アトリエ・マイルストンブログ

2020年1月27日月曜日

冬最中に輝くブリット・ポップ

月曜日・冷雨

関東地方、本格的な降雪予報があったものの、幸いにも予報が外れ、事なきを得ました。
安堵

「ミュージック・ギャラリー(その400回!凄!)」
「冬最中(さなか)に輝くブリティッシュ・ポップス」


以前、昨年初春に「春兆しの日のブリット・ポップ(2/18付け)」同様の、今回は冬バージョン特集です。
このコーナー、古い時代の古い曲を取り上げるのが常で、今回もご多聞に漏れずの懐かしめの曲達です。
アメリカとはまた異なるイギリスならではの情緒的サウンドや詞の世界、ご視聴いただければ幸いです。

この曲も以前取り上げましたが、その冬ならでは魅力は筆者の中で未だ衰えてはいません。
吐息が白くなるような味わいと、その凍てつきを突き破るようなサビとの対比が妙味です。

ドリーム・アカデミー、「ライフ・イナ・ノーザン・タウン」
Dream Academy ," Life In A Northern Town "(1985)

ネット上に英訳+歌詞対訳がありましたので、勝手ながらお借りしてきました。

『ライフ・イン・ア・ノーザン・タウン / Life In A Northern Town』歌詞・和訳


A Salvation Army band played, And the children drunk lemonade
And the morning lasted all day, all day, And through an open window came,
Like Sinatra in a younger day, Pushing the town away, 

oh, Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya
Ah hey ma ma ma hey-y-yah, Life in a northern town, Ah hey ma ma ma ma,

They sat on the stoney ground, And he took a cigarette out, 
And everyone else came down to listenHe said in winter 1963, 
It felt like the world would freeze, With John F. Kennedy, And The Beatles

Yeah, yeah,Ah hey ma ma mommy doo-din-nie-ya,
Ah hey ma ma ma hey-y-yah, Life in a northern town



救世軍の楽隊が演奏し、子供たちはレモネードを飲む。そして一日中が朝のまま。
そして開いた窓からは、若き日のシナトラのような声がして街を突き抜けていった。
北の街の暮らし

みんな 石造りの地面に座り、そして彼が煙草を取り出すと他の皆もやって来て 彼の話を聞いた。
”1963年の冬は凍りつくようだったよ。ジョン・F・ケネディーとビートルズのせいでね”
北の街の暮らし

"Get Up And Go"様ブログよりの転載(一部、改変済み)


「脱線昔話(その1)」

歌詞の中の話、
ケネディー大統領が大衆の面前で射殺され、その衝撃的ニュースは世界中を駆け廻りました。1963年のこと。
その当時、筆者は小学生。
自宅近く・丘中腹の大きな亀甲墓の頂上部で近所の友人らと遊んでいる時に、もの凄い爆音が届いてきました。
遊びを中断し驚いて空を見上げると、頭上には見たことのない夥しいほどの無数の銀色の機影が現われました。
大きな輸送機も、三角形状の後退翼のジェット戦闘機も、機体から直角に突き出た翼を持つ偵察機等も・・・。
記憶は定かではありませんが、数分後に第2陣と思われる軍用機の集団がやはり出現し飛び去っていきました。
両者共に同一機種の編隊ではなく大きさも機種もまちまちバラバラで、余程の事態だと子供心に感じたものです。
実際のところ、
大統領暗殺の報せがまだ国内に報じられる前に米軍はいち早く本国よりの緊急通報を受け戒厳令を敷いた措置で、
当時は米ソ冷戦の真っ只中で故郷沖縄もまたその最前線に置かれていた訳で、後日大人に聞いたところによると、
ソ連のミサイル攻撃で空軍基地が急襲・爆撃されるかもしれないとの予測の下での緊急避難措置だったとの事です。
「後日追加」
そのような緊急事態を想定して、本島を南北に縦断する1号線(現・国道58号)が滑走路代わりに使用される計画で、
そのために片側3車線もある道路ながら吊り下げ型の信号機で、歩道橋の設置も一切認められてはいませんでした。

やがて全てのTVやラジオが若きケネディー大統領の死を告げはじめ、その衝撃的映像に世界中が釘付けとなりました。
そのオープンカー上での惨事と無数の銀翼の機影とが筆者の中で入り混じり、子供ながらに世界の連関を知りました。
今は昔のことながら、世界は今世紀もまたきな臭い人類世界のまま、連環していくのです。


