アトリエ・マイルストンブログ

2019年7月22日月曜日

ビートルズこそ我らがアイドル

月曜日・曇り 一時 小雨
アトリエ定休日

夏休みに突入の本日より、学童クラブは早朝迎えが始まりました。
1年の内、1日が最も長く感じられる季節の始まりです。
学童たちの有り余るパワーに負けないよう、頑張ります。
!(^^)!

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その368)」


「ビートルズこそが、我らの永遠のアイドルでショー!」


今回も前回コーナーの続編としました。
ビートルズの音楽をこよなく愛する欲張り者の筆者、趣向を変えた続編を懲りずにアップいたしました。
前回は彼らの若かりし頃の公演映像を中心に構成しましたが、今回は他の音楽家の演奏を集めてみました。
彼らのカバーを歌う(演奏する)音楽家、それこそ世界中に進行形でもの凄い人数・作品(楽曲)になります。
筆者の大昔、ロックのコピー・バンドをやっていた関係で、今回はカバーではなくコピーを選びました。
お付き合いいただき、更に加えてお楽しみいただければ幸いです。

彼らが解散して 早49年!。来年は50周年!
彼らの紡ぎ出した数多くの楽曲が、21世紀の今日でさえ未だ世界中の人々から広く深く愛され続けています。
彼らの活動期から、その後の現在に至るまでに発表された公式数、何と実に278曲!
彼らの音楽の大ファンの筆者とて、その全ては聴いていませんが(興味あり)、その多くが佳曲揃いでしょう。
今回はそんな中の一部ですが、彼らの愛され続けているヒット曲のコピー集です。
前置き長くなる前に、早速 行ってみましょう!

おっと、その前に!


御本人たちの若かりし頃のスタジオ・ライブを1曲、お届けします。
前回の公演特集(その当時はライブと言う表現はありませんでした)とは異なり、比較的に良質な録画と録音です。
彼らの等身大の才気が余すところなく発揮された正にお宝映像です。
どうぞ。
(筆者注:スマホ等でお聞きする方、外部スピーカーやヘッドフォン使用をお勧めします。)
(ヘッドフォンは現在百均ショップでも300円程度で入手可能。低音の再現性が向上します。)


ザ・ビートルズ、「ティル・ゼア・ワズ・ユー(君に出会う前は)」、ロンドンでの王室公演
THE BEATLES " Till There Was You "( Cover,1963) ,( Composed by Meredith Willson 1957 )

彼らの存在を知った小5の頃より彼らは大人で、筆者高校時代の彼ら晩年の芸術家然とした風貌など、いつでも大人でした。
ところがこの彼らの表情、どれほど若い青年たちであったかがよく理解できます。
否、青年どころか少年の面影すら色濃く残すポールの表情と歌唱が胸に迫ります。
ポールが前説でソフィー・タッカーたちの曲(実際はソロ歌手)だと冗談を飛ばして、観客を沸かせています。

ラテン・リズムのゆったりとした後のりビートの演奏が、典型的コンボ・バンドの最小編成で絶妙です。
ジョージの間奏は、米国のギター職人チェット・アトキンスの影響が濃厚ですが、オリジナル曲の間奏のまんまコピーだとのこと。
その後、この編成(リード・ギター、リズム・ギター、ベース、ドラムス)はスタンダードとなり、多くのバンドが追随しました。
ここからは毎度の脱線話となりますが・・・、
筆者も中学時代、高校時代(高2はリード・ボーカル加入)にその編成を楽しみ、時に鍵盤やパーカッションを加えて楽しみました。
( ラテン・ロックのサンタナも大好きで、コンガ等を加え彼らの多くの楽曲をコピー、ダンス・パーティー等で好評を得ました。)

* * * * * *

さて、ここからが当特集のコピー・メドレーの目白押しです。
その最初を飾るのは、彼らが解散して10年後に発売されたディスコ・ブームの際の記念碑的なレコードです。
従来の33回転のLPではなく、シングル盤と同様の45回転で長尺の音楽を高音質で再現した画期的な企画でした。
凄腕のスタジオ・ミュージシャンたちを招集したこのプロジェクト、彼らの名曲を見事に料理して世界的大ヒット。
前説はこれ位にして、まずは彼らの名曲メドレー早速 お聴きください。
彼らの天才ぶり、名曲ぶりが、あらためて再認識されることと思います。

スターズ・オン・ビートルズ45(メドレー)1981年
Stars On Beatles 45

ビートルズの一部楽曲群(確か計31曲だったかな?)、もう圧巻ですね。
ジョンとポールのレノン・マッカートニー名義による作品群、ジョージによる作品など、それらのどれもが絶品です。
これだけ忠実にコピーしつつ、無理の無いようスムーズにアレンジするには多くの労力を要したことと思います。
彼らのヒット曲の一部、21世紀の今聞いても超新鮮ですね。
正に前世期(!)を筆頭にて代表する音楽家たちです。


さて、あらためて

「ビートルズこそが、我らの永遠のアイドルでショー!」

ここから本番!どうぞ!

世界中には20世紀の今もなお無数のビートルズ・ファンがおり、彼らのコピー・バンドも同様に数多く存在します。
彼らの曲のコピーを趣味で始め、結果 プロのバンドとしてデビューを果たしたコピー・バンドもまた多く存在します。
自らが彼らの熱烈なファンでありながら、そんな彼らの代用品(!)として彼らのファンを獲得していくと言う図式です。
以下に特集した動画出演の音楽家たちは、そんなプロたちの演奏したビートルズのコピー曲のオンパレードです。

筆者が若かりし頃には、コピー・バンドはある意味 オリジナリティーに欠けた低級なバンドとの評価でした。
その理屈でいくと、古典音楽を再現するクラシックの交響楽団のほぼ全てが低級なバンドとなってしまいます。
でも時が経ち、コピー・バンドの存在は一つの立派なジャンルとして市民権を獲得するようにもなりました。
欧米では多くのビートルズのコピー・バンドが登場、彼らを懐かしむ熟年ファンや若い世代のファンも獲得、
それぞれのバンドがコピー曲を演奏しながらも、それぞれの違いをアピールすると言う状況にもなりました。
コピーが単に機械的なコピーに終わらず、演奏家の個性による解釈の違いでその結果もまた楽しんでいます。

筆者がこのコーナーで声を大にして言いたいことは、コピーとは、言うなれば個性の明示だと言うことです。
一見、矛盾しているように感じられる方も多々とは思いますが、個性を完全に否定することは不可能なのです。
コピーの過程は、自らの個性を無にして対象となる音楽にひたすら近づける作業ながら、個性の痕跡は消せません。

複数の演奏家が同じ曲のコピーをすると言う行動過程に於いて、その演奏家が何を聴き、何を感じ、何をなぞったのか、
人間一人一人の個性が違う以上、まるで同質のコピーが出来ると言うことは一部の例外を除いて極めて稀なことです。
万人共通の純粋視覚が有り得ないことと同様に、音楽聴覚もまた万人共通の厳密な聴覚など存在してはいないのです。
例えば、これは過去に於いて筆者も随分経験したことなのですが・・・、
Aさんのそれは技巧的にBさんより上ですが、感性や雰囲気はBさんの方が優れていると言うことも大いに有りなのです。
ポップ音楽やロック演奏に於いては楽譜的な音程やタイミングが正確でも、結果はまるで似て非なる物と言う事もあり、
言わば、本末転倒の「仏作って魂入れず」、「木を見て山を見ず」状態のコピー奏者も多々存在します。
そのコピーの過程を経て、それでもなお残る個性がコピーを魅力的にも、逆にその対極にもさせてしまうのです。
( 筆者の経験による私見ですが、楽譜・音符から演奏する人より、耳からコピーする人の方がより表現が豊かです。)
(筆者的に言えば)コピーとは、
言うなれば、対象となる原曲を演奏した者と、コピーを試みた者との共感コラボレーションとも言えるものです。
そう、コピ中はユニゾンで、コピー完了後の演奏開始では名代的ソロで (*^-^*)。
コピー完遂した時の喜びはこの上もなく幸せなもので、まるで演奏者の親友か愛弟子にでもなったような気分です。
また完コピ困難部は間引き等で適当にハショッて全体を我がモノにして楽しむことも良しです(後日、再挑戦も可)。
但し、完コピ目指して細かい技巧のみを追求し、根幹のビートやノリを忘れている御仁も多々いるので要注意です。
( 筆者上京当時の本土の多くのバンドがその傾向にあり、ロックのエグ味や醍醐味が感じられませんでした。御免。)
「エッ、今も!? 」( 昨今のガールズ・バンドはその限りに非ず。逆に凄いです。)(;^ω^)

さて、
それが今特集の肝の二つ目で、そこら辺の違いや個性も同時にご鑑賞いただければ、と考えています。
もちろんのこと一つ目の最も重要な肝は、彼らの紡いだ楽曲群の素晴らしさを再認識することです。😊

前説・能書き、またまた長くなってしまいました。
ファブ・フォーとはファビュラス・フォー(Fabulous Four) 素敵な4人の略で、ビートルズの4人を指し、
この人気コピー・バンドの名称としています。
偉大なるビートルズのコピー・バンド代表格。
まずはお聞き下さい。

ザ・ファブ・フォー、「究極のトリビュート・ライブ(その1)」

The Fab Four - The Ultimate Tribute (Part I)


外見をも含めたその徹底的なコピー命には敬服してしまいます。
ジョンのリッケンバッカー、ジョージのグレッチ、ポールのヘフナー・バイオリン・ベース、それらのボックス製アンプ類、
そしてリンゴでお馴染みのラディック製ブラック・オイスター・シェル柄のドラムも、もちろん髪形等もう全てが完璧です。


次のバンド「レイン」もまたそんなコピー・バンドです。
どうぞ。ご鑑賞ください。

レイン、「ビートルズ・トリビュート・バンド・ライブ」

The Rain, Beatles Tribute Band Live at Broadway


次はオランダで誕生の本格的なバンドで、今までライブで再現不可能とされたビートルズのスタジオ録音を生で果敢に再現。
今回特集では、ビートルズの傑作アルバムの一つを、A~B面を順に丸ごと全て余すとこなくライブで再現・演奏しています。
よって長尺判ですが、ご興味のある方には大変魅力的な試み・醍醐味となっています。
よろしければご覧になってください。

ザ・アナログズ(オランダ)、「ビートルズ・アルバムの一つを全曲コピー演奏」
傑作アルバム「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のフル・コピー・ライブ

 The Analogues、Sgt. Pepper's: Live in Concert、The Beatles cover


時間と資金と労力をタップリとつぎ込んだ完成度の高い凄い再現性に驚いてしまいます。
素晴らしい演奏技術に脱帽ですが、筆者的に上から目線で言えば、熱いスピリットが不足している気がします。
筆者が感じるビートルズはその熱きスピリットによる力強いビートなので、おそらくはその点が不満なのです。
感激しながらも同時の批判、平にご容赦。
_(._.)_



次の曲もそんな彼らアナログズのライブ演奏で、筆者も超大好きなビートルズ・ナンバーのメドレーです。
こちらも併せてご鑑賞ください。

ザ・アナログズ、「ゴールデン・スランバー~キャリー・ザット・ウェィト~ジ・エンド」ライブ

The Analogues , "Golden Slumbers"~" Carry That Weight "~"The End "


* * *

「最後にビートルズ・カバー曲を」

やっぱり欲張りな筆者、今回の「コピー曲特集」を進め、終わらせるつもりでいたのですが、「カバー曲」も聴きたくなりました。
今回のラストでは、数あるカバー曲の中から、イギリスの元不良少年たちの一人だった彼の歌を選びました。
ビートルズの多大な影響下で育ったイギリスのオアシス、一世を風靡した彼らもまた解散してしまいましたが、
その歌心ある数々の楽曲もまたビートルズ・ナンバー同様、後世に長く歌い継がれていくことになるでしょう。
詳細は不明ですが、英国内のスポーツの祭典時のコンサートの模様らしいです。
コピー・バンドとは一味違った、良い意味での癖のあるカバー曲、どうぞ。

ノエル・ギャラガー(元オアシス)、「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」

Noel Gallagher's HFB , " All You Need Is Love "【和訳】Live


この曲、トリを務めるには最も 相応しいナンバーなのかもしれません。


「後日・強欲・追加版」

上にて紹介の「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」、ビートルズの原曲動画も是非とも取り上げたかったのですが、
映画「レット・イット・ビー」同様の著作権の問題上、現在YouTube上には存在しないので、残念ながら断念しました。
1960年代、世界に初めて同時に衛星中継されたその映像は貴重で、若い彼らやM・ジャガー等も参加していました。

その代わりの動画と言っては何ですが、以前エリザベス女王・在位50周年を祝福する記念コンサートがありました。
筆者もかなり以前に、NHK衛星放送で流された超豪華ライブの様子をDVDに録画してあり、時々再現していますが、
その中でもフィナーレの部分がYouTube上にあったので、そのライブ映像を紹介します。
出演者は英国のみならず、米国からも大物ミュージシャンらが参加しており、2度は再現できない超々豪華ショーです。
上のノエル・ギャラガー動画が「欲張り」な筆者の追加版だったので、今回は更にその上を行く「強欲版」としました。

「毒を食らわば皿まで」の諺にて、お楽しみいただければ幸いです。
動画下に、参加・超豪華ミュージシャン陣の名前を貼っておきます。
映像のステージ上から探し出すのも一興です。
あなたは一体 何人ご存じなのでしょうか?
あなたは一体 何人探し出せますでしょうか?

