アトリエ・マイルストンブログ

2019年7月8日月曜日

情念のブラック・ミュージック

月曜日・曇り 一時雨
アトリエは お休み日


先週に続き(否ここ2年間ずっと(;^ω^)ですが)、またまた音楽ブログとなりました。
ご了承並びに、お付き合いいただければ幸いです。

「ミュージック・ギャラリー(その366)」


「情念のブラック・ミュージック」

と、

「白人のブラック・ミュージック」

の小特集です。

梅雨時特集の雨歌は今回はお休みです。
前回で特集した「ブラック・ミュージック」その2と言うことで、今回の当コーナーを企画・編集しました。

「まず始めに」

前回、黒人音楽の雨歌を特集しましたが、当ブログを訪れた筆者の古い友人から苦言をいただきました。
それは大体こんな内容です。その彼曰く、
「ブラック・ミュージックと銘打っている割には、選曲と内容が甘過ぎじゃないか?」と言うものです。
それは確かにそうでしたが、抒情的な雨歌繋がりのバラード曲でのことなので、当然と言えば当然です。
しかも、
不特定多数の方々が当アトリエのこのコーナーに訪れるのですが、余りにマニアック過ぎることは避けて、
これらの曲を懐かしく思う方のみならず、当時の曲をあまり知らない世代(キッズの親世代以下)にこそ、
これらの名曲を聴いてもらいたくて、その端著・入門としてを立ち位置に定め、編集を進めている次第です。
また、筆者自身のエピソードを多少加えることで、その当時の雰囲気や様子を知る手助けとなることも考慮、
加えて、筆者の老い先もそう長くはないことも確かなので、昔話も一興の一つとして記す気にもなりました。
以下、そのような筆者なりの立ち位置・視点にて、当コーナーをこれからも進めていきたいと考えています。
お付き合いいただき、その結果 お楽しみいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
_(._.)_

さて そこで今回、

でも前述の友の言う「甘め」ではない、逆の世界もまた確かに「黒人音楽」の「黒人音楽」たる所以でもあるので、
今回はそんな中からある一つの曲を取り上げ、今回の特集としてみました。
アフリカ大陸から奴隷として連れてこられた黒人の中には、「ブードゥー教」と言う土着宗教を信仰する者もいて、
それは呪術を是とした民間信仰で、米国南部州各地域やニューオーリンズなどで、その信仰者が存在しています。
今回の「アイ・プット・スペル・オン・ユー」も「お前にまじないをかけた」との意で、その流れが想像可能です。

「第1部:情念のブラック・ミュージック」


異色ブルース・シンガーの最大ヒット名曲、その「まじない世界」まずはお聞き下さい。

スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、原曲「アイ・プット・スペル・オン・ユー」
Screamin' Jay Hawkins (1929~2000), " I Put A Spell On You " (1956)with lyrics

 I Put A Spell On You 
 ( Jay Hawkins )
 
 I put a spell on you. Because you're mine
 Stop the things you do. Watch out, I ain't lyin'
 魔法をかけてやる、お前は俺のものだ !
 いい加減にするんだ、覚悟しろ、嘘じゃない !
 
 I can't stand, No runnin' around,
 I can't stand, No put me down
 我慢できない、遊び回りやがって !
 我慢できない、俺をなめやがって !
 
 I put a spell on you, Because you're mine
 魔法をかけてやる、お前は俺のものだ
 
 Stop the things you do, Watch out, I ain't lyin'
 いい加減にするんだ ! 覚悟しろ ! 嘘じゃない !
 
 I love you, I love you, I love you anyhow
 I don't care if you don't want me, I'm yours right now
 愛してる、愛してる、愛してる、どうしても !
 お前にその気がなくてもいい、俺はもうお前のものだ !
 
 I put a spell on you, Because you're mine
 魔法をかけてやる ! お前は もう俺のものだ !

*

「黒人音楽」ならではの物凄い迫力、いかがでしたか。
今の社会ではもう立派なストーカーそのものですよね。

前世期に発達・日常化できたP.C.に於ける世界的網羅(近隣に規制国あり)のインターネット自体そのものと、
その中のYouTube等の動画の可視化は革新的で、様々な楽しみ・学習・認識を我々に提供してくれています。
もちろん様々な弊害など負の部分もあれど、総括的には現代文明・社会の大きな革新の最大要素の一つです。
それまではレコードやCD等を入手できなければ、様々な音楽を気軽には求められない不便な状況でした。
今でこそ筆者のブログや当コーナーもこうして成り立つ、正に良い時代ですね。感謝 !(^^)! ィェ~ィ!

さて、
原曲を初めて聴いたのは、この曲のカバー曲(高校時代のC.C.R盤)を初めて聴いて10数年程も経った後でした。
ジム・ジャームッシュ監督のデビュー映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984年)」の中でです。
またシンガーの顔・風貌を初めて目にしたのは、やはり同監督の「ミステリー・トレイン」の中ででした。
(「ミステリー~」には工藤夕貴や永瀬正敏も出演。他「ダウン・バイ・ロー」等3本、筆者の超お勧めです。)
その眼光鋭い「ヤバい」表情、この曲同様、今も忘れられないインパクトでした。



さて2曲目は同曲の黒人女性ジャズ・ボーカル・バージョンです。
クールなストリングスにブルース・ピアノ、ブルースそのものの歌唱、お楽しみ下さい。
黒人女性歌手の元祖ビリー・ホリデイの歌唱に通じる虚無的・退廃的な編曲が秀逸です。
歌詞が一部、異なります。

ニーナ・シモン、「アイ・プット・スペル・オン・ユー」
Nina Simone, " I Put A Spell On You " with Lyrics

懇願風な歌唱が味わい深く、後半部からのテナー・サックスとの絡み(call & response)も絶妙です。
歌詞のain't ~はam notや isn't等の口語表現で、そのスラング風ニュアンスは下品さをも伴っています。
ま、それが大衆音楽であり、その幅広い支持が得られると言うもの。上品さとは対極の俗世間文化です。
黒人音楽はそう言う背景を自らの武器に換え、やがては白人たちにも支持されていった経緯があります。
筆者が米国音楽を好むのもそこらに一因があり、クラシック(特にバロック)も好きですが対極も魅力です。
いわゆるジャンク・フードの、しかも濃い口ごった煮 (チャンプルー) 風エグ味の捨て難い魅力そのものです。
( 今夜もまた筆者のお酒は進んでしまいそうです。)
(*^-^*)

*

さてここからが、白人たちのブラック・ミュージックの第1部です。
上記のような(従来の西洋音楽にはない)新た(過剰?)な表現に卓けた音楽に魅せられた白人たちも出現、
シャウトやスクリーミン(絶叫)やフェイク(コブシ)等の唱法や力強いビート感を自らの感情表現として、
チャック・ベリーらのロックンロールが登場し、白人のエルビス・プレスリーらがそれに倣い全米規模に拡散、
従来の音楽界に新風を巻き起こし、やがて一大旋風となって、若者らの圧倒的支持を得られるようになりました。

前々回の当コーナーで少々言及した当曲が、今回の特集を呼び寄せました。
前々回の当コーナー「雨歌・反戦歌」登場の、筆者の大好きなアメリカン・ロック・バンドの早速の再登場です。
このカバー曲ではその黒人音楽的なエグ味表現たっぷりな唱法とエグ味あるギター奏法の2点を味わって下さい。
( 歌詞が一部、異なります。)

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Creedence Clearwater Revival , " I Put A Spell On You " (1969)

筆者、高校1年生の時に出会った曲、その衝撃は相当なものでした。
愛する女性に向けた怒りに近い情念の歌唱と共に、切々と歌い上げるギターの旋律と音色が感涙ものです。
動画内の間奏部、Instrumental.......,この間こそが言葉を超えたギター弾きの感情や魂が宿っているのです。
力強いピッキングによるドライブ感と、その際に時々発生する弦の泣き(ハーモニクス)が味わい深いです。
ロックに必要なのは、超絶技巧などではなく、歌心だと言うことを知らしめた記念碑的名曲となりました。



筆者得意の「脱線・昔話」


当ブログにても度々言及している筆者若かりし頃のオキナワ時代の逸話(プチ自慢?)を少々・・・。

遥か昔の筆者・高2の時、入手したレコードをバンド・メンバーに聴かせると、全員が揃ってその熱演に感動、
早速レパートリーとして取り入れることに決定。1枚のレコードを貸し借りしてそれぞれがパート・コピーを行い、
バンドの練習時に合奏することになりました。そしてその記念すべき初日、初めての演奏がスタートしました。
自分たちで言うのも何ですが、メンバーそれぞれが中学時代よりのコピー百戦錬磨の達人たち、完成度は高く、
物真似が巧みなボーカル兼サイド・ギターのA君、ジョン・フォガティー並みの濁声でしっかり歌い始めました。
ドラム担当の筆者もコピーを終えていたので、皆の出来映えに満足。次はいよいよリード・ギターの間奏です。
リード・ギター兼コーラスのI君(本当は全員名前の呼び捨て)、見事なピックさばきで名演ギターの披露を開始、
さすが歌心をうまく再現するのに長けているだけあって、初日ながら最高の出来です。ところが・・・、
I君の出色のコピー熱演に聞き入りながも、どこからか異様な匂いがし始めました。「ん?オーバーヒート?」
しかし初演奏を途中で止めるわけにはいかずに最後まで続け、最高の出来映えでめでたく終了しました。
初合奏が終わるや否や、リード・ギター担当のI君が大袈裟な動きを伴って叫びました。
「あちーっ!あちーっ!」
何と彼のギターのヘビー仕様の分厚い三角形のピックの先端が三方共に丸くなっており、握る指も黒く変色、
狭い室内で焦げる匂いが発生していたのはアンプ類ではなく、何と彼の弾くピックが焼けて焦げていたのです。
ギター全弦を16分音符の高速ストロークで弾き倒し、その際 厚いピックと鉄弦の凄まじい擦(こす)れで高熱が生じ、
それが異様な匂いの発生源で、メンバー全員で初練習の成果を満足し合い、益々この曲が大好きになったのです。
(筆者注)
当時のオキナワにはライト・ゲージやスーパー・ライト・ゲージ(本土のバンド御用達)など販売されておらず、
レギュラーと言うメディアム・ゲージか、もしくは更に太いヘビー・ゲージの2種類しか存在しませんでした。
そのような弦だとチョーキングもままならず、逆に日々の鍛錬で力強いピッキングができるようになりました。
( 本土で圧倒的人気だった細い弦だと、そのサウンドも貧弱で、図太い骨太なビートは得られないものです。)
( またパワーもアンプ等のボリュームで出すのではなく、楽器の手前のピッキング自体で創り出すものです。)
上から目線、ご容赦。
当時のオキナワのプロ・バンドをはじめ、筆者らアマの高校生たちも皆その硬い弦使用にて演奏していました。
そんな訳で、バンド練習する度に1回平均で3~4枚のピックが消滅、ギター弦も二人で3~4本を切ってしまい、
筆者のドラムもまたリムショットを多用していたために、太目のスティックでも1~2本は折っていました。
でもそれが結果的に力強いパンチや粘りビートを生み出していた要素の一つでもあったと後年気づきました。
( 高校卒業後、上京して体験したアマ・プロ問わずほとんどのロックバンドが、虚弱体質に聞こえました。)
再度の上から目線、ご容赦 <(_ _)>

コザの町で米兵相手に連夜ロック音楽を演奏するプロの先輩ギタリストたちも、そんな硬い弦使用にて、
フレットが短期間に著しく摩耗し擦り減り、ギターやベースが1年弱で演奏不可能になるとのことでした。
その当時、オキナワにはギターの修理は出来てもフレット交換まで手掛ける専門的クラフトマンは存在せず、
ネックを取り換える(フェンダー社製は可能)か、又は涙を呑んで廃棄処分にするのが実態とのことでした。
以上は大袈裟なホラや、昨今 巷で耳にする流行語の「盛り」等が少しも入っていない事実そのままの昔話です。
現在は本土から専門的リペア・ショップ(京都の有名楽器店)も何軒か進出、充実した環境となっています。

何はともあれ、数あるカバー曲のこのC.C.Rバージョンの「アイ・プット~」が、筆者の一番のお気に入りです。
!(^^)!



