アトリエ・マイルストンブログ

2020年5月7日木曜日

南小島に押し寄せた英国音楽たち

木曜日・快晴

異例のガラガラ無人のゴールデン・ウィークは昨日で終了しました。
相変わらず(以前にも増して)ストレス・フリーな日々を満喫しています。

「緊急事態宣言」延長決定


昨日までがその期限だった自粛期間も、本日より5月末日までの更なる延長が決定。
感染者数の劇的減少なく、「命」と「暮らし」の両立が困難な現状においてはやむを得ない措置です。
ですが、経済的に追い詰められている国民も多く、その早急な支援策が必須です。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その412)」


ブリティッシュ・インヴェイジョン

(大西洋を渡ったイギリスの米国侵略)

「南小島にも押し寄せた英国音楽たち」


と、しつつも、結果的にミニ自分史ともなってしまいました。
興味の無い方は文章は飛ばして、音楽だけでもご視聴ください。
( でも読んでもらえると更に嬉しいです。)
😊

前回特集にて、イギリスのオーディション番組に登場の素晴らしいアマチュア音楽家たちの雄姿をご紹介しました。
今回の特集は時系列的には半世紀以上も前の過去へと遡りますが、そんな彼らの先達とも言える英国生まれの音楽を、
大先輩でもある米国へと輸出し、しかも世界的な名声を得て不動のものにした人物らとその音楽を取り上げました。



冒頭から早速の「脱線プチ自慢・昔話」

筆者、小学4~5年生だった当時、
兵器・戦争マニアだった小4頃の筆者、イギリスに関しては同級生らよりも既に多大な情報を有していました。
戦闘機のスピットファイヤーやホーカー・ハリケーン、モスキート、爆撃機のハンドレページ等にはじまり、
珊瑚海海戦で日本軍の攻撃により撃沈された戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」や「レパルス」の存在。
人物ではマレーの虎の異名の持つ「山下奉文・陸軍中将」に無条件降伏を迫られた司令官「パーシバル中将」、
または英国海軍人の鑑と言われたネルソン提督や、英国を守り抜いたウィンストン・チャーチル首相等、
大人向けの戦史書をも愛読しだこともあって、それなりに莫大な知識を有する、今風で言うオタクでした。

そんな頃、
小学4~5年生になった筆者の耳にも、不思議な社会現象としてのビートルズの噂が飛び込んできました。
曰く
「女みたいに髪の毛を長くした男たち」で、「ファンの女子らは熱狂のあまり、絶叫して失神してしまう」等々、
「そんなバカな・・・」そんな初のセンセーショナルな噂話の現象を耳にし、にわかには信じられませんでした。
でもその噂話は何も小学生のみならず、近所の中学・高校生のニーニー・ネーネー間でも熱く語られていました。
しかもその噂話の真贋を両親に尋ねると、何と親までもが「そうらしいよ。信じられんねえ~。」と答えました。
「ビーとるず?!」「髪の毛が女の人みたいに長い?!」「ファンの女子たちがみんなで絶叫して失神する?!」
それはまるで現実社会の中に突如現れた怪獣やホラー話のようでした。
それほどまでに、彼らの日本本土上陸やオキナワでの音楽出現は、異常なほどのセンセーショナルな出来事でした。



1960年代中頃のこと、
当時、ギターと言えばいわゆるクラシック・ギターで、その入門少年や青年たちは「禁じられた遊び」と言う暗い曲、
大人はと言えば作曲家 兼 ギタリストの古賀政男氏の楽曲「影を慕いて」に代表されるやはり暗い曲調の音楽でした。
そんな中、米国からザ・ベンチャーズの音楽が紹介されて、我が国の初のエレキ・ギター・ブームが起こりました。
その当時、エレキやエレキバンドを演る男子は皆が不良少年呼ばわりされ、大人達からは白い目で見られていました。

そんな中でのビートルズ初来日(1966年)、武道館 始まって以来のコンサートに教育関係者や右翼団体らが反対を表明、
全国の中学・高校では彼らの公演には行かないようにとの指示や通達も出され、大きな社会問題ともなったようです。
かくてアジアで初のビートルズ公演は敢行され、合計5回に渡る武道館での熱狂ライブは今では伝説となっています。
当時の報道では、熱狂的女子たちの叫び声の凄さに、彼らの演奏は全く聞こえなかったと批判的に伝えていました。
アトリエ生徒の東京生まれのHTさんはそのライブの経験者の1人で、演奏はそれなりに結構聞こえていたそうです。
「羨ましい~!♡」
と言う訳で、ビートルズ来日が戦後の音楽史に残した足跡は大きく、英国や米国に続いて多大な影響を与えました。

