アトリエ・マイルストンブログ

2020年9月7日月曜日

残暑の日々に再びの残照ロック

月曜日・晴れ・日中は炎暑

「ミュージック・ギャラリー(428)」
「残暑の日々には再びの残照ロックを」


もう既に暦の上では秋九月とは言え、
相変わらずの炎暑が日々を彩っており、筆者の大好きな入道雲たちも未だ元気に輝き林立しています。
そんな青空下の白銀雲たちを見ていると、筆者どうしても若かりし頃の記憶にワープしてしまいます。
そこで、
前回の「残暑の夕べは妖艶ロックを聴け」特集に続いての第2弾としました。
筆者の個人的な自己満足で終始しますが、よろしければお付き合いください。

60年代後半~70年代中盤にかけて欧米を中心に大活躍したロック・バンドらの懐かしの楽曲群の登場です。
筆者もバンドにその情熱を傾け燃えに燃えていた時代で、楽曲イコール・バンドの図式が今も続行中です。


まずは今回のオープニング曲、やはり前回のオープニングを飾ったカナディアン・ロック・バンドからです。
前回の曲同様、高校時代にバンドでコピーに励み、折々のダンス・パーティーやコンサートで好評を得ました。

ゲス・フー、「ノー・タイム」

Guess Who ," No Time " (1970) with Lyrics



2曲目も彼らを続けます。
前回はリード・ギター・サウンドを中心に組んだので漏れてしまいましたが、今回は堂々の登場です。
胸のすくような軽快なテンポの基に歌われるソウルフルなフィーリングと間奏のフルートが快感です。
( スリリングな絶品フルートの演奏は,リード・ヴォーカルのバートン・カミングスによるものです。)

ゲス・フー、「アンダン」

Undun - The Guess Who - 1969 (w/lyrics)


この曲は後の70年代中盤以降のAOR的な雰囲気で、ロック一色の筆者らのレパートリーには加えられませんでした。
が、前回記したように故郷の海沿いのドライブのBGMには欠かせないものでした。


ラテン・ロックを世界的に知らしめたサンタナ、前回は2枚目のアルバムからでしたが、今回はデビュー盤からです。
今も語り継がれる伝説的な野外フェスに登場した彼らに触発されて、筆者らもラテン・パーカッションを勇んで導入。
基本が4名のギターバンドに他に更に3名を加えユニット化、コンサート等ではサンタナ・ナンバーに対応しました。
この曲もまた彼らのアルバム同様に、そのままメドレーで続けて次のパーカッション溢れる曲までコピーしたものです。
サンタナの妖艶なギター・プレイもさることながら、オルガン奏者グレッグ・ローリーの歌声もまた色気充分な存在です。

サンタナ、「シェイズ・オブ・タイム」

Santana, " Shades Of Time " (1969)


ボンゴにコンガ、カウベルにギロ、そしてティンバレスと、筆者らのバンドにラテン・パーカッションは増え続けました。
但し、レスリー・スピーカーを伴ったハモンド・オルガンだけは高価過ぎて入手できず。代用の国産品で補ったものです。
その当時でも超高価な楽器で、日本国内にも数台を数える程で、人気プロ・バンドの「紫」が2台も所有していました。

「後日追記:脱線よもやま話」

後年、上京後のTVで聞いた話ですが、ジャズ・オルガン奏者のジミー・スミスの初来日時にハモンドが国内には無く、
当時に唯一所有していたのが俳優の故・高島忠夫さんで、彼の来日コンサート時にずっと貸し出したそうです。
その当時、ハモンドはとても高価な庶民の手には届かないシロモノで、1台で家1軒分の価格だったそう!!。



前回特集にこそ登場しませんでしたが、筆者のバンド繋がりでは絶対に避けては通れないギター・バンドです。
トリオと言う最小限の楽器編成でワイルドな演奏とアクションを展開した米国ならではのマッチョ・バンドです。
このへヴィーなミディアム・シャッフルが堪らなく快感で、筆者ら大のお気に入りで最も得意なナンバーでした。
筆者らのバンドは4人編成(2ギター)で、彼らのスタジオ録音ダビング・パートをしっかり再現していました。

グランドファンク・レイルロード、「ミスター・リムジン・ドライバー」

Grand Funk Railroad / Mr. Limousine Driver


半世紀ほど経った今でさえ、血が騒ぎ胸躍ってしまいます。
!(^^)!