PV動画、映画館の映写技師に扮したポール、良い味だしています。
何だかインスタント・コーヒーが美味しそうで飲みたくなってきます。
「エッ、白っぽいから、ホット・ミルクかスープじゃない、だって?」

ポール・マッカートニー、「ノー・モア・ロンリー・ナイト」

PAUL Mc CARTNEY ( No more lonely Nights 1984 )


I can wait another day, Until I call you
You've only got my heart on a string, And everything a flutter

But another lonely night (and another, and another)
Might take forever(and another, and another)
We've only got each other to blame
It's all the same to me love
Cause I know what I feel to be right

No more lonely nights, No more lonely nights
You're my guiding light. Day or night I'm always there

May I never miss the thrill, Of being near you
And if it takes a couple of years, To turn your tears to laughter
I will do what I feel to be right

No more lonely nights, Never be another
No more lonely nights, You're my guiding light
Day or night I'm always there

And I won't go away until you tell me so, No I'll never go away
Yes I know what I feel to be right

No more lonely nights, Never be another
No more lonely nights, You're my guiding light
Day or night I'm always there

And I won't go away until you tell me so, No I'll never go away
I won't go away until you tell me so, No I'll never go away
No more lonely nights, no no ...


上2曲を聴いたら、この曲もまた筆者の記憶の中から呼び覚まされ、脳内ジュークボックスで流れ始めました。
ストーリー仕立てのプロモーション・ビデオ、哀しくも味わい深くて発表当時は何度も見直したものです。

トム・ロビンソン、「スティル・ラビング・ユー」(1986年)

Tom Robinson , " Still Loving You ",original official studio video


哀愁ある良い声に、アダルトな味わいのアレンジと演奏・余韻(リバーブ感)、筆者の大好きなアンサンブルです。
但し動画内、ステージのベース奏者が鍵盤演奏をも兼務していると言う設定は、筆者個人的にはいただけませんが。
出演している個性派揃いの俳優さんたち、良い味 出しています。英国映画ならではの哀しき世俗さ振りが秀逸です。
特にチークダンス中のカップルにからむ酔客、故郷の古い悪友を彷彿・連想させて腹を抱えて笑ってしまいました。



さて、今回特集のトリの登場です。
冬場に聴くブリット・ポップスと言えば、この曲こそその代表曲と言っても決して過言ではない名曲だと思います。
ポールの霞(かすみ)のかかったようなハスキー・スモーキーな歌声、余韻の残る沈殿する抒情的楽器アンサンブル、
全てが冬の情緒に当てはまり、特にオブリガートで出現するシタール・ギターとシンセ・ベースが印象的です。
歌唱に加え、歌詞と旋律と編曲と楽器の音色までもが同時に一瞬にして出現したような完成度の高い名曲です。
オリジナルは、アメリカのデュオ「ホール&オーツ」なのですが、まるで自身の持ち歌のような歌唱ぶりです。
筆者の能書きはこれ位にして、雪が深々(しんしん)と降り積もるような抒情世界、音楽だけでも味わいましょう。

ポール・ヤング、「エブリータイム・ユー・ゴー・アウェイ」

Paul Young, " Everytime you go away " with lyrics (1985)


「涙(ナダ)ソーソー」です。
( ;∀;)

* * *

「筆者後記」
「脱線昔話(その2):故郷は お正月」

少々、長い文章になりました。時間に余裕のある方、関心を持たれた方はしばしお付き合いください。

故郷・沖縄は、1/25~27日が今年(2020年)のお正月でした。
本土と同様の新正月は、通常だと主に那覇などの都市部で行われ、会社関係の挨拶・訪問が主だった行事でした。
そんな訳で、筆者の幼年時代には、「お正月」は二度あったのです。
農家などの地方・田舎では、伝統的な旧暦に沿って行われるためで、
筆者らも父の実家(本家)に家族揃って新年の挨拶に訪れたものです。