ポール・マッカートニー、ジョー・コッカ―、ロッド・スチュアート他、
「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」バッキンガム宮殿ライブ

Paul McCartney, Joe Cocker, Eric Clapton & Rod Stewart ” All You Need Is Love ” (LIVE)

The concert was held on 3 June 2002, Buckingham Palace Garden, London, England


Paul McCartney, Bryan Adams, Queen, Elton John, Shirley Bassey, Eric Clapton, Joe Cocker, Phil Collins, Ray Cooper,
Ray Davies, Dame Edna Everage, Tony Iommi, Tom Jones, Ladysmith Black Mambazo, Annie Lennox, Ricky Martin,
Ozzy Osbourne, Rod Stewart, Tony Bennett, Blue, Emma Bunton, Atomic Kitten, The Corrs, Cliff Richard, S Club 7,
Will Young, Ruby Wax, Brian Wilson, Steve Winwood and Tony Vincent.

圧巻!


今回の「ビートルズ・コピー・バンド特集」、いかがでしたか?
今となっては再現不可能な彼らの魅力がより伝わったことと思います。
冒頭・動画でのポールのあどけなさの残る表情から50数年、そのポールが今も現役なのが嬉しい限りです。
良き相棒だったジョンもジョージも先立ってしまいましたが、これからもずっと輝き続けてほしいものです。

* * *

「筆者の脱線・昔話」

筆者も中学時代にビートルズの楽曲と本格的に出会い(小学生時代はダンス音楽との認識で踊っていました)、
彼らのコピー(ドラムやギター)を始め、彼らの魅力と、再現コピーの難しさを実感しました。
彼らの楽曲の魅力は何と言ってもそのメロディー・ラインの美しさにあり、コーラスもまた然り、
4人編成のシンプルな編成とは言え、レコーディングには色々な仕掛けと工夫が内在しており、
単にエレキ・ギターだけでは再現不可能で、12弦ギターやアコースティック・ギター等が多用され、
そして何よりジョンとポールの音域広く力強いボーカルやコーラスが近寄り難い霊峰のようでした。
中期以降の楽曲ではこれらの仕掛けが更に発展、金管や鍵盤、テープの逆回転や二重録音が加わり、
中~高校生の筆者らの技術や知識では到底及ばないと言う、もうお手上げ状態・ダルマ状態でした。
そんな筆者高校時代のベトナム戦争泥沼化の当時、
沖縄中部の基地の街コザには、荒くれ米兵を相手に夜毎演奏を繰り広げる地元のバンドが群雄割拠していました。
中でも「キャナビス」「紫」「コンディション・グリーン」のビッグ・スリーは、若き米兵達に圧倒的人気でした。
キャナビスが那覇でコンサートを演った際、多くの米兵達も追っかけで駆け付け、会場はさながら米国のようでした。
そのライブでビートルズの「バック・イン・ザ・USSR」「レディー・マドンナ」「ヘルター・スケルター」等が演られ、
その圧巻へビー&スリリング・サウンドに、コザ方面より駆け付けた米兵らが発狂したかのように絶叫していました。
筆者も当然その圧倒的音圧を浴び、目前のキャナビスの凄さとビートルズのロック魂の熱さに心底 酔い痴れたものです。
その際のキャナビスの圧巻演奏、筆者もその後、上京後も多くの外タレ・コンサートにも多数 足を運びましたが、
生のロック演奏としては、これ以上の圧倒的音圧のスピード感やスリル感を未だに経験したことがありません。
英語放送局所属の米国人関係者らが舞台正面で大きなオープン・リールのテープレコーダーを回していたので、
故郷の何処かか、又は米国の関係者が今も保存しているかもしれず、それを聴いてみたいと今も思っています。
そんな彼らも数年後に本土デビュー、所属事務所の意向で流行りのウェスト・コースト風に変身、落胆しました。
圧巻ボーカルのジ三―さんも抜け、東京ナイズされた音には当時の野性味も消え、まるで別バンドのようでした。
沖縄ロックのビッグ・スリー、全てデビューしたものの皆一様にサウンドを歪曲され、彼ら自身 失望してました。
何れのバンドも、当時の音楽業界のドンの圧力による様々な妨害やツブシに遭ったと異口同音に嘆いていました。
当時、爆発的に人気を獲得しはじめたオキナワ・ロックの本土上陸・台頭を快く思わなかった御仁がいたのです。
保身ゆえか、ビートルズのように新人や後進を積極的に支援するような度量は持ち合わせていなかったようです。
( ;∀;)
歓喜に沸いた若い米兵たち、戦地へと向かう彼らを待ち受けていたのは、一体どんな未来だったのでしょうか?

脱線 またまた長くなりましたが、筆者自身の昔話に戻すと、
ストーンズやツェッぺリン、クリーム、グランド・ファンク等に混じって、ビートルズもよく聴き、
彼らの中期頃の傑作アルバム「ラバーソウル」や「リボルバー」等は、中~高校時に愛聴しました。
中でも彼らの2枚組アルバム「ホワイト・アルバム」は、嗜好の好みを超越した至高の存在でした。
また彼ら晩年の「サージャント」や「アビイロード」や「レット・イット・ビー」も激聴しました。
ある時はステレオの大音響に身を包まれ、また時にはヘッドフォンで目を閉じてトリップしました。
勿論、地元ビッグ・スリー・バンドらによるコピー曲・カバー曲の迫力ある演奏も時に楽しみました。
そうして時が経ち、
これらの楽曲は半世紀も経た今でも未だ筆者の愛聴盤で、CDではなくレコード盤に針を落として観賞、
未だに新しい発見や気づきがあり、新たな活力を覚醒させ、新鮮さを失うことなく輝き続けています。
彼らの生まれ育った英国の地の真逆の南の小島で育った筆者、彼らの音楽との出会いは最大の喜びで、
最大の幸せです。
最大の感謝です。

( この特集を、筆者と共に高2の1年間ビートルズ・ナンバーを共に堪能した内間正文君に捧げます。)
( 彼の非凡でクリーンなポール似の歌声は、筆者の脳裏にて今も新鮮に鳴り響いています。今頃どこに?)
( ;∀;)
  支離滅裂:脱線昔話、ご容赦

*

この特集が、僅かでも誰かのビートルズとの出会いや再認識の契機になれたのなら、この上ない喜びと幸いです。

「ビートルズこそが、我らの永遠のアイドルでショー!」


またまた長くなってしまいました。
 これにて御開き!

 " All Need Is You Love " 
  By Lennon , McCartney


There are so many their sweet music on our lifetime.
Their beautiful and pure spirits still exist in our heart.
(*^-^*)
Japanese English  By T講師

2019年7月20日土曜日

夏休みのアトリエ、オープン日

「子供たち、夏休みに突入」

市内の小学校、週末に修業式があり、夏休みに突入しました。
それに伴い、学童クラブの方も来週から早朝迎えが始まります。

「お知らせ:夏休みのアトリエ、オープン日」


夏休み期間中のアトリエ・オープン日は下記のとおりです。

7月は20日(土)、21日(日)、27(土)、28日(日)の4日間、
8~9月は3日(土)、4日(日)、24日(土)、25日(日)、31日(土)、1日(日)

の6日間で、合計10回です。


学童クラブの最多忙期間でもあり、また中旬にはアトリエ・学童クラブのお盆休みもあり、
上記のようなスケジュールとさせていただきます。
( 注:上記はキッズ・クラスのオープン日にて、成人クラスはその限りではありません。)

夏休みの宿題の課題ポスターや自由画を製作する際は、早めの来訪・ご予約をお勧めします。
完成に至らない場合は8月末の平日来訪も可能ですが、学童クラブ・メンバーと同室となります。
訪問可能日は相談の上、対応させていただきます。
ご理解のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

みんなの情熱による力作の誕生、期待しています。
(*^-^*)

アトリエ・マイルストン主宰:当真 英樹


2019年7月15日月曜日

ビートルズがアイドルでショー!

月曜日・連日の雨( ;∀;)、気温低し
国民の休日「海の日」
アトリエ3連休の最終日

もはや音楽ブログと化してしまった昨今の当アトリエ・ブログ、
新たな映像(授業風景やその完成作品)の投稿が不可能につき、
今回もまた音楽ブログとして投稿いたしました。ご了承下さい。

「ミュージック・ギャラリー(その367)」


「ビートルズこそがアイドルでショー!」


ここ数日、アイドルの生みの親の訃報に関してのTV情報が氾濫しています。
その時事ネタに筆者なりに思うことが契機となり、今回の特集となりました。

「ビートルズと言うアイドルたち」

ロック歴(聴取歴&演奏歴)半世紀(!)に渡る筆者とは言え、ビートルズの第1世代とは言えません。
そんなロック・ファン半世紀を誇る筆者がビートルズを初めて聴いたのが、小学5年生の時でした。
当時の3~4歳上のネーネーやニーニーらの噂話を耳にして、凄いグループが外国にいることを知り、
件の彼らは「長髪の4人組」でその髪の毛を振り乱して「大音量にてアップテンポの音楽」を奏で、
その音楽を生で聴いた女の子たちが、興奮のあまりに「絶叫して気絶してしまう」とのことでした。
小学生の筆者にはまるで理解し難い現象ながら、程なくして彼らの音楽に接することになりました。

那覇に波の上と言う海岸があり、その堤防部分には海上に突き出た形の数軒のボートハウスが在り、
それら全ての店頭デッキには当時に大流行していた大型の立派なジュークボックスが設置されており、
泳ぎやボート遊びでやってきた若者(主に中高生)や、仕事明けの米兵らで大いに賑わっていました。
海が、泳ぎが恋しくなった夏休みも直前の頃、小5の筆者はそんなボートハウスの1軒にやって来て、
ジュークボックス前でタムロしていた3~4人連れの若い私服米兵の選んだ1曲に衝撃を受けました。
曲が始まるや否やレコードをかけた米兵らが大きな体を揺すって踊り出し、自ら大きな声を張り上げ、
海からの柱で支えられた木製デッキを激しく揺らし、ジュークボックスのレコード針を飛ばす勢いで、
その大音量・アップテンポの今まで聴いたことのない音楽を、それこそ身体中にて堪能していました。
それが筆者のビートルズの音楽との最初の出会いでした。
その後、この曲を何度聴き、それをバックに何度踊ったのか不明なくらい、そこかしこで聴き重ねました。
( 小学生でモンキー・ダンスを、中学時代には件のボートハウスや海上で立ち泳ぎゴーゴーを踊りました。)
その当時の小中学生の持ち金ではジュークボックス料金は安くはなく、もちろんシングル・レコードも然り。
( シングル盤は筆者・中1の時、友人よりジャケット無し中古を25セントで購入しました。新品は1ドル。)

前置き、懲りずに、またまた長くなってしまいました。
ちなみにビートルズのスペルは、BEAT(ビート)とBeetle(カブト虫)の彼らなりの造語です。
世界中の若者たちを瞬く間に虜にした世界初のアイドル「ビートルズ」のご機嫌な1曲を。
映像は彼らが武者修行時代に世話になった地、ドイツはハンブルグでの凱旋公演の様子です。
ステージ後方でウロウロのネクタイ白シャツ姿の関係者おじさんたちが、多少目障りですが、
 " Let's, Rock'n' Roll ! "

ザ・ビートルズ、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」(1964年、チャック・ベリーのカバー曲)
THE BEATLES, " Rock And Roll Music (1964)" Composed by Chuck Berry(1957)