極論をすれば、男子はベンチャーズ、女子はビートルズと言う風に当時の人気は二分されていたと言えるようです。
その刺激が後に合体し、国内のグループ・サウンズ(通称GS)ブームへと繋がり、筆者もファンとなっていきました。

さてそのビートルズ、
傑作揃いの彼らの楽曲は選ぶのに苦労。しかも筆者の思い入れの強い曲がことごとくブロックされていて、仕方なく断念。
ここは妥協を図り、ダイジェスト編的な動画を今回はお借りしてきました。
主人公たる彼らのたった一編だけの動画にて、彼らの楽曲の片鱗をどうぞ!
( ロックの醍醐味である迫力を余すところなく再現するため、外部スピーカーやヘッドフォーン利用にてご視聴下さい。)

「ザ・ビートルズの革命」

Evolution of Beatles' Music Videos


今回、筆者がどうしても取り上げたい曲、残念ながらお借りできませんでした。
YouTube上ではオリジナル録音の音源のほとんどが無く、或いは現著作権者により厳しくブロックされていて、
動画タイトルにビートルズとその曲名があってもそれはカバーばかりで、そのタイトル自体にはスルー状態です。
先立って、元メンバーのポール・マッカートニー氏が著作権の返還を現所有者に求める告訴が伝えられていました。
云わば詐称的動画は野放しにしつつ、オリジナル録音盤のアップには厳しい現著作権者の道義的責任が問われます。
文化的側面で言えば、世界的に多大な損失です。

偉大なるビートルズ、今回はこのダイジェスト版動画1篇にて全てパス!
名曲あり過ぎて絞れませんでした。信じられませんが、ご勘弁を・・・。

* * *

さてビートルズに続いて米国を侵略したのは、ご存じ 今も現役の超大物のローリング・ストーンズです。
筆者がロックとロックバンド自体に目覚めたのは実はビートルズではなく、ライバルの彼らからでした。
その当時、ロックと言う呼称は未確立で、周囲では「ビート・ミュージック」と言ってた記憶があります。
そのストーンズの前に・・・。

はなから「断線昔話」の第2弾
「エレキ・バンド」

(後日注:以下は筆者がエレキ・バンドを組んでいたため、英国音楽もまたロックのみを取り上げました。)

中学進学後すぐに新展開、増えた友人らの中にエレキ・ギターを弾いていてバンドも結成している者多数。
( 追補記:ベビーブーマー最後尾の世代、我が校は1学年クラス50人以上で何と17クラスもありました!)
筆者の小学校でも数人いましたが数校から集まった我が中学、もの凄い人数の演奏家が集まっていました。
エレキ・ギターだけではなく、ベースやドラムを演奏する者も多く、みんな仲良しの仲間になりました。
バンド練習を見学した筆者、即刻にギターとドラムに飛びつき、多くの仲間たちから教えを受けました。
筆者の「ギターをやってみたい」との声に、翌日には数本のエレキと2~3個のアンプが揃ったものです。
それ位に、故郷の南小島ではベンチャーズ以来のエレキ愛好家(又は逆に挫折者)が存在していました。
情に厚いバンド仲間たち、その後ダンパの際などには、頼むまでもなく駆けつけて協力してくれました。
そんな仲間たちに絶大な人気を勝ち得ていたのは、米国のインストルメンタル・バンドのベンチャーズでした。
筆者もギタリストやドラマーから手ほどきを受け、彼らベンチャーズの数曲を練習し、習得したものです。
下はその練習曲の一つでベンチャーズ版をコピーしましたが、彼らが下敷きにしたのがアニマルズ版です。



20歳そこそこの、しかも外国人に自らの民謡(しかも内容が娼館)が歌われて、世界的大ヒットしたことに、
多くのアメリカ人たちが驚きと共に(恥ずべき歌詞に)失望もしたとのことです。
また筆者もそうでしたが、多くの人々がその歌手を黒人だと勘違いしたそうです。

中1の筆者が初めて覚えたコード・アルペジオ(Fのバレーコードに苦労)と、そしてドラムです。
オルガン奏者が周囲には居ずに、バンドではベンチャーズ版のリードで3年間やっていました。

ジ・アニマルズ、「朝日のあたる家」(1964年)