白人による当曲カバー、続けて2曲、YouTube上より更にお借りしてきました。
稀代のロック・ギタリストのジェフ・ベックとジョス・ストーンのイギリス勢デュオのライブ、お楽しみ下さい。

ジョス・ストーン&ジェフ・ベック、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Joss Stone & Jeff Beck , " I Put A Spell On You "  Live 2010

ジョスの熱唱に、ブルースに魅了されていた孤高にして夭折の歌姫、故ジャニス・ジョプリンの影響が伺えます。

*

最後はフランス人シンガーによる当曲のカバーです。
ホット&クールなバリトーン・ボイスが魅力的です。

ガルー、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Garou ( French ),  " I Put A Spell On You " 


懐かしのシュア―社製(Made in U.S.A)のビンテージ骸骨マイクが良く似合っていますね。

* * *

以上で終わる予定でした。が、何せ欲張りな筆者、ついでに聴きたくなった曲も多数で、その中から3曲ほどを追加しました。

「第2部:白人のブラック・ミュージック」

「黒人音楽に魅せられたシンガーたち」


前世期(!)60年代の英国の若者(主に不良少年)たちの間で、米国の黒人音楽が大流行しました。
黒人たちが創り築き上げたブルースやロックンロールに、社会に対する反逆の匂いを感じ取り、
ビートルズやローリング・ストーンズ、クリーム等、ブルースやR&Bをリスペクトするバンドが登場、
閉塞感著しい英国内で人気を博し、やがて大西洋を渡って黒人音楽の源・米国へと逆輸入されました。
1960年代後半~、
かの「ブリティッシュ・インベージョン」と言われる大潮流で、それが米国の白人の若者たちにも飛び火、
保守的な組紐に飽き足らない米国の若者らによる音楽界は一気に「黒人音楽」源流ロックで染まりました。

そんな風潮に火を点けた張本人の一人(バンド)が彼らです。
アメリカ南部で歌い継がれていた「売春宿」をモチーフにした民謡(フォークソング)を遠く英国で歌い上げました。
前回当コーナーでも少々言及しましたが、「黒人になりたかった不良少年」の歌いっぷりが圧巻で見事です。
( 脱線余談ですが、筆者が初めてギター・コードを覚えたのは当曲のアルペジオで、中1の1学期でした。)
その不良少年だったエリック・バードンの黒っぽいソウルフルな歌唱と同時に聴いていただきたいのは、
感情移入に不向きだった鍵盤楽器(エレクトリック・オルガン)を駆使した間奏も共に圧巻で聴き応え充分です。

ジ・アニマルズ(イギリス)、「朝日のあたる家」(1964年)
The Animals, " The House Of The Rising Sun "



20世紀を正しく代表すると言っても決して過言ではない音楽家ビートルズの楽曲からも一つだけ紹介します。
彼ら最晩年の稀代の傑作・名アルバム「アビイロード」(筆者の超々愛聴盤)の中の1曲です。
彼らもその初期に於いて、黒人音楽に多大な影響を受け、そのカバーも多く演っています。
現在、YouTube上に英詞の動画なく残念ですが、下動画を選びました。
冒頭からR&Bテイスト満開ながら、特にサビ部分の凄味は圧倒的です。
ギターのカッティングやポール自身のベースの粘り感も極上な味です。
天才中の天才ポールの非凡でソウルフルな歌唱、とくと堪能ください。

ザ・ビートルズ (歌:ポール・マッカートニー)、「オー、ダーリン」(1969年)
The Beatles, " Oh Darlin' " from there last Album " Abbey Road "




そして今回特集を締めるのは、この歌手この曲です。
御本尊・総本家の米国自身からは、白人ロック&ブルースの女王ジャニス・ジョプリンです。
彼女もまた英国の少年たちと同じく、社会に順応できなかった不良少女の一人で、その歌は唯一無二・無比でした。
上のビートルズの「アビイロード」同様、筆者の愛聴盤の一つのデビュー盤「チープ・スリル」の中の1曲です。
英国の歌姫・故エイミー・ワインハウスや、国内のスーパーフライさん等に多大な影響を与えた伝説の天才です。
曲の方は、米国人らしさを具現化した作曲家ジョージ・ガーシュインの1935年作の名曲です。
原曲をこれでもかと言わんばかりに自己流に料理し過ぎてしまったことに批判もある歌唱です。
お聞き下さい。
我々男性には決して真似ることの出来ないジャニスの魂の雄叫び(!?)を。

ジャニス・ジョプリン、「サマータイム」(1968年)
Janis Joplin, with Big Brother & The Holding Company,

Summertime, Child, your living's easy. Fish are, fish are jumping out And the cotton, Lord, Cotton's high, Lord so high. Your dad's rich And your ma is so good-looking, baby. She's a-looking pretty fine to me now, Hush, baby, baby, baby, baby now, No, no, no, no, no, no, no, Don't you cry, don't you cry. One of these mornings You're gonna rise, rise up singing, You're gonna spread your wings, child, And take, take to the sky, Lord, the sky. But until that morning, Honey, n-n-nothing's going to harm ya, No, no, no no, no no, no... Don't you cry — cry.

筆者らバンド・メンバーの4人全員が彼女のデビュー・アルバム(当時はLPレコード)を買ったほどの大のお気に入りでした。
その気持ちが高じてギター担当の二人など、レパートリーにも出来ないのに(歌唱コピー不可)、ツイン・リードをまんま完コピ。
流石に物真似上手なボーカル兼サイド・ギター担当のA君ですら真似できずに、ほとんどカラオケとして時々演奏していました。
カラオケと言う言葉のない時代、「笑わないから歌えば」と所望したのですが、真似るのと笑わないでいるのは至難の業でした。
半世紀経った今でも、彼らメンバー(今ではタダの三線好きなお爺ちゃんたちです)の真剣真顔な表情と演奏が浮かんできます。
(*^-^*)



結論

「黒人音楽」が米国の他の民族やその音楽に与えた影響は、一口で言えば強力な「パワー」と「ビート」だと思います。
その強力なるパワーとビートを以って、喜怒哀楽の最大限の自己表現を可とし、西洋文明社会に殴り込みをかけました。
押しかけられた社会や世間は当初こそ抵抗し排斥もしましたが、次第に若者から浸透し認められ、今や米国音楽の鑑です。
その世界網羅的な社会的影響は計り知れず、今世紀も変わらぬパワーとビートと情熱で今日を明日を切り拓いています。

以上、「ブラック・ミュージック」のその2をお届けしました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。

*

「投稿後、追加版」

↑以上で一旦 終わったのですが、欲張りな筆者ゆえ翌日に更に追加をしました。
当コーナー「白人のブラック・ミュージック」の最後を飾ったジャニスですが、
そのジャニス・ジョプリンの最晩年の貴重映像をYouTube上からお借りしました。

前述の「サマータイム」は衝撃のデビュー・アルバムからでしたが、追加版は彼女のラスト・アルバムからです( ;∀;)。
アルバム収録中に急死されたので、同アルバムには歌なしのカラオケのみも収録されていると言ういわく付きの名盤です。
もう今回特集の「白人のブラック・ミュージック」の範疇をも超えてしまった彼女自身ならではの唯一無二の世界です。
天才シンガー最後の映像、併せて御覧(お聴き)下さい。

ジャニス・ジョプリン、「ムーヴ・オーバー」スタジオ・ライブ
Janis Joplin , " Move Over " studio live
. From THE DICK CAVETT SHOW. June 25, 1970.

このTV(スタジオ・ライブ)が収録された直後、ジャニスは麻薬による急性中毒で亡くなりました。
レコーディング中だった遺作アルバムの「パール」は、その死後の翌年(1971年)に発表されました。
中には「生きながらブルースに葬られて」がカラオケ、もう1曲がアカペラの仮録音で収められています。
生前の来日はなく残念ですが、筆者らはオキナワ・ロック界の歌姫・喜屋武(きゃん)マリーの熱唱で親しんでいました。
そのライブの際のキャンプ・ハンセン(海兵隊基地)所属の戦地へと赴く米兵らの熱狂ぶりは異常な盛り上がり方でした。

ジャニス・ジョプリン、享年27歳。
合掌

以上、欲張り追加版をお届けしました。これにて全終了。
インターネット様様、YouTube様様です。

* * *


「筆者後記」


7月4日は「アメリカ独立記念日」でした。
本土ではあまり知られていませんが、祖国復帰前のオキナワでは盛大な催しが行われていました。
普段は立ち入り禁止の基地の多くも開放され、基地間の無料シャトルバスも運行されていました。
かつて戦争・兵器マニアだった小学生の筆者は、軍艦や潜水艦や戦車等を喜々として楽しみました。
筆者は未経験ですが、塔の上からのパラシュート降下訓練や機関銃の空砲射撃も行われていました。
軍楽隊によるパレードやマーチをも存分に楽しみ、その目映ゆさや勇ましさに圧倒されたものです。
まるで異国に瞬間移動したような多くの米人家族らに囲まれながら、各種のゲームも楽しみました。
今よりも何倍もの米国人が居て、那覇の街を北へ一歩踏み出すと、そこはまるで異国のような趣で、
ラジオからは今回の上記特集のC.C.Rやジャニスの曲が流れ、またそれらが良く似合う街並みでした。
今は遥か遠き昔の半世紀も前の、楽しくも哀しい異民族軍政に支配の故郷オキナワでの思い出です。
その故郷も一足先に梅雨が明け、今頃 青空・白銀雲の下、海と緑葉が照り輝いていることでしょう。



アトリエ・キッズだったTJ君とKJちゃんが欧州より1年ぶりに来日。
先週末、筆者自宅にて米国人父ら一家と共に旧交を温め合いました。
TJ君KJちゃんの二人はもうすっかり筆者の身長を優に抜き去り、いつの間にやら温和な紳士淑女に。
赤子だった末妹のRちゃんも日本で言えば小4になり、アトリエで美しい水彩画を2枚仕上げました。
TJ君は昨年の夏休みにも学童クラブのアシスタントをやってくれて、大いに助かりました。
英会話講師をはじめ、今年もお手伝いしてくれるそうで、頼もしい援軍の活躍に期待大です。