ジョンのカッコ良いボーカルのバックで、ご機嫌にはじけているピアノを弾いているのはポールです。
小5の筆者、ビートルズのこの曲と共に、ポップスのビートにも初めて出会ったような気がします。
その頃、筆者が聴いていたのは兄や従姉妹の影響でフォークの「ピーター、ポール&マリー」でした。
筆者が真にロックに目覚めたのは、中1のストーンズの「サティスファクション」との出会いでした。
ちなみに、
彼らの影響と、米国のエレキ・インスト・バンドのベンチャーズで我が国にもエレキ・ブームが勃発!
多くの中高校生が不良少年・少女呼ばわり(半分は真実・半分は嘘)され、家族との軋轢を生みました。
全国的エレキ・ブームはやがて多くのグループ・サウンズを輩出し、多くのスターを誕生させました。

* * *

1964年1月、フランス公演
同年2月、アメリカに初進出
ワシントン・コロシアムを皮切りに、クラシック界の殿堂カーネギー・ホールにても初公演
人気TV番組エド・サリバン・ショーに2度出演。その際の放映が全米TV史上の最高視聴率を記録。
レコード売り上げによる全米ヒット・チャート1~5位を独占。
同年6月~、デンマーク、オランダ、(英領)香港、オーストラリア、ニュージーランド等の世界公演。
その間にも数々の前人未到の驚異的レコード・セールスを記録、
シングル盤の「抱きしめたい」は1200万枚以上を売り上げる。
外貨獲得の貢献で、エリザベス女王よりMBE勲章を授与される。
等々・・・
その他、各種の既存記録をどんどん更新し続け、ビートルズの4人は時代と世界の寵児となりました。
以下、そのライブ演奏と映像、お楽しみいただければ幸いです。
その当時、P.Aシステムやモニター等も未発達の状況下での熱演です。

ザ・ビートルズ、初期(デビュー2年後)のライブ(イギリス・ロンドン)
THE BEATLES, New Musical Express Show Live (1964)

00:47 She Loves You 03:02 You Can't Do That 05:57 Twist And Shout 08:55  Long Tall Sally 11:20 Can't Buy Me Love

彼らの初期サウンドの特徴の一つでもある、ジョージによるリッケンバッカ―製12弦ギターもオブリ等で活用されて見事です。
プチ自慢かもですが、筆者も同モデルの国産コピー品を所有。コンパクトなヘッドが12弦には見えず、バランスが秀逸です。


さてお次はアメリカでの伝説のライブの様子です。
ビートルズのイギリス国内での人気が決定的なものとなり、その評価が大西洋を渡って本場の米国に飛び火。
十代の女性を中心として着火・点火した炎は見る見る大きく燃え盛り、やがて爆発的な人気を獲得します。
以下の動画は、そんな公演中の演奏録音や映像をコラージュした総集編の一部ですが、ご覧いただければ。
彼らのその当時の演奏っぷり(比較的・良音質)とファンたちの熱狂ぶりが垣間見える仕上がりとなっています。

THE BEATLES  American Tour (3/4), Summer, 1964, 
"Can't Buy Me Love", "If I Fell", "Hold Your Hand", "Boys"


どんどん、行きましょう。(P.C上でいつでもこれらの動画が見られるなんて、良い時代です!)
その当時、野球場(スタジアム)を使用しての大掛かりな公演など存在しない時代のエポック・メイキングな出来事でした。
英国よりやって来たビートルズを一目見ようと米国全土から駆け付けた観客の数、実に5万5千人以上だったとのこと。
そんな彼らと観客らの様子を生々しく伝える伝説のシーンが繰り広げられます。音質悪くもカラー映像でご堪能ください。

ザ・ビートルズ、「シェイ・スタジアムに於ける伝説のライブ」(1965年)
THE BEATLES , Live at Shea Stadium, New York, U.S.A (1965) ,FULL CONCERT

筆者の高校時代に噂では聞いていた「伝説のライブ」映像、正に「お宝」です。
当時のN.Y.の摩天楼や、アメリカのティーン・エイジャー達の服装や髪形など、とても興味深い記録です。
筆者が小~中学生だった頃、故郷に大勢いたアメリカン・スクールの子らと被っているのが感慨深いです。
彼らの演奏中、ステージ脇で見守るマネージャー、・ブライアン・エプスタインのどや顔も印象的です。
どこの公演会場でも規制する側の警察官が付き物で、既存社会の象徴のようにも見えて、面白いですね。

SET LIST
"Twist and Shout" "She's a Woman" "I Feel Fine" "Dizzy Miss Lizzy" "Ticket to Ride" "Everybody's Trying to Be My Baby" Can't Buy Me Love" "Baby's in Black" "Act Naturally" "A Hard Day's Night" "Help!"

一言、圧巻です!
彼らの魅力をいち早く見い出した世界のビートル・マニア(そう呼びます)な女子たち、
彼女たちの多くがローティーン(小中学生)に見えますね。親御さんらも彼女らの熱病に心労多かったかもしれませんね。



さてお次はチョイ出しの細切れ映像集ですが、貴重な我が国でのライブの動画です。
来日した際の彼らの諸々の情報も、南小島の筆者の故郷にも熱く伝わってきました。
アトリエ生徒のHT(東京出身)さん、この貴重なライブを生体験されたとのこと。羨ましい限りです。
そんな幸せな体験者、知人に他にも少数いましたが、彼らが言うには「物凄い歓声で何も聞こえなかった」との事。
でも数ある外国音楽家のよるライブ体験の中でも、ダントツのインパクトであったと異口同音に語っていました。
「いやはや何とも羨ましい~!」


ザ・ビートルズ、「ライブ・イン・ジャパン(武道館)」(1966年6~7月、計5回公演)
THE BEATLES LIVE IN JAPAN (at Budokan)

セット・リストは後ほど追ってアップします。


「アイドルからアーチストへ」

デビューから6年、
彼らの立身出世の大きな立役者の一人である彼らのマネージャーであるブライアン・エプスタインが急死します。
デビュー前の不良風革ジャン姿の彼らを、初期イメージである清潔な背広姿や演奏後のお辞儀などは彼の発案です。
通常の凡庸なタレント軍団ならば、ここで動揺・混乱し、活動も尻すぼみになりそうなものですが・・・、
しかし彼らは違いました。
ビートルズのメンバー4人は、敏腕マネージャーとして辣腕を振るった彼の活動形態や影響をことごとく排除し、
同年、コンサート・ツアーに明け暮れた活動形態を止め、自分たちの欲する音楽に専念することになりました。
中期と言われるその時期に於いて、彼らはひたすらレコーディングに没頭、数多くの傑作を生み出していきます。
今でこそ多重録音が定石になる以前の不便な時代に果敢にあらゆる方法に挑戦し、現在に繋がる基礎を築きます。
やがて自らのレコード会社を設立し、自分たちだけの作品のみならず、新人の発掘や支援も積極的に行いました。
音楽家としての才能はありながらも、商業的・経営的には素人のような彼ら、やがて経営は窮地に立たされます。
但し、しかし、
破滅に近い状態に追い込まれながらも、それでもなお彼らがこの上もなく幸運だったのは一人の男の存在であり、
その彼こそが「5人目のビートルズ」、もしくは「影のビートルズ」と言わしめる程の輝く才能の固まりであり、
彼らの良き理解者でもあるジョージ・マーチンの尽力が陰に日向に彼らの音楽活動を支え、結実させてゆきます。
「ペニーレーン」のピッコロ・トランペット、「イン・マイ・ライフ」のチェンバロ風ピアノ等、極上の歌心です。
マーチンは彼らがチャンプルーした料理を更に美しく盛って飾り、永遠の新鮮な息吹きと彩りを付加しています。
彼がビートルズに成した様々な有形無形の功績は、驚くほど偉大です。

↑上記、
「アイドルからアーチストへ」とのタイトルにしましたが、
元々のアーチストだった彼らがアイドルにもなったのです。
その彼らが「アイドル」と言う衣装を脱ぎ捨てて、元に戻ったと言うのが正しい解釈かもしれません。
以下は、そんな彼らのグループ(バンド)としての帰結です。

* * *

68年、ポールはメンバーが再び結束することを願い、様々な仕掛けやアプローチを試みます。
ドキュメンタリー映画製作もその一つで、レコーディングのためのアレンジや演奏等のスタジオ・ワークを撮影、
加えてその過程で誕生した楽曲をレコード化すると言うのが当初の目論見でした。が結果、うまくいかず、
逆に気持ちのすれ違いや小競り合いや、様々な内紛の様子が露わとなり、結束には程遠い結果となりました。
動画は、映画「レット・イット・ビー」でクライマックス・シーンとなる屋上での彼らの最後のギグの様子です。

世界のアイドルから、自己探求のアーチストへと変貌を遂げた彼らの自信に満ち溢れた潔い風貌が頼もしいです。
また演奏の方も、大ベテランとなった彼らならではの、力の抜けたルーズでユッタリな後乗りビートが快感です。

ザ・ビートルズ、「アップル・レコード本社屋上に於けるゲット・バック・セッション」
The Beatles - Apple Rooftop Concert (1969) Full Video
Get Back, Don't Let Me Down, I've Gotta Feelin',One After 99, Dig A Pony, Get Back #2

ポールの「再生」を図ったこの試みは失敗に終わり、1970年、ビートルズは正式に解散を発表します。
アイドルとしてのビートルズを脱ぎ捨てて、更にアーチストとしてのビートルズをも脱ぎ終えた彼ら、
それぞれが我が道を進み、多くの名曲を再び生み出しましたが、グループならではの醍醐味は薄れ、
結局、彼ら自らの意思と手で産み出した奇跡的存在であったビートルズの勢いを超えることはなく、
時代は移れど、彼らの残した多大な功績を後継者たちは授かり、カバー曲もまた日々進行形で誕生、
彼らが産んだ多くの楽曲が全人類的財産として、21世紀の今日も人々の心を豊かに幸福にしています。
(*^-^*)

* * *

「巻末特別篇」


上の「レット・イット・ビー」のライブ映像で彼らの特集の有終の美を飾ってもらいたかったのですが、
やはり欲張りな筆者、いつもの欲張りぶりが結局出てしまい、この動画をも取り上げてしまいました。
米国のケネディー・センターで行われたポール・マッカ―トニー名誉賞・顕彰式コンサートの模様です。
世界に多大な影響を与えた芸術家を表彰する催しで、過去にはレッド・ツェッぺリンや小澤征爾なども。
楽曲の一部にビートルズ解散後のウイングス時代の曲も含まれていますが、併せてご鑑賞ください。
階上の貴賓席にはご本人のポールや、現役時代のオバマ大統領夫妻ら お歴々の顔も並んでいます。
感動の名演奏オンパレードです。

「ポール・マッカートニー顕彰式コンサート」、於:ケネディー・センター(ワシントンD.C.)

SET LIST

7:50 - Hello Goodbye / Penny Lane (No Doubt) 10:22 - Maybe I'm Amazed (Dave Grohl & Norah Jones) 12:56 - She Came In Through The Bathroom Window / Golden Slumbers / Carry That Weight / The End (Steven Tyler) 17:02 - Let It Be / Hey Jude (James Taylor & Mavis Staples)

歴史に「イフ(もしも)」はありませんが、本来なら「レノン・マッカートニー」名義での受賞であればと痛感します。
中でも特に圧巻なのは、やはり永遠のロッカー、S・タイラーによる筆者も超大好きなアビイロードB面メドレーです。
ゲスト・ミュージシャンたちの素晴らしいパフォーマンスに、あらためてビートルズの偉大さを再認識させられます。
ジョン&ジョージの冥福を祈らざるを得ません。加えて彼らの名お産婆さんジョージ・マーチン氏の冥福をも・・・。

*

「筆者、脱線話」

もはや前世期の遠い過去となってしまったビートルズのアイドル時代のお宝映像を特集させていただきました。
筆者の中~高校時代に彼らの曲を多数レパートリーに加えていました。初期の「マネー」に始まり、
「ユー・キャント・ドゥー・ザット」等、晩年の「ゲット・バック」「レット・イット・ビー」等々。
筆者・高2の頃に組んだバンドのリード・ボーカルのU君がポール似で、しかも歌声もそっくりでした。
ところが演奏の方のフル・コピーを試みるとこれが異常に難しく、彼らの凄味・非凡さがより理解でき、
満足できる結果(カバー曲演奏として)は生み出せず、「様になる」や「絵にする」には至難の業でした。
( その中で、特にあのシンプル極まる「アンド・アイ・ラブ・ハー」、彼らならではの乾いた表現世界。
アマ・プロ問わず、他の世界中のバンドや歌手ですら甘くなり過ぎて、彼らの超俗ぶりを心底実感。)
歌唱力抜群のU君も1年後にグループを脱退。多くのビートルズ・レパートリーを失ってしまいました。
( ;∀;)