 The Animals , "The House Of The Rising Sun " (Lyrics)


今世紀の今聞いてもヴォーカルのエリック・バードンの歌唱、ソウルフルで素晴らしいの一言です。

「後日追記:追い打ち、脱線昔話」
「中学当時のエレキ・ギター事情」

その当時、故郷オキナワの筆者の周囲に数多くあった国産のエレキ・ギターはその100%が中古でした。
当時に普及していた国産品(ごく一部を除いて)は、現在とは比較にならない程の低レベルな製品でした。
まずチョー重たい(ボディーがラワン材も多かった)!、そして一番の問題は音程が合わない!事でした。
今で言うナット音痴の状態だったので、いくらチューニングしても調律が正確に合わなかったものです。
現在は米国のフェンダー社やギブソン社の各コピー品をはじめ、安価ながら高品質で羨ましい限りです。
ちなみに故郷の中古品にはソフト・カバー等ついてる物はほとんどなく、ましてやハードケース等皆無。
なので坊主頭の中学生が裸のエレキ片手に町中を歩く姿や、バスの中で空弾きしている者等多数でした。
恥ずかし気に身体の影に隠す者、自慢げにこれ見よがしに見せびらかす者、様々な人間模様垣間見られ。
筆者はドラム担当だったので、友人から借りたそれらをタクシーを拾って自宅まで持ち帰ったものです。
幾度もの乗車拒否(トランクにガスボンベ搭載車にて無理)を重ね、親切な運転手さんは手伝いやエールも。
練習は雨戸を閉め更に毛布も被せて防音としました。サウナ状態の中、皆上半身裸で頑張ったものです。
練習中は激しいピッキングでピックの焦げる匂い漂い、終わった後には皆の立ち位置には汗の水溜りが。
ある日、窓にノック連打、恐々開けると隣のオバー「聞こえん。開けたらいいさあ~。」とのエールも。
言葉に甘えて窓解放。オバー、カチャーシー踊り、周囲にはいつしか沢山のワラビンチャー(子供ら)が。
今となっては懐かしくも暖かく微笑ましい、半世紀以上も前の故郷オキナワ那覇の光景です。

* * * 

「運命のファズ・トーン」

中2になった春の事、小学校からの友達でクラスの違うK子から珍しくも小学校以来に声をかけられました。
「あんた、バンド始めたんだってね。だったらこれ要らないねえ~?コンサートの切符なんだけど・・・」
「うちの二人のニーニーがコザでバンドやっててさ、今度 那覇でもコンサートやることになったわけさ。」
「もし興味があるんだったらこの切符買って。1ドルって書いてあるけどさ特別に50セントでいいさあ~」
「その代わり何人か誘ってもらえないね~。そうしてもらえると助かる。この切符、うちの義務だわけ。」

そんな経緯で筆者は初めての生バンドのコンサートにバンド仲間数人を誘って、演奏会場へと向かいました。
海岸沿いの会場は(休業中?の)レストランで、表にはテーブルや椅子が積み上げられ、多くの年長者らの姿。
その路肩にはバンドの楽器運搬車と思われるワーゲンのバンが停車、周囲には煙草を吸う関係者らがたむろ。
今までみたこともない艶やかなニーニーやネーネーらと共に、外人の不良風な男女も数名混じっていました。
チケットを売ってくれた同級生のK子も、3~4人の遊び人仲間と共に派手な衣装に派手化粧で現れました。
筆者の従姉妹のネーネー(白人との混血美人・彼氏連れ)にも遭遇、「お互い内緒にね(^_-)」とは彼女都合。

さて30分ほど遅れて会場入り、店内奥に並べられたドラムや大きなアンプ類に筆者らは目を見張りました。
シンバル多数のドラムセット、両側で直立するボーカル・アンプ、初見参のマイク用ブーム・スタンド等々、
大型のベース・アンプに米国製フェンダー社のアンプ類、エコーマシン等、見る物の全てが輝いていました。
照明は消され、アンプ類にはスイッチが入れられ赤いパイロットランプの点灯と共にハム音が始まりました。
さていよいよバンドが登場しました。K子の二つ上の兄の顔は小学校以来で、その上の長男は初見参でした。
筆者の兄と同級生の兄はギターで赤いセミアコ、上の兄の方は茶色のベース・ギターを手にしていました。
二人とも進学はせずに中学卒業後すぐにコザでバンドボーイをはじめ、やがてプロになれたとの事でした。
アイビー青年やミニスカートに派手化粧のネーネーらに混じって、丸坊主の筆者らも前列横に陣取りました。