彼らもまた2曲続けます。
こちらは2枚目のアルバムからで、ワイルドさを少々抜き、リリカルなアレンジを加えて妙味です。
この曲もまた筆者らの得意ナンバーの一つで、周囲のファン(!?)たちからの支持も多かったものです。
彼らの楽曲、筆者らのバンドでもその多くをレパートリーにし、自分たちで演っていても快感でした。
後半のシンセサイザー・パートのオブリはエレキのボリューム奏法で何とか再現に漕ぎ着けました。
実際は、故郷の先輩プロ・バンドのキャナビスは糸数ガンジーさんの奏法を見て、倣ったものです。
筆者らも大好きだった雄大な海を感じることの出来るビッグでワイドなスケール感ある傑作曲です。

グランドファンク・レイルロード、「クローサー・トゥ・ホーム」

Grand Funk Railroad - I'm Your Captain/Closer To Home




原曲はノーベル文学賞まで授与されてしまった反骨のシンガー・ソングライターのボブ・ディランの作品です。
他にジ三・ヘンドリックスによるカバーも名演で、筆者らのバンドでは両者編曲を共にコピーしていました。
甲乙つけ難いロックの歴史に残る名演奏です。

デイブ・メイソン、「邦題:見張塔よりずっと」

 Dave Mason , "All Along the Watchtower -" (1974) w/ lyrics





もしかしてこのコーナー、初登場かもしれません。
ボストンがデビューした70年代中頃、筆者は本土暮らしにも慣れ、代わりにロック・バンド・ライフを捨てた頃です。
時折に帰る故郷の先輩バンドらはそれなりに健在。元気にロックを演奏し、相変わらず米兵達の人気を得ていました。
故郷の多くのバンドが彼らの楽曲をレパートリー化、野外フェスや歓楽街でそのツイン・リードを響かせていました。
このツイン・リード・サウンド、故郷の海辺の野外コンサートの夜に聴くと、南の星空に溶け込んで極上快感でした。

ボストン、「モア・ザン・フィーリング」

BOSTON - MORE THAN A FEELING - Subtitulos Español & Inglés




最後に、前回特集でも紹介のイギリス出身のホワイト・ブルース・バンドの中期の傑作アルバムの中からもう1曲。
一流ミュージシャンならではの貫禄と迫力が快感で堪りません。特にピーター・ヘイコックのギターが秀逸です。

クライマックス・ブルース・バンド、「トゥゲザー・アンド・フリー」

Climax Blues Band - Together And Free | Lyrics - Sub ( Español - Inglés)



シンセ等の電子楽器が主流を占めるような昨今の音楽界、上に登場するようなライブ感あるバンドらも稀有な存在です。
スタジオ録音とは言え、ライブな演奏が基本の音作りには音楽家の生で裸の魂が色濃く刻まれているような気がします。
上のボストンのアルバムなど、そのジャケットに「ノー・シンセサイザー・ユーズ」とわざわざコメントしていました。

この異常な夏の暑さにも、様々な電気製品がその対応をしてくれていて、快適な日々を送ることが出来ています。が、
青空・陽光の下、汗を拭き拭きしつつ聴く熱~い「ロック音楽」もまたマゾヒスティックな納涼の一種かもしれません。
「エアコン」や「冷やし中華」や「冷そうめん」らも確かに涼しい夏の賢い過ごし方には違いありませんが・・・、
人生の夏をとっくに過ごしてきた筆者にとっては、暑い(熱い)夏こそ、生きていることの証しにも感じてしまい、
今更ながらに今年のこの猛暑・炎暑の夏に、過ぎ去った若かりし頃に体験した動物的生々しさを再確認しました。

「エバーグリーン」なぞ幻想かもしれません。
しかしながら「ロック音楽」を聴く時、それは妄想となって筆者の心身を確実に襲ってくれています。老体となった今もなお・・・。
「残照ロック、バンザイ!!!」