相変わらずの支離滅裂、ご容赦。


* * * * * * *

「筆者後記:アイドルに寄せて」


今を去ること30年程前のバブル景気 華やかなりし頃、都心は青山のとある画廊のオープニング・パーティーでの事、
筆者が中学時代に周囲の女子たちに絶大な人気を誇っていた4人組アイドル・グループの一人に会ったことがあり、
その彼は人気者の一人で、クラスの女子らが彼のプロマイドを定期入れに大事に入れていたのを思い出しました。
彼が一世を風靡し元アイドルだと言うことに気がついた人は、企画関係者以外にはほとんどいませんでした。
付き人と共にCDを手売りする姿を見て、アイドルと言う存在が幻想の産物に過ぎないことを実感した次第です。
そんな幻想は本人が創ったものではなく、所属事務所の商業的意図とファンの人たちの集団催眠的心理に依り、
同時に中央のテレビ局の圧倒的な顔出し出演により、彼らの音楽が全国・自動的に大ヒットしてしまいます。
アイドルらの全てを否定する気は毛頭なくも、こと音楽に関しては低レベルで、CDも利益追求の一手段です。
十代や二十代など、若い人々の所有する時間も情熱も、小遣い等のCD購入の資金もまた当然限られています。
そんな状況下、サイン会や握手会の参加特権をエサに、同じCDを何百枚も購入させるような悪徳商法も登場、
お金を積みさえすれば、他者よりも優位性が得られると言うような価値観や風潮にも嫌悪感しか残りません。
同枚数なら、古今東西の素晴らしい感性と個性を発見・聴取する方がベターで、自らの人生も豊かになります。
同じアイドルでも、
自作の詞曲・衣装やキャラ付けや宣伝・ライブの企画等々、全て自ら行う地下アイドルの方が尊い気がします。

我が国の「アイドル」たち、映画の役者やバラエティー番組のタレントとしての存在は頑としてあるにせよ、
こと音楽に関して彼らの才能はあまり褒められた状況ではなく、テレビの音楽番組を学芸会風に下げています。
彼らの露出度が群を抜いていると言うことは、裏を返せば逆に音楽的才能に恵まれた人々の出演の機会を奪い、
全国的認知度や人気獲得ひいては人気上昇のためのプロモーションの機会も与えられていないと言う証しです。
当然なことを言えば、音楽は音楽そのもの(楽曲や歌唱や編曲・演奏等)でこそ成立して欲しいと痛感します。
「イケメン」とか「可愛い」とか外見的な要素を全否定せずも、少なくとも付随要素であってほしいものです。
本質的な音楽自体が軽んじられ付随要素こそが勝り、大手を振る我が国の芸能界・音楽界に呆れ果てています。
実力や才能がありながらもテレビに露出の機会を持たない音楽家たちは多く、理不尽さや無情を感じています。
現在、テレビ界には多くの偏向が散見され、一部芸人(と呼べない下品芸)や大手のタレントらのみが偏重され、
また音楽番組にも関わらず、人気があるとの理由でアイドルらが優遇され、無名に近い新人たちの起用がなく、
またそれら発掘するコーナーをも持たない構成や、世界的に通用する音楽家らを育てないのも残念な現状です。
真に音楽家としての優れた楽曲が放映されない地上波テレビ界に、筆者は暗澹たる思いに陥ってしまうのです。

救いがあるのはインターネットの存在で、地上波ではけっして登場しない音楽家たちの楽曲を耳にする機会があり、
そこから新しい才能や豊かな感性が旅立ち、多くの聴衆の耳に届くことは良いことで、そこに期待するものです。

この特集を企て編集している最中に、
何と偶然にも大手芸能事務所による独占禁止法違反事案が、NHKテレビの緊急速報のテロップで流され、
その直後のニュース・ウォッチ9では、冒頭にて公正取引委員会による「注意」を受けたとの報道があり、
筆者的には甘いなと感じつつも、「我が意を得たり」とばかりに、多少は溜飲を下げることとなりました。
但し、
この事案の当事者の片方である圧力をかけられた側の民放各社、翌日も何事もなかったかのようでした。
「エッ、その後も・・・?全然 !? マジ !?」
「圧力」とは、何も恫喝や強要とかだけではなく、便宜の供与や贈収賄などの犯罪案件をも含まれます。
テレビ界もまた多くのマスメディア同様「報道する自由、しない自由」を口実に、口をつぐむようです。
さすが積年に渡る超偏向業界、どうやら根深さ闇深さ筋金入りのようで、自浄能力 まるでなさそうです。
汚れ歪んだ自尊心なき忖度天国。
( ;∀;)



今回もまた前回と同様に長い長~い特集となりました。(-_-;)
最後までいお付き合いいただいた方がおりましたら、心より感謝申し上げます。
つまみ食いウォッチながらでも、彼らのライブに触れられた方々にも感謝です。
梅雨時のじめじめした時節、多少なりとも楽しんでいただけたのなら筆者的には幸いです。
ご訪問、ありがとうございました。
_(._.)_

By T講師

* * *

「投稿遅延について」

今週半ばには、当特集をアップするつもりでいたのですが・・・、
皆様も既にご存じの先日の京都での大惨事の悲報があり、しばらくの間、当ブログのアップを控えていました。
当アトリエ生徒 兼 クラブ・スタッフのYYさんも大好きな「京都アニメーション」の惨事に衝撃を受けています。
筆者もまたそれなりの動揺があり、当特集アップを手控えていましたが、ここは考え直してアップを行いました。
衝撃深く平常心に戻るには余りにも時期尚早なれど、僅かでも皆様の気分転換の足しになれば・・・。

多くの犠牲者のご冥福や、ご遺族の心身の平癒や、ご負傷された皆様のご回復を祈るばかりです。
筆者も大好きな京都の皆様や、ファンの皆様、全国の皆様、全世界の皆様が、いつの日か共に立ち直れますように・・・。
合掌

当真英樹

芸術は、平和の希求と同義語・・・。
対義語は、破壊・暴力・争い・・・。
人類属性の永劫なるその憎悪カルマにジョン・レノンも命を奪われ、今、京アニの人々もまた・・・。
やりきれない感情と、思考停止の日々・・・。


2019年7月8日月曜日

情念のブラック・ミュージック

月曜日・曇り 一時雨
アトリエは お休み日


先週に続き(否ここ2年間ずっと(;^ω^)ですが)、またまた音楽ブログとなりました。
ご了承並びに、お付き合いいただければ幸いです。

「ミュージック・ギャラリー(その366)」


「情念のブラック・ミュージック」

と、

「白人のブラック・ミュージック」

の小特集です。

梅雨時特集の雨歌は今回はお休みです。
前回で特集した「ブラック・ミュージック」その2と言うことで、今回の当コーナーを企画・編集しました。

「まず始めに」

前回、黒人音楽の雨歌を特集しましたが、当ブログを訪れた筆者の古い友人から苦言をいただきました。
それは大体こんな内容です。その彼曰く、
「ブラック・ミュージックと銘打っている割には、選曲と内容が甘過ぎじゃないか?」と言うものです。
それは確かにそうでしたが、抒情的な雨歌繋がりのバラード曲でのことなので、当然と言えば当然です。
しかも、
不特定多数の方々が当アトリエのこのコーナーに訪れるのですが、余りにマニアック過ぎることは避けて、
これらの曲を懐かしく思う方のみならず、当時の曲をあまり知らない世代(キッズの親世代以下)にこそ、
これらの名曲を聴いてもらいたくて、その端著・入門としてを立ち位置に定め、編集を進めている次第です。
また、筆者自身のエピソードを多少加えることで、その当時の雰囲気や様子を知る手助けとなることも考慮、
加えて、筆者の老い先もそう長くはないことも確かなので、昔話も一興の一つとして記す気にもなりました。
以下、そのような筆者なりの立ち位置・視点にて、当コーナーをこれからも進めていきたいと考えています。
お付き合いいただき、その結果 お楽しみいただければ幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
_(._.)_

さて そこで今回、

でも前述の友の言う「甘め」ではない、逆の世界もまた確かに「黒人音楽」の「黒人音楽」たる所以でもあるので、
今回はそんな中からある一つの曲を取り上げ、今回の特集としてみました。
アフリカ大陸から奴隷として連れてこられた黒人の中には、「ブードゥー教」と言う土着宗教を信仰する者もいて、
それは呪術を是とした民間信仰で、米国南部州各地域やニューオーリンズなどで、その信仰者が存在しています。
今回の「アイ・プット・スペル・オン・ユー」も「お前にまじないをかけた」との意で、その流れが想像可能です。

「第1部:情念のブラック・ミュージック」


異色ブルース・シンガーの最大ヒット名曲、その「まじない世界」まずはお聞き下さい。

スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、原曲「アイ・プット・スペル・オン・ユー」
Screamin' Jay Hawkins (1929~2000), " I Put A Spell On You " (1956)with lyrics

 I Put A Spell On You 
 ( Jay Hawkins )
 
 I put a spell on you. Because you're mine
 Stop the things you do. Watch out, I ain't lyin'
 魔法をかけてやる、お前は俺のものだ !
 いい加減にするんだ、覚悟しろ、嘘じゃない !
 
 I can't stand, No runnin' around,
 I can't stand, No put me down
 我慢できない、遊び回りやがって !
 我慢できない、俺をなめやがって !
 
 I put a spell on you, Because you're mine
 魔法をかけてやる、お前は俺のものだ
 
 Stop the things you do, Watch out, I ain't lyin'
 いい加減にするんだ ! 覚悟しろ ! 嘘じゃない !
 
 I love you, I love you, I love you anyhow
 I don't care if you don't want me, I'm yours right now
 愛してる、愛してる、愛してる、どうしても !
 お前にその気がなくてもいい、俺はもうお前のものだ !
 
 I put a spell on you, Because you're mine
 魔法をかけてやる ! お前は もう俺のものだ !

*

「黒人音楽」ならではの物凄い迫力、いかがでしたか。
今の社会ではもう立派なストーカーそのものですよね。

前世期に発達・日常化できたP.C.に於ける世界的網羅(近隣に規制国あり)のインターネット自体そのものと、
その中のYouTube等の動画の可視化は革新的で、様々な楽しみ・学習・認識を我々に提供してくれています。
もちろん様々な弊害など負の部分もあれど、総括的には現代文明・社会の大きな革新の最大要素の一つです。
それまではレコードやCD等を入手できなければ、様々な音楽を気軽には求められない不便な状況でした。
今でこそ筆者のブログや当コーナーもこうして成り立つ、正に良い時代ですね。感謝 !(^^)! ィェ~ィ!

さて、
原曲を初めて聴いたのは、この曲のカバー曲(高校時代のC.C.R盤)を初めて聴いて10数年程も経った後でした。
ジム・ジャームッシュ監督のデビュー映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984年)」の中でです。
またシンガーの顔・風貌を初めて目にしたのは、やはり同監督の「ミステリー・トレイン」の中ででした。
(「ミステリー~」には工藤夕貴や永瀬正敏も出演。他「ダウン・バイ・ロー」等3本、筆者の超お勧めです。)
その眼光鋭い「ヤバい」表情、この曲同様、今も忘れられないインパクトでした。



さて2曲目は同曲の黒人女性ジャズ・ボーカル・バージョンです。
クールなストリングスにブルース・ピアノ、ブルースそのものの歌唱、お楽しみ下さい。
黒人女性歌手の元祖ビリー・ホリデイの歌唱に通じる虚無的・退廃的な編曲が秀逸です。
歌詞が一部、異なります。

ニーナ・シモン、「アイ・プット・スペル・オン・ユー」
Nina Simone, " I Put A Spell On You " with Lyrics

懇願風な歌唱が味わい深く、後半部からのテナー・サックスとの絡み(call & response)も絶妙です。
歌詞のain't ~はam notや isn't等の口語表現で、そのスラング風ニュアンスは下品さをも伴っています。
ま、それが大衆音楽であり、その幅広い支持が得られると言うもの。上品さとは対極の俗世間文化です。
黒人音楽はそう言う背景を自らの武器に換え、やがては白人たちにも支持されていった経緯があります。
筆者が米国音楽を好むのもそこらに一因があり、クラシック(特にバロック)も好きですが対極も魅力です。
いわゆるジャンク・フードの、しかも濃い口ごった煮 (チャンプルー) 風エグ味の捨て難い魅力そのものです。
( 今夜もまた筆者のお酒は進んでしまいそうです。)
(*^-^*)