そしていよいよの初体験、生バンドによる生演奏が開始されたのです。
その1曲目からしてもの凄い衝撃で、イントロ数秒で筆者の脳ミソはぶっ飛び、全身に鳥肌が立ったものです。
ファズトーン使用によるギター、唾まき散らした歌いっぷり、タンバリンの3連符、もう衝撃そのものでした。
筆者のそれまでの人生の中でこれほどの衝撃を受けたことはなく、終わった時にはもう疲労困憊の極みでした。
その曲はアンコールでも2度 演奏され、筆者は初めて聞くそのファズトーン・サウンドに一気に打ちのめされて、
その日の就寝時も、あのワイルドそのもののサウンドが永遠ループのように筆者の脳裏で鳴り響いていました。
その初コンサートの翌週、
筆者がギターのピンパン君(本名ニックネーム)と共にファズ・ボックスをゲットしたことは言うまでもありません。
その後は、熱中などと言うには余りにも淡泊なくらいに、ロック(その頃から?)バンド活動にハマってゆきました。
一心不乱ぶりが祟り、小1~中1までずっと優秀だった成績も右肩下がりの急降下一直線に終始してしまいました。
( 期待していた今は亡き父よ、病床の母よ、重ね重ねも御免<(_ _)>)

さて前置き、とんでもなく長くなり過ぎてしまいました。
筆者の人生を変えたと言っても決して過言ではない運命の1曲です。


ザ・ローリング・ストーンズ、「サティスファクション」
The Rolling Stones , " Satisfaction "

" Oh no,no,no,  Hey, hey, hey, That's what I say ! " このブレーク、今でも鳥肌立ちます。
21世紀の現在、歳月を重ねて高齢者となった今なお聞いても、キースのギターも凄いですね!
リフの直線的なファズのワンフレーズ・リフもそうですが、歌のバックでガチャガチャするフレーズもまた凄いもの(感性)があります。
最後まで「オカズ(フィルイン)」を一切一秒たりとも加えない「ご飯(基本リズム・ビート)」だけのドラミングもまた潔くて秀逸です。



もう筆者のバンド熱はとどまるところを知りません。
彼らの代表曲をあと2曲(当然コピー)だけ、続けます。

ザ・ローリング・ストーンズ、「黒く塗れ!」

The Rolling Stones - Paint It, Black (Official Lyric Video)


上の「サティス~」の「ごはんだけドラム」とはまた真逆の「オカズ太鼓」がチョー格好良くて筆者の十八番でした。
金髪オカッパの故ブライアン・ジョーンズが座してつま弾くインドのシタールもまたカッコ良かったです。


ザ・ローリング・ストーンズ、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」

The Rolling Stones - Jumpin' Jack Flash - Lyrics


故ブライアン・ジョーンズが健在だった初期の彼ら、他にも名曲多数です。
「夜をぶっ飛ばせ」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「シーズ・ア・レインボー」「ダンデライオン」「テル・ミー」等々、
バラードでも「レディー・ジェーン」「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」「ルビー・チューズデー」等々、名曲だらけです。

彼らの音はダーティーな感じで、それはボーカルやバック・コーラスにも共通していて、そこが魅力でした。
ビートルズのクリーンかつ音域の広い歌唱やコーラスは、変声期を迎えた中学生には近づけない領域でした。
その点、ストーンズは音域も狭め(失礼!)で、演奏時の多少の稚拙さは「味わい」となり、皆が楽しめました。
彼らの多数曲をコピーして、ダンスパーティーを友の父所有の改装中のバーやクラブ等で開催していました。
!(^^)!


イントロ・リフにも一発でノックアウトされました。こちらもまた多くの仲間バンドの持ち歌となりました。

ザ・キンクス、「ユー・リアリー・ガット・ミー」

The Kinks - You really got me (LYRICS/LETRA) [Original]



彼らのスピード感溢れるパワフルな演奏にもやはり多くの仲間たちが飛び付き、そのコピーを競いました。

ザ・フー、「マイ・ジェネレーション」

The Who - My Generation (Lyrics, 1965)


ベースの故リチャード・エットンウィッスルのブレーク時のソロもぶっとい音で、めちゃカッコ良かったです。
歌詞の" I hope I die before I get old "に当時は痛く同調していましたが、立派に高齢者になってしまいました。
感謝です(#^^#)。