By (熱い夏が嬉しい)T講師

(#^.^#)

* * *

「後日追記:故郷・南島のロック・バンド思い出話」

筆者の高校時代のロック・バンド、勉強もろくにせず熱中していたもので、レパートリーも数多くにのぼりました。
そのレパートリーは勉強とは反比例してどんどん増えて(中学時代からも含め)優に4~50曲は下りませんでした。
クリーム、ツェッぺリン、フリー、テンイヤーズ・アフターらや、ビートルズ、ストーンズ等のブリティッシュ勢、
グランド・ファンク、C.C.R、アイアン・バタフライ、J・エアプレイン、サンタナ等のアメリカ勢らのコピーに励み、
多数あったセミ・プロ・バンドらとの共催コンサートや各大学のダンス・パーティーや学園祭等にも出演しました。

そんな時、観客の中には米兵や軍属家族の高校生らもおり、半端な英語歌詞ではブーイングも貰ったりもしました。
おかげでボーカル担当のK君など歌詞憶えに必死で、ノートにはヒヤリングで聞き取ったカタカナがビッシリでした。
リード・ギターのI君も難曲のコピーに日々必死で、彼にレコードを貸すと盤表面が傷だらけで戻ってきたものです。
練習時にも全力プレーが当然で、硬いピックが数個も摩耗・又は焦げたもので、太い弦も何本も切っていました。
そんなパワフルな粘りビートを演奏の肝にしていた筆者のバンドのおかげで、上京後に経験の本土勢の演奏に失望、
幾度も足を運んだ有名プロバンドらのひ弱さビートレスに、早々に「燃え尽き症候群」に陥ってしまったものです。
東京でも何組かのバンドに参加するも、彼らの頭でっかちで硬くてひ弱な演奏スタイルには溶け込めませんでした。
貸しスタジオや機材等に恵まれ、高価なドラムやベースを使用・演奏してもビートが出せず、筆者には不思議でした。

オキナワのバンド勢数組もデビューするも、地元でのサウンドが再現できずに故郷に戻ったり解散していきました。
あれから半世紀、幾多のバンドがデビューし人気を博し今日に至るも、未だ筆者を満足させるに足るバンドに遭えず、
若き日の「耳年増」のまま、「ロック・バンド・サウンド損失」のまま、今日 立派な老年を迎えるに至りました。

時折帰る故郷の南島にて相変わらずの演奏を繰り広げる熟年のロックバンドも減っていき、亡くなる方も増えました。
筆者らや彼らの輝く演奏は、もはや筆者の記憶の中にしか存在しないものとして、ただ共に消えゆくのを待つのみです。
「歯がゆさ」の中、半面で故郷・南島のロック・バンドの面々とその演奏に出会えたことは、筆者の自慢の宝物です。
そして明日をも知れぬ運命の若き米兵らをあんなにも狂喜乱舞させた彼らを誇りにも思うコロナ感染禍の今日この頃です。
そんな彼らも感染罹患することなく、余生を幸せに全うできるよう、遠く離れた本土から祈るばかりです。大々感謝です。

* * *

「祝・学童クラブ・バンド、再始動」

今春早々・目下のコロナ感染禍で中断を余儀なくされていた学童バンドが、どうにかこうにか再始動の運びに。
前回のクリスマス・コンサートの中心的メンバーこそ、保護者らの在宅勤務等で去っていってしまいましたが、
上級生(女子のみ四名)を中心に、何とか練習を再開することができました。
(但し新編成メンバーのカラーがお嬢様・優等生タイプなので、結構パワー不足ではありますが・・・。)
発表の目途こそ未だ確定ならずとも、状況さえ許せば年末クリスマスあたりに演奏会が出来ればと希望しています。
遅くとも、卒業する前には何とかお披露目を演りたいと目論んでいます。
その際にも、国内でよくありがちなテクニック優先よりは、筆者の故郷系統の表現力パワーで攻めたいと願っています。
が、果たして・・・。

(*^^)v