*

さてここからが、白人たちのブラック・ミュージックの第1部です。
上記のような(従来の西洋音楽にはない)新た(過剰?)な表現に卓けた音楽に魅せられた白人たちも出現、
シャウトやスクリーミン(絶叫)やフェイク(コブシ)等の唱法や力強いビート感を自らの感情表現として、
チャック・ベリーらのロックンロールが登場し、白人のエルビス・プレスリーらがそれに倣い全米規模に拡散、
従来の音楽界に新風を巻き起こし、やがて一大旋風となって、若者らの圧倒的支持を得られるようになりました。

前々回の当コーナーで少々言及した当曲が、今回の特集を呼び寄せました。
前々回の当コーナー「雨歌・反戦歌」登場の、筆者の大好きなアメリカン・ロック・バンドの早速の再登場です。
このカバー曲ではその黒人音楽的なエグ味表現たっぷりな唱法とエグ味あるギター奏法の2点を味わって下さい。
( 歌詞が一部、異なります。)

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Creedence Clearwater Revival , " I Put A Spell On You " (1969)

筆者、高校1年生の時に出会った曲、その衝撃は相当なものでした。
愛する女性に向けた怒りに近い情念の歌唱と共に、切々と歌い上げるギターの旋律と音色が感涙ものです。
動画内の間奏部、Instrumental.......,この間こそが言葉を超えたギター弾きの感情や魂が宿っているのです。
力強いピッキングによるドライブ感と、その際に時々発生する弦の泣き(ハーモニクス)が味わい深いです。
ロックに必要なのは、超絶技巧などではなく、歌心だと言うことを知らしめた記念碑的名曲となりました。



筆者得意の「脱線・昔話」


当ブログにても度々言及している筆者若かりし頃のオキナワ時代の逸話(プチ自慢?)を少々・・・。

遥か昔の筆者・高2の時、入手したレコードをバンド・メンバーに聴かせると、全員が揃ってその熱演に感動、
早速レパートリーとして取り入れることに決定。1枚のレコードを貸し借りしてそれぞれがパート・コピーを行い、
バンドの練習時に合奏することになりました。そしてその記念すべき初日、初めての演奏がスタートしました。
自分たちで言うのも何ですが、メンバーそれぞれが中学時代よりのコピー百戦錬磨の達人たち、完成度は高く、
物真似が巧みなボーカル兼サイド・ギターのA君、ジョン・フォガティー並みの濁声でしっかり歌い始めました。
ドラム担当の筆者もコピーを終えていたので、皆の出来映えに満足。次はいよいよリード・ギターの間奏です。
リード・ギター兼コーラスのI君(本当は全員名前の呼び捨て)、見事なピックさばきで名演ギターの披露を開始、
さすが歌心をうまく再現するのに長けているだけあって、初日ながら最高の出来です。ところが・・・、
I君の出色のコピー熱演に聞き入りながも、どこからか異様な匂いがし始めました。「ん?オーバーヒート?」
しかし初演奏を途中で止めるわけにはいかずに最後まで続け、最高の出来映えでめでたく終了しました。
初合奏が終わるや否や、リード・ギター担当のI君が大袈裟な動きを伴って叫びました。
「あちーっ!あちーっ!」
何と彼のギターのヘビー仕様の分厚い三角形のピックの先端が三方共に丸くなっており、握る指も黒く変色、
狭い室内で焦げる匂いが発生していたのはアンプ類ではなく、何と彼の弾くピックが焼けて焦げていたのです。
ギター全弦を16分音符の高速ストロークで弾き倒し、その際 厚いピックと鉄弦の凄まじい擦(こす)れで高熱が生じ、
それが異様な匂いの発生源で、メンバー全員で初練習の成果を満足し合い、益々この曲が大好きになったのです。
(筆者注)
当時のオキナワにはライト・ゲージやスーパー・ライト・ゲージ(本土のバンド御用達)など販売されておらず、
レギュラーと言うメディアム・ゲージか、もしくは更に太いヘビー・ゲージの2種類しか存在しませんでした。
そのような弦だとチョーキングもままならず、逆に日々の鍛錬で力強いピッキングができるようになりました。
( 本土で圧倒的人気だった細い弦だと、そのサウンドも貧弱で、図太い骨太なビートは得られないものです。)
( またパワーもアンプ等のボリュームで出すのではなく、楽器の手前のピッキング自体で創り出すものです。)
上から目線、ご容赦。
当時のオキナワのプロ・バンドをはじめ、筆者らアマの高校生たちも皆その硬い弦使用にて演奏していました。
そんな訳で、バンド練習する度に1回平均で3~4枚のピックが消滅、ギター弦も二人で3~4本を切ってしまい、
筆者のドラムもまたリムショットを多用していたために、太目のスティックでも1~2本は折っていました。
でもそれが結果的に力強いパンチや粘りビートを生み出していた要素の一つでもあったと後年気づきました。
( 高校卒業後、上京して体験したアマ・プロ問わずほとんどのロックバンドが、虚弱体質に聞こえました。)
再度の上から目線、ご容赦 <(_ _)>

コザの町で米兵相手に連夜ロック音楽を演奏するプロの先輩ギタリストたちも、そんな硬い弦使用にて、
フレットが短期間に著しく摩耗し擦り減り、ギターやベースが1年弱で演奏不可能になるとのことでした。
その当時、オキナワにはギターの修理は出来てもフレット交換まで手掛ける専門的クラフトマンは存在せず、
ネックを取り換える(フェンダー社製は可能)か、又は涙を呑んで廃棄処分にするのが実態とのことでした。
以上は大袈裟なホラや、昨今 巷で耳にする流行語の「盛り」等が少しも入っていない事実そのままの昔話です。
現在は本土から専門的リペア・ショップ(京都の有名楽器店)も何軒か進出、充実した環境となっています。

何はともあれ、数あるカバー曲のこのC.C.Rバージョンの「アイ・プット~」が、筆者の一番のお気に入りです。
!(^^)!



白人による当曲カバー、続けて2曲、YouTube上より更にお借りしてきました。
稀代のロック・ギタリストのジェフ・ベックとジョス・ストーンのイギリス勢デュオのライブ、お楽しみ下さい。

ジョス・ストーン&ジェフ・ベック、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Joss Stone & Jeff Beck , " I Put A Spell On You "  Live 2010

ジョスの熱唱に、ブルースに魅了されていた孤高にして夭折の歌姫、故ジャニス・ジョプリンの影響が伺えます。

*

最後はフランス人シンガーによる当曲のカバーです。
ホット&クールなバリトーン・ボイスが魅力的です。

ガルー、「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」
Garou ( French ),  " I Put A Spell On You " 


懐かしのシュア―社製(Made in U.S.A)のビンテージ骸骨マイクが良く似合っていますね。

* * *

以上で終わる予定でした。が、何せ欲張りな筆者、ついでに聴きたくなった曲も多数で、その中から3曲ほどを追加しました。

「第2部:白人のブラック・ミュージック」

「黒人音楽に魅せられたシンガーたち」


前世期(!)60年代の英国の若者(主に不良少年)たちの間で、米国の黒人音楽が大流行しました。
黒人たちが創り築き上げたブルースやロックンロールに、社会に対する反逆の匂いを感じ取り、
ビートルズやローリング・ストーンズ、クリーム等、ブルースやR&Bをリスペクトするバンドが登場、
閉塞感著しい英国内で人気を博し、やがて大西洋を渡って黒人音楽の源・米国へと逆輸入されました。
1960年代後半~、
かの「ブリティッシュ・インベージョン」と言われる大潮流で、それが米国の白人の若者たちにも飛び火、
保守的な組紐に飽き足らない米国の若者らによる音楽界は一気に「黒人音楽」源流ロックで染まりました。

そんな風潮に火を点けた張本人の一人(バンド)が彼らです。
アメリカ南部で歌い継がれていた「売春宿」をモチーフにした民謡(フォークソング)を遠く英国で歌い上げました。
前回当コーナーでも少々言及しましたが、「黒人になりたかった不良少年」の歌いっぷりが圧巻で見事です。
( 脱線余談ですが、筆者が初めてギター・コードを覚えたのは当曲のアルペジオで、中1の1学期でした。)
その不良少年だったエリック・バードンの黒っぽいソウルフルな歌唱と同時に聴いていただきたいのは、
感情移入に不向きだった鍵盤楽器(エレクトリック・オルガン)を駆使した間奏も共に圧巻で聴き応え充分です。

ジ・アニマルズ(イギリス)、「朝日のあたる家」(1964年)
The Animals, " The House Of The Rising Sun "



20世紀を正しく代表すると言っても決して過言ではない音楽家ビートルズの楽曲からも一つだけ紹介します。
彼ら最晩年の稀代の傑作・名アルバム「アビイロード」(筆者の超々愛聴盤)の中の1曲です。
彼らもその初期に於いて、黒人音楽に多大な影響を受け、そのカバーも多く演っています。
現在、YouTube上に英詞の動画なく残念ですが、下動画を選びました。
冒頭からR&Bテイスト満開ながら、特にサビ部分の凄味は圧倒的です。
ギターのカッティングやポール自身のベースの粘り感も極上な味です。
天才中の天才ポールの非凡でソウルフルな歌唱、とくと堪能ください。

ザ・ビートルズ (歌:ポール・マッカートニー)、「オー、ダーリン」(1969年)
The Beatles, " Oh Darlin' " from there last Album " Abbey Road "




そして今回特集を締めるのは、この歌手この曲です。
御本尊・総本家の米国自身からは、白人ロック&ブルースの女王ジャニス・ジョプリンです。
彼女もまた英国の少年たちと同じく、社会に順応できなかった不良少女の一人で、その歌は唯一無二・無比でした。
上のビートルズの「アビイロード」同様、筆者の愛聴盤の一つのデビュー盤「チープ・スリル」の中の1曲です。
英国の歌姫・故エイミー・ワインハウスや、国内のスーパーフライさん等に多大な影響を与えた伝説の天才です。
曲の方は、米国人らしさを具現化した作曲家ジョージ・ガーシュインの1935年作の名曲です。
原曲をこれでもかと言わんばかりに自己流に料理し過ぎてしまったことに批判もある歌唱です。
お聞き下さい。
我々男性には決して真似ることの出来ないジャニスの魂の雄叫び(!?)を。

ジャニス・ジョプリン、「サマータイム」(1968年)
Janis Joplin, with Big Brother & The Holding Company,

Summertime, Child, your living's easy. Fish are, fish are jumping out And the cotton, Lord, Cotton's high, Lord so high. Your dad's rich And your ma is so good-looking, baby. She's a-looking pretty fine to me now, Hush, baby, baby, baby, baby now, No, no, no, no, no, no, no, Don't you cry, don't you cry. One of these mornings You're gonna rise, rise up singing, You're gonna spread your wings, child, And take, take to the sky, Lord, the sky. But until that morning, Honey, n-n-nothing's going to harm ya, No, no, no no, no no, no... Don't you cry — cry.

筆者らバンド・メンバーの4人全員が彼女のデビュー・アルバム(当時はLPレコード)を買ったほどの大のお気に入りでした。
その気持ちが高じてギター担当の二人など、レパートリーにも出来ないのに(歌唱コピー不可)、ツイン・リードをまんま完コピ。
流石に物真似上手なボーカル兼サイド・ギター担当のA君ですら真似できずに、ほとんどカラオケとして時々演奏していました。
カラオケと言う言葉のない時代、「笑わないから歌えば」と所望したのですが、真似るのと笑わないでいるのは至難の業でした。
半世紀経った今でも、彼らメンバー(今ではタダの三線好きなお爺ちゃんたちです)の真剣真顔な表情と演奏が浮かんできます。
(*^-^*)



結論

「黒人音楽」が米国の他の民族やその音楽に与えた影響は、一口で言えば強力な「パワー」と「ビート」だと思います。
その強力なるパワーとビートを以って、喜怒哀楽の最大限の自己表現を可とし、西洋文明社会に殴り込みをかけました。
押しかけられた社会や世間は当初こそ抵抗し排斥もしましたが、次第に若者から浸透し認められ、今や米国音楽の鑑です。
その世界網羅的な社会的影響は計り知れず、今世紀も変わらぬパワーとビートと情熱で今日を明日を切り拓いています。

以上、「ブラック・ミュージック」のその2をお届けしました。
楽しんでいただけたのなら幸いです。

*

「投稿後、追加版」

↑以上で一旦 終わったのですが、欲張りな筆者ゆえ翌日に更に追加をしました。
当コーナー「白人のブラック・ミュージック」の最後を飾ったジャニスですが、
そのジャニス・ジョプリンの最晩年の貴重映像をYouTube上からお借りしました。

前述の「サマータイム」は衝撃のデビュー・アルバムからでしたが、追加版は彼女のラスト・アルバムからです( ;∀;)。
アルバム収録中に急死されたので、同アルバムには歌なしのカラオケのみも収録されていると言ういわく付きの名盤です。
もう今回特集の「白人のブラック・ミュージック」の範疇をも超えてしまった彼女自身ならではの唯一無二の世界です。
天才シンガー最後の映像、併せて御覧(お聴き)下さい。

ジャニス・ジョプリン、「ムーヴ・オーバー」スタジオ・ライブ
Janis Joplin , " Move Over " studio live
. From THE DICK CAVETT SHOW. June 25, 1970.