ブリティッシュ・インヴェイジョンの初期、ビートルズを筆頭に数多くの英国人アーチストたちが米国へと上陸を果たしました。
その代表的なグループやシンガーは、
前述のアニマルズに続き、デーブ・クラーク・ファイブ、ハーマンズ・ハーミッツ、スペンサー・デイビス・グループ、
サーチヤ―ズ、ゾンビ―ズ、ホリーズ、ジェリー&ペースメーカーズ、マンフレッド・マン、プリティ・シングス等々、
ソロでは、ペトゥラ・クラーク、ドノバン、ルル、マリアンヌ・フェイスフル、シラ・ブラック等、多岐に渡りました。
進出を受けた側の米国では若い人々を中心に彼らが支持され、やがて既存の業界を超えた文化を造り出していきました。

* * * * *

「筆者、初めての英国映画」

筆者注:以下の特集動画は「英国映画」がメインで、動画内の音楽家の方はオーストラリア出身の兄弟です。

「五月一日」、今年も逃してしまいました。当日にご紹介したかった曲は、その曲名まんまの「五月一日」です。
これまでにも幾度か紹介しましたが、ドンピシャの日は逃していたので、今年こそはと密かに目論んでいましたが、
結局 今年も直前でド忘れ、その機会を逃してしまいました。でも今回のイギリス特集で何とかコラボを果たせました。



本国英国内でよりも、遥か極東の日本で大ヒットした映画「小さな恋のメロディー(原題:メロディー)」です。
映画画面から漏れ出るイギリスはロンドンの街並みや墓地、一般家庭の住居内の様子など、全てが新鮮でした。
特に学校の教室や音楽室など、もう興味津々でストーリーを忘れて、食い入るように見入ってしまったものです。
当コーナー前後のロックとはまた異なる美しいアコースティック世界、一息つきの口(耳?)直しに・・・。

Bee Gees - First of May (with lyrics)


ザ・ビージーズ、「若葉のころ」歌詞和訳

*** Melody Fair - The Bee Gees - Lyrics


筆者、成人後にロンドン郊外のプライベート・スクールに訪問の経験があり、正にこんな感じでした。
古城改造の学生ホールにはギターやチェロがゴロゴロ、八頭身の女子中高校生らがレオタード姿で体育。
狭い廊下を脇から通過する彼女たちに、筆者 目のやり場に正直 困ってしまいました💛。
(今年の夏には妻が再訪する予定でしたが、今回の肺炎感染禍で中止となってしまいました、残念( ;∀;)

「追記:脱線スポット:お勧めの英国映画」

米国発のハリウッド映画が世界的には圧倒的な存在を占めていますが、英国映画もなかなか捨てたものじゃありません。
派手さはありませんが、味わいや渋み等では大資本映画には決して引けを取らない存在感や輝きを放っています。
以下に少々 記しておきます。「ステイホーム」に行き詰っている方々、騙されたと思ってトライしてみてください。

「ザ・ブラス」・・地方の炭鉱労働者らで結成されている吹奏楽団が、中央の全国コンテスト目指して頑張る姿が感動的です。
「リトル・ダンサー」・・・・やはり地方の小さな町でバレーダンサーを夢見る少年が、数々の困難を乗り越えていく話です。
「ローカル・ヒーロー」・・・小さな漁村に突如として湧いた開発話に右往左往されてゆく人々をユーモラスに描いています。

そのいずれもが英国のつましい家庭の様子が克明に描写されていて、そこで展開される心温まる人間模様が秀逸で涙物です。
よろしかったら御覧になってみて下さい。

* * * * * * * *


「高校時代:更にロックに溺れる」



筆者が高校に進学した頃、海の向こうの英米のロック界が更に輝きを増しました。
ダンス音楽から派生したようなビート・ミュージックから、次第にアーチスト性が加わり、更に演奏能力も向上しました。
そんな中から「アート・ロック」と呼ばれる一群のバンドが、英米から同時発生的に誕生してきました。
英国ではピンク・フロイドなどのプログレ・ロック、米国ではバニラ・ファッジやアイアン・バタフライ等、
従来とは異なる演奏力と創造力とを伴って、ロック・ファンらの度肝を抜く楽曲群を提供してくれました。