By T講師

昨今の当コーナー同様に長々となってしまいました。
お楽しみいただけたのなら幸いです。

* * *

「アトリエお休み日のお知らせ」


今週末7月13日(土曜日)より15日(月曜日「海の日」の祭日)までの3日間、
アトリエはお休みさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

アトリエ・マイルストン主宰、当真 英樹

2019年7月1日月曜日

梅雨時のブラック・ミュージック

月曜日・曇り 時々 雨・多湿
アトリエ・お休み日

美術教室のブログながら、まるで私設・音楽ブログのようです。
ご了承ください。

「ミュージック・ギャラリー(その365):雨歌ー3」


前置き、前回同様に長くなります。
ご興味のある方はお付き合いいただき、そうでない方は飛ばして即 動画の観賞をお楽しみ下さい。

「アメリカ黒人音楽の成立とその台頭」


上記、表題をごくかいつまんで(いわゆる大雑把に)言及してみたいと思います。

アメリカ音楽が世界に冠たる偉大な存在になれたのは、とりもなおさず多民族の融合に起因しています。
英国発のアングロサクソン、南欧系のラテン民族、ドイツ系のゲルマン民族、東欧系のスラブ民族等々、
それらの人々が19世紀末より欧州各地から移民、アイルランド系やその他の伝承音楽と入り混じり融合、
また英国由来の産業革命後に欧州から移入した資本家と、建国に際しての技術と資本の蓄積が功を奏し、
その後(第一次世界大戦(1914~18年)前後の状況は今回はスルーです)、
1929年のN.Y.金融界発の世界大恐慌を被りながらも、大量生産と消費、大衆文化の胎動は更に増大し、
20世紀初頭には、重厚長大なる商業化に成功した米国産業界のダイナミズムは音楽界や業界にも波及、
エジソン発明の蓄音機やラジオの普及も、現代へと繋がる大衆音楽の大量生産と消費を生み出しました。

アメリカ音楽が特にこれまでの西洋中心の音楽界とは異なる発展が可能となったのは主に次のような点です。
その理由は、
特に黒人音楽からの影響が顕著で、アフリカ大陸起源の打楽器のビートによるリズムの導入は画期的でした。
米国黎明期には主に南部で奴隷として大農場の農作業に赴き、その集団労働の中からワークソングが生まれ、
やがてそれは霊歌(スピリチュアル)や初期ブルースへと変化、キリスト教の普及と共にゴスペルにもなり、
やがて奴隷から解放。多くの黒人たちが66号線にて北上、五大湖周辺の工業地帯へ職を求めて大移動を開始、
人工増加に伴い中心部のシカゴでは娯楽としての音楽需要が高まり、そこへ多くの黒人音楽家たちが職を得、
従来の西洋音楽とは異なる楽譜や様式に依存しない新しい音楽形態を展開、大衆の需要を満たしました。
一方、南部へ残った黒人たちの中からジャズが誕生。西洋音楽で使用された管楽器などを駆使して演奏。
奴隷時代の艱難辛苦やその後の社会的差別等を背景に、西洋音楽的には異端であるブルーノートが生まれ、
それが黒人特有のリズムやビート感と相まって、従来とは異なる米国ならではの新しい音が創造されました。

筆者注:「ブルーノート」とは?
曲調がメジャー(長調)の調性時においても、その和音の積み上げにマイナー(短調3度)を用い、独特の憂いを表現。
西洋音楽の概念からすれば間違った調性で、それと共に不協調的な短7度のセブンス・コードも好んで用いられた。
黒人発祥のブルース(BLUES)のブルーとは憂鬱・陰鬱等を表す言葉で、歌詞だけではなく曲調をも指しています。
更に微妙さに言及すれば、西洋音階の半音以外の音階(?)も存在し、それが各地域や個々の個性にもなりました。
( 脱線話し:それが伝承音楽と言うもの。絶対音感に恵まれた友人知人には、雑音に聞こえて鑑賞不可とのこと.)
( 従ってエレキ・ギターのチョーキングや、ブルースハープ(ハーモニカ)のフェイク等は到底受容できないそう。)
「味」知らずの無菌室クラシック・ピアノ育ち、かわいそ (;^ω^)

この上記2点と、黒人ならではの力強いビートが加わり、人生の喜怒哀楽等の感情表現が豊かになりました。
やがてそれらの演奏形態が全米へと普及、他の移民たちの持ち込んだ伝承音楽等と結合しながら発展しました。

第二次世界大戦後(こちらもスルー)、
都市部で誕生したフォー・ビートのエレクトリック・ブルースを根幹に、エイト・ビートのロックンロールも誕生。
それは人種的な垣根を超えて白人の若者や労働者たちをも魅了。その中から歴史的に偉大な音楽家も登場しました。
そして第2次世界大戦終了後の50年代、ロックンロールやジャズは国境をも超えて世界にそのサウンドは飛び火。
ジャズでは晩年 国連の音楽大使にも抜擢された人間的にも大きなルイ・アームストロングの活躍・功績も多大です。
ロックンロールではエルビス・プレスリー(白人)等、ジャズではマイルス・デイビスらが登場。世界的な市民権を得て、
その後は現在に続く多くの偉大なるフォロワーたちを輩出。黒人ならではの特徴を如何なく発揮することが可能となり、
遠くヨーロッパの国々や東洋の我が国にも多くの音楽的・文化的影響を与え続け、21世紀の今日に至っています。
その間、黒人音楽は上記ジャンルから更に新しい脈動が生まれ、R&Bやソウル、ファンクやヒップホップ等も登場。
世界中の国々の音楽界やファッション・風俗文化等に多大な貢献・影響を及ぼし、21世紀の今日に至っています。
( 充分な推敲のない舌足らずな駄文・雑文、お読みいただいた方に感謝申し上げます。)
_(._.)_


お粗末な前説、長くなりました。
今回はそんな偉大なる黒人音楽の中から、雨にまつわる楽曲を取り上げてみました。

前述にはありませんが、黒人音楽に共通する特徴として民族的に卓抜したその身体的優位性にあります。
遥か原初の頃よりアフリカ大陸で培われた狩猟文化等による肉体的俊敏性や発声が、音楽にも充分に活かされています。
その立派な体躯を駆使し、豊かな声量を用い、憂いある歴史をも結果的に活用し、芸術的表現者としての地位を確立しました。

当コーナー久々の再登場です。
ロック音楽に明け暮れた筆者の10~20代前半、その合間に故郷や東京のクラブで聴き、チークダンスを踊った思い出の曲です。
雨の情景描写や情緒のたっぷりなアダルトなフィーリング、お楽しみ下さい。

ブルック・ベントン、「レイニーナイト・イン・ジョージア」(1970年)
Brook Benton, " Rainy Night In Georgia " with Lyrics

昨年、逝去したトニー・ジョー・ホワイト(白人男性)の名曲を、黒人ならではのテイストで歌い上げています。
ハモンドの響きやナチュラルな音のエレキ・ギター、ドラムの抑制の効いたシンバルやクローズド・ブラッシュ等、
しっとりとしたアダルトなバック演奏は、筆者にとっては快感です。


カバー曲好きな筆者、今回もまた同曲の別バージョンを取り上げました。今度は女性シンガー・バージョンです。

ランディー・クロフォード、「レイニー・ナイト、イン・ジョージア」
Randy Crawford, " Rainy Night In Georgia "

こちらのカバー曲も上のB・ベントン版に倣っていますが、女性ならではの繊細さが加味されて良い雰囲気です。


さて「雨歌」特集でこのコーナーを始めたのですが、筆者得意の脱線をも始まってしまいました。なおもお付き合いを。
R・クロフォードのハスキーな歌声と、歌詞に電車が登場するのを、筆者の連想で次の曲も聞きたくなってしまいました。

またジョージア繋がりだけではなく、動画冒頭の駅のシーンは何と雨にけぶっていると言う偶然もありました(*^-^*)。

こちらもまた元はと言えば、ジム・ウェザリーが前年に出した「Midnight Plane to Houston」のカバー曲です。
ではお聞き下さい。20世紀米国の黒人音楽が産み出した珠玉の傑作を。

グラディス・ナイト&ザ・ピップス、「夜汽車よジョージアへ」(1973年)
Gladys Knight & The Pips , " Midnight Train To Georgia "

バラードでありながら、歌唱の節々で登場する黒人独特のコブシや節回し、シャクリ等、快感です。
この哀愁感を聴いているだけで もう気持ちよくて、傍らのお酒がグンと進んでしまいます (#^.^#)。


「脱線歌2曲、またもや登場」


ブラック・ミュージック繋がりで「雨歌」以外も聞きたくなってしまいました。
その頃に流行った美しいメロディー&ハーモニーの名曲を・・・。

スリー・ディグリーズ、「天使のささやき」(1974年)
The Three Degrees, " When Will I See You Again " with Lyrics

こちらの女性3人組のグループは、どちらかと言うと黒人音楽の持つエグ味は少なく、洗練された味わいが快感です。
動画内に登場する数々の美しい花々の映像と共に、切ない詞のその涼やかなハーモニー お楽しみ下さい。


*

ここまで来たら、この曲も聴きたくなってしまいました。
上の70年代から時代は少しばかり、現代に近づきました。
この歌もまた黒人音楽ならではの歌唱が胸に迫ります。
その当時、結婚式の定番となった名曲、お聞き下さい。

アトランティック・スター、「オールウェイズ」(1987年)
Atlantic Starr, " Always "

ロマンチックそのものですね。歌詞もまたtoo sweet!で、結構こそばいですが・・・。
(*ノωノ)


梅雨時の「雨歌」特集にて、今回はムード溢れる黒人音楽のバラードばかりを取り上げました。
遠き昔の筆者としては、60年代後半のイギリス発祥のブルース・ロックに端を発し、黒人音楽に目覚めました。
クリームのエリック・クラプトン、レッド・ツェッぺリンのジミ―・ペイジらがブルース・ギターの魅力を伝え、
ロンドンの不良たち ローリング・ストーンズの数多くの黒人音楽カバー曲もまた筆者をブルースへと導きました。
その後、シカゴ・ブルースのアルバート・キングやオーティス・ラッシュ等のごついギターと歌唱が好きになり、
連鎖的に、更にアコースティックなカントリー・ブルースのライトニン・ホプキンス等の渋さにもハマりました。
来日時のアイク&ティナ・ターナーや、赤坂で経験したライブ時の黒人バンドのホーン・セクションの迫力たるや、
もう雷鳴のような大迫力があり、その耳をつんざくような金属的なキレはまるで鋭利な刃物のような鋭さでした。
とは言え、エグ味タップリの肉体派的サウンドには食傷気味にもなり、LP1枚の全ては到底聴けませんでした。
嗜好とは不思議で、ビートルズやツェッぺリン等のロックなら大音量で最後まで聴いても飽きなかったのですが。
とは言え、20代半ばに目覚めたジャズは今も大好きで、コーヒーやお酒のお供に欠かせない連れ合い的存在です。
20代後半から30代には、ロックと共にジャズやブルースの来日公演にも度々足を運び、その魅力も満喫しました。
最晩年の故カウント・ベイシー(ビッグバンド,P)や故アート・ブレイキー(Ds)らの熱演も心に焼き付いています。