このTV(スタジオ・ライブ)が収録された直後、ジャニスは麻薬による急性中毒で亡くなりました。
レコーディング中だった遺作アルバムの「パール」は、その死後の翌年(1971年)に発表されました。
中には「生きながらブルースに葬られて」がカラオケ、もう1曲がアカペラの仮録音で収められています。
生前の来日はなく残念ですが、筆者らはオキナワ・ロック界の歌姫・喜屋武(きゃん)マリーの熱唱で親しんでいました。
そのライブの際のキャンプ・ハンセン(海兵隊基地)所属の戦地へと赴く米兵らの熱狂ぶりは異常な盛り上がり方でした。

ジャニス・ジョプリン、享年27歳。
合掌

以上、欲張り追加版をお届けしました。これにて全終了。
インターネット様様、YouTube様様です。

* * *


「筆者後記」


7月4日は「アメリカ独立記念日」でした。
本土ではあまり知られていませんが、祖国復帰前のオキナワでは盛大な催しが行われていました。
普段は立ち入り禁止の基地の多くも開放され、基地間の無料シャトルバスも運行されていました。
かつて戦争・兵器マニアだった小学生の筆者は、軍艦や潜水艦や戦車等を喜々として楽しみました。
筆者は未経験ですが、塔の上からのパラシュート降下訓練や機関銃の空砲射撃も行われていました。
軍楽隊によるパレードやマーチをも存分に楽しみ、その目映ゆさや勇ましさに圧倒されたものです。
まるで異国に瞬間移動したような多くの米人家族らに囲まれながら、各種のゲームも楽しみました。
今よりも何倍もの米国人が居て、那覇の街を北へ一歩踏み出すと、そこはまるで異国のような趣で、
ラジオからは今回の上記特集のC.C.Rやジャニスの曲が流れ、またそれらが良く似合う街並みでした。
今は遥か遠き昔の半世紀も前の、楽しくも哀しい異民族軍政に支配の故郷オキナワでの思い出です。
その故郷も一足先に梅雨が明け、今頃 青空・白銀雲の下、海と緑葉が照り輝いていることでしょう。



アトリエ・キッズだったTJ君とKJちゃんが欧州より1年ぶりに来日。
先週末、筆者自宅にて米国人父ら一家と共に旧交を温め合いました。
TJ君KJちゃんの二人はもうすっかり筆者の身長を優に抜き去り、いつの間にやら温和な紳士淑女に。
赤子だった末妹のRちゃんも日本で言えば小4になり、アトリエで美しい水彩画を2枚仕上げました。
TJ君は昨年の夏休みにも学童クラブのアシスタントをやってくれて、大いに助かりました。
英会話講師をはじめ、今年もお手伝いしてくれるそうで、頼もしい援軍の活躍に期待大です。

By T講師

昨今の当コーナー同様に長々となってしまいました。
お楽しみいただけたのなら幸いです。

* * *

「アトリエお休み日のお知らせ」


今週末7月13日(土曜日)より15日(月曜日「海の日」の祭日)までの3日間、
アトリエはお休みさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

アトリエ・マイルストン主宰、当真 英樹

2019年7月1日月曜日

梅雨時のブラック・ミュージック

月曜日・曇り 時々 雨・多湿
アトリエ・お休み日

美術教室のブログながら、まるで私設・音楽ブログのようです。
ご了承ください。

「ミュージック・ギャラリー(その365):雨歌ー3」


前置き、前回同様に長くなります。
ご興味のある方はお付き合いいただき、そうでない方は飛ばして即 動画の観賞をお楽しみ下さい。

「アメリカ黒人音楽の成立とその台頭」


上記、表題をごくかいつまんで(いわゆる大雑把に)言及してみたいと思います。

アメリカ音楽が世界に冠たる偉大な存在になれたのは、とりもなおさず多民族の融合に起因しています。
英国発のアングロサクソン、南欧系のラテン民族、ドイツ系のゲルマン民族、東欧系のスラブ民族等々、
それらの人々が19世紀末より欧州各地から移民、アイルランド系やその他の伝承音楽と入り混じり融合、
また英国由来の産業革命後に欧州から移入した資本家と、建国に際しての技術と資本の蓄積が功を奏し、
その後(第一次世界大戦(1914~18年)前後の状況は今回はスルーです)、
1929年のN.Y.金融界発の世界大恐慌を被りながらも、大量生産と消費、大衆文化の胎動は更に増大し、
20世紀初頭には、重厚長大なる商業化に成功した米国産業界のダイナミズムは音楽界や業界にも波及、
エジソン発明の蓄音機やラジオの普及も、現代へと繋がる大衆音楽の大量生産と消費を生み出しました。

アメリカ音楽が特にこれまでの西洋中心の音楽界とは異なる発展が可能となったのは主に次のような点です。
その理由は、
特に黒人音楽からの影響が顕著で、アフリカ大陸起源の打楽器のビートによるリズムの導入は画期的でした。
米国黎明期には主に南部で奴隷として大農場の農作業に赴き、その集団労働の中からワークソングが生まれ、
やがてそれは霊歌(スピリチュアル)や初期ブルースへと変化、キリスト教の普及と共にゴスペルにもなり、
やがて奴隷から解放。多くの黒人たちが66号線にて北上、五大湖周辺の工業地帯へ職を求めて大移動を開始、
人工増加に伴い中心部のシカゴでは娯楽としての音楽需要が高まり、そこへ多くの黒人音楽家たちが職を得、
従来の西洋音楽とは異なる楽譜や様式に依存しない新しい音楽形態を展開、大衆の需要を満たしました。
一方、南部へ残った黒人たちの中からジャズが誕生。西洋音楽で使用された管楽器などを駆使して演奏。
奴隷時代の艱難辛苦やその後の社会的差別等を背景に、西洋音楽的には異端であるブルーノートが生まれ、
それが黒人特有のリズムやビート感と相まって、従来とは異なる米国ならではの新しい音が創造されました。

筆者注:「ブルーノート」とは?
曲調がメジャー(長調)の調性時においても、その和音の積み上げにマイナー(短調3度)を用い、独特の憂いを表現。
西洋音楽の概念からすれば間違った調性で、それと共に不協調的な短7度のセブンス・コードも好んで用いられた。
黒人発祥のブルース(BLUES)のブルーとは憂鬱・陰鬱等を表す言葉で、歌詞だけではなく曲調をも指しています。
更に微妙さに言及すれば、西洋音階の半音以外の音階(?)も存在し、それが各地域や個々の個性にもなりました。
( 脱線話し:それが伝承音楽と言うもの。絶対音感に恵まれた友人知人には、雑音に聞こえて鑑賞不可とのこと.)
( 従ってエレキ・ギターのチョーキングや、ブルースハープ(ハーモニカ)のフェイク等は到底受容できないそう。)
「味」知らずの無菌室クラシック・ピアノ育ち、かわいそ (;^ω^)

この上記2点と、黒人ならではの力強いビートが加わり、人生の喜怒哀楽等の感情表現が豊かになりました。
やがてそれらの演奏形態が全米へと普及、他の移民たちの持ち込んだ伝承音楽等と結合しながら発展しました。

第二次世界大戦後(こちらもスルー)、
都市部で誕生したフォー・ビートのエレクトリック・ブルースを根幹に、エイト・ビートのロックンロールも誕生。
それは人種的な垣根を超えて白人の若者や労働者たちをも魅了。その中から歴史的に偉大な音楽家も登場しました。
そして第2次世界大戦終了後の50年代、ロックンロールやジャズは国境をも超えて世界にそのサウンドは飛び火。
ジャズでは晩年 国連の音楽大使にも抜擢された人間的にも大きなルイ・アームストロングの活躍・功績も多大です。
ロックンロールではエルビス・プレスリー(白人)等、ジャズではマイルス・デイビスらが登場。世界的な市民権を得て、
その後は現在に続く多くの偉大なるフォロワーたちを輩出。黒人ならではの特徴を如何なく発揮することが可能となり、
遠くヨーロッパの国々や東洋の我が国にも多くの音楽的・文化的影響を与え続け、21世紀の今日に至っています。
その間、黒人音楽は上記ジャンルから更に新しい脈動が生まれ、R&Bやソウル、ファンクやヒップホップ等も登場。
世界中の国々の音楽界やファッション・風俗文化等に多大な貢献・影響を及ぼし、21世紀の今日に至っています。
( 充分な推敲のない舌足らずな駄文・雑文、お読みいただいた方に感謝申し上げます。)
_(._.)_


お粗末な前説、長くなりました。
今回はそんな偉大なる黒人音楽の中から、雨にまつわる楽曲を取り上げてみました。

前述にはありませんが、黒人音楽に共通する特徴として民族的に卓抜したその身体的優位性にあります。
遥か原初の頃よりアフリカ大陸で培われた狩猟文化等による肉体的俊敏性や発声が、音楽にも充分に活かされています。
その立派な体躯を駆使し、豊かな声量を用い、憂いある歴史をも結果的に活用し、芸術的表現者としての地位を確立しました。

当コーナー久々の再登場です。
ロック音楽に明け暮れた筆者の10~20代前半、その合間に故郷や東京のクラブで聴き、チークダンスを踊った思い出の曲です。
雨の情景描写や情緒のたっぷりなアダルトなフィーリング、お楽しみ下さい。

ブルック・ベントン、「レイニーナイト・イン・ジョージア」(1970年)
Brook Benton, " Rainy Night In Georgia " with Lyrics

昨年、逝去したトニー・ジョー・ホワイト(白人男性)の名曲を、黒人ならではのテイストで歌い上げています。
ハモンドの響きやナチュラルな音のエレキ・ギター、ドラムの抑制の効いたシンバルやクローズド・ブラッシュ等、
しっとりとしたアダルトなバック演奏は、筆者にとっては快感です。


カバー曲好きな筆者、今回もまた同曲の別バージョンを取り上げました。今度は女性シンガー・バージョンです。

ランディー・クロフォード、「レイニー・ナイト、イン・ジョージア」
Randy Crawford, " Rainy Night In Georgia "

こちらのカバー曲も上のB・ベントン版に倣っていますが、女性ならではの繊細さが加味されて良い雰囲気です。


さて「雨歌」特集でこのコーナーを始めたのですが、筆者得意の脱線をも始まってしまいました。なおもお付き合いを。
R・クロフォードのハスキーな歌声と、歌詞に電車が登場するのを、筆者の連想で次の曲も聞きたくなってしまいました。

またジョージア繋がりだけではなく、動画冒頭の駅のシーンは何と雨にけぶっていると言う偶然もありました(*^-^*)。

こちらもまた元はと言えば、ジム・ウェザリーが前年に出した「Midnight Plane to Houston」のカバー曲です。
ではお聞き下さい。20世紀米国の黒人音楽が産み出した珠玉の傑作を。

グラディス・ナイト&ザ・ピップス、「夜汽車よジョージアへ」(1973年)
Gladys Knight & The Pips , " Midnight Train To Georgia "

バラードでありながら、歌唱の節々で登場する黒人独特のコブシや節回し、シャクリ等、快感です。
この哀愁感を聴いているだけで もう気持ちよくて、傍らのお酒がグンと進んでしまいます (#^.^#)。


「脱線歌2曲、またもや登場」


ブラック・ミュージック繋がりで「雨歌」以外も聞きたくなってしまいました。
その頃に流行った美しいメロディー&ハーモニーの名曲を・・・。

スリー・ディグリーズ、「天使のささやき」(1974年)
The Three Degrees, " When Will I See You Again " with Lyrics

こちらの女性3人組のグループは、どちらかと言うと黒人音楽の持つエグ味は少なく、洗練された味わいが快感です。
動画内に登場する数々の美しい花々の映像と共に、切ない詞のその涼やかなハーモニー お楽しみ下さい。