「筆者、吹奏楽部に事故入部を果たす!そして逃走!」

高校の入学式、その式で吹奏楽部の超パワフルな演奏にほだされ、何を血迷ったか、筆者式の直後に入部希望を申し出。
「これはロックだ!」金管隊や打楽器隊の迫力もの凄く、第1号入部者(実際は中学時から入部決定者多数あり)となる。
されど練習超厳しく、ロックバンドなどやる暇皆無!おまけに男子全員丸坊主!(気づかなかった私が馬鹿なのよ( ;∀;)
しかも加えて、左利きを理由に希望の打楽器隊を外され、天才先輩のいるアルト・サックスに回されて地獄の日々に。
でも米国人何千人ものフットボール・ナイターでパレードしたり、軍楽隊と共演したりの楽しい思い出もありました。
結局、根性と才能のない筆者2年進級を前に退部、今まで溜まっていたウサを憧れのロック・バンドで発散しました。

しかも、今では信じられないほどの超ロング・ヘアー(後方からだと女子に間違われる程の直毛長髪)となって・・・
(-_-;)

「ブリティッシュ・バンド大襲来」
ブリティッシュ・インヴェイジョン、第2波

筆者のロック熱、バンド愛、めでたく「もう誰にも止められません」状態になりました。
米軍基地の大要塞と化していた南の小島にも英国生まれの音楽が更に鳴り響くようになりました。
地元のロック・バンドが群雄割拠、今では考えられないほど多くの米兵たちを相手に、連夜活躍していました。
ベトナムの戦地に向かって旅立つ兵士、または一時帰休の殺気立った米兵たちを相手に彼らのロックを聴かせ、
ロックの本場出身の彼らに圧倒的で絶大な支持を得ていました。
そんな彼らが好んで演奏していたのが英国生まれのハード・ロックの数々で、当時のオキナワにも良く似合っていました。
当時、故郷オキナワに在住する米兵・軍属・その家族らに人気があったのが米国のグランド・ファンク・レイルロードと、
この英国発のレッド・ツェッぺリンの二大バンドで、ご当地の米国内においてもライバル視されていたようです。

レッド・ツェッぺリン、「グッドタイムズ・バッドタイムズ」

LED ZEPPELIN - Good times, Bad Times (1969)


ドラム担当の筆者にとって衝撃的な彼らのファースト・アルバムでした。
圧倒的なヴォーカルやギターのみならず、その屋台骨を支えるドラムのジョン・ボーナムのプレイは革新的でした。
ロック・ドラムの迫力だけではない、かつて聞いたこともないその超絶技巧は筆者に初めての挫折を与えました。
楽譜もタブ譜も無い時代。皆がレコードをカセットに録音、同じ個所を何度も聞き返して完コピーに挑みました。
でもめげずに近づこうと必死に練習を重ねた日々でした(勉強もせずにね。一体どんな高校生っだったのかい?)。
また、大きな音を出すバンドの練習場所には皆も苦労しますが、当時は貸しスタジオ等と言う気の利いたものなく、
基本はメンバーの自宅勉強部屋が多く、それぞれ順番に1月単位を目安の持ち回りで、移動して練習していました。
でもお金持ちの友人もいて、親所有の映画館裏の屋上(何とビートルズより先!)だったり、大きな元社員寮もあり、
その時は広いコンクリ―ト家屋で気兼ねなく大きな音で練習三昧。野次馬男女ファンらも大勢押しかけてくれました。
またその練習場所を提供した友はオーディオ・マニアでエンジニアも買って出てくれ、色々な物を作ってくれました。
専門誌に掲載の回路図を基に、高価で入手不可能な米国製のエフェクト装置やテープ・エコー等も自作してくれました。
現在は経営者として成功している彼に、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。


脱線はそこそこ(もうトゥーマッチ!)に2曲目に行きましょう!

レッド・ツェッぺリン、「胸いっぱいの愛を」

Led Zeppelin - Whole Lotta Love [w/lyrics]


この曲もまた大好きな曲で、ギター担当のT君がブレークのギター・ソロを必死になってコピーしていました。
「指がガラシマガイ(沖縄方言でこむら返りの事)起こす!(-_-;)」とぼやくも、完コピーに漕ぎ着けました。
でもその粘る音質(米国製ギブソン社のレスポール)は再現できず、ブースターとファズで代用してました。
当時、ギブソン・タイプの強力ピックアップは国内には無く、シングコイルPUにて全てを代用していました。
しかも当時、故郷の南小島にライトゲージ弦なんて無く、皆レギュラー弦で必死にチョーキングしていました。
そんなハンディキャップ、逆にバンド仲間らのパワー獲得に間接的に役立っていたと上京後に初めて知りました。
またコザで活躍するバンドの多くが、本土・東京でも入手不可能なこれらの高額機材を潤沢に使用していました。