故郷では黒人との混血の友人も若干いて、その体躯による走り等の身体能力、眼光の鋭さ、舌を巻いたものです。
高校生の頃、友人の1人が大の黒人音楽ファンで、当時 来沖したあのジェームズ・ブラウンも見に行った時のこと。
そのライブ会場は何と闘牛場で、観客のほとんどが黒人米兵で、その盛り上がり方は激しく熱気に包まれていて、
当時の故郷の米兵相手の歓楽街にも人種的区域があり、その鬱憤でも晴らすが如く黒い拳が宙に乱舞していたとの事。
その彼、所有レコードの全てがR&Bやソウルばかりで、筆者らのバンドにもソウルをやれ!と日々主張していました。
彼の部屋はブラック・ライトで照明されていて、壁にはカーリー・ヘアー黒人の大きなイラスト・ポスターがあり、
その部屋の醸し出すある種 淫靡な雰囲気はまるでアメリカの場末のバーのようで、今も脳裏に焼き付いています。
(;^ω^)
今では疎遠になって確認も出来ませんが、この年齢になってもそれらの音楽が趣味なのか尋ねてみたいものです。
年端を重ねた筆者も音楽的嗜好が淡泊気味となり、ソウルフルなアルバムには手が出なくなってしまいました。
若い頃の肉食派のステーキ好きから、今や一夜漬けや煮物などの野菜を好むようになってきた今日この頃です。
(*^-^*)


「オマケ:脱線して、再び雨歌に戻り・・・」


最後にオマケの曲をお届けします。
次の演奏家は欧州はデンマーク出身のハーモニカ奏者で黒人音楽家ではありませんが、縁が無いわけではなく、
黒人音楽家のようになりたかったエリック・バードンと言う英国の歌手の作ったバンドにも参加しています。
E・バードンはアニマルズのリーダー兼歌手で、米国南部の民謡を歌った「朝日のあたる家」は傑作中の傑作です。
その彼と「ウォー(戦争)」と言うバンドを結成し、黒人音楽の影響を受けつつ、無国籍的な演奏活動を行いました。

今回の「雨歌」は雨情緒の方ではなく、筆者的にはどちらかと言うと雨の合間の爽やかな晴れ間を感じてしまいます。

リー・オスカー、「ビフォー・ザ・レイン」インストルメンタル(器楽曲)(1978年)
Lee Oskar, " Before The Rain " ( Instrumental )

「雨の日」には「雨の日」ならではの情緒を楽しみ、そしてその「晴れ間」にはその時ならではの情緒をも充分に堪能し・・・。
結局、両得を満喫できる方が日常も人生もまた楽しからずや、と言うことで、まとまりのない今回コーナーを終えることにします。

雨の日に、そしてその晴れ間に、一幅の清涼剤として楽しんでいただければ幸いです。

天候により気温の寒暖差の激しい時節、健康には充分留意して体調崩さぬよう過ごしましょう。
水分・睡眠は充分に。
😊

By T講師


2019年6月24日月曜日

筆者、高校時代の雨歌・二題

月曜日・冷雨
アトリエお休み日


「ミュージック・ギャラリー(364):雨歌ー2」


前置き、長くなります。
御関心のある方、お付き合いくだされば幸いです。

さて前回に続いて、今回もまた20世紀アメリカ音楽の中の「雨歌」をお届けします。
が、
アメリカン・ポップスとは記さなかった筆者自身のそれなりのこだわりの訳があり、
敢えて米国の従来の音楽業界が造り出した延長線上ではないと言うスタンスを強調してみたものです。
では、筆者がこだわるポップスとロックの一線を画す境界や違いがどこにあるのかと言うと、
前者が伝統的な業界によるプロデュースの下、各事務所が見い出した歌手に歌わせる曲を、
売り出すイメージを基にプロの作詞家や作曲家に3分以内の新曲を依頼し、ヒットを狙うと言う手法。
片や後者のロックは業界発ではなく、その逆に既成の社会構造に不満を持つ若者たち自身の創作物。
その草創期に於いては、色々な理由で大人たちや社会から激しく非難され、放送規制等も行われ、
歌唱や動作が卑猥だと断罪され、一部の歌手たちのレコードが教会関係者に焼かれたこともあり、
それだけ世間に与えた影響は大きく、ロック音楽が持つ若者に対する影響力の強さが伺われます。
(但し、その後ロック界も産業化し、若者発の独自性やメッセージ性も次第に失われていきます。)



筆者が高校に進学した頃、米国はベトナム戦争の真っ只中。戦場は泥沼化し、厭戦気分が顕在化。
反体制・反戦平和を標榜するフラワー・チルドレンによるヒッピー文化の台頭で、米国内も騒乱化。
そんな中で多数の反戦歌手や反戦歌が生まれ、都市部の大学生を中心に支持され、ヒットしました。
ジョーン・バエズ、バリー・マクグヮイヤ―、ジョン・セバスチャン等がその代表的シンガーです。
時を同じくして大掛かりな野外コンサートも隆盛を極め、伝説的なウッドストックでの名演も生まれ、
上記のJ・バエズやJ・セバスチャンの名歌唱も米国音楽界の記念碑的歴史の1ページを見事に飾り、
今回のC.C.Rもその晴れ(?)舞台に登場、雨降り注ぐ中で演奏した際の思い出が2曲目の詞にも結実。

今回のこのコーナーもまた前回の続きの「雨歌」ですが、実はこの2曲、裏のテーマがありました。
その裏テーマは「反戦」。
YouTube上の動画にも、その裏テーマに沿った動画も複数あるも、転載不可のブロックが施されており、
筆者としてはその衝撃的なブロック版の動画を是非にでも取り上げたかったのですが、やむなく断念。

歌詞の晴れた日の雨は、単に「お天気雨」や「キツネの嫁入り」などの気象を歌ったものではなく、
歌詞の裏テーマの指すところは、米国でも広く知られているのですが、爆弾を意味しているのです。
曲発表当時、米国は泥沼化したベトナム戦争の真っ只中。敗色も濃く、若者を中心に厭戦気分が蔓延、
CCRの主力メンバーのフォガティー2兄弟もまた兵役に就き(兄には沖縄駐留歴も有り)、時代を共有。
(その影響が推定されるグリーン・リバーやボーン・オン・ザ・バイヨウには琉球音階が登場します。)
米国民としての自らの複雑な立場と心情(筆者推量)を敢えてボカして楽曲に乗せたものと思われます。


今回は英詞と和訳の両方が網羅されているバージョンをお借りしました。
その製作者も雨に身をすくませる鳩を字幕の背景に選んでいて、裏テーマを意識されているようです。
CCRならではの虚飾を排したストレート・ロックのビートに載せた行間読みの出来る名曲の世界を。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、邦題「雨を見たかい」訳詞付き
Creedence Clearwater Revival, " Have You Ever Seen The Rain "

米国ならではの後乗りシンプルなエイト・ビートの見本のような曲で、今聴いても新鮮さを失ってはいません。
淡々としたリズム隊の演奏にハモンドが静かに加わり、隠された歌詞の内容の重さ・深さを沈殿させて見事です。
骨太なバンド・サウンドが快感で、導入部とエンディングのごく一部のみに使用の生ピアノも絶妙で効果的です。
青空の下、きらきら輝いて降ってくるのは雨粒ならぬ爆弾の雨。ブロックされている動画では当時の実写映像で、
世界最大の戦略爆撃機B52が、大量のナパーム弾でベトナムの地を火の海にしている様子を背景として使用。

その巨大なB52の集団は、故郷の嘉手納基地から飛び立ち、南のベトナムの地や人々を襲っていたのです。
B52の出撃は那覇の海岸でも見ることが出来、そのサメのような黒い機体の数々をいつも見送ってました。
爆弾と燃料が満載の重い巨体は直ぐには飛び上がれず、水平線に沿って徐々に機首を持ち上げては消えて、
また新たな機影が現われ、海面上で淀んだ黒煙がやがて海風に乗って海岸の筆者らの鼻腔を襲いました。
黙って見ていた仲間の中から「落ちれー!」との叫び声。その代弁で筆者の視界は霞んでしまいました。
その広大・多数な基地機能を補完すべく、多くの沖縄の人々が基地労働者として職を得、暮らしていました。
故郷沖縄はかつては戦争の被害者でもありましたが、60~70年代には加害者側の協力者でもあったのです。



CCRの2曲目もやはり「雨」の曲で、こちらもまた上の「雨を見たかい」同様の裏テーマがズバリ「反戦」です。
今回の「誰が雨を止めるの?」の雨もまたズバリ爆弾・爆撃を表しているとのことで、米国では有名な話です。
加えて、この雨Rainが同音異義語のReign(治世や支配)を匂わせていて、戦争の仕掛け人国家を批判しています。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、「フール・ストップ・ザ・レイン」
Creedence Clearwater Revival, " Who'll Stop The Rain "(1970)

爽快感溢れる名曲ですが、筆者も高校生の頃にロック・バンドでCCRの曲を多数コピーして楽しみました。
プラウド・メアリー、ローディー、グリーン・リバー、ボーン・オン・ザ・バイヨウ、スージーQ 等々。
(特に「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」のギター・ソロにはメンバー全員で感嘆しました。)
そのギター、技巧を超え、肉声をも超え、西洋音階をも超え、哀しみにすすり泣く魂の叫びのようです。

上記2曲の詞の内容にそんな反戦のメッセージが隠されているとは、最初の頃は知りませんでした。
米国らしい明るさの中に隠された「反戦」「反体制」のメッセージが、当時の世相を反映しています。
当曲の3番の歌詞で、伝説の野外フェス「ウッドストック」での聴衆の団結の様子を歌っています。

2曲ともミディアム・テンポのエイト・ビートで、ポップ音楽の基本中の基本ですが、
昨今の国内外のポップスやロック界にはあまり存在しないシンプルなストレートさです。
特に我が国では60年代後半以降、多数のバンドが登場しましたが、このビートが出せるバンドはごく稀です。
オキナワ育ちの筆者が感じた本土のバンドの多くは速弾き等の技巧に長けて、その反面 ビートが希薄でした。
リズム感が遥かに良くなった現代のティーンたちですら、この粘り感は見習うべき良き見本だと思っています。
上から目線、ご容赦<(_ _)>。

これら2曲の詞・曲を紡いだボーカル兼ギタリストのジョン・フォガティーの心情はいかばかりだったのでしょうか。
遠く太平洋を渡ってきた侵略者であり加害者の立場(しかも軍務にも就き)ながらも、その一方では反戦にも同調し、
米国と言う国家に属しながらも、その支配層や体制にも批判的な目を持ち、支持者のファンにも様々な思想があり、
葛藤と矛盾にバランスを取ることには、自己存在に想像を絶する困難を極めていたのではないかと推測されます。
そのように想像・仮定すると、彼独特のエグ味タップリの濁(だみ)声が更にいっそうの哀愁を感じてしまいます。