*

ここまで来たら、この曲も聴きたくなってしまいました。
上の70年代から時代は少しばかり、現代に近づきました。
この歌もまた黒人音楽ならではの歌唱が胸に迫ります。
その当時、結婚式の定番となった名曲、お聞き下さい。

アトランティック・スター、「オールウェイズ」(1987年)
Atlantic Starr, " Always "

ロマンチックそのものですね。歌詞もまたtoo sweet!で、結構こそばいですが・・・。
(*ノωノ)


梅雨時の「雨歌」特集にて、今回はムード溢れる黒人音楽のバラードばかりを取り上げました。
遠き昔の筆者としては、60年代後半のイギリス発祥のブルース・ロックに端を発し、黒人音楽に目覚めました。
クリームのエリック・クラプトン、レッド・ツェッぺリンのジミ―・ペイジらがブルース・ギターの魅力を伝え、
ロンドンの不良たち ローリング・ストーンズの数多くの黒人音楽カバー曲もまた筆者をブルースへと導きました。
その後、シカゴ・ブルースのアルバート・キングやオーティス・ラッシュ等のごついギターと歌唱が好きになり、
連鎖的に、更にアコースティックなカントリー・ブルースのライトニン・ホプキンス等の渋さにもハマりました。
来日時のアイク&ティナ・ターナーや、赤坂で経験したライブ時の黒人バンドのホーン・セクションの迫力たるや、
もう雷鳴のような大迫力があり、その耳をつんざくような金属的なキレはまるで鋭利な刃物のような鋭さでした。
とは言え、エグ味タップリの肉体派的サウンドには食傷気味にもなり、LP1枚の全ては到底聴けませんでした。
嗜好とは不思議で、ビートルズやツェッぺリン等のロックなら大音量で最後まで聴いても飽きなかったのですが。
とは言え、20代半ばに目覚めたジャズは今も大好きで、コーヒーやお酒のお供に欠かせない連れ合い的存在です。
20代後半から30代には、ロックと共にジャズやブルースの来日公演にも度々足を運び、その魅力も満喫しました。
最晩年の故カウント・ベイシー(ビッグバンド,P)や故アート・ブレイキー(Ds)らの熱演も心に焼き付いています。

故郷では黒人との混血の友人も若干いて、その体躯による走り等の身体能力、眼光の鋭さ、舌を巻いたものです。
高校生の頃、友人の1人が大の黒人音楽ファンで、当時 来沖したあのジェームズ・ブラウンも見に行った時のこと。
そのライブ会場は何と闘牛場で、観客のほとんどが黒人米兵で、その盛り上がり方は激しく熱気に包まれていて、
当時の故郷の米兵相手の歓楽街にも人種的区域があり、その鬱憤でも晴らすが如く黒い拳が宙に乱舞していたとの事。
その彼、所有レコードの全てがR&Bやソウルばかりで、筆者らのバンドにもソウルをやれ!と日々主張していました。
彼の部屋はブラック・ライトで照明されていて、壁にはカーリー・ヘアー黒人の大きなイラスト・ポスターがあり、
その部屋の醸し出すある種 淫靡な雰囲気はまるでアメリカの場末のバーのようで、今も脳裏に焼き付いています。
(;^ω^)
今では疎遠になって確認も出来ませんが、この年齢になってもそれらの音楽が趣味なのか尋ねてみたいものです。
年端を重ねた筆者も音楽的嗜好が淡泊気味となり、ソウルフルなアルバムには手が出なくなってしまいました。
若い頃の肉食派のステーキ好きから、今や一夜漬けや煮物などの野菜を好むようになってきた今日この頃です。
(*^-^*)


「オマケ:脱線して、再び雨歌に戻り・・・」


最後にオマケの曲をお届けします。
次の演奏家は欧州はデンマーク出身のハーモニカ奏者で黒人音楽家ではありませんが、縁が無いわけではなく、
黒人音楽家のようになりたかったエリック・バードンと言う英国の歌手の作ったバンドにも参加しています。
E・バードンはアニマルズのリーダー兼歌手で、米国南部の民謡を歌った「朝日のあたる家」は傑作中の傑作です。
その彼と「ウォー(戦争)」と言うバンドを結成し、黒人音楽の影響を受けつつ、無国籍的な演奏活動を行いました。

今回の「雨歌」は雨情緒の方ではなく、筆者的にはどちらかと言うと雨の合間の爽やかな晴れ間を感じてしまいます。

リー・オスカー、「ビフォー・ザ・レイン」インストルメンタル(器楽曲)(1978年)
Lee Oskar, " Before The Rain " ( Instrumental )

「雨の日」には「雨の日」ならではの情緒を楽しみ、そしてその「晴れ間」にはその時ならではの情緒をも充分に堪能し・・・。
結局、両得を満喫できる方が日常も人生もまた楽しからずや、と言うことで、まとまりのない今回コーナーを終えることにします。

雨の日に、そしてその晴れ間に、一幅の清涼剤として楽しんでいただければ幸いです。

天候により気温の寒暖差の激しい時節、健康には充分留意して体調崩さぬよう過ごしましょう。
水分・睡眠は充分に。
😊

By T講師


2019年6月24日月曜日

筆者、高校時代の雨歌・二題

月曜日・冷雨
アトリエお休み日


「ミュージック・ギャラリー(364):雨歌ー2」


前置き、長くなります。
御関心のある方、お付き合いくだされば幸いです。

さて前回に続いて、今回もまた20世紀アメリカ音楽の中の「雨歌」をお届けします。
が、
アメリカン・ポップスとは記さなかった筆者自身のそれなりのこだわりの訳があり、
敢えて米国の従来の音楽業界が造り出した延長線上ではないと言うスタンスを強調してみたものです。
では、筆者がこだわるポップスとロックの一線を画す境界や違いがどこにあるのかと言うと、
前者が伝統的な業界によるプロデュースの下、各事務所が見い出した歌手に歌わせる曲を、
売り出すイメージを基にプロの作詞家や作曲家に3分以内の新曲を依頼し、ヒットを狙うと言う手法。
片や後者のロックは業界発ではなく、その逆に既成の社会構造に不満を持つ若者たち自身の創作物。
その草創期に於いては、色々な理由で大人たちや社会から激しく非難され、放送規制等も行われ、
歌唱や動作が卑猥だと断罪され、一部の歌手たちのレコードが教会関係者に焼かれたこともあり、
それだけ世間に与えた影響は大きく、ロック音楽が持つ若者に対する影響力の強さが伺われます。
(但し、その後ロック界も産業化し、若者発の独自性やメッセージ性も次第に失われていきます。)



筆者が高校に進学した頃、米国はベトナム戦争の真っ只中。戦場は泥沼化し、厭戦気分が顕在化。
反体制・反戦平和を標榜するフラワー・チルドレンによるヒッピー文化の台頭で、米国内も騒乱化。
そんな中で多数の反戦歌手や反戦歌が生まれ、都市部の大学生を中心に支持され、ヒットしました。
ジョーン・バエズ、バリー・マクグヮイヤ―、ジョン・セバスチャン等がその代表的シンガーです。
時を同じくして大掛かりな野外コンサートも隆盛を極め、伝説的なウッドストックでの名演も生まれ、
上記のJ・バエズやJ・セバスチャンの名歌唱も米国音楽界の記念碑的歴史の1ページを見事に飾り、
今回のC.C.Rもその晴れ(?)舞台に登場、雨降り注ぐ中で演奏した際の思い出が2曲目の詞にも結実。

今回のこのコーナーもまた前回の続きの「雨歌」ですが、実はこの2曲、裏のテーマがありました。
その裏テーマは「反戦」。
YouTube上の動画にも、その裏テーマに沿った動画も複数あるも、転載不可のブロックが施されており、
筆者としてはその衝撃的なブロック版の動画を是非にでも取り上げたかったのですが、やむなく断念。

歌詞の晴れた日の雨は、単に「お天気雨」や「キツネの嫁入り」などの気象を歌ったものではなく、
歌詞の裏テーマの指すところは、米国でも広く知られているのですが、爆弾を意味しているのです。
曲発表当時、米国は泥沼化したベトナム戦争の真っ只中。敗色も濃く、若者を中心に厭戦気分が蔓延、
CCRの主力メンバーのフォガティー2兄弟もまた兵役に就き(兄には沖縄駐留歴も有り)、時代を共有。
(その影響が推定されるグリーン・リバーやボーン・オン・ザ・バイヨウには琉球音階が登場します。)
米国民としての自らの複雑な立場と心情(筆者推量)を敢えてボカして楽曲に乗せたものと思われます。


今回は英詞と和訳の両方が網羅されているバージョンをお借りしました。
その製作者も雨に身をすくませる鳩を字幕の背景に選んでいて、裏テーマを意識されているようです。
CCRならではの虚飾を排したストレート・ロックのビートに載せた行間読みの出来る名曲の世界を。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、邦題「雨を見たかい」訳詞付き
Creedence Clearwater Revival, " Have You Ever Seen The Rain "

米国ならではの後乗りシンプルなエイト・ビートの見本のような曲で、今聴いても新鮮さを失ってはいません。
淡々としたリズム隊の演奏にハモンドが静かに加わり、隠された歌詞の内容の重さ・深さを沈殿させて見事です。
骨太なバンド・サウンドが快感で、導入部とエンディングのごく一部のみに使用の生ピアノも絶妙で効果的です。
青空の下、きらきら輝いて降ってくるのは雨粒ならぬ爆弾の雨。ブロックされている動画では当時の実写映像で、
世界最大の戦略爆撃機B52が、大量のナパーム弾でベトナムの地を火の海にしている様子を背景として使用。

その巨大なB52の集団は、故郷の嘉手納基地から飛び立ち、南のベトナムの地や人々を襲っていたのです。
B52の出撃は那覇の海岸でも見ることが出来、そのサメのような黒い機体の数々をいつも見送ってました。
爆弾と燃料が満載の重い巨体は直ぐには飛び上がれず、水平線に沿って徐々に機首を持ち上げては消えて、
また新たな機影が現われ、海面上で淀んだ黒煙がやがて海風に乗って海岸の筆者らの鼻腔を襲いました。
黙って見ていた仲間の中から「落ちれー!」との叫び声。その代弁で筆者の視界は霞んでしまいました。
その広大・多数な基地機能を補完すべく、多くの沖縄の人々が基地労働者として職を得、暮らしていました。
故郷沖縄はかつては戦争の被害者でもありましたが、60~70年代には加害者側の協力者でもあったのです。



CCRの2曲目もやはり「雨」の曲で、こちらもまた上の「雨を見たかい」同様の裏テーマがズバリ「反戦」です。
今回の「誰が雨を止めるの?」の雨もまたズバリ爆弾・爆撃を表しているとのことで、米国では有名な話です。
加えて、この雨Rainが同音異義語のReign(治世や支配)を匂わせていて、戦争の仕掛け人国家を批判しています。

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、「フール・ストップ・ザ・レイン」
Creedence Clearwater Revival, " Who'll Stop The Rain "(1970)

爽快感溢れる名曲ですが、筆者も高校生の頃にロック・バンドでCCRの曲を多数コピーして楽しみました。
プラウド・メアリー、ローディー、グリーン・リバー、ボーン・オン・ザ・バイヨウ、スージーQ 等々。
(特に「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」のギター・ソロにはメンバー全員で感嘆しました。)
そのギター、技巧を超え、肉声をも超え、西洋音階をも超え、哀しみにすすり泣く魂の叫びのようです。

上記2曲の詞の内容にそんな反戦のメッセージが隠されているとは、最初の頃は知りませんでした。
米国らしい明るさの中に隠された「反戦」「反体制」のメッセージが、当時の世相を反映しています。
当曲の3番の歌詞で、伝説の野外フェス「ウッドストック」での聴衆の団結の様子を歌っています。

2曲ともミディアム・テンポのエイト・ビートで、ポップ音楽の基本中の基本ですが、
昨今の国内外のポップスやロック界にはあまり存在しないシンプルなストレートさです。
特に我が国では60年代後半以降、多数のバンドが登場しましたが、このビートが出せるバンドはごく稀です。
オキナワ育ちの筆者が感じた本土のバンドの多くは速弾き等の技巧に長けて、その反面 ビートが希薄でした。
リズム感が遥かに良くなった現代のティーンたちですら、この粘り感は見習うべき良き見本だと思っています。
上から目線、ご容赦<(_ _)>。

