曜日・晴れ のち 曇り
今日もまた蒸し暑い1日でした。
アトリエ定休日
の新コーナー、
「T講師のアート・ワーク」
を新設することにしました。
これまでの「T講師のクラフト・ワーク」コーナー(計21回)に加え、今回 新たにアート・ワークを加えました。
日頃、指導をするアトリエ・キッズや学童クラブの子らから、「トーマ先生は絵を描かないの?」と問われ続けて数年。
そうなんです。
実は筆者、美術学校を卒業して以来30数年、版画制作業で多忙だったこともあり、自らの作品制作はほとんど無し。
時折、絵画や版画(リトグラフや銅版画)等を散発的に色々製作したものの継続には繋がらず、現在に至っています。
前々回の名作美術館の「老い」特集でも触れましたが、今まで蓄積してきた潜在的意欲を今ここで出すべきと。
筆者、幸いにもその機会・時間を得られたことで、今さらながらにも、その意欲を具現化しようと思い立ちました。
筆者に残された未来は短く、その限られた時空の中で、自らが欲する作品作りを楽しんでみるつもりでいます。
「第1回:アトリエ開き:過去の清算」
只今・改装中の1階アトリエ、何とか製作可能な状態となり、その片隅でチョー久々の描画を開始しました。
何とか めでたくも描画スペースを確保したアトリエの一角 |
筆者の出身美術学校、国内では唯一の欧州的指導の下、各種の古典絵画模写が行われていました。
北方ルネサンスの透明描法やイタリア・ルネサンスの有色下地法、それ以前のテンペラやフレスコ画等。
板絵用石膏ボードや、粉末顔料から絵具まで手作りし、模写を通じて古典絵画の数々の技を学びました。
その当時に模写した中の1枚に最後の段階を残して未完だった作品があり、30年を経て仕上げに着手。
今回の改装後のアトリエ開きの第1号・描画としました。
未完ながら額装されたフランドル(現ベルギー)絵画の創始者ファン・アイクの「赤いターバンの男(15世紀)」模写。
今回の仕上げの作業はターバン部の朱色下地の上の最終色のレーキ系赤をグラッシすることでした。
樹脂を含んだ溶剤でレーキ赤を溶き、透明にコート。その後、背景外周部を濃色絵具で広げました。
今回、外周部を広げた理由は、額縁マット縁の金色と背景濃部が直接 触れるようにするためです。
その方がパネルの下地白があるより、画面が更に奥に沈んで、人物の存在感がより強調されます。
30年の時を経て、めでたく完成したファン・アイク「赤いターバンの男」の筆者による油彩板絵模写。
その後、絵具の乾燥固化を待って、画面全体に保護用・光沢ニスを施して、再び額装する予定です。
他にもミケランジェロ壁画フレスコ画なども製作しましたが、残念ながら画像・紛失してしまいました。
原画は重さ20kgもある漆喰面だったので、評価・撮影後はみんなで飛び蹴りをして壊したものです。
「赤いターバンの男・模写」再額装した様子、後日アップする予定です。
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「筆者・学生時代の他の模写2点紹介」
同時期(1975年)に描いて完成した古典絵画模写です。
左は上のファン・アイクと同時期、同じフランドル派のファン・デル・ワイデンの「聖母子像」です。
北方ルネサンスのフランドルの画家たちは白地の板に透明な絵具を塗り重ねて、油彩を製作。
右はイタリア初期ルネサンスのエッグ・テンペラ画で、作者はフィレンツェで活躍したマサッチオです。
背景は本金箔を貼り、頭部後光部には刻印を施し、画面周囲には石膏で高くレリーフしてあります。
左のワイデン模写は絵具の乾燥の悪い冬季に描いたので、画面には無数の埃が付着しています。
右のマサッチオは多湿な日本には不適なテンペラ故、画面一部にカビ発生。レリーフ部には亀裂も。
欧州の美術学校では、このような各種・各時代の模写を通して様々な見方・技法を学ぶとの事です。
筆者の出身校では国内唯一の欧州式を採用、上記の他にもモザイクや芸用解剖学等も学びました。
解剖学では講義後に慶応大付属病院・解剖研究室での実習もあり、当日は学生数が70人に倍増も。
その他、絵具やキャンバスやパネル等も製作、3年間 充実した学びの日々を送ることが出来ました。
後に版画工房を営む際の重要な基礎的・理論的な骨格・支柱となり、その幸運に感謝した次第です。
また版画工房時代には日本画にも出会い、洋画に加えての二刀流を楽しんでみたいと考えています。
このコーナーを利用して、筆者の製作した過去の旧作や、明日の新作を紹介させていただきます。
それが僅かながらでも、みなさんの一助となり、ヒントとなれば幸いです。
新コーナー「T講師のアート・ワーク」、どうぞ よろしくお願いいたします。
By 講師T