アトリエ・マイルストンブログ

2016年9月20日火曜日

レンブラントの自画像「老い」

月曜日・終日の雨
「敬老の日」の祝日
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「名作美術館(その190)」
レンブラントの自画像:「老い」

今回の当コーナー特集、久々の「敬老の日」に焦点を当てました。
誰しもが避けることの出来ない肉体的・精神的「老い」、一人の画家の人生と自画像に興味深いものがあります。
ご存じ、オランダ17世紀を代表する巨匠の一人 レンブラントは、その生涯に約50点もの自画像を描きました。
名声を博する以前の修業期、名声を勝ち得た青年期、円熟の壮年期、そして没落へと向かう中年・老年期など、
その生涯で人生の様々な酸いも甘いも充分に経た一人の人間の顔・相貌に、大いに感銘を受けてしまいます。
富と名声を享受した時期、その後、愛妻や後妻や、その上一粒種の息子にも先立たれ、名声や富も失います。
売れなくなってしまった画はしかし画家の内面を写す鏡となり、自己完結の道具となって自らの姿に対峙します。

説明的な背景の失われた画面には、内省的な光と影が画家の年輪を重ねた相貌とその魂とを照らしています。
そこにはレンズや感材などではけっして再現し得ない、一人の画家の歩んできた一生が刻み込まれています。
瞳に映る小さな反射光が、画家がこの世に存在している唯一の証でもあるかのような最後の一筆かも知れません。





「自画像」、レンブラント・ファン・レイン
"Self-Portrait"/ Rembrandt Van Rign

正に人類の「至宝」です。


「老い」は誰にも訪れる現実、筆者もまたその玄関に踏み入りつつあり、その感慨もひとしおです。
その肉体と精神(どんな?)が滅びゆく前に、「今さらながら」の人生を刻んでみようと思っています。

* * *

「ミュージック・ギャラリー(その227):敬老の日スペシャル」

今回の当コーナー、筆者の故郷沖縄・の唄2曲を取り上げました。
このコーナーでは3回目登場の石垣島出身のビギンと、隣の島・西表出身のシンガーです。
お年寄りを普通に大切にする故郷の若者らしい心温まる直球が何よりも魅力的で快感です。
まずはオジーの唄から、

ビギン、「三線(サンシン)の花」

続いて、オバーの唄、
池田 卓(すぐる)、「おばあちゃんの唄」(TV番組での収録・ライブ)

オジーとオバーに焦点を当てた普通な日常を身の丈の目線で綴った詞と旋律が、心に染み入ります。
池田卓の故郷・西表は舟浮集落も昔日に訪ねたことがあり、島の西端海岸に面した美しい所でした。
素直で伸びやかな声と詞、そんな島の美しい環境と人々とが育んでくれたのだと感じ入ってしまいます。


「ミュージック・ギャラリー:特別追加判」
「再び、オジーの唄」

随分以前に当コーナーで紹介した動画を再度アップします。
今回の「敬老の日」特集と言うことで、3曲目ご容赦ください。
やはり故郷沖縄のシンガーソングライターの紡いだ美しい唄です。
今回の特集で見逃し難く、敢えて再度アップさせていただきました。

「でいご」、Jimama (ジママ:沖縄で わがままっ子の意)

奥ゆかしくも詩情豊かな美しい歌詞・旋律・編曲・映像です。
地味ながら、間奏の奥で流れるスキャットの歌声も美しいです。
製薬会社のCMでも全国放映された「大丈夫」と言う曲もお勧めです。
デイゴ(梯梧)は沖縄の県花で、春から初夏に赤い花を咲かせます。

ちなみに故郷ではご老人のことを「オジー、オバー」だけではなく、ウスメ―、ハーメー、タンメ―とも呼びます。
前者二つは女性を、後者は男性を呼称し、それぞれ薄命(ウスメ―、ハーメー)、短命(タンメ―)と充てます。
筆者も子供心に随分と酷な表現だと思いましたが、周囲の人々にその余命を知らしめる言葉とも感じました。
だからと言う訳ではないだろうとは思いますが、故郷の南島でオジー・オバーはみんなの中で幸せそうです。
「生者必滅、会者定離」ではありませんが、ご老人に限らず、「一期一会」の出会いを大切にしたいものです。
(以上、特別追加判 コメント)


筆者の亡き父もいつしか周囲や孫たちから「オジー」と呼ばれ、帰郷時に複雑な気持ちになった経験があります。
ビギンの詞の中に出てくるような亡き父の形見のサンシン、今は仏壇の傍らでケースの中に収められたままです。
帰郷の際にはケースから引っ張り出して、その音色を確かめます。
母や妹は「持っていったら」と勧めますが、兄は「ダメ」と言います。
「オバー」となった母は、にこやかに笑って日々を過ごしています。
本土の冬場の乾燥は厳しく、皮が縮んで裂けてしまい、筆者のサンシンもそのメンテに苦労しています。
やっぱり冬温かい故郷で、家族や孫らや湿気に囲まれている方が、父のサンシンも幸せだと思います。
今年も11月には、そのサンシンの音色に会えそうです。
その時までに、当コーナーでも紹介した「かぎやで風」を覚えられたら、と考えている今日この頃です。
会得した暁には、父のように筆者もまた泡盛でも味わいつつ、その音色を聞かせたいと思っています。

By 講師T