲フルにはかけずに前後に、
DJの余計な声を被せて丸録り録音を妨害したりして、少なくとも決してリスナーを喜ばせるような措置ではありませんでした。
そんな状況は今も変わらず、全放送時間に占める音楽が流れる時間は相変わらず少なく、しかも発売中のCDだけだったりです。
当ブログにて度々 言及していますが、
TVに至っては、音楽番組の現状がおよそジャリタレ中心の出演だけとあっては、その質的内容に心底 呆れかえってしまいます。
以前は、TV東京のタモリ司会の「音楽は世界だ」等の良質な番組も多少はあったのですが、惜しくも終了してしまい残念です。
現在はやはりテレ東で、バイオリニストの川合郁子さん出演の「100年の音楽」が多彩なゲストとの共演等が僅かに溜飲ものです。

筆者の渡米時、LAだけでも物凄い数の放送局があって、スタンダード扱いとなった50~70年代の曲も常時頻繁に流れていました。
そんな背景が幸いしてか、若い人達も昔日の曲を多数知っていて、自らの持ち歌に躊躇なく取り入れていると言う羨ましさでした。
あまり知られてはいませんが、我が国の昭和歌謡も海外の方々には熱狂的なファンが多数存在し、YouTube上を賑わしています。
若い世代中心等、世代格差のみに終始する放送業界の在り方は、TV業界も含めて改めていってもらいたいと思う高齢筆者です。
舌足らずな「まとめ」となってしまいますが、我が国も自らの過去の魅力ある財産にもっと光を注いで貰いたいと願っています。

By T講師
「寒の戻り」があると知りつつ、「でもそれっていつあるの?」と思えるぐらいの温暖な日和りが続いています。
みなさんも体調崩さぬよう、どうぞ御用心ください。
マスクもいつになったらゲットできるのでしょうか?

(-_-;)