後年、アメリカがその強大な軍事力にてその刃を諸外国へ向ける時、湾岸戦争や最近のイラク侵攻時等に於いて、
この2曲はジョン・レノンの「イマジン」等と共に放送禁止曲に指定されていて、バロメータのような存在です。
多くの矛盾や問題を抱えながらも、こんな曲を生み出し得るアメリカの懐の大きさに感服する今日この頃です。

* * *


「筆者後記:沖縄・慰霊の日に寄せて」


本土の他府県の方々にはあまり知られていませんが、故郷では6月23日は「沖縄戦終結の日」に因んで、
「慰霊の日」と定められており、この日は学校や諸官庁などは、全県をあげての休日となっています。
先の世界大戦末期に故郷で繰り広げられた「鉄の暴風」と後世で言われる血みどろの激戦が繰り広げられ、
軍民合わせて20万人余の命が奪われたことを祈念し、犠牲者の慰霊・冥福と遺族たちへの弔意を表す日です。
よってその日は県や県民が一丸となってその鎮魂・慰霊の祈りを捧げ、反省と平和の誓いを行う日です。
(毎年、遺族として招待され出席していた筆者の母もその老いには抗えず、今年は辞退しました。)

そんな厳かで神聖な日の「慰霊」のはずの式典が、ここ数年に渡り異質なものへと変貌しているのです。
県や県知事は日頃のその政治信条を乗り越えて、政府も遺族も共に犠牲者に弔意を表すのが当然の日です。
ところが現実は違います。
故・翁長前知事や、その後継者の現知事は序盤でこそ慰霊を口にすれど、その後は一方的な政府批判に終始。
また来賓・安倍首相へのここ数年に渡る罵声・怒号は愚行以外の何物でもなく、論外の非礼そのものです。
県は予測されつつも、その予防措置や当日の規制・排除もせず、「表現の自由」とばかりに黙認・受容し、
自らの主義主張の補完的演出とばかりに遠方よりの来賓を愚弄し、併せて犠牲者・遺族をも貶めています。
これが「守礼の邦(国)」の民人の末裔の所作かと思うと、もはや憤りを通り越して悲しくてやりきれません。
県民のみならず、本土出身者をも含めた数多(あまた)の犠牲者への慰霊・冥福、遺族への哀悼を祈るべきです。
「オール沖縄」と詐称し、情けに弱く論理に疎い純情な県民を愚民化し、衆愚政治にて扇情、我田引水を計り、
行政と言う責務も怠り、ひたすらに反米・反政府を連呼するのは、もういい加減にしていただきたいものです。
たった一度きりの人ひとりの人生を不幸にしてまで、自らの政治的野望達成の道具・手段に使うのは卑怯です。

この地球上に於いて、その成り立ちから現在に至るまで、全てが清廉潔白な国家など何処にも存在はしません。
とは言え、好まざるに関わらず戦後の我が国の平和と安定は、米国(軍隊)の存在無しには成立し得ないのです。
筆者の立ち位置は不動不変で、「過去に於いて多大な犠牲を払っていただいた自由と民主主義」を有り難く尊び、
それを削ごうとするその反対勢力に対しては、傍観・看過しないと言うのが筆者の信条であり、明快な信念です。
一体、どこからいついかにして「自由と民主主義」をいただき、こうして言いたい放題・非礼放題が可能なのか、
今一度過去を振り返って考え直し、その永遠の被害者スタンスを変えてもらわないと、早晩にも危機が訪れます。


オキナワ時代だった幼い頃、戦場の残り香を嗅いで育ち、米軍による非人道的な数々の蛮行を実際に肌で見聞し、
民主主義が単なる見せかけの画餅で、米国軍政による圧政で故郷の人々を抑圧した歴史的事実があったにせよ、
またそれが僅かながらも未だ進行形の事象であるにせよ、米国は戦後の我が国の根幹を形作った恩人の国であり、
その恩を忘れることなく未来永劫に渡って「自由と民主主義」を守り、享受すべき魂柱だと筆者は考えています。

願わくば県民の皆様が少しでも公正中立で良質な情報に触れ、いつの日か自らの力で思考・覚醒し、
この美しい南の島の世を、子々孫々に渡って謳歌・堪能 出来る日が来ることを切に祈っています。
「慰霊・鎮魂・哀悼・合掌」
( ;∀;)

アトリエ・ブログ 私物化の私見、長くなりました。その批判は甘受します。ご容赦。
<(_ _)>

当真英樹



当ブログの筆者の一昨年の「T講師コーナー」にて、「沖縄戦大特集」を組みました。
ご関心ご興味のある方は下のタイトルをクリックの上、是非ご欄になってみて下さい。

沖縄慰霊の日・特集


自称・筆者渾身の力作 (*^-^*)で、国内外(特に米国)からの写真資料が満載です。

By T講師



先週は地元警察の失態や、小田急線の踏切脱線事故も重なり、我が町・厚木の街は大渋滞の大混乱に陥りました。
何気ない日常がこんなにも脆く、またこんなにも平安で恵まれた日々だったと言うことを再認識させられました。
学童クラブの方も緊急の早朝迎え等が2日間、超異常な渋滞にはまり心身を窶した皆様も多数で、お疲れ様でした。


2019年6月10日月曜日

「入梅」の米国ポップス特集

月曜日・終日の冷雨
アトリエは お休み日



当ブログの投稿日に時差がある内に、巷では「入梅」に・・・。
そうとなれば、当コーナーでは例年恒例に取り上げるアレです。
と言う理由・繋がりで、「雨」にまつわる歌を集めて見ました。

「ミュージック・ギャラリー(その363):雨歌-1」


その第1回目の今回は、筆者の幼き頃や若かりし頃に親しんだアメリカン・ポップスの中から選んでみました。
皆さんもご承知の懐メロの定番(鉄板)曲が多くあると思います。

その冒頭、まずはこのこの曲、この名場面を。
20世紀の米国ハリウッドが産んだ正に傑作です。

邦題「雨に唄えば」、ジーン・ケリー
" Singing In The Rain " , Gene Kelly (1952)

米軍施政下のオキナワで育った幼少時代の筆者の映画・音楽の「雨」の原体験です。
白黒TVで見た米国映画、ラジオから流れ出た米国ポップス、全ては輝いていました。

米ソ冷戦の筆者幼少期、故郷は全てが軍事優先で民間放送は著しく制限されていました。
ラジオやTV、まず英語による放送が先行、日本語による放送はその後に認可されました。

ハリウッド映画の最高傑作シーンの一つと言っても異論のある方はいないでしょう。
熱演のジーン・ケリー、撮影時に40度の高熱だったとの伝承はあまりにも有名です。
雨の飛沫もしかと見えるようにと、雨水に牛乳を混ぜたと言う逸話を聞いた記憶も。
このシーンが撮られるまでに何テイクを要したのか不明ですが、もう完璧の極みです。
大量の人工雨の中の横移動のシーン、詞と表情と動きのコンビネーションが絶妙です。
映像・演技の素晴らしさについ記し忘れましたが、
多重録音も不可能な当時のレコーディング技術で一発録りで録音された演奏も秀逸です。
決して色褪せることのない当時のアメリカ映画の底力に、21世紀の今日からですら感激してしまいます。



さて次の雨歌も全米1位に輝いた大ヒット曲です。
ジ・アメリカン・ポップスと言う呼称に相応しい名曲です。

邦題「悲しき雨音」、ザ・カスケーズ
Rhythm Of The Rain, The Cascades (1962)

雷鳴の後に雨音とそれらの雫を感じさせるやさしい音色のビブラフォンが歌へと導入。
親しみと切なさが入り混じった傑作イントロです。拍子抜けするような間奏のオルガンも素朴で良い味です。
その間の抜けたような奏法だからこそ、何だか失恋の痛手で放心状態に陥っている男性歌手のようで絶妙です。
後半アウトロ部の歌詞のピタパタとは、日本語で表現する雨音のシトシト・ピチャピチャと共通の擬音です。

半世紀前、元々は筆者小学生の頃のヒット曲で中学生になった頃、ラジオやレコードで幾度も聴いたものです。
その当時はドーナツ盤と言うシングル・レコードが主流で、買えない曲は友人間で貸し借りしてました。
自然発生的にレコード貸し借り組合のような状態となり、1学年17クラス(55名クラス)で学年をも超えて、
中には適当な奴もいて、返してもらえなかったり、ジャケットや盤が汚されたりして、悲しい思いもしたり、
でも学校人気No,1の女子から借りたりもして、そのジャケット記入の名前に一人 微笑んだりもして(n*´ω`*n)、
1枚のレコードが介した100名余の友人たちとの様々な出来事と想い、今となっては良き思い出です。



次の曲もまたそんなアメリカン・ポップス全盛期の頃の雨にまつわる名曲の代表曲です。

邦題「雨に消えた初恋」、ザ・カウシルズ
The Cowsills - " The Rain, The Park & Other Things " (1967) - with Lyrics

こちらの曲も雨音から聞こえ、涼やかなオルガン・サウンドとハープが情緒を醸し出す名曲です。
カウシルと言う姓の家族グループで、その構成は男子6名と継母と言う仲良くも面白い編成です。
長兄のリード・ボーカルと共に、曲の随所にて折り重なる兄弟ならではのハーモニーも絶妙です。
そんな歌声もさることながら、バック演奏(楽器編成や音色をも含めた)のアレンジも素晴らしく、
当時の米国音楽界のプロデュース力に、厚みや凄味を感じるのは筆者だけではないと思います。
余談ですが、
その当時、故・大橋巨泉氏が「牛も知ってるカウシルズ、ウシシ・・」なんて言っていたことも。


最後のこの曲はもう雨歌の定番中の定番、皆様ご存じの世界的大ヒット曲です。
上の「雨に唄えば」同様、映画のサントラ盤で、アメリカン・ニューシネマの「明日に向かって撃て」のテーマソングです。

邦題「雨にぬれても」、B.J.トーマス
" Raindrops Keep Fallin' On My Head ", B.J.Thomas (1969)


ギターの軽やかなコード・ストロークが印象的なイントロで始まるこれまたリラックスした歌唱が印象的な名曲です。
作曲は、70年代に素晴らしい上品なアメリカン・ポップスを数多く世に送り出した、あのバート・バカラックです。
当コーナーで幾度か紹介の「ラフター・イン・ザ・レイン」同様の軽やかさがアメリカならではの風土を感じます。
またYouTube上には、映画の中の名場面(動画)入りの訳詞バージョンもあるので、興味のある方はこちらもどうぞ。

以上、今年の「雨歌」の第1回目は、懐かしのアメリカン・ポップスの中から4曲をお届けしました。

これらの曲を生み出した20世紀も、南の小島にて聴いていた昭和も、随分と遠ざかってしまいました。
流れ出でていた真空管ラジオも、針を落としていたレコードや電蓄も、もう身近には無く、過去の彼方。
レコードを貸し借りした友の幾人かも令和を迎えることなく黄泉人となり、筆者の身体と記憶もまた何れ。
( 中には平成をも迎えずして、早々と逝ってしまった親不孝極まりない友も数人にものぼり・・・。合掌 )
今宵またYouTubeにて彷徨う宇宙空間と思い出狭間。しばし優しい音楽たちに包まれたいと願う今日です。