これら2曲の詞・曲を紡いだボーカル兼ギタリストのジョン・フォガティーの心情はいかばかりだったのでしょうか。
遠く太平洋を渡ってきた侵略者であり加害者の立場(しかも軍務にも就き)ながらも、その一方では反戦にも同調し、
米国と言う国家に属しながらも、その支配層や体制にも批判的な目を持ち、支持者のファンにも様々な思想があり、
葛藤と矛盾にバランスを取ることには、自己存在に想像を絶する困難を極めていたのではないかと推測されます。
そのように想像・仮定すると、彼独特のエグ味タップリの濁(だみ)声が更にいっそうの哀愁を感じてしまいます。

後年、アメリカがその強大な軍事力にてその刃を諸外国へ向ける時、湾岸戦争や最近のイラク侵攻時等に於いて、
この2曲はジョン・レノンの「イマジン」等と共に放送禁止曲に指定されていて、バロメータのような存在です。
多くの矛盾や問題を抱えながらも、こんな曲を生み出し得るアメリカの懐の大きさに感服する今日この頃です。

* * *


「筆者後記:沖縄・慰霊の日に寄せて」


本土の他府県の方々にはあまり知られていませんが、故郷では6月23日は「沖縄戦終結の日」に因んで、
「慰霊の日」と定められており、この日は学校や諸官庁などは、全県をあげての休日となっています。
先の世界大戦末期に故郷で繰り広げられた「鉄の暴風」と後世で言われる血みどろの激戦が繰り広げられ、
軍民合わせて20万人余の命が奪われたことを祈念し、犠牲者の慰霊・冥福と遺族たちへの弔意を表す日です。
よってその日は県や県民が一丸となってその鎮魂・慰霊の祈りを捧げ、反省と平和の誓いを行う日です。
(毎年、遺族として招待され出席していた筆者の母もその老いには抗えず、今年は辞退しました。)

そんな厳かで神聖な日の「慰霊」のはずの式典が、ここ数年に渡り異質なものへと変貌しているのです。
県や県知事は日頃のその政治信条を乗り越えて、政府も遺族も共に犠牲者に弔意を表すのが当然の日です。
ところが現実は違います。
故・翁長前知事や、その後継者の現知事は序盤でこそ慰霊を口にすれど、その後は一方的な政府批判に終始。
また来賓・安倍首相へのここ数年に渡る罵声・怒号は愚行以外の何物でもなく、論外の非礼そのものです。
県は予測されつつも、その予防措置や当日の規制・排除もせず、「表現の自由」とばかりに黙認・受容し、
自らの主義主張の補完的演出とばかりに遠方よりの来賓を愚弄し、併せて犠牲者・遺族をも貶めています。
これが「守礼の邦(国)」の民人の末裔の所作かと思うと、もはや憤りを通り越して悲しくてやりきれません。
県民のみならず、本土出身者をも含めた数多(あまた)の犠牲者への慰霊・冥福、遺族への哀悼を祈るべきです。
「オール沖縄」と詐称し、情けに弱く論理に疎い純情な県民を愚民化し、衆愚政治にて扇情、我田引水を計り、
行政と言う責務も怠り、ひたすらに反米・反政府を連呼するのは、もういい加減にしていただきたいものです。
たった一度きりの人ひとりの人生を不幸にしてまで、自らの政治的野望達成の道具・手段に使うのは卑怯です。

この地球上に於いて、その成り立ちから現在に至るまで、全てが清廉潔白な国家など何処にも存在はしません。
とは言え、好まざるに関わらず戦後の我が国の平和と安定は、米国(軍隊)の存在無しには成立し得ないのです。
筆者の立ち位置は不動不変で、「過去に於いて多大な犠牲を払っていただいた自由と民主主義」を有り難く尊び、
それを削ごうとするその反対勢力に対しては、傍観・看過しないと言うのが筆者の信条であり、明快な信念です。
一体、どこからいついかにして「自由と民主主義」をいただき、こうして言いたい放題・非礼放題が可能なのか、
今一度過去を振り返って考え直し、その永遠の被害者スタンスを変えてもらわないと、早晩にも危機が訪れます。


オキナワ時代だった幼い頃、戦場の残り香を嗅いで育ち、米軍による非人道的な数々の蛮行を実際に肌で見聞し、
民主主義が単なる見せかけの画餅で、米国軍政による圧政で故郷の人々を抑圧した歴史的事実があったにせよ、
またそれが僅かながらも未だ進行形の事象であるにせよ、米国は戦後の我が国の根幹を形作った恩人の国であり、
その恩を忘れることなく未来永劫に渡って「自由と民主主義」を守り、享受すべき魂柱だと筆者は考えています。

願わくば県民の皆様が少しでも公正中立で良質な情報に触れ、いつの日か自らの力で思考・覚醒し、
この美しい南の島の世を、子々孫々に渡って謳歌・堪能 出来る日が来ることを切に祈っています。
「慰霊・鎮魂・哀悼・合掌」
( ;∀;)

アトリエ・ブログ 私物化の私見、長くなりました。その批判は甘受します。ご容赦。
<(_ _)>

当真英樹



当ブログの筆者の一昨年の「T講師コーナー」にて、「沖縄戦大特集」を組みました。
ご関心ご興味のある方は下のタイトルをクリックの上、是非ご欄になってみて下さい。

沖縄慰霊の日・特集


自称・筆者渾身の力作 (*^-^*)で、国内外(特に米国)からの写真資料が満載です。

By T講師



先週は地元警察の失態や、小田急線の踏切脱線事故も重なり、我が町・厚木の街は大渋滞の大混乱に陥りました。
何気ない日常がこんなにも脆く、またこんなにも平安で恵まれた日々だったと言うことを再認識させられました。
学童クラブの方も緊急の早朝迎え等が2日間、超異常な渋滞にはまり心身を窶した皆様も多数で、お疲れ様でした。


2019年6月10日月曜日

「入梅」の米国ポップス特集

月曜日・終日の冷雨
アトリエは お休み日



当ブログの投稿日に時差がある内に、巷では「入梅」に・・・。
そうとなれば、当コーナーでは例年恒例に取り上げるアレです。
と言う理由・繋がりで、「雨」にまつわる歌を集めて見ました。

「ミュージック・ギャラリー(その363):雨歌-1」


その第1回目の今回は、筆者の幼き頃や若かりし頃に親しんだアメリカン・ポップスの中から選んでみました。
皆さんもご承知の懐メロの定番(鉄板)曲が多くあると思います。

その冒頭、まずはこのこの曲、この名場面を。
20世紀の米国ハリウッドが産んだ正に傑作です。

邦題「雨に唄えば」、ジーン・ケリー
" Singing In The Rain " , Gene Kelly (1952)

米軍施政下のオキナワで育った幼少時代の筆者の映画・音楽の「雨」の原体験です。
白黒TVで見た米国映画、ラジオから流れ出た米国ポップス、全ては輝いていました。

米ソ冷戦の筆者幼少期、故郷は全てが軍事優先で民間放送は著しく制限されていました。
ラジオやTV、まず英語による放送が先行、日本語による放送はその後に認可されました。

ハリウッド映画の最高傑作シーンの一つと言っても異論のある方はいないでしょう。
熱演のジーン・ケリー、撮影時に40度の高熱だったとの伝承はあまりにも有名です。
雨の飛沫もしかと見えるようにと、雨水に牛乳を混ぜたと言う逸話を聞いた記憶も。
このシーンが撮られるまでに何テイクを要したのか不明ですが、もう完璧の極みです。
大量の人工雨の中の横移動のシーン、詞と表情と動きのコンビネーションが絶妙です。
映像・演技の素晴らしさについ記し忘れましたが、
多重録音も不可能な当時のレコーディング技術で一発録りで録音された演奏も秀逸です。
決して色褪せることのない当時のアメリカ映画の底力に、21世紀の今日からですら感激してしまいます。



さて次の雨歌も全米1位に輝いた大ヒット曲です。
ジ・アメリカン・ポップスと言う呼称に相応しい名曲です。

邦題「悲しき雨音」、ザ・カスケーズ
Rhythm Of The Rain, The Cascades (1962)

雷鳴の後に雨音とそれらの雫を感じさせるやさしい音色のビブラフォンが歌へと導入。
親しみと切なさが入り混じった傑作イントロです。拍子抜けするような間奏のオルガンも素朴で良い味です。
その間の抜けたような奏法だからこそ、何だか失恋の痛手で放心状態に陥っている男性歌手のようで絶妙です。
後半アウトロ部の歌詞のピタパタとは、日本語で表現する雨音のシトシト・ピチャピチャと共通の擬音です。

半世紀前、元々は筆者小学生の頃のヒット曲で中学生になった頃、ラジオやレコードで幾度も聴いたものです。
その当時はドーナツ盤と言うシングル・レコードが主流で、買えない曲は友人間で貸し借りしてました。
自然発生的にレコード貸し借り組合のような状態となり、1学年17クラス(55名クラス)で学年をも超えて、
中には適当な奴もいて、返してもらえなかったり、ジャケットや盤が汚されたりして、悲しい思いもしたり、
でも学校人気No,1の女子から借りたりもして、そのジャケット記入の名前に一人 微笑んだりもして(n*´ω`*n)、
1枚のレコードが介した100名余の友人たちとの様々な出来事と想い、今となっては良き思い出です。



次の曲もまたそんなアメリカン・ポップス全盛期の頃の雨にまつわる名曲の代表曲です。

邦題「雨に消えた初恋」、ザ・カウシルズ
The Cowsills - " The Rain, The Park & Other Things " (1967) - with Lyrics

こちらの曲も雨音から聞こえ、涼やかなオルガン・サウンドとハープが情緒を醸し出す名曲です。
カウシルと言う姓の家族グループで、その構成は男子6名と継母と言う仲良くも面白い編成です。
長兄のリード・ボーカルと共に、曲の随所にて折り重なる兄弟ならではのハーモニーも絶妙です。
そんな歌声もさることながら、バック演奏(楽器編成や音色をも含めた)のアレンジも素晴らしく、
当時の米国音楽界のプロデュース力に、厚みや凄味を感じるのは筆者だけではないと思います。
余談ですが、
その当時、故・大橋巨泉氏が「牛も知ってるカウシルズ、ウシシ・・」なんて言っていたことも。


最後のこの曲はもう雨歌の定番中の定番、皆様ご存じの世界的大ヒット曲です。
上の「雨に唄えば」同様、映画のサントラ盤で、アメリカン・ニューシネマの「明日に向かって撃て」のテーマソングです。

邦題「雨にぬれても」、B.J.トーマス
" Raindrops Keep Fallin' On My Head ", B.J.Thomas (1969)


ギターの軽やかなコード・ストロークが印象的なイントロで始まるこれまたリラックスした歌唱が印象的な名曲です。
作曲は、70年代に素晴らしい上品なアメリカン・ポップスを数多く世に送り出した、あのバート・バカラックです。
当コーナーで幾度か紹介の「ラフター・イン・ザ・レイン」同様の軽やかさがアメリカならではの風土を感じます。
またYouTube上には、映画の中の名場面(動画)入りの訳詞バージョンもあるので、興味のある方はこちらもどうぞ。

以上、今年の「雨歌」の第1回目は、懐かしのアメリカン・ポップスの中から4曲をお届けしました。

これらの曲を生み出した20世紀も、南の小島にて聴いていた昭和も、随分と遠ざかってしまいました。
流れ出でていた真空管ラジオも、針を落としていたレコードや電蓄も、もう身近には無く、過去の彼方。
レコードを貸し借りした友の幾人かも令和を迎えることなく黄泉人となり、筆者の身体と記憶もまた何れ。
( 中には平成をも迎えずして、早々と逝ってしまった親不孝極まりない友も数人にものぼり・・・。合掌 )
今宵またYouTubeにて彷徨う宇宙空間と思い出狭間。しばし優しい音楽たちに包まれたいと願う今日です。

* * *


新コーナー「ミニ・ギャラリー(その2):雨夜景」 


前回より始まった当コーナー過去分からの焼き直し(;^ω^)の2回目です。
今回は「梅雨入り」にて雨をテーマに統一。一昨年のT講師コーナーにて紹介済みの雨作品を取り上げました。


作者:ジェレミー・マン(米国)
Jeremy Mann ( American Impressionist Painter ), 1979

雨の日の夜景は筆者も大好きです。雨水による光の反射やその滲み、都会の(静かな)喧騒や風や匂い等・・・。
安全運転には留意しながらも、街灯や信号機の明滅や路面上の反映など見とれることもしばしば(停車中です)。
上のアメリカン・ポップスと共に、ご鑑賞下さい。

* * *

ともすれば憂鬱な気分に陥りがちな雨多きこの季節。少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。
また天候による寒暖差の激しいこの時節、体調不良にならぬよう、充分気を付けて過ごしましょう。
水分補給も忘れずに。
(*^-^*)


By T講師