アトリエ・マイルストンブログ

2016年5月16日月曜日

明治の洋画ー5、五姓田義松

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「名作美術館(その172):明治の洋画(その5):五姓田 義松の自画像」

「13歳の自画像」1877年(明治9年)    「23歳の自画像」1887年(明治19年)

 五姓田 義松(ごせだ よしまつ)、1855年(安政2年)生まれ~1915年(大正4年没)

江戸時代の洋画家・五姓田芳柳の次男として生まれる。1865年チャールズ・ワーグマンに師事。
1876年、工部美術学校に入学、フォンタネージに師事。1877年第1回・内国勧業博覧会で受賞。
1880年渡仏し、日本人初のサロン・ド・パリの入選画家となる。帰国後、明治美術会創立に参加。
明治元年が1868年ですから、その時代にその早熟・天才ぶりには目を見張るものがあります。

我が国の洋画黎明期に生きた画家ですが、明治天皇の御付き画家となったほどの人物です。
今回は我が国では始めて自画像を描いたかも知れない画家の自画像だけに絞ってみました。
自画像の表情だけ見ているととてもお茶目で、現代の私たちと何ら変わるところはありません。

自画像デッサン

五姓田義松、本人肖像写真

立体表現の無い東洋画文化を背景に育った画家の西洋的表現の目と技、とても興味深いものを感じます。
鏡に自らの顔を映して描く自画像。画家の油絵では左利き、デッサンでは右利きの感じですが、その実際は?
明治維新もまだ浅き変革期の画家の洋画に対する熱き情熱がひしひしと伝わってきます。

「連想付記」

 上2点は、17世紀オランダ絵画の巨匠レンブラントの自画像で、左が10代の頃、右が23歳の自画像です。
五姓田義松の自画像2点を見た時に、筆者は反射的にレンブラントの上の2点の自画像を思い出しました。
素朴ながらも情熱に満ちた10代、偶然にも同じ23歳の自画像は、自信や自負に満ちた表情と身成りです。
時代や場所こそ違えども共に才気に満ち溢れた画家の若き日の自画像で、共に晩年は没落してしまいます。
時代の波や時流とは関係なしに自らの道を生きたからこそ、この両画家は時代の主流から葬られるのです。
一人で生きる画家は、集団で群れる画家たちの前にはいとも容易く負けてしまうのが歴史や世の必定です。
幸せな画家とは「自己完結型」で、他人と群れたり戦ったりする理由を自らの人生に見い出せない人達です。
五姓田義松やレンブラントもまた然りで、主流派と名乗る大集団に敗れた独立孤高の幸せな画家なのです。

明治の画家・五姓田義松の描いた幾つかの母親像、今回は取り上げませんが鬼気迫るものがあります。
またの機会に・・・。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その203):春爛漫歌(その5)」

当コーナー、春歌に加えて上の両画家にちなんで、「我が道を行く(Going My Way)」特集と参ります。
今回登場(2度目)のシンガーもまた典型的な「自己完結型」で、その声質・歌声は極めて個性的です。
その歌声がのどかなユッタリ・スロー・ビートに乗って、春のそよ風の空を舞っていくような気がします。

ニール・ヤング、「アイ・ビリーブ・イン・ユー」
Neil Young," I believe In You "
(From his 3rd Solo Album "After the gold rush", 1970)

「余談:連想付記(その2):ジャケ中写真のつぎはぎジーンズ」

この曲が入ったLPジャケ中写真のつぎはぎベルボトム・ジーンズが高校生の筆者には衝撃的でした。
目が♡!マークになった筆者は友人と共に早速ジーパンを集めてミシンを踏み、手作りして履きました。
街頭では見ず知らずのニーセー(若者)達からその入手先を問われ、多数の注文が舞い込みました。
世は反体制・アンチ・ブランド真っ盛りのフラワー・チルドレン、ヒッピー時代、自作モノが尊ばれました。
基地の島は多種のワッペン類が豊富で、立派なつぎはぎジーンズが誕生、評判が評判を生みました。
部屋に山積みされたジーンズと日々格闘。その縫い目は厚く固く苦労しつつも注文をさばきましたが、
ある日、最後に残った唯一の太針が折れ、そこで気持ちをも折れ、それ以上のつぎはぎ作りを断念。
残った古ジーンズの返却やら、オーダー中止の連絡等にと、日々おおわらわとなってしまいました。
若い時だからこそ出来た「安請け合い」、今ではその苦みが良い思い出へと変貌したのが救いです。

* * *

「デイリー・ギャラリー(その35):空模様」


曇天の今日、丹沢の峰々が雲間からその頂き連なりを覗かせていました。
自然は一日・一刻たりとも同じ時がないほど表情豊かで、日々楽しめます。
*
故郷の南島では、いよいよの「梅雨入り」。
限られた五月晴れや薫風を楽しみましょう。

By 講師T