筆者の家族に、まだ妹が生まれる前の三人兄弟だった頃のことです。
そんな旧正月、半年振りの従姉妹らや家畜たちに会えることや、緑豊かな田舎の光景に胸を躍らせたものです。
でもその帰り道が毎年の辛い思い出で、今もその時の心境や暗闇世界は筆者の脳裏に強烈に焼き付いています。
祝宴の酒に酔った父がその重い腰を上げるのは、那覇行きのバスの最終便に乗らなければいけない時刻でした。
大人達の訳の分からぬ会話の中、無理やり起こされて寝ぼけ眼(まなこ)で暗闇の寒空に投げ込まれるのでした。
その当時の田舎に街灯など一つとしてなく、少数の家屋も真っ暗で、夜空で無数の星が頭上で瞬くだけでした。
目が暗闇に慣れぬ間は夜道の先を歩く父の革靴の鋲の音だけが頼りで、砂利を踏む音だけが唯一の文明でした。
ミー二シ(北西の季節風)に身震いしながらも遅れを取るまいと必死に靴音を追い、やがて暗闇に慣れてくると、
ピューピューと唸るサトウキビ畑の間の海砂を敷き詰めた農道が浮かび上がり、星々が遠くの山々の輪郭を教え、
目的地のバス停留所までの道のりを、恐怖心を押さえながらも必死に父の足音とシルエットを追いかけました。
母は末っ子の弟の手を引き、明るめの鼻歌で弟をあやしながら父の後を追い、兄と筆者も後方を固めました。
経験したことのない真っ暗闇、生まれ故郷の父には何でもなかったとは思いますが、筆者らには恐怖でした。

やっとの思いでバス停留所に辿り着いてもやはり真っ暗闇のままで、
白く浮かび上がる道だけが山と畑との間に繋がっているだけでした。
背後からは海鳴りとサトウキビの唸り、正面の山々からは木々の枝や葉の発する唸り、それらが錯綜し混じり合い、
やがて来るであろうバスを待ちわび、ひたすら寒さと恐怖心と戦い、父の煙草の灯火をお守り替わりとしました。
頭上の星々は那覇で見る以上に無数に登場し、天の川ももっとはっきりとその流れを見せ、輝いていました。
どの位の時間を費やしたのか、今となっては定かではありませんが、筆者には恐ろしいほど長く感じたものです。
やがて、
「バス来たよ」父の声で我に還ると、道の先のカーブの向こう、山の影におぼろげな光が現われ次第に大きくなり、
道に大きな二つの明るい光が現われ近づいて眩しさを増し、兄弟三人で歓声を上げて最終バスを迎えたものです。
ボンネットバスのエンジン音がこの時ほど頼もしく思え、車内灯と運転手さんの顔がどれほど輝いて見えたことか。
油臭く埃臭い最終バスに乗り込み、父や母も安堵の様子を見せ、振動と騒音まみれのバスに冷たくなった身を委ね、
暗闇と霊魂の恐怖に打ち勝った自らを褒め称え、やがて現われるであろう街の灯を想像しながら車窓の暗闇を眺め、
やがて山頂に現れた唯一の文明の光、米軍のミサイル基地の明るい監視灯連なりを眺め、窓に映る運転手を見つめ、
我が家の温かい布団に潜り込む自らの姿を想像しながら、急激に襲ってきた眠気とバスの揺れに感謝したものです。



あれから半世紀以上の時が過ぎ、世紀も変わり元号も二度変わり、父も逝き、そして今 母が明日にも旅立とうとし、
筆者もまた未来の残り少なき人生となり、過去の蓄積や沈殿を想い返す歳となりました。
新正月も旧正月も取り立てて祝う訳でもない日常ながら、去来する過去の蓄積を顧みる時、
このおよそ美術教室らしくないブログもまた筆者にとってはそれなりに大切な存在だと覚り、
惰性に陥ることなく、これからも素直な気持ちや興味を記し綴っていこうと思い始めました。
いずれまとめようと考えていた筆者の「昔話」を、少々プライベートな「T講師コーナー」にて、
思いつくまま、無理にまとめようとせず記していこうと思いついた今年(令和2年)の旧正月です。
はたしてその時間的余裕があるのか、はたまた続けられるのか、今のところは未知数ですが、
とにかく早晩にも「話しクヮッチー(計画だけの空想の御馳走)」になるかもしれませんが、
「有言実行」を試みたいと思っています。
  取りとめのない私事長文雑文。ご容赦。

By T講師
いつものことながらの、とんだ「支離滅裂ブログ」となってしまいました。
今後とも どうぞ よろしくお願いいたします
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