* * *

さて曲の方に参ります。
レッド・ツェッぺリンに続き、彼らもまた衝撃的登場でした。トリオ・バンドの極致です。
中2で出会ったファズ・トーンに加え、エフェクターのワウワウ・ペダルにも出会いました。

クリーム、「ホワイト・ルーム」

Cream - White Room ( lyrics )


歌詞2番の" goodbye window(s) "と言うフレーズが筆者は初聴取時以来のお気に入りで、色々な光景が浮かび上がりました。


クリーム、「サンシャイン・ラブ」

Cream - Sunshine Of Your Love ( lyrics )


今ではヴォーカリストとして不動の地位を得たエリック・クラプトンの若き日の演奏、神がかり的でした。
本土ロック界では話題に上らないようですが、ライブの「スリーピー・タイム・タイム」の即興は絶品です。
地元ではキャナビスの糸数ガンジーさんが演って米兵達にも絶賛を浴びていて、筆者らも追随に必死でした。
その甲斐もあって度々のコンサートも好評で、他にジョイントに参加したり大学祭にも度々招待されました。
!(^^)!

* * *

彼らの当コーナー2曲目、当曲を含むライブ盤は上の「ライブ・クリーム」と共に筆者らのバイブルのような存在でした。

ザ・フー、「サマータイム・ブルース」

The Who- Summertime Blues


伝説の野外フェス「ウッドストック」での彼らの雄姿、鳥肌ものでした。
ギターのピート・タウンゼントのアクションが凄くて、コード演奏の際に二の腕を大きく振り回す姿に憧れました。
ギターのT君、その真似を繰り返しマスターするも、その前に何度も指から出血していました。バカですね (*^^)v。
Vo.のロジャー・ダルトリ―のマイクを高々と投げるアクションも皆で真似て、自らの頭に落下、やはり痛い目に。
やはりバカですね 。ドンマイ (*^^)v。


栄光のブリティッシュ・ロックバンド、他にも挙げると、
ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、テン・イヤーズ・アフター、ジェスロ・タル、フリー(バッド・カンパニー)、
エマーソン・レイク&パーマー、ユーライヤ・ヒープ、イエス、ムーディー・ブルース、ヤードバーズ、フェイセズ等々、
米国のバンドとはまた随分と違うドラマチックでメロディアスで豊富なアイデアの引き出しに富んだ個性派揃いでした。

ツェッぺリンのドラマー故ジョン・ボーナム氏同様にフーの雷太鼓キース・ムーン氏もまた早逝。
クリームのジンジャー・ベイカー氏も先日亡くなったと、アトリエ生徒のHTさんから知らされました。
また先だって特集した我が国の宝ブルー・コメッツのジャッキー吉川氏も最近亡くなられました。
筆者に音楽の喜び、ドラミングの醍醐味を教えてくれた皆様に感謝と共に冥福をお祈りします。
合掌

また、筆者以上の高齢者となられた彼らが一人も肺炎感染することなく、寿命を全うしていただきたいと願う今年の春です。

* * *

さて、
ビートルズの登場で始まった当コーナー、当長尺特集をやはり彼らで飾り、終わらせていただきます。
実質の彼らのラスト・アルバム(発表順では「レット・イット・ビー」が最後)のオープニング曲です。

ザ・ビートルズ、「カム・トゥゲーザー」

The Beatles - Come Together - Lyrics



いよいよのラスト曲です。
その凄さは筆舌に尽くし難い魅力満載です。
同曲2動画、続けます。
上動画は彼らの解散直前・最後のスタジオでの貴重な場面と、歌詞つきが捨て難く、しかし何と「尻切れ」!

下動画は動画のエフェクト素晴らしく、かつ最後まであるので、どちらも捨て難く・・・。

ザ・ビートルズ、ゴールデン・スランバー、キャリー・ザット・ウェイト」

Golden slumbers/Carry that weight - The Beatles (LYRICS/LETRA) [Original]


メドレー最後3曲目の" The End "迄が含まれているコレで決まりでしょ!