* * *


新コーナー「ミニ・ギャラリー(その2):雨夜景」 


前回より始まった当コーナー過去分からの焼き直し(;^ω^)の2回目です。
今回は「梅雨入り」にて雨をテーマに統一。一昨年のT講師コーナーにて紹介済みの雨作品を取り上げました。


作者:ジェレミー・マン(米国)
Jeremy Mann ( American Impressionist Painter ), 1979

雨の日の夜景は筆者も大好きです。雨水による光の反射やその滲み、都会の(静かな)喧騒や風や匂い等・・・。
安全運転には留意しながらも、街灯や信号機の明滅や路面上の反映など見とれることもしばしば(停車中です)。
上のアメリカン・ポップスと共に、ご鑑賞下さい。

* * *

ともすれば憂鬱な気分に陥りがちな雨多きこの季節。少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。
また天候による寒暖差の激しいこの時節、体調不良にならぬよう、充分気を付けて過ごしましょう。
水分補給も忘れずに。
(*^-^*)


By T講師

2019年5月27日月曜日

さらば春、快晴・快風の日々

月曜日・晴れ・暑し
アトリエは お休み日

ベスト・シーズン「さつき晴れ」の何気ない日常の光景を過去撮影分にてお届けします。
令和の新鮮写真ではないので「意味な~い!」かもですが、御覧いただければ幸いです。

画像・再登場の

「出張デイリー・ギャラリー」


「大山・丹沢山系 三題」

「つつじ」神奈川県立七沢森林公園脇よりの眺望

「雲一つない日本晴れと新緑」アトリエ近所、上古沢地区内よりの眺望

「丹沢に沸き立つ雲」七沢地区よりの眺望(左端が大山、白い建物は七沢病院)

我が町・森の里・二題

厚木西高校前のイチョウ並木

森の里センター、遊歩道脇

アトリエ近所・二題

つつじの丘公園(旧・上古沢緑地)
つつじの丘公園(旧・上古沢緑地)

今年は例年にも増して(昨年同様の)気温の高い日々続きでした。
いつも定点観測・撮影をするアトリエ近所のポピー植栽地、今年は未だポチポチです。
週末より、関東地方もいよいよの梅雨入りが予想されています。
筆者も大好きな「春」五月晴れ・新緑涼風とも しばしのお別れ。
季節は移ろい早六月(半年!)、梅雨の季節へと突入。
僅かに残された「涼風・快風」を存分に満喫しましょう。

* * *

新コーナー
出張名作美術館・総集編「 ミニ・ギャラリー(その1):春景色 」


以前、当ブログにてレギュラーだったコーナーを過去より引っ張り出して、それらの別アレンジの総集編やミニ版をお届けします。
少しは薄れていた美術教室のブログらしい装いを取り戻せそうです。

その記念すべき第一回目はオープンに相応しく「春」らしい(筆者の独断見立て)絵画を選び出しました。
これまでのような画家個人別の特集ではなく、そのテーマに沿って過去のアップ映像より選びました。
よろしければ、名画の中の美しい「春景色」ご鑑賞下さい。新コーナーでは詳細データ等は未掲載とします。
制作意図や年代等の知識探訪はさておき、ひたすら画面(視覚情報)のみからの情緒を味わいましょう。

グスタフ・クリムト 二題



象徴主義絵画のエロティックな画面で名を馳せたウィ―ン派の巨匠の別の一面です。
正方形画面に構図法に力点を入れ、点描にて自然の造形を軽やかに表現しています。



クロード・モネ 二題



点描のご本家・印象派の巨匠の描いた風景の中の幸せそうな人物たち。
彼の目を代弁したその点描、透明な光だけではなく、風の爽やかさや香りをも感じられます。
にもかかわらず、
同時に一抹の悲しさをも感じるのは、後のモネ夫婦の悲劇を知っているからでしょうか?


ピエール・ボナールの或る1日
(筆者注:画題ではありません。)

 

木漏れ日をバックに、フランスパンとチーズとワインとその他諸々・・・。
↑筆者の好物のささやかなる思い入れが、テーブル上をそう見せています。
しっかりと描かれていないからこそ、見る者の想像力を大いに刺激します。
筆者が特に好きな部分は、テーブルクロス裏に微かに感じる光の拡散です。

当ブログでも度々言及の筆者憧れの「庭食事」風景。
やはり今年のGWでも復活せずじまいでしたが、大量の枝剪定と芝刈りだけは行えました。
鬼が早々と高笑う来年こそは・・・。
(;^ω^)



近代西洋絵画の黎明期・根幹を成す3者の画家の作品を「春景色」として取り上げました。
その巨匠三者に共通するのは以外にも我が国「日本」。
浮世絵や精緻な明治工芸等、19世紀のヨーロッパ美術に多大な影響を与えた我が国の美術、
教条的な宗教画や歴史画の茶褐色に慣れた目に、日本美術は正に「目から鱗」だったとの事。
その伝統の一部は失われず、今や「マンガ」や「アニメ」となって世界を熱狂させています。
その本家本元の伝統的日本画(宗達や光琳など)も、再び息を吹き返すことを願っています。

* * *

「出張ミュージック・ギャラリー(その278):青春歌」


「新旧同曲・三題」

今回の当コーナーは春先より特集していた「春」の歌の最終回と言うことで、「青春歌」にしました。
今ではもう遥か遠く昔(!)のこと、筆者若かりし頃の青春時代に流行った名曲を再び取り上げました。
半世紀も前の多感だった中学生の頃、彼らの存在に反発しながらも結局は魅入られてしまいました。
当時、世は正に英国発のビートルズ時代で、ティーン・エイジャーの女子たちを虜にしていました。
王座のビートルズを筆頭にライバルのローリング・ストーンズらに対抗すべく米国が仕掛けました。
何万人ものオーディションを勝ち抜いて選抜された業界企画製造のアイドルグループが彼らでした。
友人間にもビートルズ派・ストーンズ派(筆者)・モンキーズ派があり、彼らは圧倒的に女子に人気、
前者英国組とは違うポップ・サウンドに反発を感じつつ、内心では大好きと言う複雑な心境でした。
と言う訳で、筆者にとっては思い入れ強く、思い出深い曲です。

その名曲、古今東西の圧倒的数量の数多のヒット曲群を乗り越えて、様々な人たちに歌い継がれました。
まずはそのオリジナルから聴いて下さい。以前に紹介の秀逸動画が削除されたので、別バージョンです。

「デイドリーム・ビリーバー」オリジナル、ザ・モンキーズ(1967年)
The Monkees (Oliginal), " Daydream Believer "

冒頭部のデイビー・ジョーンズの嘆きセリフが一部ないのが不満ですが、訳詞つきで選ばせていただきました。
加えて動画の静止写真にも、中心人物ボーカルの故・デイビー・ジョーンズの可愛い姿がないのも残念ですが。
他にも彼らのTV番組のタイトル文字にもなったギターの形をしたレタリング版もありましたが、詞なしにて断念。
筆者中学時代、そのデザイン文字やビートルズのドラムに描かれていた文字を何百回もノート等に描いていました。
言わずもがな、そのおかげもその一つで、親不孝者の筆者の成績は急降下・右肩下がりに終始してしまいました。
でもそのおかげもあって、クラスや学年を超えた多くの女の子たちから沢山のリクエストを貰い、喜ばれました。
「あいつは絵や文字が上手い」と言う噂が新たな噂を呼び、空手部の部員募集ポスターまで描かされ、つい入部も。
はたまたそのおかげもあって、学校代表としてアメリカン・スクールとの交流会にも参加することが出来ました。
今となってはその当時のオキナワでしか味わえない色々な思いや経験をして、とても楽しい思い出となりました。
アウトロでフェイドアウトへと向かう際にバックで聞こえて出でて来るオーボエ?クラリネット?の音色と旋律が、
半世紀を経た今も老体筆者の胸を未だにキュンキュンと高鳴らせてくれます。

四名のモンキーズ・メンバーの内、二人(デイビー・ジョーンズとピーター・トーク)が逝去してしまいました。
冥福をお祈りいたします。


筆者の脱線思い出話はさておき、
モンキーズのヒットより22年後、日本語の詞を引っげて「デイドリーム」が登場。新たな息吹が生まれました。
当コーナー初登場です。

「デイドリーム・ビリーバー」(モンキーズのカバー)、故・忌野清志郎、ザ・タイマーズ名義(1989年)
The Timers (  Cover version,with Japanese Lyric )

ご存じセブン・イレブンのCMですっかりお馴染みとなった故・忌野清志郎氏によるカバー・バージョンです。
ここ久しく聞かない言葉ですが(死語状態?)、彼独特のペーソス(哀愁)感あふれる歌声が胸に沁みわたります。
日本語意訳詞も素晴らしく、英語詞の”And I~"を「そんで」と口語にアレンジしている部分も冴えています。
バック演奏で、オブリガート風に流れる副旋律のアコーディオン(?)やマンドリンも泣かせてくれて妙味です。
また聞きづらいながら、間奏の清志郎氏のスキャット(シャウト?)も失恋の痛みを表していて胸に迫ります。
「僕の好きな先生」「パパの歌」等、筆者とは同年齢ミュージシャンの心情世界や活躍が頼もしかったです。
若すぎる早逝、重ね重ねも残念で、その冥福をお祈りいたします。


そして一昨年、アニメ映画の主題曲となって、オリジナルとはまた別の魅力を伴って再誕生を果たしました。
秀逸アレンジの演奏に乗せて歌う高畑充希の圧倒的表現力が素晴らしく、間奏時のスキャットも鳥肌ものです。
そんな稀有なシンガーに地球の裏側にて出会い歌われ継がれ、「デイドリーム」と言う曲も幸せだと思います。
30年前、忌野清志郎氏が日本語で取り上げなかったら存在しなかった名曲です。
ここ近年の筆者の最もお気に入りのJポップ・ナンバー、当コーナー再登場です。

「デイドリーム・ビリーバー」(タイマーズ歌詞のカバー)、高畑充希(2017年)
Mitsuki Takahata ( Cover version on The Timers Lyrics )

「オリジナル(原曲)を超えるカバーなし」と巷ではよく言われることですが、この曲はその例外だと思います。
とは言え過去にも初期のビートルズやR・ストーンズ等が、原曲とは別の魅力で次元を引き上げたりしています。
確かにオリジナルにはオリジナルならではの魅力も頑としてありますが、他の手や尊敬や感性が加わることで、
更にいっそうの魅力を解き放つ時も稀にあり、このカバーはその成功例の典型ではないかと筆者は思っています。
原曲作者、原曲歌手、触発されリスペクトしたカバー歌手、その歌が更に新たな歌い手を触発してゆきます。
余談ながらアニメの中の夜景各シーンが魅力的です。まだアニメの方は見ていませんが、近日中に購入予定。

中学時代のオリジナルに始まり、上のカバー2曲にも出会えたことは、筆者にとってはとても大きな喜びです。
今回の3曲以外にもアン・マレー版や、前回沖縄ソングの石嶺聡子版なども秀逸です。機会あればご聴取を。

「デイドリーム」," Daydream Believer "
この歌もまた古今東西・時代・国境を越えて、広く末永く人々に愛され続けていくことでしょう。
(*^-^*)

* * *


アトリエ周辺では恒例の「田植え」が始まりました。
春と夏を分かつ「梅雨入り」ももうすぐです。
「水の国」の我が国にとってはまた大切な恵みの季節ですが、同時についつい邪険に思いがちな季節でもあります。
そのうっとおしい雨や曇天がちな日には、アジサイたちの清楚な色合いと、沖縄サンシンの音色が良く似合います。
(筆者自身にも毎年 言い聞かせているのですが)梅雨時の情緒を能動的に楽しみ、幽玄な雰囲気を観賞しましょう。



お茶濁しの新コーナーがまたまた増えましたが、お楽しみいただけたのなら幸いです。

By T講師



P.S.「追伸」
ここ最近、以前にもまして当ブログへの訪問回数がぐんと増えました(特に米国からが多数です)。
世界各地のビュワー様たちが特に訪れているのが「京都橘高校吹奏楽部」を取り上げたページです。
どのような経路を辿って当ブログへと訪問されるのかは不明ですが、何はともあれ 嬉しい現象です。
沢山の元気を頂戴した筆者としても、彼女たちの今後の活躍も大いに楽しみでもあり期待しています。
あらためて「感謝」

(#^.^#)
_(._.)_



2019年5月20日月曜日

春の沖縄ソング特集

月曜日・薄曇り
アトリエ、お休み日

* * *

昨今のアトリエ・ブログ唯一の投稿コーナーをお届けします。

まずは久々の言い訳から・・・。
当ブログ、グーグル提供のソフトを使用、そのソフト内蔵のP.C.2台が壊れて早1年4ヶ月が経ってしまいました。
画像アップロード用アプリのサービスが既に終了しており、再インストールも出来ずの八方塞がりの状態のままです。

新しい画像を投稿するには新P.C.を購入し、新たなソフトにて新たなホームページを一から立ち上げるしか術はなく、
そうなってしまえば、今ご覧になっているこれまでの現行ホームページは外部リンクのタグで繫げるしか方法はなく、
そうなってしまえば(2度目です)、外部リンクの当ページに訪れる方々が大幅に減り、筆者としては淋しい限りです。
たかがワン・クリック、されどワン・クリックで、その訪問数には大きな隔たりがあり、まるで開店休業中状態となり、
ブログ開設以来8年間の数々の力作や快作・傑作等の作品やその製作風景が、ただひたすら宇宙空間の狭間に漂うようで、
またこの間アトリエを利用し楽しまれた皆様とその作品と同様の親しみ・思い入れも筆者個人としては強く持っており、
女々しい(封建的死語失礼)ようですが、そう簡単には新ブログへと移行する勇気と決断力を未だ持ち合わせていません。

従って昨今の新たな画像(完成作品やその製作風景等)のアップを待っていられる方々には大変申し訳ありませんが、
現状のままの「お茶濁し」コーナーにて、当アトリエ・ブログの形態をしばらくの間 存続させてゆくつもりでいます。
何故なら皆様の過去の力作群や、筆者の当コーナーや名作美術館等のお蔭で、海外を含め今も多数の訪問者があります。
今後とも皆様の温かい目と寛容さとで見守っていただき、時々は訪れて音楽(のみですが)を楽しんでいって下さい。

アトリエ・ブログに名を借りた実質・筆者独断のT講師コーナー。どうぞ よろしくお願いいたします。

* * *

「祝・沖縄祖国復帰47周年」


今から47年前の1972年5月15日、
戦後27年間に渡る米軍施政下の故郷オキナワが、晴れて日本国沖縄県(!)となった日です。

今では「癒しの島」として多大な人気を集め、昨年度は故郷を訪れた観光客が実に999万9千人にも及んだとの事。
様々な問題を抱えつつも、本土復帰後の経済的発展は著しく、そして伝統文化を大切にする気風も失ってはいず、
高齢化が進行する我が国の都道府県に在っては、出生率を含め若い力が漲る現状は何はともあれ嬉しいものです。

とは言え、故郷は貧困家庭が全国一多い事もまた事実。色々な要因あるも、楽天的・情熱的ラテン気質の県民性ゆえ、
安易な結婚・出産、そして離婚。親子関係の絆濃い社会ゆえ、自立軽視の2~3世帯同居に甘えて収入確保を急がず、
従って県民若年層の所得は伸びず、片親家庭の学校給食費の未納も増え、負の悪循環が繰り返されるのも実情です。

また普天間基地移設の辺野古沖埋め立て問題も大きく注目され、反対の民意(有権者の38%)が示されてはいるものの、
筆者の私見を言わせて貰えば、
反対意見の辺野古沖の埋め立て以外に、同時進行する他の那覇軍港の浦添沖移設や那覇空港拡張埋め立てには反対せず、
環境保護のためと言うその論理的整合性には大きな矛盾があり、那覇軍港移転は大陸からの大型フェリー接岸の便宜で、
その浦添移設の埋め立て面積は辺野古より大きなもので、正に矛盾だらけのダブルスタンダードと言わざるを得ません。
またラムサール条約で、その環境保全が強く勧告されている渡り鳥生息地の泡瀬干潟の埋め立ても問題視すら無視です。
公正中立に程遠い地元新聞2紙による長年に渡る扇情も、県民の正しい認識を妨げ、結果的に不幸を生み出しています。

故郷沖縄が本土へ復帰して47年、国際情勢は当時のベトナム戦争時とは変化し、故郷の周囲もまた大きく変化しています。
願わくば、故郷の人々が目先の利益や誘惑に溺れることなく、過去に於いて多大な犠牲を払っていただいた民主主義の下、
自由と精神の充足と安寧の日々を謳歌し、子々孫々に渡って送れることを切に希望する、祖国復帰48年目の5月15日です。

* * * * *


と言う訳で、今回も恒例となっているお茶濁しのコーナー(もはやメイン)を久々にアップしました。
アトリエ・ブログながら昨今の唯一の当コーナー、前回に続き、故郷沖縄出身の歌手を複数特集します。
取り上げた楽曲も多いことから、はじめは筆者のT講師コーナー上にてと思ったのですが、居直りました。
アトリエ・ブログながら、当コーナーをアップした直後に訪問者数が伸びる事実も背景にはありました。
沖縄ソング、新旧織り交ぜて多数曲 取り上げました。ご訪問ついで、宜しければご覧になってください。

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「出張ミュージック・ギャラリー(その361)」


「祖国復帰記念:春の沖縄ソング特集」


まずは現役・新鮮組を・・・
昨年 地元の大学(県立芸大)を卒業したばかりのフレッシュ女性デュオで、良い意味でのアマチュアリズが魅力です。
幼少から沖縄民謡に親しみ、中高校では吹奏楽部に所属の音楽好きで、芸大では沖縄の古典芸能を学んだ二人です。
グループ名の「いーどぅし」とは沖縄方言で「良いお友達」と言う意味で、彼女らにピッタリな名前かもしれません。
メンバーは「なみなみ」桃原(とうばる)菜美花さん(ギター)と、「かーなー」羽地(はねじ)奏絵さん(三線)のお二人です。
彼女たち自らの自己紹介ソング。何はともあれ、その純な素朴さ初々しさ聴いて下さい。

いーどぅし、「いーどぅしサーサー」詞曲:かーなー
I-Dushi, " I-Dushi sar sar "

詞も曲も歌も、二人の表情も演奏も、そして動画も微笑ましい限りです。
老婆心ながら、歌の冒頭挨拶「ハイサイ」とありましたが、女性の場合 正式な伝統口語では「ハイタイ」と挨拶します。
曲終了後の撮影シーン内6'50"の男性講師の弁、沖縄男性はソーキブニ(骨)が1本足りないから軟弱って言っていますが、
その部位は肋骨のことで、原典は旧約聖書のアダムとイブの誕生物語をもじって、そのように云い伝えられています。
筆者も幼少ナチブー・ワラバー(泣き虫童子)だった頃、叔母たちから言われていましたし、確かにその通りだと思います。
お節介ご免。
<(_ _)>
今後の地道ながらも全国的な活動・活躍に期待大です。


続いての曲も作者のかーなーさんが高3の時に作ったとのことで、本土へと渡る友人に贈った歌です。
詞の中の「ちばりよー」とは頑張ってねの意味で、故郷では広く使われている応援・激励の言葉です。
こちらもまた前曲同様に、彼女たちの明るさや温かさや思いやりが目映い動画に仕上がっています。

いーどぅし「エール『オリジナル)」詩曲:かーなー
I-Dushi , " Yell "

当人たちの動画コメントに故郷を出て全国にて頑張るウチナーンチュに贈るとあるので、筆者も立派な有資格者ですね。
「二へ―デービル! 、サンキュ!、ありがとぉーねぇー!!」
「あんたらもチバリよ~! 遠く神奈川から応援してるよ~!」
Y (#^.^#) Y

* * *

さて2番手は「知る人ぞ知る」の実力派・天才歌手の登場です。
但し残念にもメジャーな認知度・露出度には恵まれず、その類まれな才能が埋もれがちなのが惜しまれます。
以前にも当コーナーにてデビュー曲「花(喜納昌吉作品)」を取り上げましたが、彼女の歌唱世界は絶品です。

石嶺聡子、「シャイン」
Satoko Ishimine , " Shine "

どこまでも伸びやかな歌声、五月晴れの青空・涼風にも似つかわしく、さながら中空を自由に舞う鳥のようです。

*

さて石嶺聡子の世界、こんな英語の曲もまた彼女の得意とするところです。
取り上げた曲も「知る人ぞ知る」と言う60年代後半のザ・ミレニウムの紡いだ渋い名曲です。

石嶺聡子、「ゼア・イズ・ナッシング・モア・トゥ・セイ」
Satoko Ishimine, " There Is Nothing More To Say "

シンプルなアレンジのアコースティック・サウンドに乗って、力むことなく軽やかに歌い上げています。
B・ディラン等も歌っている同アルバムの「Hard Times Come Again No More (フォスター作)」も秀逸です。
色々なライターの楽曲と出会いながらも、次第に自らのソング・ライティングの世界を目指し始めた彼女、
メジャーな情報にはなかなか乗りませんが、今後も素晴らしい歌声世界を聴かせてくれることを期待します。

* * *

次に登場のグループ、残念ながら既に解散しているのですが、沖縄らしい明るさと華やかさが秀逸です。
彼女たちもまた本土(東京発)のメジャー情報には乗れませんでしたが、その存在 忘れたくはありません。
みやらび(美童)否、チュラカーギー(美女)3人娘を中心にした島唄ポップ・サウンド、ご機嫌です。
2曲続けてご覧ください。