Golden Slumbers/ Carry That Weight/ The End - The Beatles

正に圧巻の「集大成」傑作です。
「なだ・そーそー!( ;∀;)」

* * *

「筆者後記・私感:ブリティッシュ・インベイジョンについて」

彼らの到達点は、20世紀のロック(ひいてはポップ音楽の)の頂点であり、到達点でもあったような気がします。
20世紀音楽はビートルズの誕生と躍進にその開花を見出し、展開し、やがて衰退していったような気がします。

当時を冷静に考えると凄い事で、当時の経済力や発信力等の国力で比較すると、これはもう断然米国の方が絶大で、
そんな中で米国進出を果たし、しかも全米中を席巻。ファンの若い男女のみならず、多くの音楽家をも刺激し、
ロックと言うジャンルを確実で強固なものにし、世界中の無数の若者たちに多大な文化的影響を与えたのです。

もちろん音楽的影響は今日までその後も続いていますが、彼らのように自らの表現に忠実になることは困難な時代です。
現世紀の音楽は彼らを除外して語られるものではありませんし、その多大な影響は今も進行形で連なり繋がっています。
ですが、
インターネットが世界的に普及した今日、ブリティッシュ・インベイジョンのような大きな潮流は生まれ難い昨今です。
とは言え、中身が伴う人々が要求する普遍的な文化的要素が多く含まれていたのなら、或いは今後もあるのかもしれません。

その善悪・功罪は別にして、
かつて世界に羽ばたき君臨した海洋王国の大英帝国はその大海原を超え、北米大陸にも到達・入植。
やがて東洋でもその存在感を高め、インドをはじめ東アジアの多くの国を征服し、植民地化しました。
地球規模の覇権を巡り、明治以降「富国強兵」政策で国作りを推進してきた我が国とも利害がぶつかり、
中国大陸への列強進出のせめぎ合いでは同盟を組んだり、また離反して大戦へとなだれ込んだり・・・。

筆者の稚拙な歴史観はさておき、
現代の国内においては余り語り継がれてはいないような前世期の歴史的な大きな事実・遺産があります。
かつて「ベルリンの壁」が崩壊し、東側の非民主的な多くの国家が追随した歴史の大転換点がありますが、
それは西側(自由陣営)諸国の政治力・軍事力・経済力だけでは決して成し得なかったと言うことです。
「ロック」と「ブルージーンズ」と「コカ・コーラ」の3種の神器が、東側の人々(特に若者)の憧れの文化的存在でした。
その3品は、当時のソ連や東ドイツをはじめ多くの共産主義国家では西側の退廃的文化としてあまねく御禁制品でした。
特にビートルズの「ヘイ・ジュード」は、チェコスロバキアに於いては自由を求めるシンボルとして愛されたそうです。
またジョン・レノンは自らの卓抜した音楽表現を武器に、反戦平和運動にその短い生涯をかけたことでも知られています。
理想論・お花畑頭の非現実的幻想と断定する方々も多数存在することは承知していますが、音楽にはそんな力があります。


先だってイギリスの肺炎感染死者が3万人を超えてしまいました。
今英国はEUからの離脱のブレグジットで混乱の最中にあり、そこへ今回のウイルス感染禍で更に混迷を深めています。
願わくば、近い将来においてこの感染禍を超越し、新たな国作りが始められる時、全盛期のあの大躍進のような、
「ブリティッシュ・インヴェイジョン」が世界の人々に再び到来するような希望の春を迎えて欲しいと願っています。

故郷沖縄のシンガー喜納昌吉の言葉ではありませんが、「すべての武器を楽器に持ち替えよう」を合言葉として、
ピースフルでかつクリエイティブだった「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の再襲来を祈る近頃の筆者です。

ちなみに余談ですが、
新世代を代表するグレタ・トゥーンベリさんやマララ・ユズフザイさんらの行動が音楽等の文化的力と合体すると、
未だかつて無い程の大パワーを持ち得るのかもしれません。その時、人類と地球環境は新たなフェーズに突入することが、
出来るかもしれません。
その可能性は秘めていると個人的には思います。

 Since 1964, I was a primary school boy , It was first time to me. 

and even Now.  I'm always so deeply impressed by so many U.K people !


" I'm very sorry for your loss and sadness, Now."

" I'm rooting for You ,   Hang in there !!  U.K "


Born again new BRITISH INVASION !  in our near future !
with peaceful & creative music & culture !
I really really hope so !"


And

Let's kick away & Break Through the  Evil Wuhan Virus Disaster !

Together !!!


v (#^.^#) v


筆者のミニ半生史と化した今回の(長尺となってしまった)特集、もし お楽しみいただけたのなら幸いです。
駄文・長文失礼
<(_ _)>

By  Hideki Toma,  T講師