コイナ、「安里屋ゆんた」2007年、那覇・桜坂劇場ライブ
Coi,Na," Asatoya-Yunta" Live at Sakurazaka Theatre, Naha Okinawa

コイナ、「沖縄へ行こう」同上
Coi-na, " Okinawa he Ikou (Let's Go To Okinawa ! )"

(投稿者様に感謝しつつも)当動画の曲終了後の後半部分、編集しカットした方が良いと思います(上から目線ご容赦)。
三板(さんばん)等のリズム楽器の弾きや、曲の節々を飾る琉球舞踊由来のたおやかなモーイ(舞い)も美しくて快感です。
彼女たちの飾らない艶やかな明るさが眩しいですよね。正に一期一会の結晶ライブ、貴重なお宝映像です。

* * *

さて、時間をもっと過去へと遡って、もう一つのグレートなグループを紹介したいと思います。
こちらのグループを知っている人はご年配で、かなりの音楽通と言うことになります。
オキナワ(敢えて片仮名)が産んだ天才3人娘で、筆者とは生きる時代を共にする同士のような存在です。
沖縄復帰直後、「アップルズ」と言う名前でメジャー・デビューを果たし、その後イヴ(EVE)へと改名。
有名歌手のバック・コーラスを大量にこなし、本人たちも70年代のディスコ・ブームでの楽曲を多数発表。
スタジオ・ワークで録音した曲、実に2000曲(!)を上回るとのことで、いかに必要とされていたかが分かります。
その間に、深夜のアダルトな音楽番組に登場。特に故・羽田健太郎氏と共に往年の米国ポップも多数披露。
但し筆者的にはグループのネーミング(命名者は歌手の野口五郎氏)がいまいちだったように感じています。
筆者案では米国風に「ミューズ・シスターズ」「サザン・シスターズ」「ビューティー・スリー」等です。
上から目線・我田引水・お粗末・ご容赦
_(._.)_
エンターテインメント感 溢れる日本人離れした歌唱・リズム感による歌・コーラス・ダンスは秀逸でした。
彼女らの感性や音楽は正に戦後の米軍施政下で培われた、国内にて空前絶後・唯一無二の奇跡的存在です。

筆者の説明はこのくらいにして、彼女らの圧巻ライブ・パフォーマンスの一部、お聴き(御覧)下さい。
米国音楽、華やかし往年(50~70年代)の名曲、ご堪能下さい。

イヴ、「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」(編曲:前田憲男)スタジオ・ライブ
EVE, " Boogie Woogie Bugle Boy ", (studio live)

イブ、「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」
EVE , " Reach Out I'll Be There " (studio live)

けだし圧巻!ファンキーなグルーブ感(何のこっちゃ!)やシャウトがカッコよく、筆者の血も大いに騒ぎます。
それぞれが個性的な声質ながら、混ざり合ったロングトーン部では倍音が多数発生し、大人数に聞こえてきます。
熱演する彼女たちの狭間で、ピアノに向かう彼女たちの恩人・理解者でもある羽田氏の在りし日の雄姿もあります。
上の石嶺聡子さんやコイナ同様に、時の流れに埋もれゆくにはあまりにも惜しいコーラス・グループでした。
メンバーは新里(しんざと) 玲乙奈(れおな)、久良良(くらら)、利里佳(りりか)の3姉妹で、活動停止が重ね重ねも残念です。
" I hope their health and happiness. "
感謝

* * *

今回の沖縄ソング特集を最後を締めくくるのは、やはり再三の登場のこの人たち。
80年代の第2次バンド・ブームの牽引役(追っかけ?)を果たしたTV番組「イカすバンド天国」で発掘されプロに。
グランプリを獲ったバンドは数あれど、今も残るのは彼らくらい(筆者が知らないだけかも?)かもしれません。
ギミックやマジックや様々な小道具を排し、日常・身の丈のスタンスで沖縄島唄と米国音楽を自由にチャンプルー、
今や老若男女にも広く支持される国民的・大衆バンドとなりました。

以前の祖国復帰特集でも取り上げた めでたい曲で、「かりゆし」とは沖縄では「めでたい・お祝い」の意味です。
動画のライブは旧・広島市民球場とのことで、さだまさし氏のコンサートのゲストで登場した時のものとのこと。
彼らのおおらかで大きな世界、ご鑑賞ください。

ビギン、「かりゆしの夜」(2007年ライブ)
Begin , " Kariyushi-No-Yoru "

石垣島の同級生トリオ、「イカ天」後にこんなに活躍するバンドに成長するとは!
ヴォーカルの比嘉栄昇君の人間味溢れる天性の伸びやかで力強い歌唱、快感ですね。
彼らは国内のみならず、遠く南米で暮らす日系人たちにも多くの支持を得ています。
片意地はらないその素直さで、これからも懐の深い慈悲深き音楽を我々の元に届けてくれることでしょう。
彼ら自身もまた「島人(シマンチュ)の宝」に他なりません。

祝・沖縄祖国復帰48年!
「あんしぇー・またやーさい!( Then, See you again !)」

!(^^)!



故郷沖縄は今 梅雨の真っ只中。
重ったるい湿気を帯びた大気の中、今日も街や里の片隅でサンシンの緩~い音色がレイジーに響いていることでしょう。
故郷の人々の年齢・男女・初対面関係のないタメ口(ぐち)と、屈託のない満面の笑顔がそろそろ恋しくなってきました。
今年の帰郷はいつになることやら・・・。

 By T講師( こと当真英樹 )
P.S. :アトリエ・ブログをここまで私物化してしまいました。
ご容赦。



追記

筆者の「T講師コーナー」にて、以前、一昨年(2017年5月15日)に復帰前のオキナワの様子を大特集しました。
ご興味のある方は、お手数ですが当ページ右上のタグをクリックの上、アーカイブにてご覧になってください。
再追記:下記のタイトル・クリックにて、そのページへ直接移動できます。ご覧いただければ嬉しい限りです。
2017/05/15

米国由来による貴重な写真資料が満載の(自称)超力作です。

2019年5月13日月曜日

知らなかった名曲二題を春に

月曜日・快晴

つつじの丘公園(旧・上古沢緑地・アトリエ隣接地)のツツジたち


ベスト・シーズン真っ只中

* * *

今やすっかり恒例となった、もはや唯一の投稿コーナーです。

「ミュージック・ギャラリー(その360)」


「知らなかった名曲二題を春に」


例によってYouTubeのお勧めからの選曲です。
今回も「春」っぽい歌をと思い、以前 有線放送で聞いたことのある筆者と同郷の沖縄出身の女性シンガーを検索していました。
今から20数年前の頃のことなので、今ではもう現役のプロ歌手ではないのかもしれません(MDに録音済で時々聴いています)。
但し、その歌手の名前や題名が不明で、歌詞の一部等を曲名に推察し検索したものの、残念ながら見つけることは不可能でした。
しかしその過程で、沖縄出身の他の歌手名が幾つか引っかかったので、その中の十数人余を聴き、この歌手に辿り着きました。

その歌手の名前(姓)は沖縄特有で、うっすらとは聞き及んでいたのですが、その歌声に接したのは今回が初めてのことです。
(メジャーデビュー時、歌手名を阿波根(あはね)と呼ばせていましたが、通常 地元沖縄ではアハゴンと呼んでいます。)

いわゆる巷でのヒットはなかったようですが、動画コメント欄にもあるように知る人ぞ知る隠れた名曲だと筆者も感じました。
歴史・時の流れ・積み重なりに過去の彼方へと追いやられ、忘れら去られるには余りにも勿体ない詞・曲・編曲・名歌唱です。
五月の青空・快風に相応しい名曲・名唱です。

阿波根 綾乃(あはね あやの)デビュー曲、「大きな風」(1996年)
Ahane Ayano," Ookina-Kaze "

冒頭イントロから雄大で透明・清楚な大空が広がり、浮遊し同時に沈殿してゆく歌声が新鮮です。
バック演奏で時折 聞こえ来るバンジョーの音色も軽快かつ哀愁を帯びていて、隠れた名演です。

* * *

雄大で爽快な阿波根綾乃の夢世界、更にもう1曲続けます。
前曲歌詞の一部にもあった「飛行機雲」がこの曲のメイン・モチーフです。こちらもまた前曲同様、名曲です。
6分余にも及ぶ長い曲・詞ですが、その描く世界は清々しくも郷愁感 溢れるエバーグリーン・テイストです。
動画コメント欄にもありますが、ヒットしなかったのが不思議で惜しまれます。
この曲もまたこの季節に聞くには相応しい爽快世界です。

    阿波根 綾乃「ひこうき雲の空の下」(1997年、アルバム・バージョン)
 Ahane Ayano ," Hikoukigumo-no-sora-no-sita ( Album Version )

故郷を感じさせる雄大なスケールの美しいワルツ世界、何度も再生しては色々なことを夢想してしまいました。
残念ながら巷でのヒットには至らなかったとのことですが、いつまでも聞き続けてもらいたい佳曲の一つです。

ヒット曲が出ないと消えゆく定めにある商業的音楽の世界、厳しい競争原理は勝者と敗者を生み出します。
古今東西・洋楽邦楽を問わず、才能・佳曲に恵まれながら闇に葬り去られる歌手たちが数多く存在します。
それは所属音楽事務所の力の強弱だったりで左右されることも多々あり、その理不尽さは不文律でもあり、
不条理でもあり、才能豊かな歌手たちを容赦なく追い落とし淘汰し、情報格差は強固なものとなります。
ヒットに結びつかないのは、その多くが人々の耳や感性が原因ではなく、そもそも耳に届かないのです。
聴けばご承知のように、上2曲も詞・曲・(楽器編成も含めた)編曲・演奏も高密度・力作の極みです。
歌うシンガー本人のみならず、世に送り出した当事者たちの並々ならぬ情熱と期待が凝縮されています。
所属事務所の力量による情報量(楽曲や話題等のプロモ)格差は如何とも し難く、壁は高く厚いのです。
ごく稀に有線放送等のリクエストで双方向的に大ヒットに結びつく例もあり、同郷のキロロがそうです。
阿波根 綾乃さんが現在も活動しているのか不明ですが、息の長い本物の歌姫となっていられることを・・・


でもネット世界の普及のおかげで、地上波TVを始めとする大手マスメディア以外の情報が人々に知れ渡り、
自らの嗜好・趣味の取捨選択が自由となり、こんな風に過去の佳曲群も掘り起こせる環境になりました。
(でもCD買って、ささやかながらも印税と言う形でバックアップすると言う行動はとれませんが・・・)
そんな埋もれた宝物たちに出会うため、筆者は今夜もネット・サーフィンに興じることになるでしょう。
「お酒(ワイン等)」と「YouTube」、図らずも筆者の深夜ライフが今夜もまた充実してしまいそうです。

過去に忘れ去られた「佳曲・名曲」無数にあり、筆者の当コーナーでまた取り上げようと目論んでいます。
「乞うご期待」
(*^-^*)



五月晴れ、新緑涼風・花や草葉の香り、大いに満喫しましょう!
あの梅雨が、ひたひたと近づいてきています。

By T講師